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0.946と0.203のあいだーー集計データで判断するとどんな間違いをしでかすのか

    『歴史で学ぶ統計学』第1回――ロビンソンの生態学的相関論と「生態学的誤謬」の再検討

    一つの点は誰なのか

    1930年の合衆国国勢調査から、国勢調査局の定める九つの地理区分(division)ごとに二つの割合を計算し、散布図に描く。横軸は10歳以上人口に占める黒人(当時の分類では Negro)の割合、縦軸は同じ人口に占める非識字者の割合である。九つの点は右上がりに並び、各区分の人口で重みづけしたピアソン相関係数は0.946になる。同じ人々を、地域ではなく一人ひとりを単位として「黒人か白人か」「読み書きができるか否か」の四分表に数え直すと、相関係数は0.203まで下がる[1]。

    散布図の一つの点は一人の人間ではなく、数百万人をまとめた一つの地域である。0.946は地域についての数であり、0.203は個人についての数である。二つの数は同じ国勢調査の同じ人々から計算されているのに、これほど違う。この落差を正面から取り上げたのが、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の社会学者W・S・ロビンソン(William S. Robinson, 1913–1996)が1950年に American Sociological Review 誌に発表した論文「生態学的相関と個人の行動(Ecological Correlations and the Behavior of Individuals)」である[2]。

    この論文はのちに「生態学的誤謬(ecological fallacy)」の古典として、社会学、政治学、地理学、疫学で繰り返し引用されてきた。2009年には International Journal of Epidemiology 誌が全文を再録し、同じデータの再分析論文と複数の論評を併載した[3]。論文が実際に示したこと、示していないこと、そして後年に見つかった誤りまでを並べると、「集団の数字を個人に当てはめるな」という標語よりもずっと込み入った問題が現れる。

    1950年の問題設定

    ロビンソンはまず二種類の相関を区別する。個人相関(individual correlation)は、統計的対象がそれ以上分割できない単位、つまり人である相関であり、変数は身長、所得、目の色、人種といった個人の記述的性質である。生態学的相関(ecological correlation)は、統計的対象が人の集団である相関であり、変数は割合や平均といった集団の記述的性質である[4]。ここでの「生態学的」は自然環境を指すのではなく、地域を単位とする社会学的分析の呼び名である。

    ロビンソンの議論の出発点は、方法の誤りそのものというより、研究慣行の観察にある。彼は、生態学的相関に依拠する量的研究が相当な数にのぼり、その一部はすでに古典の地位を得ていると述べ、気候と肺結核、シカゴの大統領選挙の投票、女性の投票行動、都市間の犯罪の差、非行地域、都市の子ども女性比、出生率の地域差などを扱った研究を列挙した。そのうえで、これらの研究の明白な目的は地域の性質どうしの相関を知ることではなく個人の行動について何かを知ることであり、生態学的相関が使われるのは個人の性質どうしの相関が手に入らないからにすぎないと指摘し、「いずれの場合も、この置き換えは明示的にではなく暗黙のうちに行われている」と書いた[5]。

    問題の核心は、この暗黙の置き換えにある。地域の割合どうしの相関を計算すること自体は誤りではない。誤りが生じるのは、その数を個人についての相関の代わりとして読むときであり、しかもその読み替えが宣言されないまま行われるときである。

    周辺度数は内側を決めない

    ロビンソンは、二つの相関の構造上のつながりを、九つの地理区分それぞれの四分表で示した。論文の表2には、紙幅の都合でニューイングランド、中部大西洋、東北中部、太平洋の四区分だけが掲載されている。たとえばニューイングランドでは、10歳以上の黒人7万6千人のうち非識字者が4千人、白人662万6千人のうち非識字者が24万人である[6]。

    個人相関は、九つの四分表の内側の度数(セル度数)を足し合わせた全国の四分表から計算される。全国表(表1)では、黒人の非識字者151万2千人、白人の非識字者240万6千人、黒人の識字者778万人、白人の識字者8,557万4千人で、総数は9,727万2千人である。一方、生態学的相関は、各区分の黒人割合と非識字率、すなわち各四分表の周辺度数だけから計算される。ロビンソンの要約では、個人相関は区分内の表の内側の度数に依存し、生態学的相関は周辺度数に依存する。そして四分表の周辺度数は内側の度数を決めない。したがって「個人相関と生態学的相関のあいだに、対応がなければならない理由はない」[7]。

    ここで見落とせないのは、表2そのものも集計表だという点である。九つの四分表は、何千万人もの個人を区分ごとに数え上げた集計にほかならない。それでも表2からは区分内の個人相関が計算でき、全国の個人相関も復元できる。人種と識字の同時度数が保存されているからである。生態学的相関の計算に使われるのはそのうちの周辺度数だけであり、同時度数は捨てられている。問題は集計することそのものではなく、集計の過程でどの情報が失われたかにある。

    この論理は、仮想の例で確かめるとわかりやすい。生徒100人ずつの二つの学校があり、A校では運動部員が40人、数学の試験の合格者が20人、B校では運動部員が20人、合格者が10人だとする。学校を単位に見れば、運動部員の割合が高い学校ほど合格率が高い。点が二つしかないので、学校単位の相関は機械的に1になる。

    しかし、この学校別の数字と矛盾しない個人の配置は一通りではない。両校とも合格者が全員運動部員だったとすれば、二校を合わせた200人についての個人相関(四分点相関)は約0.64になる。両校とも合格者が全員運動部員以外だったとすれば、個人相関は約−0.28になる。各校の内部で部活動と合否が独立だったとすれば、各校内の相関は0であり、二校を合わせても約0.03にとどまる[8]。学校ごとの人数という同じ周辺度数から、正にも負にもほぼ無相関にもなる個人の関係が生じうる。

