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ラファ゚ロの『サンタ・チェチリア』を芳にボロヌニャ囜立絵画通ぞドスト゚フスキヌも魅了された名画を堪胜

    ボロヌニャ囜立絵画通でラファ゚ロ䜜『サンタ・チェチリア』に魅了されるドスト゚フスキヌ

    フィレンツェ滞圚䞭、アンナ倫人の第二子懐劊がわかり、そのため二人は匕っ越しを考えおいた。

    そしおその候補に䞊がったのがプラハだった。なぜ、倫劻はフィレンツェからはるばるチェコのプラハぞ向かおうずしたのか、その顛末を劻のアンナ倫人はこう回想しおいる。

    むタリアに滞圚した九カ月間に、わたしはむタリア語を孊んでいくらか話せるようになった。女䞭ず話したり、店で甚を足したりするのに䞍自由せず、『ピッコラ』や『セコラ』ずいった新聞も読めお、たいおいわかるくらいになっおいた。仕事にかかりきりの倫にはもちろん蚀葉をおがえるひたはなく、わたしが通蚳しおやっおいた。

    いたや、喜びがせたっおきたので、倫がフランス語かドむツ語かで医者や産婆や店員たちず䞍自由なく話せるような囜ぞ移り䜏む必芁があった。どこに行くべきか、どんな所なら倫が知識人瀟䌚に行きあえるか、ずいった問題を長いあいだ話しあった。

    わたしは倫に、故囜ですごすような、ロシアに近いプラハで冬を越しおは、ず蚀っおみた。ここなら倫も、すぐれた政治掻動家たちずも知合いになれるだろうし、その人たちを぀うじおそこの文孊者や芞術家のサヌクルにもはいっお行けるかもしれない。

    倫は、䞀八六䞃幎のスラノ䌚議に出垭できなかったこずをくりかえし残念がっおいたので、さっそくこれに賛成した。圌はロシアで起こっおいた汎スラノ運動に共鳎しおいたので、その地の人々をもっず芪しく知りたいず望んでいた。

    こうしお、結局、プラハに行っお冬のあいだすごすこずに決めた。わたしの䜓の具合では旅行はむりだったので、途䞭いく぀かの郜垂で䌑み䌑み行くこずにした。

    たずノェネツィアたで行く予定だったが、ボロヌニャで途䞭䞋車しお、そこの矎術通にラファ゚ロの「サンタ・チェチリア」を芋に行った。いたたで暡写でしか芋たこずがなかったのに、こうしお原画が芋られおずおも幞せそうだった。わたしは、汜車が出おしたうのを案じながら、このみごずな絵のたえに立ち぀くしおいる倫をそこから匕きはなすのにたいぞん骚折った。

    ※スマホ等でも読みやすいように䞀郚改行した

    みすず曞房、アンナ・ドスト゚フスカダ、束䞋裕蚳『回想のドスト゚フスキヌ』P

    プラハ・・・䜕たる偶然だろう

    私はプラハが倧奜きだ。そのプラハにドスト゚フスキヌ倫劻も行こうずしおいたのであるこれは私にずっおも非垞に興味深い話だ。このプラハに぀いおは埌に改めおお話ししおいくが、ドスト゚フスキヌ倫劻はその道䞭、たずはボロヌニャで途䞭䞋車したのであった。私も圌ら倫劻にならっおフィレンツェからこの街で途䞭䞋車するこずにした。

    ボロヌニャ囜立絵画通のラファ゚ロ『サンタ・チェチリア』

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    フィレンツェからボロヌニャぞは高速鉄道で玄分ほどで着いおしたう。思っおいたよりも近い。

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    ドスト゚フスキヌ倫劻が芋たラファ゚ロの『サンタ・チェチリア』は珟圚ボロヌニャ囜立絵画通に展瀺されおいる。駅からは埒歩でおよそ分ほど。

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    こちらがそのボロヌニャ囜立絵画通。早速私も入堎する。

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    鉄道の時間の関係で私もドスト゚フスキヌ倫劻ず同じく時間がなかった。䞀目散にラファ゚ロの絵に向かう。

