
タイの物価に苦悶の旅 リゾートが変わった
【連載】アジア人は今 第8回
ジャーナリスト 室橋 裕和
世界的に物価高が加速している。タイでは都市部はもちろん、南部の人気リゾート地は以前と比べて値上がりはもはや異次元。東京ディズニーランドを割安に感じてしまうほどだ。懐の寂しい日本人や中国人の観光客はすっかり鳴りを潜め、リッチなインド系やロシア人がビーチを楽しんでいる。

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「高えなあ・・・」
僕はグーグルマップを見ながら、この旅で何度目かのため息をついた。
地図上にはタイ南部のリゾートアイランド、サムイ島のホテルとその料金が表示されているのだが、安い所でも1000バーツ(約4900円)を上回る。
これがコロナ禍の前ぐらいまでなら1バーツ3円ほどだから「3000円か、まあいっか」と気軽に予約していただろう。しかし、今や1バーツは大体5円である。「このボロそうな宿で5000円か・・・」と思うと、元バックパッカーの僕としては躊躇(ちゅうちょ)してしまう。
リゾートホテルとなれば1万バーツ、2万バーツ超えの物件が普通にあるから恐ろしい。決して特別な存在というわけでもなく、グーグルマップにはそのぐらいの値段がいくつも表示されている。世界が違いすぎて、嫉妬の気持ちすら湧いてこない。


その中にもちらほらと1000バーツを割る宿があるのだが、僕は知っている。いちおうタップして詳細を見てみれば、ほらね。やっぱりドミトリーか。大きな相部屋のベッド一つを借りる節約旅の強い味方だが、僕も一応は取材の最中であり、リモートワークをこなしながら旅をしている以上、できれば個室が欲しい。
最近のドミトリーは清潔でエアコンも効いていて、ベッドごとに電源や照明を完備。カーテンもあるから、プライバシーをいくらか保てるタイプがタイのみならず、どの国でも主流になりつつあるが、その分の値段も上がった。オンシーズンど真ん中の人気観光地であれば、ドミトリーですら1000バーツを超えてくる。
昔はもっとこう、刑務所の雑居房みたいな感じでプライバシーもへったくれもなく、暑くて汚くて誰か一人が風邪をひいたら全員に伝染し、今みたいな鍵付きロッカーなんてないから貴重品は肌身離さず寝ていたけど、50~60バーツで泊まれる所もあったよなあ・・・あの頃は200円以下かあ・・・と20年以上前のことを懐古する。
そこらの屋台でメシを食っていれば、ビール1本のぜいたくを入れても1日1000円もあれば賄えたように思う。しかし、そんな時代はとっくのとうに過ぎ去った。

コーヒーとティラミス
しめて1450円の衝撃
タイは経済成長が続き、日本はその間ずっと停滞。コロナ禍が明けてタイの観光業に活気が戻ってきてからはバーツが急上昇。一方の日本円は安くなるばかりで、この格差が日本人旅行者を直撃する。加えて、ウクライナ戦争以降の世界的な物価高の傾向はタイも同様で「食材を中心にあらゆるものが値上がりした」とタイ人は言う。
かつては、屋台のクイッティオ(汁そば)やカオパット(焼き飯)なんかは20バーツ、当時のレートで60円という価格が長らく続いていたものだが、今はどんなに安い店でも40バーツはする。70バーツ、100バーツという店も珍しくはない。

これを、3掛けではなく5掛けで計算しなくてはならない円安の悲しさ。日本では庶民の味方「すき家」の牛丼並が450円、「小諸そば」のかけそば410円だから、もはや日本とあまり変わらない料金である。
しかも、タイ南部のリゾート地ともなれば、実は屋台や安食堂そのものがグッと減る。たまに見かけても、英語メニューもばっちり用意してある観光客を意識した店ばかりで、味付けはよく言えば外国人に合わせてマイルド、悪く言えばパンチに欠けた物足りなさで、値段は100~200バーツといったところ。ショッピングモールに入ってちょっといいレストランで食べようと思ったら、ランチセットでも200~500バーツはする。
最近タイでも増えてきた、おしゃれなカフェでアイスコーヒーとティラミスを頼んでみたら、290バーツ(約1450円)だった。ドトール以上、ルノアール並みの価格である。

一日過ごす費用
TDLより割高
ある日の出納帳を見てみよう。
やはりタイ南部の人気リゾート、タオ島での一日の記録だ。
フェリー:900バーツ
(本土→タオ島。所要1時間半、昨年より150バーツ値上がり)
入島料 :20バーツ(環境保全に使われるそう)
ソンテウ:200バーツ
(乗り合いの小型トラック。船着き場→宿まで。他の旅行者2人と割り勘)
ホテル :930バーツ
(ビーチまで徒歩20分、特にリゾート感のない古めの家族経営の宿。エアコン付き個室としてはかなり安い)
昼食 :80バーツ(安食堂でガパオ飯)
バイク :250バーツ(レンタル。1日当たり。タイの島では必需品)
ガソリン:50バーツ(ビンに詰めて路上で売っている物を1瓶)
お茶 :30バーツ(甘くない。タイではコンビニにあるのが助かる)
夕食 :120バーツ(安食堂でおかず2種盛り飯+卵焼き)
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合計:2580バーツ(約1万2900円)
一日で計1万2900円なり。リゾートらしいアクティビティーを楽しむこともなく、節約を意識してこの値段。タイの物価が上がったのか為替のせいか、あるいは僕が単に貧しいだけなのか。そのいずれもであろうとは思うが、数日ならともかく数週間の旅行となると、この出費はなかなかに厳しい。


