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世間知らず・視野が狭いと言われる職業の共通点は受け身であること

    「世間知らずだよね」「視野が狭いよね」

    そう言われがちな職業には、実はひとつの共通点がある。

    それは「受け身」であるということだ。

    ■ 受け身な仕事に共通するもの

    行政公務員は、その典型だろう。

    上から降りてきた方針をこなし、前例を踏襲し、決められた枠の中で仕事をする。

    医療職も、構造としては近い。

    医療従事者から患者に「営業をかけて手術をする」ということはない。

    目の前に来た患者を、決められた診療の枠組みの中で診る。

    これは医療という仕事の性質上当然のことだが、裏を返せば「自分から市場や社会に働きかける」という経験を積みにくい仕事でもある。

    教師もまた同じだ。

    私立や個人塾であれば、生徒を集めるための営業や差別化の発想が必要になる場面もあるだろう。

    だが公立の教師であれば、間違いなく受け身だ。

    生徒は学区によって決まり、カリキュラムは指導要領で決まり、評価基準も外から与えられる。

    自分で市場を切り拓く必要がない環境で長く働けば、視野が狭くなるのは能力の問題ではなく、構造上の必然と言っていい。

    行政、医療、教育。

    いずれも社会に必要不可欠な仕事でありながら、「受け身であることが前提として設計されている」という共通点がある。

    それ自体が悪いわけではない。

    ただ、その働き方を続けていると、「自分の頭で世の中の仕組みを捉える」機会が驚くほど少なくなる。

    ■ 例外としての国税専門官

    ただし、公務員の中にも例外がある。

    以前の記事でも書いたが、国税専門官はその代表格だ。

    この仕事の本質は、資本主義社会の根幹を支える「税」を専門に扱うということにある。

    お金の流れを追い、企業の内情を覗き、時には隠された事実を暴く。

    これほど「社会のリアル」に触れられる公務員の仕事は、他にないと言っていい。

    ただし、その「リアル」は決してきれいごとでは済まない。

    業務は泥臭く、しかも――相手が、穏便にいくとは限らない。

    税の話となれば、誰もが感情的になる。

    財産を、生活を、場合によっては会社の存続を左右する話だからだ。

    実際に、刃物を向けられた職員がいたという話も聞いたことがある。

    これはただの脅しや比喩ではなく、現場で起きたリアルな出来事だ。

    机の上の理屈や制度の話ではなく、人間の生活と感情がむき出しになる現場に立ち会う仕事。

    だからこそ国税専門官は、他の行政職とは異なり、「人間がどう動くか」「お金が絡んだときに人はどう変わるか」を、身をもって学ぶことになる。

    少し横道にそれるが、NPOやJICAのような、公的資金で運営される組織についても思うところがある。

    こうした組織は、どうしても理念が先行しすぎてしまう傾向があるように感じる。

    もちろん、利益が出ない分野だからこそ公的資金で運営されているという事情はある。

    ただ、それを差し引いても、いくつか確認すべきことがあるはずだ。

    そもそもその事業をやる必要性は本当にあるのか。

    自分たちの独りよがりになっていないか。

    相手に自分たちの「型」を押し付けすぎていないか。

    率直に言えば、やる必要のない事業――というより、運営している人たちの自己満足と、飯の種になっているだけの事業が、あまりにも多いような気がしてならない。

    ここで、以前の記事でも書いたアイデアを改めて派生させたい。

    AIの活用によって、行政職公務員の業務は今後、圧倒的に圧縮できるはずだ。

    その結果生まれる余剰人員を、今NPOで実際に必要な業務を担っている団体に派遣する。

    応援としても機能するし、同時に監視役としても機能する。

    理念が先行しがちな組織に、外部の目と実務のリソースを入れる。

    これは、行政の再配置という意味でも、社会全体の効率化という意味でも、かなり面白い仕組みになるのではないかと思っている。

    ■ 受け身の対極にある投資銀行

    受け身、世間知らず、視野が狭い。

    この対極にあるのが投資銀行である。

    「世間博士」「視野が広い」の究極系は投資銀行だと、個人的には思っている。

    投資銀行という仕事の本質を、あえて極端な言い方で表すならこうなる。

    大災害が起きようが、北朝鮮からミサイルが飛ばされようが、原子力発電所がメルトダウンしようが、投資銀行は冷徹に、冷静に、客観的に取引をする。

    感情を挟まない。むしろ、感情を挟んだ瞬間に負ける仕事だ。

    なぜそんなことが可能なのか。ここを多角的に見ていきたい。

    ① 「悲劇」と「事実」を切り離して処理できるかどうか

    多くの人間は、大災害や有事のニュースを見ると、まず感情が動く。

    恐怖、同情、混乱。それ自体は人間として自然な反応だ。

    ただ投資銀行の人間は、その感情の動きと同時――あるいはそれより先に――「この事実は市場にどう影響するか」を機械的に処理し始める。

    原発がメルトダウンしたら、電力株はどう動くか。エネルギー政策はどう変わるか。代替エネルギー関連はどうか。保険業界の負担はどの程度か。

    ミサイルが飛べば、防衛関連株、為替、地政学リスクプレミアムはどう動くか。

    これは冷酷なのではない。「事実」と「解釈」を切り離すという、極めて高度な情報処理能力だ。

    世間一般の人が「大変だ」で思考を止める場所から、彼らの思考は始まる。

    ② 世界を「感情」ではなく「構造」で見る訓練を日常的に受けている

    投資銀行の人間が視野が広くなるのは、才能というより「構造」で物事を見る訓練を毎日積んでいるからだ。

    ある国で内戦が起きたとする。

    普通の人はそれを「悲劇」として受け取って終わる。

    投資銀行の人間は、それを「サプライチェーンのどこが寸断されるか」「その国の資源は何に使われていたか」「代替調達先はどこか」「これによって得をする国・企業はどこか」という構造で分解する。

