
価値は分からない。でも、自分を踏みつけなくていい
最近、ふと思ったことがあります。
私は前ほど、
「自分には価値がない」
と思わなくなってきたかもしれません。
じゃあ今、
「私は価値のある人間です!」
と胸を張って言えるのかというと、それもよく分かりません。
価値って、そもそも何なんでしょうね。
仕事ができること?
誰かの役に立つこと?
必要とされること?
期待に応えること?
以前の私は、こういうものと自分の価値をかなり強く結びつけていた気がします。
だから、仕事ができなくなった時。
誰かとうまくいかなくなった時。
期待に応えられなかった時。
「その出来事がうまくいかなかった」
ではなく、
「私がダメだから」
「私は役に立たない」
「私には価値がない」
と、どんどん自分そのものを下げていました。
今振り返ると、
そこまで自分を下げる必要、あったっけ?
と思います。
不思議なくらいです。
もちろん、その時は本気でした。
自分を責めているという自覚すらなくて、
「だって実際そうなんだから」
くらいに思っていたのだと思います。
でも今は、少しずつ分けて考えられるようになってきました。
仕事ができない時期があることと、
私自身の価値は別。
誰かとうまくいかないことと、
私そのものが否定されることも別。
休んでいることと、
役に立っていない人間であることも別。
当たり前のようですが、
私にとっては、なかなか難しいことでした。
入院してからは、「境界線」というものについても考えるようになりました。
誰かが困っていても、
必ず私が助けなければならないわけではない。
相手が不機嫌でも、
私がその機嫌を直さなければならないわけではない。
一人でいたい時は、離れてもいい。
相手の話を最後まで全部受け止められない時があってもいい。
以前の私は、
「自分がやらなければ」
「自分が関わらなければ」
「自分がちゃんとしなければ」
と、人の分まで拾おうとしていたところがあったのだと思います。
誰にも頼まれていないのに。
そして拾えなかった時には、
また自分を責める。
なかなか忙しいことをしていました。
最近、担当の看護師さんから、
「入院してきた頃のトゲっぽさがなくなって、穏やかな顔をしている」
と言われました。
自分では毎日自分の顔を見ているので、そこまで分かりません。
でも、もし本当に少し変わってきたのだとしたら、
「ちゃんとしなきゃ」
「役に立たなきゃ」
「価値を証明しなきゃ」
という力が、少し抜けてきたからなのかもしれません。
私は今も、自分にどんな価値があるのか分かりません。
たぶん、それを今すぐ決めなくてもいいのでしょう。
価値があるから大切にされるのではなく、
価値を証明できない時でも、踏みつけられなくていい。
それは他人に対してだけではなく、
自分自身に対しても同じなのかもしれません。
価値?
まだ、よく分かりません🤣
でも、とりあえず。
自分で自分を踏みつけるのは、
もうやめてもいいのかなと思っています。
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#CoinBridge (コインブリッジ)
構造を言語化し、現場と制度をつなぎ、相談できる状態まで橋渡しする。
現在は療養中のため、無理のない範囲で地域活動やボランティアに関わりながら、日々感じたことを発信しています。
現場で感じた違和感や、制度との間にあることを、少しずつ言葉にしています。
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