
メタバースドラマなのに、人間のアニメーションを入れるのはアリなのか
どうも、久我レイジです。
今日、相方と少し意見が分かれました。
僕が新作『記録にない君』の演出について、ここ、人間のアニメーションを入れてみたいんだよね。
と話したときです。
返ってきたのは、それって、メタバースドラマなの?という疑問でした。
正直、僕もその感覚はかなり分かります。というか、僕自身も同じことを考えていました。
メタバースドラマと名乗っているのに、人間のアニメーションを入れる。
それはアリなのか。今、制作の途中でちょうどそこに迷っています。
メタバースドラマなのに、人間のアニメーションを入れるのはアリなのか

現在制作している『記録にない君』は、恋愛ミステリーです。
今回も基本的にはメタバース空間の中で撮影します。キャストが同じ場所に集まり、アバターで演技をして、僕がカメラを回す。
この部分を変えるつもりはありません。
ただ、今回の作品では、記憶や過去の出来事、それに登場人物の細かな感情を見せる場面があります。
例えば、ある言葉を聞いた瞬間。
最初はほとんど無表情。
そこから目が少し揺れる。
眉がわずかに下がる。
唇を軽く噛んで、泣きそうになる。
でも、まだ泣かない。そういう数秒です。
僕は今回、こういう表情をもう少し丁寧に見せたいと思っています。
もちろん、アバターでも表現できます。
実際、これまでもそうやって撮ってきました。
でも、作品としてもう一段上を目指そうとしたとき、今までと同じ方法だけではなく、別の表現も試してみたい。
そこで考えているのが、生成AIを使った人間に近いアニメーションです。
AIを使いたいから入れるわけではありません。
物語の中で、その表現が必要だと思ったから使ってみたい。
僕の中では、そこが大きいです。
でも、それは本当にメタバースドラマなのか

相方が気になったのは、たぶんそこです。
僕たちはこれまで、メタバースドラマという言葉で作品を作ってきました。
だったら、アバターで演じること自体が作品の個性なんじゃないか。
人間のアニメーションを入れることで、その個性が薄れてしまわないか。
これは、かなり大事な指摘だと思っています。
最初は数秒だけ。次は回想シーン。
その次は、こっちの方が綺麗だから。
そうやって少しずつ増えていけば、気づいたら作品の半分が生成映像になっているかもしれない。
映像のクオリティが上がったとしても、それって、もうメタバースドラマじゃないよね。
そう言われる可能性はあります。
僕自身、そこはかなり警戒しています。技術的にできることと、作品としてやるべきことは、同じではありません。生成AIが進化して、何でも作れるようになったとしても、何でも使えばいいわけではない。
むしろ選べるものが増えたからこそ、何を使わないのかまで考えないといけない。
今はそんな感覚があります。
僕が守りたいのは、アバターなのか

そこで改めて考えました。
僕にとって、メタバースドラマとは何なんだろう。
画面の中にアバターが映っていることなのか。それとも、メタバースという場所に人が集まって、演技をして、一緒に作品を作ることなのか。
僕はたぶん、後者なんですよね。
前作『クロスロード』でも、たくさんの人がメタバースに集まって作品を作りました。
役者だけではなく、エキストラやスタッフもいる。撮影の合間に話したり、失敗したり、笑ったり。そういう時間も全部含めて作品になっていった。
僕がメタバースドラマで面白いと思っているのは、たぶんそこです。
だから、人間のアニメーションを一部に入れたからといって、その制作体験まで捨てるつもりはありません。
キャストが集まる。演技をする。僕が演出をする。その場で生まれたものを作品にする。
この中心は残したい。
AI作品の中にメタバースを入れるわけではない

今のところ、『記録にない君』の中心はあくまでメタバース撮影です。
人物同士の会話や演技、物語が動く重要な場面は、できるだけメタバースで撮りたい。
そのうえで、回想や記憶の断片、感情を強く見せたい一瞬など、メタバース撮影だけでは難しいところに別の方法を使う。
僕の中では、AI作品の中にメタバースを入れるのではなく、メタバースドラマの表現を広げるためにAIを使う。
今は、そんな考えです。
たぶん、作らないと分からない

とはいえ、まだ正解は出ていません。
実際に映像としてつないでみたら、やっぱり違うな。となるかもしれない。
人間のアニメーションが入った瞬間に、世界観が壊れる可能性もあります。
逆に、これはアリだな。と思うかもしれない。ここは文章で何時間考えても、たぶん答えは出ません。
だから今回は、一度作ってみます。相方が言ったことも、たぶん間違っていません。
むしろ僕一人だったら、そのまま進めていたかもしれない。だからこそ、その違和感も残したまま、一度映像にしてみたい。僕のやりたいことだけで押し切るのではなく、実際に映像にして、その結果を見て判断する。
それが一番いいと思っています。
新しいことをやる=進化ではない

僕は、新しい技術を使うこと自体が進化だとは思っていません。
AIを入れた。映像が綺麗になった。だから進化した。そんな単純な話ではないと思っています。
AIを使った結果、作品の大切なものが消えるなら、使わない方がいい。
でも、今までと同じ方法だけを続けていたら、新しい表現にはたどり着けない。
今、僕はその間で揺れています。メタバースドラマに、人間のアニメーションを入れる。
もしかすると、作ってみて全部捨てるかもしれません。それでもいいと思っています。
やる前から、メタバースドラマだから、これはやらない。
と決めてしまったら、僕自身がメタバースドラマの可能性を狭めることになる気がするんです。
だから一度、越えてみます。その境界線を越えた先で、これは違ったな。と思えば、戻ればいい。
『記録にない君』では、そんな実験も含めて作品を作っていこうと思っています。
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