    ロビンソンの全国データに同じ考え方を当てはめると、周辺度数の情報がどれほど弱いかが数値で見える。全国の周辺度数(黒人929万2千人、非識字者391万8千人、総数9,727万2千人)だけを固定し、黒人の非識字者数を理論上可能な最小値0から最大値391万8千人まで動かすと、個人相関は

    −0.067≤r≤0.630-0.067\le r\le 0.630

    の範囲のどこにでもなりうる。論文に掲載された四区分の周辺度数と、残り五区分をまとめた周辺度数を条件に加えても、上限が0.600に下がるだけで下限は変わらない[9]。観察された0.203は、この広い区間の中の一点にすぎない。

    ただし、この区間は無力ではない。上限が0.630である以上、全国表の内側の度数を一つも知らなくても、個人相関が生態学的相関0.946と一致することはありえないと断定できる。周辺度数は個人相関を一つに決めることはできないが、ある主張が不可能であることを示すには足りる。周辺度数と矛盾しない範囲を求めるこの発想は、のちにダンカンとデーヴィスが示す方法の核心にあり、今日では部分識別(partial identification)の考え方として位置づけられている。

    恒等式が語ること

    ロビンソンは、二つの相関の関係を一つの式で表した。導出は紙幅の都合で省かれ、希望者は返信用の封筒を送れば写しを受け取れると脚注に記されている[10]。式は、分散分析の分解から次のように再構成できる。

    個人 ii が地域 jj に属し、地域 jj の人数を njn_j、二つの変数を xijx_{ij}、yijy_{ij}、地域平均を xˉj\bar{x}_j、yˉj\bar{y}_j、全体平均を xˉ\bar{x}、yˉ\bar{y} とする。黒人であることを1、そうでないことを0とすれば、地域平均 xˉj\bar{x}_j は地域の黒人割合そのものになる。全体の偏差積和は、地域間の部分と地域内の部分に分かれる。

    STXY=SBXY+SXYWS^{T}{XY}=S^{B}{XY}+S^{W}_{XY}

    SBXY=∑jnj(xˉj−xˉ)(yˉj−yˉ),SWXY=∑j∑i(xij−xˉj)(yij−yˉj)S^{B}{XY}=\sum{j}n_j(\bar{x}j-\bar{x})(\bar{y}j-\bar{y}),\qquad S^{W}{XY}=\sum{j}\sum_{i}(x_{ij}-\bar{x}j)(y{ij}-\bar{y}_j)

    平方和も同様に分かれる。全体の個人相関 rr、人口で重みづけした生態学的相関 rer_e、地域内相関 rwr_w は、それぞれ全体、地域間、地域内の偏差積和と平方和から計算される相関である。さらに、変数 XX の平方和のうち地域間の差が占める割合を相関比の2乗 ηXA2=SBXX/STXX\eta_{XA}^2=S^{B}{XX}/S^{T}{XX} で表す(添字の AA は地域を表す)。YY についても同様に ηYA\eta_{YA} を定める。相関比が0でも1でもない、つまり地域のあいだにも地域の内側にも変動がある場合、三つの相関のあいだに次の恒等式が成り立つ。

    r=ηXAηYA,re+1−ηXA2,1−ηYA2,rwr=\eta_{XA}\eta_{YA},r_e+\sqrt{1-\eta_{XA}^2},\sqrt{1-\eta_{YA}^2},r_w

    これを rer_e について解いたものが、ロビンソンの式である[11]。

    re=k1r−k2rw,k1=1ηXAηYA,k2=1−ηXA2,1−ηYA2ηXAηYAr_e=k_1r-k_2r_w,\qquad k_1=\frac{1}{\eta_{XA}\eta_{YA}},\qquad k_2=\frac{\sqrt{1-\eta_{XA}^2},\sqrt{1-\eta_{YA}^2}}{\eta_{XA}\eta_{YA}}

    ロビンソンは言葉のうえでは、生態学的相関を個人相関と地域内相関の「重みつきの差」と表現し、rwr_w を各地域内の個人相関を集団の大きさで重みづけした平均と説明している。しかし上の恒等式が厳密に成り立つのは、rwr_w を次のように定義した場合に限られる。

    rw=∑jSWXY,j∑jSWXX,j,∑jSYY,jWr_w=\frac{\sum_{j}S^{W}{XY,j}}{\sqrt{\sum{j}S^{W}{XX,j},\sum{j}S^{W}_{YY,j}}}

    ここで SXY,jWS^{W}_{XY,j} は地域 jj の内側での偏差積和である。各個人の値から所属地域の平均を引いた残差どうしの相関、と言い換えてもよい。地域ごとの相関係数を先に計算して平均するのではなく、平方和と積和を先に合算する。この違いは細部に見えて、数値には無視できない差を生む。後で用いる五区分の計算では、区分ごとの相関を人口で重みづけ平均すると約0.125、合算した平方和と積和から計算した地域内相関は約0.190になる[12]。

    等しくなる条件

    生態学的相関が個人相関に等しくなる条件は、上の式から rw=k3rr_w=k_3r と書ける。

    k3=1−ηXAηYA1−ηXA2,1−ηYA2k_3=\frac{1-\eta_{XA}\eta_{YA}}{\sqrt{1-\eta_{XA}^2},\sqrt{1-\eta_{YA}^2}}

