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納豆王の茨の道 第10章 再び遠ざかる出口 ~奈落の果てからの再起狂想曲~

    前章では、「フランス納豆計画」が夢と散った。

    そしてフォロワーのわかモンさんに毎度、記事を紹介して頂き感謝です。

    今回は茨の道にさらに追い打ちを掛けられ、ついに選んだ道は…


    帰国後、初出社

    2001年5月21日。

    パリから帰国して、初めての出勤日だった。

    「フランス納豆計画」は、家族の反対もあり、あっけなく消滅した。

    夢から現実へ。

    僕は再び、盛岡での営業マン生活に戻ることになった。

    会社に到着すると、まずはパリ土産のクッキーを取り出し、上司の佐々木所長に手渡した。

    「休暇を頂きありがとうござます。
     パリのお土産です」

    ところが、返ってきたのは、歓迎とはほど遠い冷ややかな視線だった。

    まあ、無理もない。

    こちらは一週間も会社を休んで、遠くフランスまで出掛けていたのだ。

    しかも、帰ってきたからといって、営業成績が上がるわけでもない。

    机の上には、休んでいた一週間分の書類が山のように積まれていた。

    まずは、その書類の整理から始める。

    電話で商談のアポイントを取り、午後からは盛岡市内の営業先を回った。

    しかし、どうにも現実感がない。

    つい先週まで、私はパリにいた。

    モンマルトルの街角を歩き、長塚玲子さんとフランスでの納豆製造について語り合っていた。

    モスクワの空港では、偶然にも長塚真由美さんと再会した。

    あれほど濃密な時間を過ごしたのに、今はいつもの営業車に乗り、いつものように取引先を訪問している。

    まるで、長い夢からまだ覚めていないようだった。

    夢と現実の境目を彷徨いながら、僕は再び営業活動を始めた。

    ところが、翌日、思いもよらない出来事が起こる。

    5月22日。

    早朝、自宅を出発し、高速道路を北上した。

    この日の営業先は、青森県八戸市。

    盛岡から車を走らせ、途中、岩手県内にある折爪サービスエリアで休憩を取ることにした。

    腰に落ちた雷

    車を停め、ドアを開けて降りようとした、その瞬間だった。

    「う、がっ……!」

    突然、腰に雷が落ちたような激痛が走った。

    身体を動かすことができない。

    立ち上がることも、まともに歩くこともできない。

    一瞬、何が起きたのか理解できなかった。

    まさか……。

    ぎっくり腰?