    この視点は、地政学、経済学、産業構造、人間心理、歴史のすべてを横断しないと成立しない。

    だからこそ、この仕事を長く続けている人間は、自然と「世間博士」になる。

    知識として勉強したのではなく、生き残るために構造で世界を見る癖がついてしまっているのだ。

    ③ 「立場」を持たないことの強さ

    もう一つ重要なのは、投資銀行という仕事は基本的に「特定の思想やイデオロギーの側に立たない」という点だ。

    NPOや行政は、多くの場合「こうあるべきだ」という理念が先にある。

    理念があること自体は悪くないが、理念が強すぎると、都合の悪い事実を見えなくしてしまうことがある。

    一方で投資銀行は、儲かるか儲からないか、リスクがあるかないか、という一点においてはほぼ完全にフラットだ。

    どの国の政権であろうと、どの思想の企業であろうと、取引として成立するなら扱う。

    この「立場を持たない」という姿勢は、一見冷たく見える。

    だが、これこそが物事をあらゆる角度から見られる最大の理由でもある。

    理念という色眼鏡を外したときに初めて見える世界がある、ということだ。

    ④ 感情を排除した先にあるのは「無関心」ではなく「解像度の高さ」

    誤解されやすいのだが、投資銀行的な冷静さは「人間味がない」ということではない。

    むしろ逆で、感情に流されずに事実を見つめ続けた結果、その出来事が「誰に」「どれくらいの規模で」「どんな時間軸で」影響するかという解像度が異様に高くなる。

    「大変だ」で終わる人と、「この大変さは、具体的に誰の生活をどう壊すのか」まで見える人。

    後者のほうが、実は物事に対してより深く向き合っているとも言える。

    これは別に良しあしではなくある種の職業病のようなものなのだろうが…

    冷徹さと無関心は違う。

    冷徹さは、感情に飲まれずに事実を直視する強さであり、無関心はそもそも見ようとしないことだ。

    投資銀行的な視座は、前者に近い。

    ⑤ 行政公務員・NPOとの決定的な違い

    ただし、行政公務員とNPOを同じ土俵で語るのは、実は少し乱暴だ。

    両者の間には、明確な違いがある。

    行政公務員は、良くも悪くも真面目で、遵法精神がしっかりしている。

    何しろ、どこの役所の公務員であっても、入庁時には「法律を守ること」を誓う宣誓書にサインするはずだ。

    これは形式的な儀式ではない。

    法治国家の歯車として、法とルールの範囲内で仕事をするという意識が、制度として最初から埋め込まれている。

    だからこそ、行政公務員の「視野の狭さ」は、悪意や怠慢からくるものではなく、真面目にルールを守った結果として生まれる副作用に近い。

    ところが、NPOはまるで違う。

    NPOには、公務員のような入口での宣誓も、法律を守ることを制度的に叩き込まれる仕組みも存在しない。

    活動の拠り所になるのは、法律ではなく「理念」だ。

    理念そのものは尊いものであっても、それを検証する外部の目や、逸脱を防ぐ制度的なブレーキが、行政ほど強くは存在しない。

    つまり行政公務員の視野の狭さは「ルールを守りすぎた結果」であり、NPOの視野の狭さは「理念を検証しないまま突き進んだ結果」だ。

    同じ「視野が狭い」という現象でも、その発生源はまったく違う。

    この違いを踏まえると、なぜ行政公務員の業務をAIで圧縮し、その人員をNPOの現場に送り込むという提案が意味を持つのかが、より鮮明になる。

    行政公務員が持っている「ルールを守る訓練」と「制度に基づいて物事を検証する視点」を、理念先行になりがちなNPOの現場に持ち込む。

    これは単なる人手の補充ではなく、NPOに欠けている「制度的なブレーキ」を外部から補うという意味を持つ。

    対して投資銀行は、ルールを守るか守らないかという次元とは別の場所で、事実を構造で見られなければ生き残れないという、もっとシビアな生存条件の中で動いている。

    行政公務員は「ルールの中で受け身」。

    NPOは「理念の中で無検証」。

    投資銀行は「事実の中で能動的かつ客観的」。

    この三者の違いを並べてみると、国税専門官と投資銀行という、一見畑違いに見える二つの職業が、「社会のリアルに最も近い仕事」として並び立つ理由が、より立体的に見えてくる。

    どちらも、感情や理念、あるいは制度への盲目的な追従よりも先に、事実と構造を見ることを強制される仕事だからだ。

    追記 この記事と関連する動画がありました


     
     
    元国家公務員(法務省・厚労省)/沖縄出身 派遣社員 30歳手前でアイドルと生成AIをきっかけに少しだけ前向きになりました。気軽に楽しめる記事と生き方を発信しています。 野球・アイドル・生成AI・公務員試験・旅行・MBTI(INFP-T)/推し:板倉可奈・佐野愛花・笹原なな花

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