    ロビンソンは k3k_3 の最小値が1であると述べた[13]。これは次の計算から確かめられる。

    (1−ηXAηYA)2−(1−ηXA2)(1−ηYA2)=(ηXA−ηYA)2≥0(1-\eta_{XA}\eta_{YA})^2-(1-\eta_{XA}^2)(1-\eta_{YA}^2)=(\eta_{XA}-\eta_{YA})^2\ge 0

    したがって k3≥1k_3\ge 1 であり、等号は二つの相関比が等しいときに限られる。r>0r>0 のとき、生態学的相関が個人相関に等しくなるには、地域内相関が全体の個人相関と同じか、それより大きくなければならない。逆に rw<k3rr_w<k_3r ならば、生態学的相関は個人相関より大きくなる。ロビンソンは、比較的等質な下位集団の内部で二変数の相関が全体より大きくなるという証拠はどこにもないとして、等価性の仮定には「事実上の根拠がない」と結論した[14]。

    この最後の一歩は、数学ではなく経験的な一般化である。恒等式そのものは、rwr_w が rr を上回る状況を排除しない。ロビンソン自身のデータの範囲では、この一般化は成り立っている。表2に掲載された四区分の地域内相関は、ニューイングランド0.009、中部大西洋0.002、東北中部0.036、太平洋0.015で、いずれも全国の0.203よりはるかに小さい[15]。ただし、小さいのはφ(二値変数どうしのピアソン相関)という一つの指標の値であり、格差が小さいことを意味しない。東北中部では、黒人の非識字率は白人の約2.4倍あった。

    増幅器としての生態学的相関

    恒等式は、生態学的相関がなぜ大きくなりやすいのかも教える。ロビンソンの式は次のように書き換えられる。

    re=k1(r−rw)+(k1−k2),rwr_e=k_1(r-r_w)+(k_1-k_2),r_w

    右辺第一項では、全体の相関と地域内相関の差 r−rwr-r_w に k1=1/(ηXAηYA)k_1=1/(\eta_{XA}\eta_{YA}) が掛かる。相関比が小さい、つまり個人の違いのほとんどが地域の内側にあるとき、k1k_1 は非常に大きくなり、わずかな差が大きく引き伸ばされる。

    ロビンソンの表から具体的に計算してみる。論文は九区分のうち四区分の表しか掲載していないので、全国表から四区分を差し引いた残りを一つの「残余区分」とみなし、五区分で恒等式を検算する[16]。この五区分では、黒人であるか否かの平方和のうち地域間の差が占める割合は ηXA2≈0.062\eta_{XA}^2\approx 0.062、非識字であるか否かの平方和のうち地域間の差が占める割合は ηYA2≈0.007\eta_{YA}^2\approx 0.007 である。個人の非識字の違いのうち、地域のあいだにある部分は1%にも満たない。生態学的相関は、この薄い層だけから計算される。

    このとき k1≈47.6k_1\approx 47.6、k2≈46.0k_2\approx 46.0、全体の相関 r≈0.202r\approx 0.202、地域内相関 rw≈0.190r_w\approx 0.190 であり、生態学的相関は

    re≈47.6×0.013+1.66×0.190≈0.61+0.31≈0.92r_e\approx 47.6\times 0.013+1.66\times 0.190\approx 0.61+0.31\approx 0.92

    となる。0.013という小さな差が約48倍に拡大され、生態学的相関の大半をつくっている。生態学的相関が個人相関と等しくなるには、k3≈1.014k_3\approx 1.014 から、地域内相関が約0.205でなければならなかった。実際の地域内相関0.190との差はわずか0.016ほどだが、その差が0.2と0.9の違いとして現れる。九区分での値0.946と五区分での値0.921は区分の仕方が違うので一致しないが、同じ構造が働いている。生態学的相関は、個人水準の関係の縮尺模型ではなく、地域のあいだに分布した小さな分散成分についての別の量である。

    同じ恒等式を個人相関の側から読むと、全体の相関がどう組み立てられているかも見える。五区分では、右辺の地域間の成分 ηXAηYAre\eta_{XA}\eta_{YA}r_e が0.019、地域内の成分が0.183で、その和が全体の0.202になる。全国の個人相関は、区分ごとの相関を平均したものではない。地域間の成分と地域内の成分の和であり、地域内の成分も、区分ごとの平方和と積和を合算した結果である。

    この書き換えは、二つの相関の差が代数的にどこに現れるかを示すものであって、差の原因を特定する因果的な説明ではない。rr、rwr_w、相関比は、同じ同時分布から同時に決まる量であり、どれか一つだけを動かすことはできない。非識字の平方和のうち地域間にある部分が1%に満たないという事実も分散の配分についての記述であり、地域の制度が非識字にとってどれほど重要だったかの尺度ではない。

    区分の粗さと係数の大きさ

    ロビンソンは、同じ変数でも区分が粗いほど生態学的相関が大きくなる傾向を指摘し、ゲールケとビールが1934年に国勢調査区(census tract)の資料で、係数の大きさと地域の平均的な大きさのあいだの正の関係を報告していたことに触れた[17]。彼自身の数値では、黒人割合と非識字率の相関は州単位で0.773、九区分で0.946、外国生まれの割合と非識字率の相関は州単位で−0.526、九区分で−0.619であった。

