
「平和の約束を捨てないでほしい」—谷口鮪の言葉が、ぼくをKANA-BOONへと連れて行った
導入|Xで流れてきた言葉
ある夜、タイムラインに一つの投稿が流れてきた。
KANA-BOONというバンドの名前は知っていた。「シルエット」という曲が『NARUTO -ナルト- 疾風伝』のエンディングテーマになって大ヒットしたことも、なんとなく知っていた。
でも正直に言えば、ちゃんと聴いたことはほとんどなかった。10代・20代に熱狂的に支持されているバンド、という認識だけがあって、自分には関係ないと思っていた。どこかで線を引いたまま、自分の音楽の棚には入れてこなかった。
その投稿を読んで、手が止まった。
KANA-BOONのギターボーカル、谷口鮪が2026年4月22日に投稿した言葉だ。音楽を続けたいという願いと、平和であってほしいという祈りが、静かに並んでいた。
政治的なスローガンではないのに、政治の重さが言葉の底に滲み出ていた。それなのに、あるいはそれだからこそ、ぼくの胸に何かが刺さった。
音楽より先に、言葉が届いた。
この逆転した出会いから、今回は始めたいと思います。
Part1|「語らない」が当たり前だった国で
この連載を通じて、ぼくはずっと一つの問いを抱えてきた。
なぜ日本のアーティストは、政治を語らないのか。
語らない理由は、いくつも挙げられる。業界に根づいた「政治的発言はリスク」という構造——レコード会社やスポンサーへの配慮、テレビや雑誌への露出を守るための自衛。
その外圧が内面化されるうちに、「炎上するかもしれない」「ファンを失うかもしれない」という自己検閲が生まれる。そして気づけば「音楽と政治は別物だ」という、どこから来たのかわからない前提が、当たり前のものとして定着している。
語らないことにも、種類がある。
意志的な沈黙と、圧力による沈黙だ。この連載で見てきたのは、その両方だった。浜田省吾は「語る場所を歌の中だけに限定する」という意志的な沈黙を選んだ。一方で多くのアーティストは、外部からの圧力と内側の恐れの中で、結果として語らないまま時間を重ねてきた。
しかしこの連載で見てきたように、その「当たり前」に抗ってきた者たちがいた。
SUGIZOは長文のSNSで、継続的に反戦・社会問題を語り続けた。小泉今日子は温度を抑えながら、祈るように語った。布袋寅泰は感情のままに投稿し、そして削除した。
削除という行為が、逆に「語ることの重さ」を浮かび上がらせた。それぞれの方法論で、それぞれの代償を引き受けながら、「語ること」を選んだ。
そして今、また一人の声が上がった——しかもぼくがほとんど知らなかったギタリストから。
彼の投稿が届いた日の前日、2026年4月21日、日本政府は防衛装備移転三原則の運用指針を改定し、殺傷能力を持つ武器の輸出を原則容認することを決めた。
戦後日本が積み上げてきた「武器輸出を厳しく制限する」という立場が、また一歩、塗り替えられた瞬間だった。
その翌日に、谷口鮪は書いた。
「語らない」が当たり前だった国で、また一人が口を開いた。その言葉が何を意味するのかを、ぼくはこの記事で考えてみたい。
Part2|谷口鮪の言葉——「祈り」か「発言」か

2026年4月21日、日本政府は防衛装備移転三原則の運用指針を改定した。
殺傷能力を持つ武器の輸出を原則容認する、という決定だ。戦後日本が積み上げてきた「武器輸出を厳しく制限する」という立場が、また一歩、静かに塗り替えられた。
その翌日、谷口鮪は書いた。
政策への直接的な言及はない。政府を名指しで批判する言葉もない。音楽を続けたいという願いと、平和であってほしいという祈りが、静かに並んでいた。
「平和の約束を捨てないでほしい。たかが音楽を思いっきり楽しめる世界であってほしい」という言葉で、投稿は締めくくられていた。
これは「政治的発言」なのか。
ぼくはこの問いの前で、少し立ち止まった。
政治的発言という言葉が持つイメージは、もっと直接的なものだ。政策への賛否、政党への支持表明、デモへの参加呼びかけ。谷口の投稿には、そのどれも含まれていない。あるのは、音楽を続けたいという願いと、平和であってほしいという祈りだけだ。
しかしだからといって、これが「政治的ではない」とも言い切れない。
