
優等生思考の“メリット”と“副作用”
皆さん今日も頑張りました!
こんばんは。自己肯定感0の社会人女です🌷
私自身の深堀りシリーズ第4回目の記事です。
先週の第3回では、優等生思考のルーツを振り返りました。
今回は少し冷静に、
この思考が私にとって
「何をくれたのか」と「何を奪ったのか」を
整理してみたいと思います。
優等生思考がくれたもの
まず、はっきり言えるのは、
私は努力できる人になれたことです。
テスト勉強も、受験も、研究も、就活準備も。
誰かに見られていなくても、コツコツ積み上げることができました。
「やると決めたらやる」
これは私の強みです。
途中で投げ出さない。
ある程度の水準まで持っていく。
結果が出なくても、すぐには諦めない。
この粘り強さは、
優等生思考がくれた力だったと思います。
もしあの思考がなければ、
私はここまで努力できなかったかもしれません。
優等生思考は、
私のエンジンでもありました。
優等生思考が奪ったもの
一方で、失ったものもあります。
成果が出ないとき、
私は「うまくいかなかった人」ではなく、
「価値のない人」になっていました。
テストの点数が低い。
受験で落ちる。
内定が人より少ない。
上司に叱られる。
そのたびに、
“できない私は、存在価値がない”
という感覚に近づいていました。
失敗は出来事のはずなのに、
私はそれを「人格」に変換していました。
できる=安心
できない=不安
この揺れ幅が大きすぎて、
心はいつも成果に振り回されていました。
優等生思考は、
私を守るための防衛だったはずなのに、
いつの間にか、
私を縛るルールにもなっていました。
比較という副作用
もうひとつ、優等生思考が強めてしまったものがあります。
それは「比較」です。
常に誰かと自分を並べていました。
あの人はもっと効率的。
あの人はもっと要領がいい。
あの人はもっと早く結果を出している。
私は私のペースで積み上げているはずなのに、
どこかで
「それでは足りない」と思っていました。
優等生思考は、
「できるかどうか」だけでなく、
「どれくらいでできるか」まで評価軸にしてしまいます。
だから、たとえ合格しても。
たとえ成果が出ても。
同じ結果を出しているはずなのに、
もっと効率的に。
もっとスマートに。
もっと短時間で。
成果を出している人がいる。
その人たちと比べると、
私は「同じ結果を出した人」ではなく、
「要領の悪い人」に思えてしまっていました。
成果は同じなのに、
やり方が違うだけで、
自信はまるで別物になってしまう。
私は、
“何を達成したか”に加えて、
“どれだけスマートに達成したか”
で自分を評価していたのだと思います。
優等生思考は“条件付きの安心”
今振り返ると、
私は「無条件の安心」をあまり知らなかったのかもしれません。
できるから安心。
評価されるから安心。
成果があるから安心。
でもそれは、
条件付きの安心でした。
条件が揃わなければ、
すぐに不安に戻ってしまう。
だから私は、一夜漬けなんてせず、毎日コツコツ頑張りました。
だから私は、ずっと走り続けていました。
止まると価値がなくなる気がしていたから。
今の私の立ち位置
でも今は、少し違います。
成果が出なくても、
それは「うまくいかなかった出来事」であって、
「私の価値」ではない。
そう切り分けられるようになりました。
今でも、効率的でありたいとは思っています。
同じ成果なら、よりスマートに出せたほうがいい。
無駄は減らしたい。
でもそれは、
「効率が悪い私は価値がない」からではありません。
効率的に成果を出して、
もっと他のこと、例えば
大切な人と向き合う時間や、
自分と向き合う時間を増やしたいから。
今の私にとって効率は、
自分を守るための条件ではなく、
大切なものを守るための手段になりました。
優等生思考は今もあります。
でも、それが作動していると気づける。
気づけるということは、選べるということ。
私は今、
優等生思考に振り回される側ではなく、
少しだけ、ハンドルを握る側にいます。
次回は、
ではどうやって
“振り回されない状態”に近づいていったのか。
具体的な思考の変化を書いてみようと思います。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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