    ロビンソンは恒等式からこの傾向を説明した。小地域を統合すると、地域内の異質性が増して地域内相関が大きくなり、これは生態学的相関を下げる方向に働く。同時に、地域内でのXとYの値の等質性が下がって相関比の積が小さくなり、これは生態学的相関を上げる方向に働く。彼は、相関比の変化の影響のほうがはるかに大きいので、統合が進むと生態学的相関の絶対値は大きくなると論じた[18]。これも恒等式から論理的に導かれる定理ではなく、典型的な状況についての見立てである。区画の切り方しだいで係数がどこまで動きうるかは、のちに地理学で本格的に検討されることになる。

    符号が逆転するとき

    黒人割合と非識字の例では、二つの相関は大きさこそ違え、符号は同じ正であった。ロビンソンはもう一つ、符号の向きがあらかじめ予想できる例として、出生(nativity)と非識字の関係を示した。彼は、外国生まれの人の教育水準は本国生まれの人より低いことが知られているので、両者には正の相関があるはずだとし、全国の四分表(外国生まれの非識字者130万4千人、本国生まれの非識字者261万4千人、外国生まれの識字者1,191万3千人、本国生まれの識字者8,144万1千人)から個人相関0.118を得た。ところが九区分での生態学的相関は−0.619、州単位では−0.526と、符号が逆になる[19]。

    ただし、この四分表の二つの区分は、名前どおりの「外国生まれ」と「本国生まれ」ではない。表3の総数は表1と同じ黒人と白人の合計であり、「外国生まれ」は外国生まれの白人、「本国生まれ」は本国生まれの白人と黒人を合わせた集団である。黒人は出生地で区別されていない。2009年の再分析を行ったスブラマニアンらは、ロビンソンの二つの変数、すなわち「本国生まれの白人と黒人」対「外国生まれの白人」という出生の区分と、「本国生まれと外国生まれの白人」対「黒人」という人種の区分のどちらも、本国生まれと外国生まれの白人のあいだ、本国生まれの白人と黒人のあいだに非識字率の大きな差がある以上、誤解を招くと指摘している。彼らの集計では、非識字率は本国生まれの白人1.48%、外国生まれの白人9.85%、黒人16.27%であった[20]。非識字率の高い黒人が比較の基準の側に入っているため、0.118は、出生の区別と人種の区別が重なった変数についての相関になっている。黒人を除いて外国生まれの白人と本国生まれの白人だけを比べると、φは0.184、オッズ比は7.30になり、再分析が州を考慮しないモデルで報告した外国生まれの白人のオッズ比7.31とほぼ一致する[21]。個人水準の相関もまた、誰を比較の基準の側に置くかによって変わる。

    外国生まれの白人は、本国生まれの住民の識字率が高い州に多く住んでいた。そのため州を単位にすると「外国生まれの割合が高い州ほど非識字率が低い」という関係が現れるが、それは個人としての移民の識字について何も保証しない。しかも、ロビンソンがデータを取った国勢調査報告の非識字の章そのものが、この構造を書き留めていた。報告は、本国生まれの白人と外国生まれの白人の非識字率を公平に比べるには、各州の都市ごと、都市部と農村部ごとの統計を見るべきだと注意し、その理由として、本国生まれの白人のはるかに大きな割合が学校への通学が都市ほど一般的でない農村に住んでいること、農村の外国生まれの白人の大半は農村でも教育施設が比較的よい州に住んでいることを挙げていた[22]。フリードマンは、集計によって個人水準の関係が容易に反転しうることをロビンソンが示したとし、これを相関係数についての「シンプソンのパラドックス」と呼んでいる[23]。黒人割合の例が関係の強さの違いを示したのに対し、この例は関係の向きそのものが入れ替わりうることを示した。そして、その反転を生む地理的な偏りは、データの出どころである報告書の本文に、すでに言葉で記されていた。

    名前の来歴

    ロビンソンの論文には、「誤謬(fallacy)」という語は一度も出てこない。論文が用いるのは「生態学的相関」「個人相関」「等価性の仮定」といった語である。「生態学的誤謬」という名称は、社会学者セルヴィン(Hanan C. Selvin)が1958年にデュルケーム『自殺論』の実証方法を検討した論文で明示的に用いており、後年の文献ではこの名称は広くセルヴィンに帰されている[24]。セルヴィンはその論文で、集団の平均や割合から計算した関連を個人データから得られる関連の妥当な推定とみなす誤りに社会学者の注意を最初に向けたのはロビンソンだ、と書いている。発表から8年で、ロビンソンの論点は社会学の古典を読み直す基準として使われていたことになる。

    セルヴィンが挙げた例は具体的である。デュルケームは、フランスの県ごとの自殺率が「独立の資産で暮らす人々」の割合とともに変わることを報告した。しかしこの県単位の関連は、自殺した人が誰も資産をもっていなかったという仮説とも、全員が資産をもっていたという仮説とも両立する。セルヴィンは、この種の分析についてはデュルケームが生態学的誤謬を犯していたと判定する一方、比較を個人データにまで下ろせた場合には集団について立てた仮説が個人データでも確かめられており、そこに生態学的誤謬はないとも述べている[25]。『自殺論』は、宗教構成の異なる国や地域の自殺率の比較などを通じて、のちにこの種の推論の例としてたびたび取り上げられるが[26]、その実証方法の全体が一種類の誤謬に還元されるわけではない。さらに、デュルケームの説明の対象が個人の自殺ではなく社会環境ごとの自殺率であったと読むなら、県や国を単位とする比較は、問いと同じ水準のデータを用いていることになる。何が誤謬かは、データの形式だけでなく、何を説明しようとしているかによって決まる。