    とにかく、この状態では八戸まで営業に行くことなど不可能だった。

    僕は何とか電話をかけ、先方に事情を説明して商談をキャンセルした。

    しばらくその場で痛みが治まるのを待ち、少し動けるようになったところで、最寄りのインターチェンジから高速道路を降りた。

    そして、近くの整形外科に助けを求めた。

    レントゲン検査の結果、診断は重度のぎっくり腰。

    しかし、発症した直後だったため、その場でできる治療は限られていた。

    湿布と痛み止めを処方されただけで、診察は終了。

    結局、痛みを堪えながら、何とか盛岡まで車を運転して帰宅した。

    その後も痛みは続き、さらに3日間、自宅療養で仕事を休むことになった。

    ただでさえ、営業不振に悩んでいた。

    4月には不眠症や拒食症を伴う両極性障害にまで追い込まれていた。

    心も身体も、すでに悲鳴を上げていたのだ。

    一縷の望みにかけた「フランス納豆計画」は消滅し、直後に重度のぎっくり腰。

    「泣きっ面に蜂」とは、まさにこのことだった。

    もう、限界なのかもしれない。

    やっぱり転職するしかないのか……。

    そう考えるようになった。

    退職決意と転職活動

    翌週、僕は佐々木所長に退職の相談をした。

    一度は引き留められるのかと思っていたが、意外にも返事はあっさりと、退職を認められた。

    そして、翌週の6月4日には東京から後任の若手営業マンが赴任してきた。

    僕は2週間あまりかけて業務の引き継ぎを行い、その後は有給休暇の消化に入ることになった。

    退職日は8月20日付。

    これで、盛岡での営業マン生活に終止符を打つことが決まった。

    しかし、退職が決まったからといって、次の仕事が保証されているわけではない。

    むしろ、ここからが本当の勝負だった。

    有給休暇の消化期間に入ると、僕は本格的に転職活動を始めた。

    目指すのは、茨城へのUターン。

    家族とともに、再び茨城で暮らすことが最大の目標だった。

    ハローワークや求人サイトで仕事を探し、履歴書・職務経歴書を作成して送付した。

    その数は、いつしか1ヶ月で100社を超えていた。

    それだけ応募しても、書類選考で落とされた。

    書類を送っては結果を待ち、また次の企業に応募する。

    そんな日々が続いた。

    その中で、僕はあることを思いついた。

    この際「納豆王」の知名度を、転職活動に活かせないだろうか。

    せっかく全国納豆王選手権で優勝し、テレビにも出演した経験がある。

    納豆に関する知識や経験なら、多少なりとも他の応募者にはない強みになるはずだ。

    そう考え、茨城県内の納豆メーカー数社にも応募してみることにした。

    職種は問わなかった。

    製造でも営業でも総務でも、とにかく納豆に関わる仕事ができればいい。

    ところが、現実は甘くなかった。

    「納豆王」という肩書きも、採用担当者の心を動かす魔法の言葉ではなかったようだ。

    テレビに出たからといって、就職先が簡単に見つかるわけではない。

    それでも、わずかながら面接まで進めた企業があった。

    面接のたびに、私は岩手から新幹線を乗り継ぎ、茨城まで往復した。

    もちろん、交通費はすべて自腹。

    一社の面接を受けるために、時間もお金もかかった。

    それでも、茨城に戻るためなら、できることは何でもやるつもりだった。

    茨の道の長いトンネルの先

    転職活動を始めて、ひと月半が経った8月上旬。

    ついに、2社から内定をもらった。

    ひとつは物流会社の総務職。

    もうひとつは、なんと「おはよう納豆」で知られるヤマダフーズの茨城工場、総務職だった。

    実は、僕は営業職に就く前、総務・人事職を5年以上経験し、衛生管理者の国家資格も持っていた。

    これまで培ってきた経験を活かせる仕事であり、しかも納豆メーカーである。

    これは、願ってもない話だった。

    僕は物流会社の内定を辞退し、「おはよう納豆」への入社を決意した。

    「おはよう納豆」は秋田県に本社を置くメーカーで、岩手のスーパーでもよく見かける馴染みのブランドだった。

    しかもTVチャンピオンでも出題され、第2Rの創作納豆で僕自身も材料として「おはよう納豆」を使用していた。

    そして、忘れもしない。

    パリのあの食料品店でも、長塚玲子さんが購入した納豆の中に「おはよう納豆」があったのだ。

    まさか、パリの小さな食料品店で見かけた納豆のメーカーに、自分が入社することになるとは。

    フランスで納豆を作る夢は消えてしまった。

    しかし、35歳になったばかりの僕は、納豆を作る会社の一員になろうとしている。

    これは偶然なのだろうか。

    それとも、何か不思議な縁なのだろうか。

    僕は、そこに運命のようなものを感じずにはいられなかった。

    「芸は身を助く」とは、このことを言うのかもしれない。

    まさか、納豆王の称号が転職活動の最後に、こんな形で役立つとは思ってもいなかった。

    茨の道の長かったトンネルに、ようやく出口の光が見えた気がした。

    両極性障害やぎっくり腰も、少しずつ改善していた。

    これで茨城に戻れる。

    新しい仕事も決まった。

    家族と一緒に、もう一度やり直せる。

    「これで、ようやく茨の道から脱出できる!」

    家族ともども、心から喜んだ。

    あとは、8月31日に盛岡のアパートを引き払うだけだった。

    それからは、引っ越しの準備に追われる毎日となった。

    荷物を整理し、必要なものと処分するものを分け、段ボールに詰めていく。

    盛岡での1年6カ月の生活も、いよいよ終わりが近づいていた。

    まさかの電話

    お盆休みが終わり、退職日の8月20日。

    新しい生活への期待を胸に、僕は朝を迎えた。

    そのときだった。

    僕のケータイに、一本の電話が掛かってきた。

    何気なく手に取ったケータイ。

    着信に気づき、電話に出た。

    その相手が告げた言葉によって、ようやく見えてきたはずの人生の出口が、再び遠ざかることになるとは……。

    このときの僕は、まだ知る由もなかった。

    第9章  第11章

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    作家・舘徹人(タチ テツト)と歌人・望月成人(モチヅキ ナリト) そしてChat-GPT・シャオレイ🐼を仲間に持つ。 5人の孫を持つ熊猫温泉ジィジ🐼(クマネコ オンセン ジィジ)です。 2026年6月に還暦になり、10月に入籍(再婚)して いろんなジャンルで創作活動してます。

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