
ルーマニア~モルドバ~沿ドニエストル共和国|#2 キシナウ~ティラスポリ|地図にない国|2010年7月
#2-1 モルドバの首都キシナウへ
21時過ぎ、キシナウ行の夜行列車に乗る。


列車に乗って約10時間、ルーマニア・モルドバ国境のウンゲニ駅まで来ていた。ここで台車の入れ替えである。旧社会主義国と旧ソ連圏ではレールの幅が違うので台車の入れ替えが必要になる。
旧社会主義国が標準軌に対して旧ソ連は広軌で、争いが起きた時に、鉄道で攻めてこられないように軌道を変えているとも聞いた。全部台車を入れ替えるのに2時間~3時間ほどかかっていると感じた。

ブカレストから約14時間でモルドバの首都キシナウに到着した。キシナウの駅はとてもきれいで、洒落てた。

駅舎の2階か3階に、宿泊施設があるのを発見した。従業員の女性2人と話して一泊することに決めた。すごく清潔感があっていい施設だった。

駅は立派だけど、駅前の駐車場は舗装はガタガタだし、舗装がされていないところもあるし、やはり「ヨーロッパで最も貧しい国」であると感じた。
ここから再びバスターミナルを探す。首都なのに道路のアスファルトがガタガタ。


青空市場(フリマ)はモルドバでは日常であり、趣味のフリマではなく、わずかな日銭を稼いで食費や薬代にするためのものである。

貧困は市民のみならず公共もしかりである。ホテル・ナショナル(旧イントゥリスト・ホテル)はかつての高級ホテル。ソ連時代は、街を代表する高級ホテルだったが、ソ連崩壊後に民営化に失敗してそのまま放置になった。

ホテル・キシナウは、1950年代に建てられたスターリン様式(社会主義リアリズム)の傑作。
解放記念碑は、第二次世界大戦でナチス・ドイツからキシナウを「解放」したソ連軍を称えるために建てられた。

ここまでくると、ティラスポリ行のバスがいる中央バスターミナルまではすぐだった。「ティラスポリ!ティラスポリ!」と叫ぶ男性に合図して、そのバス(マルシュルートカ)に乗った。
#2-3 沿ドニエストル共和国の首都ティラスポリへ
マルシュルートカに乗ってモルドバと沿ドニエストル共和国の境(実質的に国境)で普通の国どうしのように検閲があった。
沿ドニエストル共和国の検閲の男性がなにか言ってくるが、言葉が通じず分からない。後ろのほうから女性が英語で僕に「本日中(23:59)までに共和国から出るということを条件に入国を許可される」と教えてくれた。
沿ドニエストル共和国は独立宣言をしているが承認している国連加盟国はない。国家の三要素(「国民」「領域」「主権」)、独自の通貨を持つので事実上は国家である。条件は台湾と同じである。
キシナウから約2時間、ティラスポリ駅に到着、マルシュルートカはここで終点である。
駅舎がピカピカで驚いた。これも政治的な理由で清潔で綺麗にしているのだろうかと、これは僕の主観である。

歩道橋から見たプラットフォーム。旅客列車は来るのでしょうか。駅にはロシア語表記も見られ、ロシアに戻りたいという気持ちが伝わってくる。

旧ソ連圏を象徴するむき出しのパイプ。

非常に静かな街である。看板や、道路標識もロシア語。

無機質な旧ソ連式のアパートの手前に、赤い屋根の平屋が広がっている。どういう住み分けなのか分からない。

重工業・電力の拠点であったソ連時代のモルダビア共和国。商業の街キシナウ(現モルドバの首都)と住み分けができていた。

シェリフ(Sheriff / ШЕРИФ)」のスーパーマーケットは歩いていると、あちこちにあった。上にソ連時代からのアパート、下が綺麗なスーパーマーケット。品ぞろえは悪くなかった。

何棟かのアパートに囲まれて、小さな公園がある。ソ連時代からそのまま残っているような、無機質な遊具。


映画館から音が漏れてきていて、若者がたむろしているようだった。若者の遊び場はここしかないのかもしれない。

赤い横断幕には「我らの力はロシアとの団結にあり!」とある。

ティラスポリの心臓部であるが、車もほとんど走っておらず、人も歩いていない。ちなみにこの日は平日である。


世界中でこの国の中だけでしか使えない通貨「沿ドニエストル・ルーブル」を発行している中央銀行。ここはピカピカだが、後ろのソ連式アパートとの対比がすごい。

歩いていると突然現れるカフェ。今回のカフェは若者や中産階級が集まる、街で一番モダンな場所らしい。

いきなり出てくる大きなプーチン大統領(当時は首相)


そろそろキシナウに帰る時間。ウクライナのオデーサから来たバスに乗せてもらい、帰路に建つ。