
「百人一首を旅しよう!」短歌と写真で今と繋がる〜第三十四回●藤原道信朝臣●〜
後朝の歌・三人目は藤原道信(972〜994)です。まずは歌から。
明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
なほ恨めしき 朝ぼらけかな

意味)夜が明けると、また日が暮れるとは分かっていてもやはり朝ぼらけは恨めしいなあ。
『後拾遺集』詞書によると、雪が降った朝、女のもとから帰った後に詠み贈った歌。朝ぼらけはおなじみタームで、午前4時過ぎ頃の、主に秋冬に用いられる傾向があり、百人一首では3首用例があります。
いずれも恋人に逢える夕暮れは嬉しく、夜明けは寂しい時間でした。

ちなみに夜明け後の概念も現代とは全く違います。冬は午前6時50分頃、夏は4時半頃に大内裏の門が開くとされ、そのおよそ1時間後に内裏や正庁の門が開き、官人たちの勤務が始まりました。
平安貴族たちは夜明けとともに出仕する規則があったようです。現代社会でも出勤は一苦労ですが、この超朝型生活、皆さんは耐えられますか?

さて藤原道信ですが、三十六歌仙の一人にして華麗なバックボーンをお持ちの天才歌人です。
まず周囲が百人一首歌人だらけ。曽祖父は貞信公の名で知られる藤原忠平。母は謙徳公の名で有名な藤原伊尹(これまさ)の娘。その他、藤原実方や藤原公任も親友(全員百人一首歌人)。
父は太政大臣。自身も従四位下・左近衛中将。容貌・才能ともに優れていましたが23歳の若さで他界し多くの人に惜しまれました。

伊勢大輔(第五回)との当意即妙なやりとりが記録に残っています。伊勢大輔は紫式部(第一回)らとともに一条天皇中宮彰子の女房として仕えていました。
ある時、宮中で道信が山吹の花を持って歩いていると女房たちに声を掛けられたため、「くちなしにちしほやちしほ染めてけり(くちなし色に何度も何度も染めあげたよ)」と詠みかけます。
すると伊勢大輔が「こはえもいえぬ花の色かな(これは何とも言えぬ美しい花の色だわ)」と下の句を返しました。
これだけでも才気溢れる内面の豊かさと気取りのなさが伝わってきますね。
最後にもりやま作を。
ひさかたの 光の空に 狭霧たち
夜の結びの 跡ぞとどめず

最後までお読みいただきありがとうございました。次回からは「浮世」の歌を取り上げていきます。どうぞお楽しみに!
前回・権中納言敦忠、第五回伊勢大輔、第一回紫式部は下記よりご覧いただけます⤵︎