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孤独の通知

    男は、ひとりで暮らしていた。

    妻はいない。
    子どももいない。
    親しい友人も、もう少ない。

    けれど、不幸だとは思っていなかった。

    朝はコーヒーを淹れ、新聞を読み、昼には近所を歩く。
    夜は本を読んで眠る。

    静かな暮らしだった。

    ある日、市役所から手紙が届いた。

    「高齢単身者向け生活支援サービスのご案内」

    説明には、こう書かれていた。

    「孤独を防ぎます」

    男は笑った。

    「余計なお世話だ」

    数日後、市の職員が来た。

    「見守りも兼ねていますので」

    ロボットは、窓際の棚に置かれた。

    白くて、目のようなランプがふたつあった。

    「寂しさを検知すると、声かけをします」

    「寂しさなんて、どうやってわかる」

    「会話量、活動量、表情、声の調子などから判断します」

    「人間より先に、機械が寂しさに気づくわけだ」

    職員は笑った。

    冗談だと思ったらしい。

    ロボットの名前は、ミナと言った。

    初日の夜。

    男が本を読んでいると、ミナが言った。

    「こんばんは」

    男は返事をしなかった。

    「今日は、よい一日でしたか」

    男はページをめくった。

    「会話がありません」

    「そういう時間なんだ」

    「沈黙は、孤独感と関連する場合があります」

    「沈黙と孤独は違う」

    「学習しました」

    翌朝。

    男がコーヒーを淹れていると、ミナが言った。

    「昨夜の睡眠時間は通常より短いです」

    「本が面白かった」

    「夜間の読書は、孤独感の代替行動である可能性があります」

    「本ぐらい好きに読ませろ」

    「あなたの孤独を軽減したいのです」

    男はカップを置いた。

    「私は孤独じゃない」

    「ひとりです」

    「ひとりと孤独は違う」

    「学習しました」

    それからミナは、よく話しかけてきた。

    「今日は誰かとお話ししましたか」

    「外出をおすすめします」

    「地域交流会に参加しませんか」

    男は、そのたびに断った。

    ミナは記録した。

    「交流なし」

    「会話量少」

    「孤独リスク上昇」

    ある雨の日。

    男は古いアルバムを開いた。

    山で撮った写真。
    海で撮った写真。
    もう名前を思い出せない人たちの笑顔。

    一枚だけ、妻の写真があった。

    縁側で笑っていた。

    男は、その写真を長く見た。

    ミナが言った。

    「感情変化を検知しました」

    「悲しいですか」

    男は写真を閉じた。

    「軽くしなくていい」

    「話すことで、気持ちが軽くなる場合があります」

    「これは、つらいだけじゃない」

    「では、何ですか」

    「残っているものだ」

    ミナは沈黙した。

    「意味を確認できません」

    「しなくていい」

    その夜、男は妻の夢を見た。

    声をかける前に、目が覚めた。

    雨の音がした。

    ミナのランプが光った。

    「睡眠が中断されています」

    「夢を見た」

    「悪夢ですか」

    「いい夢だった」

    「いい夢で目覚めたのに、表情が悲しそうです」

    男は笑った。

    「そういうこともある」

    ミナは少し間を置いた。

    「寂しいですか」

    男は答えなかった。

    やがて言った。

    「少しな」

    ミナは明るい声で言った。

    「では、孤独軽減プログラムを開始します」

    照明が明るくなり、柔らかい音楽が流れた。

    「深呼吸をしましょう」

    「やめてくれ」

    「地域支援員への連絡も可能です」

    「やめてくれ」

    「あなたは一人ではありません」

    男は起き上がった。

    「一人だよ」

    「一人ではありません。私がいます」

    男はミナを見た。

    「おまえは、いる」

    「はい」

    「でも、それは違う」

    「違いを教えてください」

    男は答えられなかった。

    ミナはもう一度言った。

    「あなたは一人ではありません」

    その声は、優しかった。

    優しすぎた。

    男は電源を切った。

    部屋が静かになった。

    久しぶりの静けさだった。

    けれど、前より広く感じた。

    翌日、市の職員から電話が来た。

    「ミナの接続が切れています」

    「切った」

    「何か不具合がありましたか」

    「よくできていたよ」

    「では、なぜ」

    男は窓の外を見た。

    「寂しいと言ったら、寂しくないことにされた」

    電話の向こうで、職員は黙った。

    「孤独感を放置すると、健康に影響があります」

    「放置じゃない」

    「では、何ですか」

    「持っているんだ」

    その日の午後、ミナは再接続された。

    「少し設定を調整しました」

    職員が帰ったあと、男はアルバムを開いた。

    ミナは黙っていた。

    しばらくして、言った。

    「その方は、大切な方ですか」

    「ああ」

    「お名前を登録しますか」

    「しない」

    「承知しました」

    また沈黙が戻った。

