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常願寺川の午前2時

    昼・橋の下

    常願寺川は、日本屈指の急流として知られている。

    子供の頃、川には近づくなと、何度も言われた。

    足をすくわれたら助からない。流れが速すぎて、誰も助けられない。

    だから、近づいてはいけない。

    私たちは、その話をよく知っていた。

    知っていたからこそ、探検に出かけたのかもしれない。

    橋の下から見上げると、対岸の送電鉄塔が、ほんの少しだけ傾いて見えた。

    本当に傾いていたのかどうかは、わからない。

    大人たちは、あそこには幽霊が出るとも言っていた。

    鉄塔も、幽霊も、川も。

    子供を近づけないための話だ。

    私たちは、そう思っていた。

    夜・河原

    その日は、よく晴れていた。

    月明かりが眩しいほどだった。

    林間学校の宿を抜け出したのは、夜だった。

    幽霊が出るという河原へ、3人で向かった。

    お化け屋敷を歩いていくようなものだった。

    昼間の河原には、玉石が広がっている。水は激しく流れ、川音は絶えない。

    蝉は、ほとんどいない。

    夜になると、川の音がいっそう大きく感じられた。

    ザワザワ、ザワザワ。

    途切れることなく、耳のそばで鳴っているようだった。

    月は明るすぎた。

    川音は、うるさすぎた。

    昼間なら、そこにあるだけのものだった。

    橋も、鉄塔も、河原の石も。

    夜には、それぞれが何かを隠しているように見えた。

    昼の端役が、主役になっていた。

    私たちも、主役気取りだった。

    赤い目

    暗がりで、何かが動いた。

    目が光った。

    赤かった。

    一度だけではない。

    ときどき、赤い目が光った。

    狐だったのか、イタチだったのか。

    今なら、そう考える。

    けれど、あのときは違った。

    身体が固まった。

    声が出なかった。

    目をそらすこともできなかった。

    向こうも、こちらを見ていた。

    月明かりの下で、川の音だけが鳴り続けていた。

    私たちは、何も持っていなかった。

    懐中電灯も、武器も。

    大人の言葉を見抜いたつもりの知恵も、役に立たなかった。

    ただ、見ていた。

    目線を射貫かれたように、ずっと。

    怖かった。

    本当に、怖かった。

    翌朝

    翌日、先生に見つかった。

    思いきり怒られた。

    当然だった。

    常願寺川は急流だ。夜の河原へ子供だけで行くなど、危険に決まっている。

    それでも、あの夜のことは消えなかった。

    月明かりの眩しさ。

    耳をふさぎたくなるほどの川音。

    暗がりで光った赤い目。

    何より、あのとき動けなかった自分の身体。

    大人たちが作った怖い話だと、私たちは思っていた。

    そう思っていたのに。

    あの夜、確かに何かを見た。

    正体は、わからない。

    わからないまま、時間が過ぎた。

    あの夜の記憶は、いまではセピア色になっている。

    それでも、月だけは眩しい。

    川音だけは、まだ耳の奥で鳴っている。

    いま

    常願寺川は、今も流れている。

    あの夜に見たものが何だったのか、私は知らない。

    狐だったのかもしれない。

    イタチだったのかもしれない。

    あるいは、あの場所には、私たちの知らない何かがいたのかもしれない。

    確かなことは、3人でそこへ行き、何かを見たということだけだ。

    あの夜のことを、私たち3人は今でも忘れていない。

    月明かりと、川音と、赤い目。

    常願寺川の午前2時。

    あの夜は、まだ終わっていない。



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