「平和の約束を捨てないでほしい」という言葉は、武器輸出解禁という具体的な政策決定の翌日に発せられた。その文脈を知って読めば、この「祈り」は明確な政治的背景を持っている。文脈が、言葉を政治的にする。
ここに、谷口鮪の投稿の面白さがある。
「政治的発言をした」という批判を受けにくい形で、確かに政治への問いを投げかけている。祈りの言語を使うことで、攻撃の的になりにくい場所に立ちながら、それでも届けるべきことを届けている。
これは計算された戦略なのか、それとも彼の自然な語り口なのか——おそらく、どちらでもあるのだろう。そしてそれで構わないと、ぼくは思う。語り方の純度を問うより、言葉が届いたかどうかのほうが重要だ。
「たかが音楽」という言葉も、ぼくには引っかかった。
「たかが」は、本来は軽視や卑下を示す言葉だ。しかし谷口は「たかが音楽を思いっきり楽しめる世界であってほしい」と書くことで、この言葉を逆転させている。
「たかが」と呼ばれるものを守れない社会は、何かが根本的におかしい——そういう問いが、この一文に静かに埋め込まれている。
音楽を「たかが」と呼ぶことで、その価値を際立たせる。この逆説的な構造は、詩的であると同時に、鋭く政治的だ。
同じ日、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文も、Xに投稿していた。
兵器産業が持つ構造的な問題——平和であるほど需要がなくなるという逆説——を、後藤は冷静に言語化した。
後藤の言葉は、谷口とは対照的だ。祈りではなく、構造の分析だ。感情ではなく、論理だ。同じ危機意識から生まれた、まったく異なる二つの語り方。谷口は「祈り」で語り、後藤は「構造批判」で語る。
どちらが正しいということではない。語り方の違いは、その人間の内側の違いであり、届く場所の違いだ。そして、その両方が必要なのかもしれない。
ぼくの胸に届いたのは、谷口の「祈り」だった。
それはおそらく、ぼく自身が「ただ音楽を続けたい」という感覚を、長年抱えてきた人間だからだと思います。政治を語る言葉を持っていなくても、「この世界で音楽を鳴らし続けたい」という願いなら、持っている。その願いと、谷口の言葉が、静かに重なった。
祈りが届いた。では次に、その祈りを発した人間は、どんな圧力の前に立っているのか。
Part3|語ると叩かれる——それでも声を上げる理由
日本で、アーティストが政治を語ると何が起きるか。
多くの場合、批判が来る。「音楽だけやっていればいい」「政治的な発言をするなら音楽を聴かない」「アーティストが政治に口を出すな」——こうした声が、SNSを通じて一気に可視化される時代になった。
この構造は、ここ数年で変わったわけではない。むしろSNSが普及する以前から、日本の芸能界には「政治的発言はリスク」という空気が根強く存在していた。テレビに出るためには角を立てない。
スポンサーを怒らせない。ファンの最大公約数から外れない。そのために「語らない」という選択が、長年にわたって「正解」とされてきた。
この連載で見てきた先行する語り手たちも、それぞれの形でその圧力と向き合ってきた。
SUGIZOは語り続けた。批判を受けながら、それでも発信をやめなかった。小泉今日子は、慎重に言葉を選びながら、それでも届けるべきことを届けた。
布袋寅泰は、感情のままに投稿し、そして削除した。削除という行為が、逆に「語ることの覚悟」を浮かび上がらせた。
三者三様の向き合い方があった。しかしいずれも、「語ること」には何らかの代償が伴っていた。
では谷口鮪の場合はどうだったか。
報道された範囲では、谷口の投稿には賛同の声が多く寄せられたという。少なくとも確認できた範囲では、大規模な炎上や激しい批判は見当たらなかった。
批判がまったくなかったかどうかは、ぼくには確認できていない。ただ、賛同の声が目立ったのは事実だ。
なぜか。
ひとつには、前のパートで見たように、谷口の言葉が「祈りの形」をとっていたからではないかと、ぼくは思う。これが谷口の自然な語り口なのか、意識的な選択なのか——それはぼくにはわからない。
