
#6石橋を叩いて渡る妻と対岸の祭りを見ている夫
# 最初で最後の涙
夫の妹には、一度しか会ったことがない。
だから、なんて呼んだらいいのかわからない。
その春のことだった。
娘の診断名がついた、あの春。
仕事中の夫から、突然電話がかかってきた。
「妹が死んだ。」
電話越しの夫の声だけが、いつもと違っていた。
急いで帰ってきた夫は、驚くほど普段通りだった。
何を考えているのか、わからない。
でも、聞いてはいけない気がした。
通夜に向かうと、コロナ禍で会えなかった義両親は、ひどく痩せていた。
それでも二人は、
「来てくれて、ありがとうねぇ。」
と、私を気遣ってくれた。
結婚式では揃わなかった夫の家族が、ここで初めて揃った。
そこには中学生の女の子もいた。
「顔を見てあげて。」
義母に促され、棺の前へ立った。
私は、この人を知らない。
知らない。
それなのに、涙が溢れた。
義母の語る夫の妹は、いつもどこか私と似ている匂いがしていた。
突き詰め過ぎ。
徹底しすぎ。
この私が、
そこまでやる?と思うくらいに。
夫と幼い頃から、同じ景色を見てきた人。
夫のそばにいてくれて、ありがとうございました。
そう心の中で思いながら、棺の前を離れた。
翌日。
火葬場では、焼却炉が動く無機質な音だけが響いていた。
その中で、夫が静かに流した涙は、
私が見た、最初で最後の涙だった。
# 潔い大往生
妹と言葉を交わしたのは、いつが最後だったのだろう。
いくら記憶を辿っても思い出せない。
娘の診断名がついた同じ春に、父が仕事中に電話をかけてきた。
「おぉ、仕事中悪いのぅ。あい坊が死んでしもうたわ。」
あまりに父が無機質に言葉を並べる。
私は、多分興奮していたと思う。
だが、慌てふためいてる感じではない。
殺伐とした映画のワンシーンを見せられているような、
どこか他人事のような、言葉にできない感情だった。
妻に「なんで亡くなったの?」と聞かれたが
「行ったらわかるんじゃない?」とだけ答えた。
亡くなった理由は、さほど大事ではない。
霊安室で遺影が目に入った瞬間。
不謹慎なことに「新手のドッキリ」かと思った。
記憶にある妹からは想像もつかなかった。
異常に老けて見えた遺影が、どこから見ても母に見えたからだ。
霊安室の雰囲気は、妹の一番近くにいた、義弟・姪・両親からも少し笑いが出るくらいの空気だった。
彼らは妹の死期を知っていたのだ。
そこで初めて色々な事が紐づきはじめた。
結婚式の時、食事会は参加せず帰ったこと。
それ以来一度も会ってないこと。
離れて暮らす私には、絶対言うなと口止めされていたこと。
まぁ、妹のことなら約束を破った日には、
手の付けられないほどの激高をするのは目に浮かぶ。
妹のことは子供の頃から、「要領悪いな」と思ってた。
それ以上に、「ストイックで勉強熱心」。
という私にない面を羨ましく思い、そして尊敬していた。
私にその努力と才能があれば、世界に名を馳せる人物になれると思っていた。
だが、妹のような思考を持つことは、我が身が耐えられるイメージがつかず、私には必要ないとも思っていた。
思春期以降、お互いあまり干渉しなくなったが、両親を介して気にはかけてた。
次会うときには完治した時だと、両親に釘を刺していたこと。
治療法にもこだわり、延命措置など取らなかったこと。
ある意味、妹らしい大往生だなと思った。
決して悲しい、という気持ちではなかった。
火葬場で、最後のお別れの瞬間、
義弟が嗚咽し始めたと思ったら、
たがが外れたように大声で泣き出した。
さっきまで飄々としていた姿はもうどこにもない。
大声で泣き崩れる姿に、説明のつかない複雑な想いが溢れだし、
私の頬を濡らした。
身の回りに起こる全ての事に意味があるとするならば、
妹は「不確実な日常」を生き抜く術。
そして、妻との向き合い方を置き土産にしてくれたのだと思えた。
今の私には、あの遺影の中で「もっといい写真あったでしょ!」と、
目くじら立ててる姿が見える気がする。
最終話の7話です
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