
香りを感じられる“わたし”でいたいんだ。
金木犀の香りがした。
それも、一箇所だけでなくて、複数の場所で。
***
金木犀の香りを好む人が、多いらしい。
――ということは、各方面の人が話していたのを聞いて知っている。
でも、実のところ、わたしは最近まで、リアルな金木犀の香りを知らなかった。
どんな香りだろう?と思って、この季節に出る芳香剤売り場へ向かって嗅いでみるけれど、いまいちピンとこなかった。
買って帰ることはしなかった。
夫が、「金木犀の香りは、苦手だ」と、毎年言っていたから…。
***
自分で自分を保つことに必死な状態が続くと、気づかないうちに、五感がひとつずつ遠くなっていく。
わたしの場合、顕著に出るのは、嗅覚と視覚の欠如だ。
目の前にあるものを見ているようで、見ていない。
いつも通っている道に、季節の花が咲いていても気づかない。
いい香りがしていても、「なんの香りだろう」と立ち止まることもない。
ただ、目的地へ向かう。
ただ、今日を終わらせる。
そんなふうに、目の前のものを受け取る余白さえなくなっていく。
だから、この前、金木犀の香りを感じた自分に、少しだけ驚いた。
「あ、これが金木犀…!?」
そう思って、足を止めた。
再び歩き始めた先でも、また香った。
「この近くでも、咲いてるの?」
つい、周りを見渡した。
そのまま歩いていたら、いつもの道が、いつもと少し違って見えた。
きっと、去年も、その前も、同じように咲き、香っていたのだろう。
ただ、わたしが気づけなかっただけなのだと思う。
“感じる”ということは、きっと日常を大切にすること。
ほんの少し立ち止まって、風に乗ってきた香りを受け取る。
そんな瞬間だけでも、いいのかもしれない。
とはいえ、
目の前のことをこなして、今日を無事に終わらせる。これしかできない日だってある。
それはそれで、わたしがこの社会で暮らすのに必要な時間なのだ。
でも、ずっとそのままでは、きっと少し寂しい。
道端の花に気づいたり、
空模様を見るために足を止めたり、
どこからか漂ってくる香りに、「なんだろう」と思えたり。
そんな小さなことを、小さなまま受け取れる余白は、ちゃんと残しておきたい。
何かを頑張るためではなくて。
自分を変えるためでもなくて。
ただ、今日の自分が見つけたものを、その時の気持ちのまま、そっと受け取れるように。
季節の香りを感じられる“わたし”でいたい。
この記事は、3時のおやつさんの企画
#秋のお便りnote に参加させていただきます。
↓ 企画については、3時のおやつさんの記事をご参照ください。
2度目の参加となります。
前回は、幼少の自分に宛てたお手紙スタイルの記事でした。
3時のおやつさんの企画なので、食にまつわるものを書きたいな✨️と思いつつ…
なぜかいつも浮かぶのがこういう光景のお話で。
期間内に間に合ったら、食のお話も書きたいなあ…と思っているところです。
3時のおやつさん
いつもありがとうございます♪
どうぞよろしくお願いいたします🍁🍠🎃✨️