特にタイ南部はフェリーでの移動がメインになるが、イラン戦争以前からガソリンの上昇傾向が続き、それが乗船代にも反映されていて宿代並みの出費となるのがきつい。
気合いの入った欧米人バックパッカーには、夜行のスローボート(本土-タオ島間、500バーツ~)に乗り込み、500バーツ前後のドミトリーに投宿し、メシはドミの仲間同士で自炊・・・なんてタイプもいるが、それでも1日最低4000~5000円はかかるのではないだろうか(ちなみに、ダイビングショップに併設されたドミが特に安い。本来はダイビング免許を取得するために何日か滞在する客向けの施設)。

さらに、タイ南部は大自然の宝庫でもあるから各地に国立公園が広がっているが、その入場料金が300~400バーツかかる。マリンスポーツの相場は、水上スキー1000バーツ、パラセーリング2000バーツ、ウエークボードが1500バーツほど。
ファミリーだったらテーマパークなんかも行きたいだろうが、例えばプーケットのウオーターパークの入場料は大人1800バーツ、子供1200バーツ(円換算はおよそ5で掛ける)。たくさんの象も出演する壮大なショーが売りの「プーケット・ファンタ・シー」はディナー付きで2200バーツ。
ちなみに、東京ディズニーランドのワンデーパスポートは7900円からである。タイで南国リゾートをめいっぱい満喫しようと思ったら、もう日本以上の出費が必要になってくる。

旅客は印、露、中東
日本人は消え去った
バーツ高、物価高、円安のトリプルパンチを食らいながらタイ南部を1カ月ほどかけて回ったが、日本人を見かけることはほとんどなかった。家族連れもカップルもバックパッカーも、だーれもいない。サムイ島とプーケットで、タイ在住の駐在員らしき一家とすれ違ったぐらいだろうか。
代わりに増えたのはインド系、中東系の観光客だ。特にクラビーやプーケットあたりでは、大家族でそぞろ歩いている姿をよく見る。この地域の人々は、旅先でも自分たちが普段食べているものを求める傾向があるからだと思うが、インド料理、アラブ料理の店がずいぶんと増えた。
イエメン料理やシリア料理など、日本ではあまり見かけないジャンルのレストランもあって異国飯マニアとしては興奮してしまうが、インドの急成長やオイルマネーのパワーを思い知らされる。イエメン、シリアとも政情不安で経済的にも厳しく両国からの観光客はわずかだろうが、その食文化はよく知られていてリッチな湾岸諸国をはじめ、アラブ系の人々には親しまれている。
それにウクライナ戦争以降は、ロシア人がずいぶんと増えた。厭戦(えんせん)気分がまん延しているとかで、ロシア富裕層の一部は国外に流出。タイでは中部パタヤやプーケットでコンドミニアムを購入し、長期滞在するロシア人もけっこういる。だから、ロシア料理店をやたらに見かけるようになった。
もちろん、リゾートには地元のタイ人もたくさんいる。タイ人全体の所得はまだまだ日本よりも低いし貧富の差は激しいが、それでも中間層は厚くなり経済力を増しており、お金をかけて観光を楽しんでいる。

パンガン島の民宿のおばちゃんは、チェックインの時に僕のパスポートを見て「あら日本人。この前、富士山に行ったよ。次は北海道に雪を見に行こうと思ってるの」と言っていた。タイ人は、日本のインバウンド産業にとっても大事なお客さまなのである。
ちなみに、中国人観光客はタイからかなり減った。景気減退とバーツ高の影響だという。旅行に行くなら外国よりも中国国内を選ぶ人が多くなっているのが現状で「せっかく中国語を勉強したのに」と、プーケットのあるタクシー運転手がボヤいていた。
その中国人よりも、日本人ははるかに少ない。だからなのか、旅行業界に勤める知人がこんなことを言っていた。
「高級ホテルに営業をかけても『うちのブランディングと合わないので』なんて言われて、断られることが増えた。以前はこんなことはなかった。日本人をターゲットにしても利益にならない、と思われている。マーケットの外に置き去りにされてしまったような気がする」
タイに行くたびに、日本人の存在感が薄くなってきていると感じる。
もうちょっと円高になるかバーツ安になるか、あるいはわが業界の原稿料が物価に合わせて上がってほしいものだ。

室橋 裕和(むろはし・ひろかず)
ジャーナリスト
1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発の日本語情報誌に在籍し、10年にわたりタイおよび周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のジャーナリスト、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。
現在は日本最大の多国籍タウン、新大久保に在住。外国人コミュニティーと密接に関わりあいながら取材活動を続けている。「外国人コミュニティーから見る多文化共生の実情や課題」といったテーマで、大学やメディア、トークイベントなどの講演多数。武蔵野大学非常勤講師。新大久保など多国籍タウンの街歩きフィールドワークも行う。
著書に『カレー移民の謎』(集英社新書)、『ルポ新大久保』(角川書店)、『エスニック国道354号線』、(新潮社)『日本の異国』(晶文社)など。

公式サイト https://murohashi.jp/
X https://x.com/muro_asia
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