
消えてしまう「3」
ある会議で、提案について意見を求められた。
「賛成ですか。反対ですか」
私は、すぐには答えられなかった。
賛成する理由はいくつもあった。
でも、小さな違和感も残っていた。
反対するほどではない。
だからといって、見なかったことにもしたくない。
少し考えてから、
「賛成です」
と答えた。
議事録には、「賛成」と書かれた。
それで会議は進んだ。
でも、私の中では少し違っていた。
あれは、100対0の賛成ではなかった。
7対3くらいだった。
その「3」は、議事録には残らなかった。
消えたわけではない
振り返れば、似たようなことは何度もあった。
会議では、賛成か反対かを決める。
決まったことが議事録になる。
そのほうが仕事は進む。
だから、「3」を残さなかったこと自体が、間違いだったとは思わない。
ただ、あとになって気づくことがある。
「あのとき、少し気になっていたんです」
誰かが、そう言う。
聞いてみると、その違和感は、その人の中にずっと残っていた。
消えたのではない。
記録されなかっただけだった。
議事録に残らなかったからといって、誰も気にしていなかったわけではない。
そこには、記録と記憶のずれがある。
3は、あとから戻ってくる
仕事をしていると、数か月前の会議に戻ることがある。
あのときの懸念が、別の形で出てくる。
「あれ、前にも話していなかったか」
そう思う。
議事録を開く。
そこには「賛成」としか書かれていない。
たしかに、そうだった。
自分も賛成した。
でも、あのとき確かに「3」があった。
その3は、決定をひっくり返すほど大きなものではなかった。
だから、残らなかった。
けれど、あとになって見ると、その小さな違和感が、次に考えるべき場所を教えてくれることがある。
当時は重要ではないと思っていたことが、時間を経て重要になる。
懸念は、いつも懸念として現れるわけではない。
別の問題の顔をして、戻ってくることもある。
結論だけでは、足りないことがある
会議は、複雑なものを決められる形にする場所でもある。
賛成。
反対。
やる。
やらない。
それが必要なことも多い。
でも、結論を出した瞬間に、そこに至るまでにあったものまで消してしまうことがある。
「賛成だけど、ここは気になる」
「やるけれど、この条件は見ておきたい」
「反対ではない。でも、まだ決めきれない」
そういう言葉は、結論にはならない。
だから、議事録から落ちやすい。
けれど、結論だけを残した議事録は、判断の全体を記録したものではない。
何を選んだかは分かる。
でも、何を気にしながら選んだのかは分からない。
私は最近、そういう言葉を少しだけ残すようになった。
結論とは別に、一行だけ。
「懸念として、○○の可能性あり」
それだけでいい。
次に同じ問題が出たとき、前の自分たちが何を見ていたのかが分かる。
7対3のままでいい
私は、判断するときに「3」をなくす必要はないと思っている。
7対3なら、3を捨てない。
2対8なら、2を忘れない。
それでも、最後は決める。
決めることと、残ったものを忘れることは違う。
賛成した。
だから、もう何も問題はない。
そうではない。
賛成したけれど、まだ見ているものがある。
その感覚を残しておく。
あの会議から何年も経った今でも、私はときどき思い出す。
議事録に残らなかった「3」のことを。
そして、会議が終わったあとに、
「今の話、何か気になったことはありませんか」
と聞くことがある。
たいてい、誰かが少し黙る。
その沈黙の中に、
まだ消えていない「3」がある。
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