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暗がりを渡す

    「これでいいですか」

    仕事で、そう聞かれることがある。

    私は、すぐに「いいよ」とは言わない。

    かといって、

    「こうしなさい」

    とも言わない。

    その先が、私にも見えているわけではないからだ。

    若い頃の私は、もっと先まで見えると思っていた。

    仕事を覚えれば、次の役職が見える。

    経験を積めば、その先の仕事が見える。

    努力すれば、いつか自分のいる場所も、はっきりする。

    そんなふうに思っていた。

    実際には、そうならなかった。

    思っていた仕事とは違うところへ行った。

    うまくいかないこともあった。

    戻ったこともある。

    あのとき別の道を選んでいたら、と考えたこともある。

    それでも、そのときは、そのときの道を歩いていた。

    「これでいいですか」

    そう聞かれると、少し考える。

    「どうして、そう思ったの?」

    と聞いてみる。

    すると、いろいろな話が出てくる。

    やりたいことがある。

    でも、失敗したくない。

    周りと違うのが怖い。

    今のままでいいのか分からない。

    最初の質問とは、少し違う話になる。

    その話を聞いていると、本人がどこへ行きたいのか、少しずつ見えてくることがある。

    もちろん、私に答えが見えているわけではない。

    「こっちが正解だよ」

    とは言えない。

    ただ、

    「じゃあ、ここまでやってみようか」

    とは言える。

    夜の道を歩く。

    街灯がある。

    その下は明るい。

    少し先にも、次の街灯が見える。

    でも、その間は暗い。

    次の次までは見えない。

    昔は、それが不安だった。

    この先に何があるのか。

    どこまで続いているのか。

    間違った道ではないのか。

    全部見えてから、歩きたかった。

    でも、そんな日は来なかった。

    歩き出すと、次の街灯が見える。

    そこまで行く。

    すると、また、その先の灯りが見える。

    振り返ると、自分が歩いてきたところだけは、道になっている。

    歩く前には、何もないように見えた場所が、ちゃんと道になっている。

    だから今は、

    「これでいいですか」

    と聞かれても、すぐには答えを出さない。

    その人が、自分で次の一歩を決められるところまで、一緒に考える。

    やってみる。

    違ったら、変える。

    戻る。

    また考える。

    最初の一歩で、最後まで決めなくていい。

    私自身、そうやって歩いてきた。

    そのときは、自分がどこへ行くのかなんて、分かっていなかった。

    ただ、目の前にある灯りまで歩いた。

    そこに着くと、また次が見えた。

    そして、また歩いた。

    人に道を教えることはできない。

    ましてや、その人の行く先を照らし切ることもできない。

    それでも、暗がりを一緒に渡ることはできる。

    次の街灯まで。



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