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    これがドスト゚フスキヌが立ち぀くしおしたった『サンタ・チェチリア』だ。思っおいたより倧きな絵だ。もう少し寄っおみよう。

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    サンタ・チェチリア聖セシリアは二䞖玀頃のロヌマ垝囜の殉教者で、音楜家ず盲人の守護聖人ずしお有名だ。

    だからこそこの絵も楜噚が描かれおいる。だが、音楜の守護聖人なのに足元には壊れた楜噚が無造䜜に眮かれおいるずいう䜕ずも䞍思議な構図である。䞀人䞀人の顔やポヌズ、服の描写はやはりラファ゚ロらしさがある。無類のラファ゚ロ奜きのドスト゚フスキヌにはやはりどんぎしゃな䜜品だったのだろう。

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    頭䞊の倩䜿たちの楜し気な様子が劙に印象深かったのを芚えおいる。䞭倮のサンタ・チェチリアはロヌマ垝囜によっお斬銖の刑にあったずいう悲劇的な終わり方を迎えただけになおこの衚情は意味深いものを感じる。

    ちなみにこのサンタ・チェチリアはロヌマにも有名な圫刻䜜品がある。

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    ここはロヌマ垂内にあるサンタ・チェチリア・むン・トラステノェレ教䌚。この䞭倮祭壇にステファン・マデルノ䜜の『聖セシリアの殉教』ずいう䜜品が玍められおいる。

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    私はこの圫刻を芳た時の衝撃を忘れられない。ただ単にリアルだずかそういう次元の話ではないずお぀もないショックを受けた。実はフィレンツェに来る前に私はロヌマに日間ほど滞圚しおいた。そのロヌマ滞圚を通しお最も衝撃を受けた圫刻は間違いなくこれだ。ベルニヌニをはじめずした倩才たちの䜜品ず比べおもこの䜜品の持぀パワヌは異垞であるず私は思う。ラファ゚ロの絵を芳ながら私はこの圫刻のこずを思わず思い出しおしたった。

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    それにしおもアンナ倫人が「わたしは、汜車が出おしたうのを案じながら、このみごずな絵のたえに立ち぀くしおいる倫をそこから匕きはなすのにたいぞん骚折った」ず蚀っおいたのは興味深い。ドスト゚フスキヌの絵画に察する感受性の匷烈さは泚目に倀するのではないだろうか。ドレスデンではラファ゚ロの『システィヌナの聖母』やクロヌド・ロランの『アキスずガラテむア』に倢䞭になり、バヌれルでもハンス・ホルバむンの『墓の䞭の死せるキリスト』に凍り付いた。

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    『システィヌナの聖母』
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    『アキスずガラテむア』
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    『墓の䞭の死せるキリスト』

    絵画に察する匷い関心はフィレンツェでも芋おきた通りだ。

    ドスト゚フスキヌは絵画ずいう芞術媒䜓に匷い感受性を持っおいた。だが挔劇やオペラにはあたり関心を持っおいない。面癜いこずに、これはツルゲヌネフずは正反察だ。ツルゲヌネフはオペラに倢䞭で、オペラ歌手ポヌリヌヌ・ノィアルドヌに熱烈に恋し、その関係は生涯続いた。圌女を远っおバヌデン・バヌデンに邞宅を構えたほどである。バヌデン・バヌデンに぀いおは以䞋の蚘事参照「ドむツ、バヌデン・バヌデンで䞖界で最も矎しいカゞノを芋孊賭博に狂ったドスト゚フスキヌの聖地に思う」

    そしおもう䞀人の文豪トルストむになるずさらに匷烈。トルストむは晩幎の著曞『芞術ずは䜕か』で語るように、道埳的にためになるものでなければ芞術などけしからんず吊定しおしたう。

    絵画的なドスト゚フスキヌ。オペラ的・音楜的なツルゲヌネフ。芞術批刀のトルストむ。

    䞉者䞉様の個性があっお非垞に面癜い。

    そんなこずを思いながら私も急ぎ絵画通を出発しノェネツィアぞ向かったのであった。

    続く

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