
【沼津の干物】隣のブースで聞いた話から、40年で300軒が60軒になった産地を調べたお話。
本日は、葛飾産業フェアに出展しています。
隣のブースが、沼津市で、干物を売られていました。
隣で立っていると、自然と話をします。
どういう魚を使っているのか。
どうやって干しているのか。
工場は何軒あるのか。
聞いているうちに、思っていたよりずっと深い話だと分かってきました。
帰ってから調べてみたら、面白く、そして深刻な話でした。
静岡県が、全国の半分を作っている。
干しあじの年間生産量で、静岡県は全国1位です。
令和6年の公表値で、静岡県が8,131トン。
全国合計が16,659トン。
比率にすると、約49%です。
日本のアジの干物の半分を、静岡県が作っています。
そして、その生産の中核が沼津市と伊豆の沿岸部です。
ここまで一地域に集中している産業は、そう多くありません。
八代のい草が全国の9割以上、というのと似た構造です。
集中しているということは、効率がよいということでもあり、そこが崩れると全国の供給が崩れるということでもあります。
なぜ沼津なのか?
干物づくりで必要なのは、脂質の酸化と雑菌の繁殖を抑えながら、魚肉の中の水分を適切に飛ばすことです。
そして、魚自身が持つ酵素の働きで、旨味の成分を凝縮させること。
この二つを同時に成立させる条件が、沼津には揃っています。
一つ目が、気候です。
年間を通じて温暖で、日照時間が長く、降水量が少ない。
そこに、富士山の方角から吹き降ろす乾いた冷気と、駿河湾から吹き込む「ならい風」が安定して供給されます。
湿度が低くて、風が強い。
これが、干物にとっての理想です。
二つ目が、水です。
干物を作る工程では、大量の清水が要ります。
魚を開いたときに出る血合いや内臓の残り、脂の酸化物を洗い流す。
そして、調味液を溶かす水としても使います。
沼津では、富士山の雪解け水が数十年かけて濾過されて湧き出す柿田川の湧水群や、豊富な地下の伏流水が使えます。
不純物のない、低温の軟水です。
この水で洗うと、生臭さのもとになる成分と血液成分を完全に落とせます。
そして低温なので、作業中に魚の体温が上がりません。
気候と水。
どちらも、人が作ったものではありません。
場所に備わっている条件です。
表面に膜を作る、という話。
湿度が低くて風が強い環境に魚を置くと、表面の水分が急速に飛びます。
すると、魚肉の表面にあるタンパク質が、緻密な被膜を作ります。
この膜が、内部の水分がそれ以上逃げるのを防ぎます。
結果として、外側は適度に引き締まり、内側には水分と脂が残ります。
焼いたときに、表面は香ばしく、中はふっくらする。
あの食感は、乾燥の初期に表面の膜ができるかどうかで決まっていたということです。
逆に言えば、湿度が高い場所でゆっくり乾かすと、膜ができる前に内部の水分が抜けていきます。
同じように開いて、同じように塩をしても、パサつく。
場所の条件が、そのまま食感に出る。
これは、かなり面白い話だと思いました。
もう一つ、乾燥の過程で起きているのが、旨味の生成です。
魚の中にあるATPという物質が分解して、イノシン酸になります。
鰹節や煮干しの旨味と同じ成分です。
干すというのは、水分を飛ばすだけの作業ではなく、旨味を作る工程でもあります。
だから、生の魚を焼いたものと、干物を焼いたものは、まったく違う食べ物になります。
塩汁という、継ぎ足しの資産。
今回、いちばん衝撃を受けたのが「塩汁(しょじる)」の話です。
魚を洗ったあと、塩汁に浸けます。
各加工所が、それぞれ独自の配合で作っている調味液です。
ここまでは、想像の範囲内でした。
驚いたのは、この塩汁を長年にわたって継ぎ足しで使っている、ということです。
魚を浸けるたびに、魚肉から出たエキス分、水溶性のタンパク質、遊離アミノ酸が塩汁の中に蓄積していきます。
それが何年も繰り返されて、熟成していく。
真水に塩を溶かしただけの塩水では、絶対に出せないコクと旨味が付く。
うなぎ屋のタレと同じ構造です。
ということは、この塩汁は、その工場が操業してきた年数そのものです。
30年やっている工場の塩汁には、30年分が溶けています。
そして、工場が閉まれば、その塩汁は捨てられます。
30年分が、一日でなくなります。
