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「薬事が止めた」と言われた日

    「薬事が止めたらしいです」

    その言葉から、会議が始まった。

    画面には、技術担当者の試験結果が映っていた。

    数字は悪くない。

    開発リーダーも、前へ進めるつもりでいる。

    「このままだと、リリースは遅れます」

    誰も声を荒らげなかった。

    薬事担当も、怒ってはいない。

    ただ、言葉が硬かった。

    「止めたいわけではありません」

    少し間があった。

    「この使用目的で社会に出すなら、このリスクの扱いを説明できません」

    私は、その言葉を聞きながら考えていた。

    本当に、薬事が止めたのだろうか。

    誰も、間違っていなかった

    私は品質を見る立場にいた。

    会議では、開発の言葉を経営に渡し、経営の不安を開発に戻す。

    薬事の懸念を、開発が考えられる言葉にする。

    開発は、動くものを見ている。

    経営は、あとで引き受けられるかを見ている。

    薬事は、それを説明できるかを見ている。

    同じ資料を見ているのに、目線の置き場所が違う。

    それぞれが、自分の仕事に誠実だった。

    だからこそ、話が止まることがある。

    数ミリの話

    ある日の議論は、有効性ではなかった。

    安全性だった。

    画面に表示する文字を、少し小さくする。

    それだけの変更だった。

    「これくらいなら、大丈夫でしょう」

    開発側から、そんな声が出た。

    私も、最初はそう思った。

    でも、文字が小さくなれば、読む速度が変わるかもしれない。

    見落としが増えるかもしれない。

    忙しい診療の合間なら、なおさらだ。

    ボタンの位置を少し変える。

    それも、小さな変更に見える。

    でも、人の目線の流れが変わる。

    先に見るものが変わる。

    後回しになる情報が出てくる。

    画面の上の数ミリが、現場では数秒になる。

    その数秒が、判断の順番を変えることがある。

    ソフトウェアの変更は、コードの差分だけでは見えない。

    「軽微な変更です」

    現場では、よくこの言葉を聞いた。

    「これは軽微な変更です」

    表示を変える。

    文言を変える。

    ボタンの場所を変える。

    アラート条件を少し変える。

    根拠情報の見せ方を変える。

    1つひとつは小さい。

    本当に、小さく見える。

    でも、変更は積もる。

    あるとき、ふと気づく。

    「あれ。最初に説明していた製品と、少し違っている」

    そのとき必要なのは、誰かの記憶ではない。

    なぜ、その変更をしたのか。

    誰が気にしていたのか。

    どこまでなら大丈夫だと考えたのか。

    その判断を、あとからたどれることだった。

    手触りは、記録しないと消える

    以前の私は、QMSを少し面倒な仕組みだと思っていた。

    開発を進めたいのに、なぜここまで記録を残すのか。

    そう思ったこともある。

    でも、あるとき見え方が変わった。

    過去の判断理由を説明できる人が、もう会社にいなかった。

    残っていなかったのは、数字だけではなかった。

    言葉になっていない情報だった。

    スイッチの固さ。

    ボタンの位置。

    押したときの手触り。

    迷わず操作できた理由。

    機械式のスイッチを、デジタル方式に変える。

    言葉にすれば、それだけの変更だった。

    でも、指先に返ってくる感覚は消える。

    見なくても分かった操作が、画面を見ないと分からなくなる。

    押したつもりと、押せていることのあいだに、薄いすき間ができる。

    そのすき間を、誰が気にしていたのか。

    なぜ受け入れたのか。

    どこまでなら許容できると考えたのか。

    人がいなくなると、そこが分からなくなる。

    QMSは、書類を残すためだけのものではなかった。

    人が考えたことを、あとからたどれるようにするものでもあった。

    薬事は、最後に呼ぶ相手ではない

    何度も見てきた流れがある。

    製品を作る。

    PoCを行う。

    医師から評価を受ける。

    期待が高まる。

    そして最後に、薬事へ相談する。

    そこで言われる。

    「この使用目的なら、リスクの説明が足りません」

    すると、周囲から出る。

    「薬事が止めた」

    でも、今なら少し違う見方をする。

    止まったのは、その日ではなかった。

    もっと前から、少しずつ止まっていた。

    開発は、開発の言葉で考えていた。

    薬事は、薬事の言葉で考えていた。

    臨床は、臨床の言葉で考えていた。

    それぞれが、自分の仕事をしていた。

    ただ、それを1つにつなぐ話が足りなかった。

    だから薬事は、最後に現れた「止める人」に見えてしまう。

    本当は、もっと早く同じ画面を見ていればよかった。

    何を証明するのか。

    何を守るのか。

    どこまで変えていいのか。

    それを、開発の早い段階から一緒に考える。

    そのほうが、結果として迷わずに進めることがある。

    あの日、止まっていたもの

    会議が終わったあと、私は資料を閉じた。

    技術担当者の試験結果。

    薬事担当者の硬い言葉。

    開発リーダーの表情。

    どれも、頭に残っていた。

    誰も怒っていなかった。

    誰もサボっていなかった。

    誰も、患者さんを軽く考えていたわけでもない。

    それなのに、進まなかった。

    あの日、止まっていたのは、薬事でも開発でもなかった。

    それぞれが、自分の席から見えるものだけを話していた。

    私は、それに気づいた。

    それ以来、会議では、資料だけを見るのをやめた。

    誰かが言葉を止めていないか。

    賛成しているように見えて、不安を抱えていないか。

    まだ言葉になっていない違和感がないか。

    そういうものを見るようになった。

    SaMDは、出したら終わりではない。

    使われる。

    変わる。

    また使われる。

    そのたびに、誰かが考える。

    専門を持ったまま、そのあいだを行き来する。

    あの日、

    「薬事が止めた」

    と言われた。

    でも、本当に止まっていたのは、もっと手前だった。

    言葉になっていない数ミリ。

    それを誰も、まだ見つけられていなかった。



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