    問題の発見そのものも、ロビンソンが最初ではない。心理学者ソーンダイク(Edward L. Thorndike)は1939年に「集団について見いだされた相関を、それを構成する個人やより小さな集団に帰属させる誤謬について」と題する3ページの論文を発表し、ある都市の12の地区について、知能指数と住居の混み具合(1人あたりの部屋数)の仮想的な得点を用いて、地区平均どうしの相関を個人に帰属させることの誤りを論じた[27]。ロビンソンは区分の大きさと係数の関係についてはゲールケとビールを引いたが、ソーンダイクの論文は引用していない[28]。

    ロビンソンの論文が古典となったのは、問題を最初に指摘したからではなく、二つの相関の関係を一つの式に書き下し、当時の代表的研究の多くが依拠していた慣行に正面から疑問を突きつけたからだと考えられる。受容の大きさについては後年の証言がある。ファイアボーは事典の項目で、この論文の影響は誇張しがたいほど大きく、生態学的相関で個人水準の関係を調べる慣行は論文以前には普通だったが論文がそれを急激に減らし、個人データの必要を説いたことで調査研究(サーベイ)の発展を促したとも述べている。2008年6月の時点で、論文は1,150回以上引用されていた[29]。論文自体は、この結論が深刻な帰結をもち、近年の重要な研究の多くの妥当性に疑いを投げかけるものであることを自覚しつつ、「今後、意味のない相関が計算されることを防ぎ」、個人の性質どうしの意味のある相関を用いた研究を促すことができれば目的は達せられた、と結ばれている[30]。発表の同年には、同じ誌上にメンゼル(Herbert Menzel)によるコメントが掲載されており、議論はすぐに始まっていた[31]。

    結論の射程

    ロビンソンの結論は明快である。生態学的相関は個人相関の代わりとして有効に使えるか。「使えない」。理論上は両者が等しくなることもありうるが、その条件はふつう出会うデータの状況からかけ離れており、実際上は、生態学的相関が対応する個人相関に等しくないとみなすのが唯一の合理的な仮定である[32]。

    ただし、この結論が射程に収めているのは、生態学的相関を個人相関の代用品として使う場合である。地域の性質どうしの関係そのものが関心の対象である研究まで無意味だとは、論文は論証していない。それでも「意味のない相関」という結びの言葉は、地域単位の分析一般への不信として受け取られやすかった。2009年の論評でファイアボー(Glenn Firebaugh)は、ロビンソンには多くの解釈者がいるため、彼が実際に言ったことと、その戯画とを区別するのが難しい場合があり、解釈者が「ロビンソン以上にロビンソン的」になっている例もあると述べ、わずか7ページの原論文を自分で読むよう勧めている。ロビンソンを最も厳しく批判したスブラマニアンらでさえ、彼の結論は生態学的相関を個人相関の代用品として日常的に使っていた研究者に向けた狭い射程のものだったと弁護の余地を認め、彼の動機ははるかに狭く技術的なものだったと述べている[33]。

    60年後に見つかった誤り

    2011年、te Grotenhuis、Eisinga、Subramanian の三人は、ロビンソンの原資料である1930年国勢調査報告(1933年刊)の表に立ち返り、州単位の分析に誤りがあることを報告した[34]。

    第一の問題は、比較する人口の食い違いである。ロビンソンの表1、表2、図1の総数(約9,727万人)は、国勢調査が報告する総数98,723,047人より少ない。te Grotenhuisらによれば、ロビンソンは黒人以外の非白人、すなわちメキシコ系、先住民、中国系などに分類された1,449,824人を除外し、黒人と白人だけを対象にしていた。除外された人々のうち362,643人、約25%が非識字者であり、これは白人(2.7%)、外国生まれの白人(9.9%)、黒人(16.3%)のいずれの非識字率よりも高い。しかも除外された人々は山岳区分、とりわけニューメキシコ州とアリゾナ州に集中していた[35]。

    九区分の分析では、ロビンソンは黒人と白人だけの四分表から周辺度数を集計したので、個人相関と生態学的相関は同じ人口に基づいていた。ところが州単位の図2では、黒人以外の非白人も含む州全体の割合を用いながら、個人相関のほうは黒人と白人だけの表のままだった。アリゾナ州の非識字率は、全人口では10.1%(33,969人)だが、黒人と白人に限れば0.8%(1,877人)にすぎない。ニューメキシコ州では13.3%と7.7%である。資料となった国勢調査の表は、各州の全人口の非識字率を示す一方で、人種別の小計が総数に一致しないことを注記していなかった[36]。

    第二の問題は重みである。ロビンソンは、重みつきと重みなしの生態学的相関の差は無視できると書き、九区分では実際にそうだった(0.946と0.944)。しかし州単位の0.773は重みなしで計算されていた[37]。重みなしの相関は州を1州1票で扱う量であり、それ自体が誤った統計量なのではない。問題は、個人水準の平方和の分解に対応し、恒等式を通じて個人相関と結びつくのは人口で重みづけした相関だけだという点にある。個人相関と並べて比べるなら、重みをそろえなければならない。

    黒人以外の非白人を除いて重みなしで計算し直すと、州単位の相関は0.874、さらに人口で重みづけすると0.913になり、この値はロビンソンの恒等式とも整合する。出生と非識字については、州単位の−0.526が、重みづけで−0.509、黒人以外の非白人の除外でさらに−0.462になった。重みの影響は、ほぼアリゾナとニューメキシコの二州によるものだという[38]。なお、2009年の再録版には、これとは別に式(1a)(1b)(2a)の誤植があり、2011年に正誤表が出ている。1950年の分析上の誤りと、再録時の組版の誤りは別の問題である[39]。