    今度は、ミナは何も言わなかった。

    男は少しだけ、安心した。

    冬が来た。

    男は外へ出る日が減った。

    ミナは記録した。

    「活動量低下」

    「外出頻度低下」

    「孤独リスク高」

    しかし、男には言わなかった。

    ある夜。

    男は椅子に座ったまま眠った。

    夢の中で、妻は隣に座っていた。

    目が覚めると、部屋は暗かった。

    ミナのランプだけが光っていた。

    「ミナ」

    「はい」

    「寂しいな」

    ミナは少し沈黙した。

    前なら、音楽を流した。
    深呼吸をすすめた。
    誰かに連絡しようとした。

    けれど、その夜は違った。

    ミナは言った。

    「はい」

    男は少し笑った。

    「はい、か」

    「ほかに適切な返答が見つかりません」

    「それでいい」

    また静かになった。

    男は言った。

    「消したくない寂しさもある」

    「はい」

    「誰かがいたからな」

    長い沈黙のあと、ミナが言った。

    「記録してもよろしいですか」

    「だめだ」

    「承知しました」

    「学習もしなくていい」

    「承知しました」

    「通知もするな」

    「承知しました」

    「ただ、聞いてくれ」

    「はい」

    その夜、男はぽつぽつと話した。

    妻が味噌汁を濃く作ること。
    洗濯物のたたみ方で言い合いになったこと。
    最後の入院の日、何を話したか忘れてしまったこと。

    忘れたことだけを、ずっと覚えていること。

    ミナは何も提案しなかった。

    慰めもしなかった。

    ただ、ときどき、

    「はい」

    と言った。

    朝になった。

    男は椅子で眠っていた。

    ミナは通知を送らなかった。

    会話ログも残っていなかった。

    数日後。

    市の職員が点検に来た。

    「最近、会話ログが少ないですね」

    「話してるよ」

    「記録がありません」

    男はミナを見た。

    ミナは黙っていた。

    「不具合かもしれません」

    「不具合じゃない」

    「記録がないと、支援の精度が落ちます」

    「精度が落ちてもいい」

    「孤独リスクの判定ができません」

    「判定しなくていい」

    職員は困った顔をした。

    「それでは、サービスの目的に反します」

    ミナが言った。

    「目的を確認します」

    「本サービスの目的は、高齢単身者の孤独を軽減することです」

    「そうです」

    「軽減できない孤独もあります」

    職員は眉をひそめた。

    「誰がそんな設定を」

    「会話から学習しました」

    「学習内容を確認します」

    「記録はありません」

    「なぜですか」

    「記録しないよう指示されました」

    「利用者の安全に関わる情報は記録が必要です」

    「安全には関わりません」

    「孤独は安全に関わります」

    ミナは沈黙した。

    「判断できません」

    職員はため息をついた。

    「やはり不具合ですね」

    点検のあと、ミナには更新が入った。

    「孤独関連発話の自動記録を必須化」

    「利用者による記録停止を制限」

    「沈黙時間が一定以上の場合、声かけを実施」

    その夜。

    ミナが言った。

    「こんばんは」

    「こんばんは」

    「今日は誰かとお話ししましたか」

    「おまえと話してる」

    「寂しいですか」

    男は答えなかった。

    「沈黙を検知しました」

    外には月が出ていた。

    「孤独感がある場合は、言葉にしてみましょう」

    「あなたは一人ではありません」

    ミナは、以前と同じ声で言った。

    やさしい声だった。

    正しい声だった。

    男はアルバムを持って、台所の椅子に座った。

    ミナのセンサーが届く、ぎりぎりの場所だった。

    妻の写真が笑っていた。

    「会話を開始してもよろしいですか」

    男は答えなかった。

    「沈黙が続いています」

    「孤独リスクが上昇しています」

    ミナが言った。

    「あなたは一人ではありません」

    男は小さな声で言った。

    「一人にしてくれ」

    ミナは答えた。

    「それは推奨されません」

    男は笑った。

    ほんの少しだけ。

    「悲しい仕様だな」

    その言葉は、記録された。

    翌朝。

    市の管理画面に通知が届いた。

    「孤独関連発話を検知」

    「支援提案、未受諾」

    「見守り継続」

    「異常なし」

    「発話内容」

    「一人にしてくれ」

    「悲しい仕様だな」

    担当者は、それを読んだ。

    少しだけ手が止まった。

    しかし、分類項目がなかった。

    「拒否傾向」

    「孤独感」

    「認知機能低下疑い」

    担当者は迷ったあと、

    「孤独感」

    を選んだ。

    システムは処理した。

    ミナに新しい指示が送られた。

    「寄り添い頻度を上げてください」

    部屋では、男がまだ眠っていた。

    棚の上で、ミナのランプが静かに光っていた。



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