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納豆王の茨の道 第11章 二度裏切られた再出発  ~握り潰された転勤と騙された新天地~

    前章では、夢が途絶え、再び奈落の果てまで落ちぶれ、遂に退職に追い込まれてしまった。

    毎度フォロワーのわかモンさんに記事を紹介して頂きありがとうございます。

    さらに今回はカワムラさまのChatGPTのヨシダさまにも応援を頂き、感謝です。

    今回はようやく転職先が決まり、茨の道の出口が見えてきたと思ったら、思わぬ落とし穴が…


    空いていた東京本社の席

    電話の主は、本社人事課の鈴木課長だった。

    退職の挨拶を兼ねて近況を話していたときのことだ。

    それまで穏やかだった課長の声が、突然、少し低くなった。

    「ん? 退職理由は体調不良なのか?」

    「はい。

     体力的にも精神的にも限界で、今の状態では営業職は無理だと医者に言われました。

     それで転職を決断したんです。

     上司の佐々木所長には、そのことを伝えてから転職活動を始め、茨城の会社に決まりました」

    すると、鈴木課長は意外なことを口にした。

    「佐々木所長からは『他の仕事がしたい』としか聞いていないぞ」

    「それが何か?」

    「営業が無理という理由なら、東京本社の開発部で事務職の席が空いていたから、転勤させたのに」

    一瞬、電話口で時間が止まった。

    「まさか!……そうだったんですか?」

    喉の奥がカラカラになり、それ以上の言葉が出てこなかった。

    2年前の経営統合で、僕は工場総務職から営業職へと配置転換された。

    営業の仕事で失敗を重ね、心身ともに追い詰められた末、医者からも転職を勧められていた。

    だから、この会社で事務職に戻る道など残されていないと思い込んでいた。

    上司に握り潰された道

    ところが、東京本社の開発部で椅子が空いていたのだ。

    しかも、本社人事課に苦境を直接相談すれば、異動できるチャンスがあった。

    僕は知らなかった。

    いや、知らされていなかった。

    佐々木所長には、体調不良で営業を続けられないことを伝えていたはずだ。

    それなのに、佐々木所長は本来の退職理由を切り捨て、本社には「他の仕事がしたい」としか人事課に報告していなかった。

    退職理由が正しく人事課に伝わっていれば、辞意は慰留され、僕の人生は違う方向へ進んでいたかもしれない。

    東京に戻り、事務職として再出発する。

    そんな選択肢が、目の前に用意されていたのだ。

    それを知ったとき、胸の奥から激しい怒りが込み上げてきた。

    佐々木所長にとって、営業でミスを犯した僕は、ただの厄介払いしたい存在でしかなかったのだろうか。

    僕が東京本社に異動することより、会社を去ることを望んでいたのだろうか。

    真相は分からない。

    ただ、信頼して相談した上司が、自分の人生を左右する情報を握り潰していたという事実だけが、重くのしかかっていた。

    怒りと同時に、上司を信じ切っていた自分自身にも嫌悪感を覚えた。

    もっと早く本社に相談していれば……。

    上司に嫌われていたことを知っていれば……。

    電話を切った後、しばらく呆然として動けなかった。

    悔しいとか、悲しいとか、そんな感情さえ通り越して、ただ虚ろだった。

    またしても、人生のターニングポイントを見誤った。

    そう思うしかなかった。

    2度目のまさか

    次の新天地に決まったヤマダフーズ茨城工場は、茨城の実家から車で片道1時間以上かかる場所にあった。

    そのため、会社が借り上げ社宅を用意してくれることになっていた。

    ようやく岩手を離れ、地元の茨城に戻れる。

    新しい会社で心機一転、やり直そう。

    そう自分に言い聞かせながら、上司に騙されたことを飲み込んで、引っ越しの荷物をまとめていた。

    ところが、人生というものは、どうやら僕に安息の時間を与えてくれないらしい。

    退職した翌日。

    盛岡のアパートを退去するまで、あと10日というタイミングで再び電話が鳴った。

    相手は「おはよう納豆」の山田社長だった。

    内定をもらった会社の社長から、なぜわざわざ直々に電話がかかってくるのか。

    嫌な予感がした。

    電話に出ると、社長は秋田弁交じりの口調で話し始めた。

    「茨城工場の総務課は、ほがの人に決めだんだばって、悪ぃども本社の商品開発室さ来てけねがな?」

    ……予感は的中した。

    聞き間違いではない。

    茨城工場の総務課に採用されたはずなのに、配属先は秋田にある本社の商品開発室だという。

    「ほ、ホントですか?

