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自由なのに、選べない

    「今の若い人は、自由でいいよね」

    そんな言葉を聞くことがある。

    転職してもいい。

    会社を辞めてもいい。

    都会にいてもいい。

    地方に行ってもいい。

    結婚してもしなくてもいい。

    たしかに、選べることは増えた。

    でも、仕事で若い人と話していると、ときどき、こんなことを聞かれる。

    「これって、どうするのが正解ですか」

    私は、すぐには答えない。

    「どうして、そう思ったの?」

    と聞く。

    すると、少しずつ話が変わってくる。

    本当は、失敗するのが怖かった。

    誰かに迷惑をかけたくなかった。

    自分だけ遅れている気がしていた。

    別のことをやりたいのに、言い出せなかった。

    最初の質問の裏側に、別の問いが隠れていることがある。

    私は、その話を聞く。

    問題だけが渡される

    学校では、問題があって、答えがある。

    社会に出ると、問題だけが渡されることがある。

    「あとは、自分で考えてください」

    そう言われる。

    何を選んでもいい。

    けれど、どれを選べばいいのかは、教えてもらえない。

    私が若かった頃は、今より選択肢が少なかった。

    学校を出る。

    会社に入る。

    働く。

    結婚する。

    家を持つ。

    そんな道が、ぼんやりと見えていた。

    その道が正しかったわけではない。

    外れるのは、それなりに怖かった。

    それでも、「とりあえず、ここを歩けばいい」という感覚はあった。

    今は、そうとは限らない。

    右へ行ってもいい。

    左へ行ってもいい。

    立ち止まってもいい。

    戻ってもいい。

    選べる。

    だからこそ、自分で決めなければならない。

    みんなが多すぎる

    昔は、

    「みんながやっているから」

    という言葉が、ひとつの基準になった。

    今は、その「みんな」が多すぎる。

    SNSを開けば、同じ年齢の誰かが結婚している。

    誰かが転職している。

    誰かが海外へ行っている。

    誰かが起業している。

    誰かが楽しそうにしている。

    会ったこともない人まで、自分の隣に並んでくる。

    比べようと思えば、いくらでも比べられる。

    自分は遅れているのか。

    選び方を間違えたのか。

    もっと別の道があるのか。

    本当は、自分の道を歩いているだけなのに、いつの間にか、誰かの道と比べてしまう。

    選べるはずなのに、選ぶほど迷っていく。

    失敗できない

    私にも、思い出したくない失敗がいくつもある。

    あのときは、ずいぶん恥ずかしかった。

    怒られたこともある。

    失敗したまま、しばらく立ち尽くしたこともある。

    でも、時間が経てば、だいたい忘れられた。

    今は、そう簡単ではないこともある。

    言葉が残る。

    写真が残る。

    投稿が残る。

    失敗した自分を、誰かに見られ続けているように感じることもある。

    慎重になるのも、無理はない。

    「失敗して覚えればいい」

    と言うのは簡単だ。

    でも、失敗できる場所がなければ、その言葉は届かない。

    だから、仕事で若い人と話すとき、私は答えを急がない。

    「それなら、こういう方法もあるよ」

    と、いくつかの道を示してみる。

    どれを選ぶかは、本人に任せる。

    選んだあとで、うまくいかなかったら、また考えればいい。

    そう言える場所でありたいと思っている。

    隣にいる

    自由になった。

    選べるようになった。

    それは、たぶん悪いことではない。

    でも、選べることと、迷わないことは違う。

    右へ行くか。

    左へ行くか。

    立ち止まるか。

    少し戻ってみるか。

    決められない日もある。

    そんなとき、

    「自由なんだから、自分で決めればいい」

    と言ってしまうのは、少し違う気がする。

    私自身、選んだ道が正しかったのか、分からないまま歩いてきた。

    だから、答えを代わりに決めることはできない。

    けれど、一緒に考えることはできる。

    道を決めるのは、その人自身でいい。

    ただ、決めるまでの時間を、1人にしなくてもいい。

    私は、隣にいることならできる。



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