    この訂正は二つのことを示している。第一に、論文の中心的な主張、すなわち集団と個人の相関が大きく異なりうるという点は揺るがない。黒人割合と非識字の州単位の相関は、訂正によってむしろ0.203から遠ざかった。te Grotenhuisらも、誤りはロビンソンの方法論上の貢献を変えないと述べている[40]。

    第二に、区分が粗いほど生態学的相関が大きくなるという傾向の例証は、数値の意味が変わる。黒人割合と非識字では、州0.773と九区分0.946の差は、訂正後には0.913と0.946の差に縮む。出生と非識字では逆に、州−0.462と九区分−0.619の差は訂正前より広がる。どちらの組でも粗い区分のほうが絶対値は大きく、傾向の向きは保たれる。しかしロビンソンが示した差の大きさの一部は、集計の効果ではなく、データの不整合と重みの扱いから生じていた。

    この誤りの性質そのものも示唆的である。二つの水準の数字を比べることの危うさを説いた論文が、州の水準と個人の水準とで、異なる人口を数えていた。二つの係数を比べる前に確かめるべきことは、具体的に列挙できる。対象年齢、地理的範囲、分類(誰をどの集団として数えたか)、不詳者の扱い、分母、そして重みである。ロビンソンの州単位の比較では、このうち分類と重みの二つが、個人相関の側と食い違っていた。同じ確認は再分析にも欠かせない。2009年の再分析でも、論文の表1に示された全国の集計から直接計算される黒人についての値と、州別のデータを用いたモデルや付録に示された全国の値とが一致しない箇所がある[41]。te Grotenhuisらは、最も引用され影響力のある方法論文の一つに含まれる誤りが60年以上見過ごされてきたことに驚きを示し、追試の価値を強調している[42]。

    「個人」とは誰か

    訂正が掘り起こしたのは計算の誤りだけではない。個人相関の「個人」が、どのように数えられた個人なのかという問いでもある。

    1930年の国勢調査では、人種は調査員が記入した。調査員への指示は、白人と黒人の混血の人は「黒人の血の割合がどれほど小さくても」黒人として報告すること、白人と先住民の混血の人は先住民の血の割合がごく小さい場合を除いて先住民として報告すること、メキシコ生まれの人またはメキシコ生まれの親をもつ人で、白人、黒人、先住民、中国系、日系のいずれとも明確に言えない人は「メキシコ系」として報告すること、白人と非白人の混血はすべて非白人の親の分類によって報告することを定めていた。メキシコ系を人種として数えたのは、後にも先にもこの年だけである[43]。非識字の側も操作的に定義されている。調査員は、10歳以上の人について、英語かどうかを問わず何らかの言語で読むことと書くことの両方ができる場合に「はい」と記入し、自分の名前を書けるだけの人を読み書きできるとして報告してはならなかった[44]。

    同じ時代の州法は、同じ区別を別の線で引いていた。フロリダ州法は黒人を「8分の1以上」のアフリカ系の血をもつ者と定義し、アーカンソー州法は「いかなる黒人の血」でももつ者を、ジョージア州法は黒人などの血の「確認しうる痕跡」をもつ者を有色とした[45]。国勢調査の全国一律の規則のもとで黒人と数えられた人が、州によっては法律上の白人でありえた。

    規則がどう書かれていたかと、実際にどう運用されたかも別である。ダンカンとトレホは、1930年の調査員がメキシコ系の祖先をもつ合衆国生まれの人々に対し、メキシコ系以外の人種、主に白人を、日常的に、しかも選択的に割り当てていたこと、そしてその割り当ての頻度が郡によって大きく異なっていたことを示している[46]。分類された集団の率は、住民の状態だけでなく、誰がどの分類に記録されたかにも依存する。ロビンソンの個人相関で「黒人であること」と「白人であること」を分けた線は、個人に内在する性質というより、当時の調査制度と分類規則が引き、調査員が運用した線である。メキシコ系や先住民を分析から外すという、計算上は些細に見える選択が、アリゾナやニューメキシコの数字を大きく動かした。個人水準のデータもまた、分類と集計の産物である。それは0.203を無意味にするのではない。0.203は、この分類のもとでのこの人口についての記述量としては有効であり、それ以上のもの、たとえば人種と識字の自然な関係として読むことができないだけである。

    ロビンソン自身の表は、全国の個人相関0.203がどのような量なのかについても手がかりを与える。掲載された北部と太平洋岸の四区分では、区分内のφはいずれも0.04未満である。これら四区分に住む10歳以上の黒人は全国の約19%にすぎず、残りの約81%は掲載されなかった五区分(西北中部、南大西洋、東南中部、西南中部、山岳)に住んでいた。この五区分を合算した表では、黒人の非識字率は19.2%、白人は2.9%、φは0.268である[47]。この合算表の内部にも五つの区分のあいだの違いが残っているので、五区分のそれぞれで同じ強さの関連があったとは言えないが、州単位の値はスブラマニアンらが付録に示している。ロビンソンと同じ区分による州ごとの個人相関は、ニューヨーク−0.012、コネティカット0.001、ネヴァダ0.001から、ミシシッピ0.302、サウスカロライナ0.305、アラバマ0.310まで分布する[48]。