後継者がいなくて廃業する、というのは、設備がなくなることでも、技術が途切れることでもあって、同時に、この液体がなくなることでもあります。
これは、取り返しがつきません。
新しく始めた人が、同じ配合で作っても、年数は買えません。
天日干しを、やめています。
もう一つ、意外だったのが乾燥の工程です。
かつては、富士山にかかる雲の形で天気を予測して、天日で干していたそうです。
いまは、冷風除湿の乾燥機に移行しています。
自然の「ならい風」の温度と湿度、風速の特性を再現した設備で、25度前後の一定の環境で乾かす。
天候に左右されません。
そして、紫外線による脂の酸化も、熱による身の硬化も避けられます。
天日干しのほうが美味しそうに聞こえますが、品質の安定という意味では、設備のほうが明らかに上です。
ここで、少し考えました。
天日干しという言葉には、価値があります。
太陽の下で干したほうが、なんとなく良さそうに聞こえます。
でも実際には、紫外線は脂を酸化させるし、気温が上がりすぎれば身が硬くなる。
雨が降れば、その日は作れません。
伝統を守るというのは、方法を変えないことではなく、目指す品質を守ることなのだと思いました。
沼津は、ならい風の条件を機械で再現しました。
守ったのは、風を当てるという行為ではなく、低湿度と通風という条件のほうです。
仕上げには、超低温での急速凍結を使っています。
氷の結晶を細かくして細胞を壊さず、脂の酸化を止める。
消費者が解凍して焼く瞬間まで、加工直後の状態を保つためです。
伝統産業という言葉から想像するより、ずっと工学的でした。
産業になったのは、大正6年。
起源は、江戸時代の末期から明治の初めごろです。
駿河湾沿岸で半農半漁をしていた漁民が、売れなかった魚や自家用の保存食として、魚を開いて天日で干していました。
これが始まりとされています。
自家消費から産業に変わったのが、大正6年から7年(1917年から1918年)ごろです。
東海道本線などの鉄道が開通して、東京を中心とする首都圏に水産加工品を運ぶルートができた。
沼津は、背後に大消費地があり、前面に好漁場があります。
その結節点として、一気に加工の集散地になりました。
もう一つ、文化的な後押しもありました。
明治26年(1893年)に、沼津御用邸が造営されています。
皇族の静養地に選ばれたことで、沼津の温暖な気候と清冽な空気が中央の富裕層や知識人に知られた。
そこで獲れる海産物も、上質なものとして認識されるようになりました。
これは、ブランドの作られ方として興味深いところです。
品質が認められたというより、場所が認められた結果、そこの産品が認められた。
場所に意味が宿ると、そこで作られたものに意味が宿ります。
原料を、輸入に切り替えました。
ここからが、今回いちばん考えさせられた部分です。
昭和の中期以降、沼津は変容を遂げます。
近海で獲れた魚を加工する地場産業から、国内外の良質な原料を集めて、加工技術で付加価値をつけて全国に再分配する加工ハブへ。
具体的には、オランダなど北海沿岸で獲れる輸入のマアジを使うようになりました。
理由は二つです。
国内のアジの漁獲量が変動すること。
そして、市場が均一な品質を求めるようになったこと。
寒い海域で育つ北海のアジは、年間を通じて脂の乗りが高く、安定しています。
この原料が、沼津の塩汁の技術と乾燥の管理と組み合わさって、国産に劣らない濃厚な干物になった。
結果として、原料の原産地という制約を超えて、沼津の地で職人が開いて、調味して、干し上げたこと自体が産地ブランドの価値になりました。
これは、思い切った判断だと思います。
い草や球磨焼酎とは、逆の選択です。
先日、八代のい草と、人吉の球磨焼酎について書きました。
どちらも、地理的表示という制度で守られています。
球磨焼酎の場合、原料の米は国内産に限られ、仕込み水は人吉市か球磨郡で採った水でなければならず、発酵から蒸留、貯蔵、瓶詰めまで全部を地域内でやらなければなりません。
い草のGIも、熊本県産であることが条件です。
土地の原料と、土地の水と、土地の工程。
全部を揃えて、はじめて名乗れる。
沼津は、逆の選択をしました。
原料は、オランダ産でいい。
その代わり、沼津で開いて、沼津の塩汁に浸けて、沼津の水で洗って、沼津の条件で干す。
