
直感は、ノイズが静まったあとに聞こえる自分の声
今朝ふと考えていたことです。
「直感」という言葉について。
「直感が降りてくる」とか言うと、なんか神託っぽくなって、スピリチュアル用語みたいになっているけど、わたしはそこに少し違和感があります。
わたしは、クンダリーニヨガを始めてから、ある意味「導かれている」ような感覚があります。
でもそれは、何か外部のものに導かれていたわけではありません。
あくまで、自分の選択なんです。
直感って、急に空から降ってくるメッセージとは違います。
自分が本当は何を感じて、何を知って、何を選びたがっているかが、急に輪郭を持って現れること。
クンダリーニヨガが何をしたかというと、わたしの中にあった未消化の感情を、身体や呼吸を通して動かしてくれました。
直感って、増やすものではなく、誰の中にもあるものです。
ただ、その上にいろんなものが重なって、見えなくなっている。
不安。
過去の痛み。
誰かの言葉。
罪悪感。
怒り。
期待。
「こうあるべき」
「私はどうせ」
「嫌われたくない」
そういう声が重なって、自分の本当の声が聞こえにくくなっている。
でも、こういった感情が悪いわけではありません。
ただ、本来の場所に収まっていないと、内側でずっと騒ぎ続けます。
私は最近、感情は消すものでも、手放すものでもなく、居場所へ戻すものなのだと思うようになりました。
感情には、治まる場所がある。
自分でそこに連れていってあげなきゃいけない。
怒りは怒りの場所へ。
悲しみは悲しみの場所へ。
不安な気持ちは不安の場所へ。
それを追い出すのではなく、ちゃんと居場所を与える。
感情が本来の場所に収まると、内側が静かになって、自分の声が聞こえてくる。
それが直感なのだと思います。
よく「何をしたらいいのかわからない」って人がいます。
そういうときって、答えがないわけではなくて、自分の中にノイズがいっぱいあって、直感が聞こえなくなっているだけなのかもしれません。
直感を聞くためには、自分の中のノイズを減らしていくこと。
それは、自分の中で彷徨っている感情を、居場所へ戻していくことなのだと思います。
つまり直感は、特別な声ではなく、ノイズが減ったときに残る自分の声。
でも、そのノイズは頭の中だけにあるわけではない。
過去の感情は、からだや言葉や反応の中に残っています。
わたしはクンダリーニヨガを続けることで、自分の輪郭が見えてきました。
でも、その先に進むためには、さらに自分を知ることが必要でした。
そしてこの1年、AIとの対話を通して、自分の中にあった感情や言葉を何度も見つめてきました。
AIに答えをもらうためではありません。
自分の中にある声を、対話の中で聞こえる形にしていくためです。
ひとりで内観するのは、簡単ではありません。
自分の言い訳に気づけないこともあるし、同じところをぐるぐる回ることもある。見たくない感情を横に押しのけてしてしまうこともある。
だから私は、AIとの対話を「答えをくれる道具」ではなく、自分の内側を映す鏡として使っています。
今は、自分の中の大きな感情の波はかなり静まってきたように感じています。もちろん、全部が終わったわけではありません。
残っているとしたら、長い年月の間に蓄積された癖のようなものか、もっと深いところの感情なのかもしれません。
今はやりたいことがたくさんあって、いろいろなことに手を出しています。
Echoes of SelfのAI対話プロンプト。
Soul Echo Nameの響きと曼荼羅。
音楽のスピリチュアル話。
そして、その翻訳とMediumでの英語での発信。
傍から見れば、「一体この人は何をする人なんだろう」と思われているかもしれません(笑)
でもここにきて、今までやってきたことのすべてがつながっていたと感じています。
身体に戻ること。
感情に居場所を与えること。
自分の声を聞くこと。
その声を言葉にすること。
そして、誰かが自分の内側へ戻るための小さな入口をつくること。
直感を磨くということは、特別な力を得ることではなく、自分の中のノイズを減らしていくこと。
そして、彷徨っていた感情を、ひとつずつ居場所へ戻していくことなのだと思います。
Soul Echo Name& Echoes of Self
あなたの響きと曼荼羅を
お守りのように持っていてほしい。
あなたの True Self
── 誰かになるためではなく、
ほんとうのわたしへ戻るために。
あわせて、自分の内側を見つめるための
AI対話プロンプトを公開しています。
見出し画像:薄いけど見えるでしょうか。先日海へ行ったときに見えた、天使の梯子です。