メインコンテンツへスキップ
見出し画像

暮らしの森|森で一番迷いをほどく人|マダム・ザマス

    ─マダム・ザマスという人─

    冬の朝。
    マダム・ザマスは、まだ薄暗い時間に目を覚まし、家の中に異変がないことを確かめるように、ひと息だけ視線を巡らせる。

    窓の外、床、机の上。
    どこにも乱れはなく、手を動かす必要もない。

    それからいつもの椅子に腰を下ろし、
    温めたお茶と一冊の本を手に取った。

    ◆

    日が高くなったころ、庭に出ると、冬の空気の中で葉がかすかに揺れていた。霜にやられた葉を一枚だけ見つけ、剪定ばさみを入れる。

    「……今は、これで十分ざます」

    切りすぎない。
    整えすぎない。
    春は、まだ先だ。

    ◆

    昼前、家の前に小さな足音が集まってきた。
    「マダムー、今日はおやつ買いに行く日〜」

    マダムは子どもたちの顔を見て、短く頷く。
    「一人一つざます。順番を守るざますよ」

    街へ向かう道すがら、子どもたちは自然と列を作る。誰かが前に出そうになると、マダムはそっと手を出した。

    「急がなくていいざます。
    迷わず行ける方が、大事ざます」

    店の棚の前で、子どもたちは立ち止まる。
    手に取っては戻し、また考える。

    マダムは何も言わない。ただ、後ろで待つ。

    やがて一人が決め、レジに向かった。

    「お金はここ」
    「お釣りは、すぐしまうざます」
    それだけで、十分だった。

    帰り道。
    子どもたちは満足そうに歩いている。
    「楽しかったー!」

    マダムは静かに返す。
    「楽しいのはいいざます。でも、ちゃんと戻ってこられたのが一番ざます」

    ◆

    夕方。家に戻り、コートを脱ぐ。
    棚には、整えられた家計簿が並んでいる。
    赤ペンも、すぐ手の届く場所にある。

    だが、今日はまだ開かない。

    マダム・ザマスは紅茶を一口含み、小さく息をついた。

    「さて……明日から、本番ざますね」
    森の外れのサロンに、やわらかな灯りがともる。


    画像


    マダムの話をもう1話読む


     
     
    「暮らしの森」を見守る管理人🌳 1話2〜3分の小さな連作。森の住人たちの日常に、家事・暮らしのヒントや小さな発見を混ぜて綴っています。 人とのつながりが物語になり、歩いた足跡が森の地図になっていく。 読む場所ではなく、帰ってこられる場所を目指して🕯️

    あなたへのおすすめ