守ったのは、原料ではなく、技術と水と風のほうです。
どちらが正しい、という話ではないと思います。
ただ、何を守ると決めたのかが、はっきり違います。
そして、沼津の選択のほうが、産業としては生き残りやすい。
原料の確保に左右されないからです。
逆に、原料まで縛っているい草と球磨焼酎は、原料が作れなくなった瞬間に終わります。
実際、い草は農家が223戸になって、その危機が目前にあります。
一方で、沼津のやり方には弱点もあります。
原料がどこでもいいなら、技術も他所に持っていけるのではないか、という問題です。
実際、沼津の加工会社で修行した人材が欧州で起業して、現地でアジの開きを定着させた事例があるそうです。
技術は、人に付いて移動します。
土地に縛られているのは、水と風だけになります。
そこをどう守るかが、次の課題になるのだと思います。
300軒が、60軒になっている。
最盛期だった約40年前、沼津市内には干物の加工工場が約300軒ありました。
現在は、約60軒です。
5分の1です。
生産数量も、最盛期と比べて20%から30%程度縮小していると試算されています。
理由は、経営者の高齢化、収益性の悪化、後継者の不在です。
い草とまったく同じ構造です。
そして、工場が一つ減るということは、その工場の塩汁の配合と、解体の技術と、継ぎ足されてきた液体が、まとめて消えるということです。
産地全体の技術的な厚みが、薄くなっていきます。
「沼津ひもの」は、2007年に地域団体商標として登録されています。
沼津魚仲買商協同組合と静浦ひもの協同組合が取得し、100社以上の事業者を束ねる「沼津ひものの会」が、共通の製造基準の策定と品質維持に取り組んできました。
防護の体制は、作られています。
ただ、商標は名前を守るものであって、作る人を守るものではありません。
売れない理由は、味ではない。
需要の側の話が、読んでいていちばん納得しました。
消費者の魚離れ、干物離れの理由が、はっきり書いてあります。
魚焼きグリルを使うと、煙と匂いが出る。
調理器具を洗うのが面倒。
生ゴミの処理が手間。
小骨があるので、小さい子どもや若い人が食べにくい。
味の話が、一つも出てきません。
全部、調理と後始末の話です。
これは、相当に重要な指摘だと思います。
干物が美味しくなくなったわけではありません。
むしろ、技術は上がっています。
それでも売れないのは、生活のほうが変わったからです。
マンションで、換気の効きにくいキッチンで、共働きで、夕方に時間がない。
その条件下で、グリルを使って魚を焼いて、グリルを洗う。
選ばれるわけがありません。
良いものを作れば売れる、という考え方が、ここでは通用しません。
商品の品質ではなく、商品に付随する手間が、選ばれない理由になっている。
これは、地方の産品全般に言えることだと思っています。
物産館でも、同じです。
美味しいけれど調理が要るもの。
美味しいけれど保存が難しいもの。
美味しいけれど食べ方が分からないもの。
全部、売れにくい。
美味しさは、選ばれるための条件の一つでしかありません。
なので、商品を作り直している。
沼津が面白いのは、この課題に対して商品のほうを変えに行っていることです。
一つ目が、中骨を抜いたアジの開きです。
手作業の開魚技術を応用して、骨を抜く。
二つ目が、骨まで食べられる干物です。
高温高圧の加熱処理で、頭から中骨、尾びれの骨まで柔らかくして、常温保存も可能にした。
三つ目が、電子レンジ対応の製品です。
専用のフィルムを使って、冷凍や冷蔵の状態から袋を開けずにレンジで加熱するだけで、グリル焼きのような香ばしさとふっくら感が出る。
グリルを使わなくていい。
煙が出ない。
洗い物が増えない。
骨がない。
消費者が挙げた阻害要因を、一つずつ潰しに行っています。
ここで大事なのは、味を妥協していない、という点です。
塩汁の配合も、乾燥の管理も、そのまま残したうえで、調理のハードルだけを下げている。
守るものと、変えるものを分けている。
すごいなぁと思いました。
給食では、素揚げにしている。
そして、食育の取り組みです。
沼津市内の小中学校の給食で、地元産のアジの干物を油で素揚げにした献立が定期的に出されているそうです。