     じ、地元の茨城に戻りたいのですが……」

    思わず声が上ずった。

    僕は茨城に戻るつもりで転職活動をしてきた。

    岩手での生活を終わらせ、地元に帰る。

    それが今回の転職の大前提だった。

    それなのに、茨城へ戻るどころか、今度は秋田へ横滑りである。

    しかも、希望していた総務職ではなく、まったく経験のない商品開発室。

    勤務地も職種も、話が違う。

    すると、山田社長はさらに続けた。

    「二年後には茨城工場さ移ってもらうんだばって。

     んだども、未経験だはんで給料は当初の条件がら、ちょっと下がるどもな」

    耳を疑った。

    勤務地が変わる。

    職種も変わる。

    そして、給料まで下がる。

    一体、何なのだろう。

    採用条件とは、会社側の都合でいくらでも変更できるものなのか。

    こちらは家族を抱え、住まいも仕事も失う瀬戸際にいる。

    その弱みにつけ込まれているような気さえした。

    「家族と相談してみます」

    そう答えて電話を切った。

    しかし、それが時間稼ぎにもならないことは、自分が一番よく分かっていた。

    苦渋の選択

    案の定、家族は猛反対だった。

    当然だろう。

    茨城に戻れると信じていたのに、引っ越し直前で、秋田で働けという。

    しかも、給与まで下がる。

    妻にしてみれば、納得できるはずもなかった。

    僕自身、怒りと不信感でいっぱいだった。

    本来なら、こんな条件変更を受け入れる必要などない。

    もし、内定時に採用条件の変更を言われていたら、内定を辞退していた。

    そして、もう1社内定をもらっていた茨城の物流会社に入社していた。

    しかし、現実は残酷だった。

    すでに前の会社は退職していた。

    そして、内定をもらった物流会社にも内定辞退をしていた。

    盛岡のアパートを退去する日も、10日後に迫っていた。

    ここで「お断りします」と言えば、就職活動は振り出しに戻る。

    仕事も住む場所も失い、家族を連れて路頭に迷うことになりかねない。

    もう一度、就職活動をゼロからやり直す余力など残っていなかった。

    そんなとき、山田社長が口にした言葉が、頭の中で何度も繰り返された。

    「二年後には茨城工場さ移ってもらう」

    二年後。

    たった二年我慢すれば、茨城に戻れる。

    そう考えるしかなかった。

    まるで、奈落の底に落ちていく僕の目の前にニンジンがぶら下がってきたようだ。

    そのニンジンが本物なのか保証などない。

    毒が仕込まれているかもしれない。

    もしくは幻かもしれない。

    それでも、その時の僕には、そのニンジンを信じて前に進む以外、選択肢がなかった。

    数日後、山田社長が直々に用意してくれた借り上げ社宅を見に行った。

    本社近くにある一戸建てだった。

    築年数はかなり古かったが、そこは田舎ならではの贅沢さがあった。

    居住面積は広く、水回りだけは新しくリフォームされていた。

    家族5人で暮らすには、十分な広さだった。

    少なくとも、住む場所だけは確保できた。

    再起の舞台は、秋田へ

    そして、2001年8月31日(金)。

    僕たち家族は、岩手から秋田へと引っ越した。

    翌週の月曜日から、僕は「おはよう納豆」の一員となった。

    当時、長女は小学6年生、次女は小学2年生、長男は年長組。

    引っ越し直前の変更に伴い、子ども達の転校手続きもドタバタ劇だった。

    もちろん子供たちにとっても、岩手から秋田への引っ越しは大きな環境の変化だった。

    本当なら、茨城の実家に近い場所で新生活を始めるはずだった。

    それが、またしても予定変更。

    親の都合で、いや、「おはよう納豆」の都合で、子供たちにも転校や新しい生活への適応を強いることになった。

    そして、転職に伴って収入も減った。

    妻は、ブツブツと不満を口にしながらも、近くの縫製工場でパート勤務を始めた。

    家族5人が新しい土地で暮らしていくためには、そうするしかなかった。

    僕自身も、これまでの営業経験とはまったく違う商品開発という仕事に向き合うことになった。

    後で聞いた話では、この「商品開発室」の席は、僕が「納豆王」と知った社長の思い付きで用意した席だった。

    「納豆王」の力が発揮できるのでは?

    と、社長から期待されていたようだが、あまりにも唐突な「後出しジャンケン」で不安と不信しかなかった。

    次から次へと、思いもしない方向へ流されていった。

    それでも、家族を守るために濁流に身を委ねるしかなかった。

    そして2001年9月。

    それでも僕は秋田の納豆メーカーで再起を誓った。

    第10章  第12章

    本章は「40年間の末路 第14章」でも、異なる視点で掲載しています。

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    作家・舘徹人(タチ テツト)と歌人・望月成人(モチヅキ ナリト) そしてChat-GPT・シャオレイ🐼を仲間に持つ。 5人の孫を持つ熊猫温泉ジィジ🐼(クマネコ オンセン ジィジ)です。 2026年6月に還暦になり、10月に入籍(再婚)して いろんなジャンルで創作活動してます。

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