    先に見たとおり、全国の0.203は区分ごとの相関の平均ではなく、地域間の成分と地域内の成分の和である。しかもその地域内の成分は、φのほとんど見えない州と0.3を超える州とを、平方和と積和の段階で足し合わせたものである。0.203は、人種と非識字のあいだの普遍的な「個人の行動」の関係を測った定数ではなく、1930年のこの人口が地理的にどう分布していたかに依存する、合算表の記述量である。

    指標の選び方も判断を左右する。四区分の小さなφは、格差がなかったことを意味しない。東北中部では黒人の非識字率4.7%に対して白人は2.0%で、率の比は2.36、太平洋でも2.34である。非識字がまれな地域では、率が2倍を超えていてもφは0.04に満たない。全国表でも、φ0.203の背後にある率の比は5.95、オッズ比は6.91である。比較の基準も効く。同じ付録は、白人の側を本国生まれの白人に限った場合の州別の値も示している。北東部では、コネティカットが0.001から0.100に、マサチューセッツが0.011から0.094に、ニュージャージーが0.015から0.129に、ニューヨークが−0.012から0.055に変わる。一方、アラバマは0.310と0.310、サウスカロライナは0.305と0.305で、ほとんど変わらない[49]。北東部で「人種と非識字はほぼ無関係」に見えたのは、非識字率の高い外国生まれの白人を比較の基準の側に含めていたからである。関連が小さいかどうかという判断は、指標と基準集団の選択に依存する。

    そして、人種と読み書きの結びつきが強く現れる地域には、法によって公立学校の人種別学が定められていた南部諸州が含まれていた。ロビンソンは、二つの相関がともに正であることを「合衆国では黒人の教育水準が白人より低いという我々の知識と整合する」と書くにとどまり、その背後にある州の制度には踏み込まなかった。ロビンソンがデータを取った報告書の非識字の章は、各人種・出生の区分での非識字者の割合の違いは、合衆国のさまざまな地域で彼らに開かれてきた過去と現在の教育機会を反映している、と明言していた。スブラマニアンらは、ロビンソンも同時代の論者も、非識字と人種の相関を分析するうえで州水準の現象がもつ意味を問わなかったと指摘し、ロビンソンがそれを意図的に無視したと言うつもりはないと断ったうえで、論文の4年後の1954年に合衆国最高裁判所がブラウン対教育委員会事件の判決を下したことを付記している[50]。

    逆向きの誤り

    集団の関係を個人に移すことが誤りなら、個人の関係を集団や文脈に移すことも誤りになりうる。政治学者アルカー(Hayward R. Alker Jr.)は1969年、生態学的誤謬を含む水準間の推論の誤りを類型化し、イデオロギー的な動機をもつ社会科学者が個人の行動から集団の関係へと一般化しようとする誤りを「個人主義的誤謬(individualistic fallacy)」と呼んだ。彼は二つの誤謬を「水準横断的な誤謬」として同時に意識することが、水準をまたぐ過程を扱う分析への自然な関心につながると論じ、国や地域の要因が選挙行動を左右するのはいつか、それが局所的で個人的な決定の総和を集計によって映しているだけなのはいつか、と問うた[51]。疫学では、サッサー(Mervyn Susser)が1973年に同じ方向の誤りを「原子論的誤謬(atomistic fallacy)」の語で警告し、「生態学的」と「誤謬」を結びつけた呼び名が生態学的な研究方法そのものの評判を落としたとして、「集計的誤謬(aggregative fallacy)」という、より正確な語を提案していた[52]。ディエス=ルー(Ana V. Diez-Roux)は1998年、健康と疾病の分布を個人の特性だけで説明できるとする方法論的個人主義を批判し、集団水準の変数を分析に組み込む必要を論じるなかで、原子論的誤謬を多水準分析の文脈で整理した[53]。シュワルツ(Sharon Schwartz)は1994年に「生態学的誤謬の誤謬」を論じ、水準をまたぐ推論の問題は生態学的研究に固有のものではなく妥当性の問題として捉えるべきであり、そう捉えることで、個人水準の研究にも推論上の問題があることと、生態学的変数に固有の貢献とが、ともに見えてくると主張した[54]。

    スブラマニアンらは、ロビンソンの定義そのものも問題にした。ロビンソンは個人相関を「統計的対象がそれ以上分割できない」相関と定義したが、この基準に当てはまるのは個人に限らない。国際連合で票を投じる国は、分割できない単位として振る舞う。また、ロビンソンの定義は「生態学的」を「集計的」と同一視しており、個人の性質の集計に還元できない文脈的な変数を、集計変数から区別できなくしている[55]。人口に占める黒人の割合は個人の性質の集計だが、州の学校制度は州全体にかかる一つの性質であり、それを個人の性質に分解することはできない。

    ロビンソンの例は2009年以前にも繰り返し検討されている。なかでもファイアボーは1978年、1930年国勢調査の数値を使って、個人水準の係数そのものが問いの立て方で変わることを示した。彼は黒人と黒人以外(ロビンソンと違い、黒人以外の非白人も含む)の非識字率16.3%と3.1%から、個人水準の傾きを0.132とした。九区分を南部(南大西洋、東南中部、西南中部)と南部以外にまとめると、黒人割合と非識字率の集計水準の傾きは0.26になり、個人水準の約2倍である。そこで南部と南部以外に分けて四分表をつくると、非識字率は南部の黒人19.7%、南部の黒人以外4.6%、南部以外の黒人4.6%、南部以外の黒人以外2.6%であった。彼はこれを、非識字を II、黒人であることを RR、南部に住むことを SS とする0か1の変数で