ただ結果として、政策への直接批判ではなく「音楽を楽しめる世界であってほしい」という願いの形をとることで、批判の矢が刺さりにくい場所に立った。
もうひとつには、時代の空気がここ数年で少しずつ変わってきているからかもしれない。
物価の上昇、格差の拡大、国際情勢の緊迫化——生活の手触りの中で「政治は遠い話ではない」という感覚を持ち始めた人たちが、以前より増えているように感じる。
そういう時代に、アーティストが「音楽を守りたい」と語ることへの共感は、以前より広がりやすくなっているのではないか。
ただし、これを「時代が変わった」と断言するのは早い。
より直接的な政治批判をすれば、反応はまったく違っていた可能性がある。「語ると叩かれる」という構造が消えたわけではない。変化の予兆があるとすれば、それはまだ予兆にすぎない。
それでも、ぼくはこう思う。
語ることを選んだ、という事実は変わらない。
批判を受けるかもしれないとわかっていても、あの夜、谷口鮪はXを開いて、言葉を書いた。それがどれほどの意志の力を必要とすることか——浜田省吾について書いたとき、同じ問いの前に立った。
そして今また、谷口鮪の音楽を聴きながら、同じ問いが戻ってくる。ステージで一度も政治を語ったことのないぼくには、その重さを想像するしかない。
語ることを選んだ者の声が、届くべき場所へ届くように——少なくともこの連載の中で、その声を受け取り、言葉にしていきたい。それがいま、ぼくにできることのひとつだ。
そしてその夜、ぼくは初めてKANA-BOONの音楽を、ちゃんと聴いてみることにした。
Part4|発言の後で、音楽を聴いた

その夜、ぼくはKANA-BOONを聴いた。
58年間生きてきて、ちゃんと聴いたことがなかったバンドを、初めて正面から聴く夜だった。サブスクで検索して、まず「シルエット」を再生した。
最初の音が鳴った瞬間、ぼくは少し驚いた。なぜなら、思っていたより、ずっとタイトだったからだ。
「若い世代のバンド」という漠然とした先入観が、ぼくの中にあった。キャッチーでポップで、10代に向けた音楽——そういうイメージだ。しかし実際に鳴っていたのは、もっと骨格のしっかりしたギターロックだった。
音の粒立ちの均一さ、フレーズの間の取り方、バンド全体のグルーヴのタイトさ。45年間ギターを弾いてきた耳が、その音を「本物だ」と判断するまでに、それほど時間はかからなかった。
なぜ今まで聴かなかったのだろう、とぼくは思った。
いや、答えはわかっている。「自分には関係ないバンド」という思い込みが、最初からあったのだ。世代が違う。ターゲットが違う。ジャンルが近くても、どこかで線を引いていた。
谷口鮪の言葉がなければ、おそらくこの夜もKANA-BOONを聴くことはなかった。
「信念のある音」という言葉が、ぼくの中に浮かんだ。
これは後付けかもしれない。発言を知った後で音楽を聴いたのだから、「信念のある人間の音だ」と感じやすくなっていたはずだ。バイアスはある、と言われれば、そうかもしれない。
しかしぼくは45年間、何らかの文脈の中で音楽を聴いてきた。初めて聴いた曲、初めて出会ったギタリスト、すべてに何らかの文脈があった。文脈の中で音楽を聴くことを、ぼくは恥じない。
そして45年間ギターを弾いてきて、ぼくはひとつのことを知っている。音には、その人間が出る。テクニックは練習で積み上げられるが、音の芯にある何か——それは誤魔化せない。どれほど上手く弾いても、信念のない音は、どこかで薄くなる。
谷口鮪のギターには、その薄さがなかった。
「平和の約束を捨てないでほしい」と書いた人間の音だ、と思った。あの言葉と、この音は、同じ場所から来ている。そう感じた。
SNS時代、ぼくたちはアーティストの言葉を先に受け取ることが増えた。音楽より先に、人間が届く時代になった。言葉が先にあって音楽が後に来る——この逆順の出会いは、音の聴こえ方を変える。
音楽だけを聴いていたら「カッコいいギターロックだ」で終わっていたかもしれない。しかし「平和の約束を捨てないでほしい」と書いた人間の音として聴くとき、その音は別の意味の層を帯びる。
リフの一音一音が、あの言葉と共鳴する。カッティングの鋭さが、「それでも鳴らし続ける」という意志として聴こえてくる。
音楽と言葉は、互いを強くする。