サクサクした食感で、頭から尾まで完食できる人気メニューになっている。
これは、よく考えられていると思いました。
干物をそのまま焼いて出したら、子どもは小骨を嫌がります。
素揚げにすれば、骨ごと食べられます。
そして、干物特有の熟成された旨味は、しっかり残ります。
小さいうちにあの旨味を体に入れておけば、大人になってから干物を選ぶ可能性が上がります。
将来の顧客を、20年かけて育てている。
これを、学校給食という、すでにある仕組みの中でやっています。
観光との組み合わせ。
観光の側の取り組みもあります。
沼津港周辺の観光拠点化が進むなか、7月1日の「沼津ひものデー」を中心にした販促の催しや、「ヒモノラ」という地域キャラクターを使った回遊型のキャンペーンが行われています。
そして、沼津を舞台にしたアニメ作品と連携したコラボレーションが、若い層の来訪と購買を呼んでいる。
少し前に、隣の小国町が温泉シャークという映画のロケ地になって、酒蔵と醤油屋とビール会社が次々にコラボ商品を出した話を書きました。
構造としては、同じです。
降ってきたきっかけに、既存の商品を乗せる。
新しく何かを作るのではなく、いつも作っているものにラベルを貼る。
だから速いし、ブームが終わっても商品は残ります。
もう一つ、職人の包丁さばきを一般の人に教える「干物の開き方体験教室」も開かれているそうです。
これは、食品としての消費から、手仕事の文化体験への転換です。
自分で開いた魚は、たぶん記憶に残ります。
そして、次に店で干物を見たときに、あれは大変な作業だと分かります。
少し前に、阿蘇の登山道の点検について書いたときに、自然はタダではない、という話をしました。
手入れの存在が見えていないと、価値も見えません。
開き方を体験するというのは、見えないものを見せる方法として、相当に効率がいいと思います。
隣のブースで、何を学んだか?
産業フェアの話に戻ります。二日間、隣で立っていて思ったのは、売り場での説明の難しさです。
当社は南小国の産品を並べていました。
沼津市さんは干物を並べていました。
どちらも、通りかかった人に数秒で説明しなければなりません。
その数秒で言えることは、限られています。
今日ここまで書いてきた話のうち、売り場で言えるのは一つか二つです。
富士山の伏流水で洗っていること。
塩汁が継ぎ足しであること。
ならい風のこと。
どれも、言えば伝わる話です。
ただ、全部は言えません。
だから、何を言うかを決めておく必要があります。
物産館から見ると。
南小国町は山の中なので、干物は作れません。
ただ、沼津の話で学べることは、たくさんあります。
いちばんは、調理のハードルを下げる、という発想です。
当社の物産館の棚には、美味しいけれど手間がかかるものが並んでいます。
買った人が、家で調理できるかどうか。
洗い物が増えないか。
食べ方が分かるか。
ここを考えずに、美味しいから売れるはずだと思っていなかったか。
正直、思っていた気がします。
もう一つが、年数の話です。
沼津の塩汁は、継ぎ足しで何十年分が溶けている資産でした。
同じように、牧野の野焼きは千年続いています。
旅館の湯も、人が入り続けることで保たれています。
一度途切れると、戻せないもの。
それが何なのかを、はっきりさせておくべきだと思いました。
最後に。
沼津の干物の美味しさは、温暖で雨が少なくて風が強いという気候と、富士山の伏流水という水と、手開きから塩汁の管理、冷風乾燥、急速凍結という技術が、噛み合った結果でした。
場所がなければ成立しない産業です。
その産業が、40年で工場数を5分の1にしています。
原因は、品質ではありません。
作る人がいなくなっていることと、食べる人の生活が変わったことです。
どちらも、美味しさを磨いても解決しません。
沼津がやっているのは、骨を抜き、レンジで焼けるようにし、給食で子どもに食べさせ、観光客に包丁を持たせることです。
伝統を守るために、形を変えています。
人吉の球磨焼酎のところで、日本遺産の名前になっている「保守と進取」という言葉を書きました。
沼津がやっているのも、同じことだと思います。
何を守るかを決めて、それ以外は変える。
守るものを決めていないと、全部を守ろうとして、全部を失います。