ぼくはギタリストだ。歌詞を持たない。言葉なしで何かを伝えようとしてきた45年間だった。だからこそ、今回の体験は少し複雑な感慨をともなう。
信念は、言葉だけに宿るのではない。音にも宿る。
そしてその信念が、時に言葉を超えて届くこともある——ぼくはそれを信じてギターを弾き続けてきた。谷口鮪の音は、その信念をあらためて確認させてくれた。
言葉がなければ、この音には出会えなかった。しかし出会った後は、言葉なしでもこの音は鳴り続ける。
Part5|ヌータロー視点——支持するということ

「支持する」とは、どういうことだろう。
谷口鮪の投稿を読んで、ぼくは「この人を支持したい」と思った。しかしその気持ちを言葉にしようとしたとき、「支持する」という言葉の輪郭がぼんやりしていることに気づいた。
賛同することか。同じ意見を持つことか。リポストして拡散することか。
おそらく、そのどれでもない。
ぼくが「支持したい」と思ったのは、谷口鮪の政治的立場ではなく、「語ることを選んだ」という行為そのものに対してだ。語る内容への賛否ではなく、語るという選択への敬意——それがぼくの言う「支持」に近い。
この連載を通じて、ぼくはさまざまな「語り方」を見てきた。
SUGIZOは継続して語り続けた。小泉今日子は祈るように語った。布袋寅泰は語って、削除した。浜田省吾は歌詞の中だけに語る場所を限定した。そして谷口鮪は、祈りの言葉で、平和への願いを届けた。
前回までに見てきたアーティストたちも含め、五者五様の方法論があった。代償も、受け取られ方も、それぞれ違った。しかしぼくが一貫して感じてきたのは、「語ることを選んだ者は、何かを賭けている」ということだ。
炎上するかもしれない。ファンを失うかもしれない。仕事に影響するかもしれない。それでも語ることを選んだ——その「それでも」の部分を、ぼくは尊重したい。
ではぼく自身はどうか。
ステージで政治を語ったことは一度もない。45年間ギターを弾いてきて、マイクに向かって社会への怒りや願いを叫んだことは、一度もない。
浜田省吾について書いたとき、同じ問いの前に立った。そして今また、谷口鮪の音楽を聴きながら、同じ問いが戻ってくる。
ぼくは、語っていないのか。
語っていないとすれば、それは意志的な沈黙なのか。それとも、語る場所をまだ見つけられていないだけなのか。
問いだけが、また増えた。
語ることへの恐れが、どこかにあったのかもしれない。炎上への怖さではなく、もっと内側の恐れ——「自分の言葉では、語る場所が見つからない」という感覚のようなもの。ギターなら弾ける。でも言葉となると、急に自信を失う。
谷口鮪の「祈り」は、そのぼくに何かを問いかけてくる。
言葉がなくても、音で語れているか。45年間の音は、何かを届けてきたか。届けてこられなかったとしたら、これからどうするのか。
ただひとつ、今のぼくに言えることがある。
語ることを選んだ者の声が、届くべき場所へ届くように——そのための場所として、この連載を続けたい。それがぼくにできる支持の形だ。
次回は、同じ夜に声を上げた、もう一人のギタリストについて書く予定です。ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文——谷口鮪と同じ危機意識を持ちながら、まったく異なる言葉で向き合ったギタリストの話を。
結び|ギターは今日も鳴っている
ぼくのギターは、今日も何も言わない。
言葉を持たないまま、45年間鳴り続けてきた。政治を語ったことも、平和を叫んだことも、一度もない。
でも今夜、谷口鮪のギターを聴いた。言葉に連れられてたどり着いた音が、ぼくの知らなかった場所へ連れて行ってくれた。
「語らない」が当たり前だった国で、また一人が口を開いた。その声は小さくないと、ぼくは思う。
祈りの言葉であっても、届く場所には確かに届く。その音がどこへ向かうのかは、まだわからない。でも鳴り続けることに、意味があると、ぼくは思う。
語り始めた者たちのギターが、今日も鳴っている。その音を聴きながら、ぼくはまだ、答えの出ない問いの前に立っている。
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