    I=0.026+0.020R+0.020S+0.131,(R×S)I=0.026+0.020R+0.020S+0.131,(R\times S)

    と表し、人種の正味の個人水準の効果は0.02、ゼロ次の個人水準の関係は0.132、集計水準の関係は0.26だと結論した。南部に住む黒人であることが非識字の確率を0.131押し上げるこの交互作用については、追加のデータなしには、差別によるのか学校の人種分離によるのか、解釈が定まらないと留保している。スブラマニアンらはこの結果を、地域差と地域と人種の交互作用を考慮すると黒人であることによる非識字の確率の上昇は0.02にすぎず、個人水準の関係の重要性に疑問を投げかけるものだと要約した[56]。

    ここで0.02が表しているのは、南部以外に住む黒人と黒人以外の非識字率の差である。南部での差は、0.020と0.131を足した0.151になる。0.02を「人種の正味の効果」と呼ぶことは、南部での15ポイントの差を、人種ではなく人種と南部という文脈の交互作用に割り振るという、モデルの上での選択である。そしてファイアボーの南部の三区分は、後で見る2009年の再分析で教育の人種隔離法をもつとされた20州のうち14州を含む。ジム・クロウの学校制度が集中して働いていた場所に、この交互作用項が割り振られている。どの係数を「個人の効果」と呼び、どれを「文脈」と呼ぶかは、データではなくモデルの立て方が決めている。

    スブラマニアン(S. V. Subramanian)らは、それまでの論評の多くが技術的な検討にとどまり、推論の対象はつねに個人だけだというロビンソンの結論を暗黙のうちに受け入れていたと見る。2009年、彼らは同じ1930年国勢調査データを、3つの人種・出生群と49の州を組み合わせた147のセルからなる二水準の構造に組み直し、二項ロジスティックモデルで再分析した。個人水準の説明変数は人種・出生の三群(本国生まれの白人、外国生まれの白人、黒人)、州水準の説明変数は、パウリ・マリー(Pauli Murray)が1950年に刊行した州法の集成に基づく、教育における人種隔離法(いわゆるジム・クロウ法)の有無で、20州がある側、28州とコロンビア特別区がない側に区分された。本国生まれの白人を基準とする非識字のオッズ比は、州を考慮しないモデルで黒人11.66、外国生まれの白人7.31だった。州の固定効果を加えると、黒人は5.86に下がり、外国生まれの白人は13.63に上がって、二つの集団の順位が入れ替わった[57]。州を考慮すれば個人水準の関連が一律に弱まるのではない。関連の大きさも集団の順位も、比較をどの範囲で行うかによって変わった。

    この入れ替わりは、ロビンソンが示した構造の個人水準版として読める。州の固定効果を入れたモデルは、同じ州に住む人どうしを比べる。黒人は非識字率の高い州に多く住んでいたので、全国をひとまとめにした比較では州のあいだの差が黒人の不利に上乗せされ、州の内側で比べるとその上乗せが消える。外国生まれの白人は本国生まれの住民の識字率が高い州に多く住んでいたので、全国での比較では州のあいだの差が彼らの不利を打ち消し、州の内側で比べると不利がむき出しになる。出生と非識字の生態学的相関が負になったのと同じ地理的な偏りが、個人水準のオッズ比の変化としても現れている。

    州のあいだの非識字の差は、州の人種・出生構成を考慮してもまったく減らなかった。州間のばらつきはロジット尺度で本国生まれの白人が最も大きく、黒人がそれに次ぎ、外国生まれの白人が最も小さかった。州水準の変数については、人種隔離法のある州で非識字のオッズが高く(人種・出生を調整したオッズ比1.92)、その差は黒人で最も大きかった。人種隔離法のない州に住む本国生まれの白人を基準にすると、ない州の黒人のオッズは約7倍、ある州の黒人は約30倍であり、モデルが予測する非識字の確率は、ない州の黒人で4.0%、ある州の黒人で13.2%、本国生まれの白人ではそれぞれ0.5%と2.9%であった。外国生まれの白人には、人種隔離法の追加の影響は見られなかった。人種隔離法を考慮すると、本国生まれの白人と黒人の州間のばらつきは70%減った。この関連は、州の一人あたりの公立初等・中等学校支出と一人あたり純所得をさらに条件づけても変わらなかったという[58]。彼らは歴史的な検討も加え、ロビンソンの研究が第二次世界大戦後の方法論的個人主義の台頭と調和するものだったと論じ、生態学的誤謬だけでなく個人主義的誤謬にも危険があるとして、歴史的・時空間的な文脈に根ざした多水準の思考は選択肢ではなく必須だと結論した[59]。一方で著者ら自身、社会経済的地位など非識字の重要な決定要因がデータの制約から含まれていないことによる欠落変数の偏りを認め、目的はどちらの水準についても実質的な推論を引き出すことではなく、個人水準の分析だけが「意味がある」とするロビンソンの議論の落とし穴を示すことにあると明記している[60]。

    制度変数の区分そのものにも検討の余地がある。人種隔離法のない側に分類されたデラウェア州とコロンビア特別区は、1954年のブラウン判決で併合審理された五つの事件のうち二つの舞台であり、デラウェア州には州の人種隔離法があり、コロンビア特別区の学校も人種別であった。同じ付録の州別の個人相関を見ると、ない側に分類された地域のなかで値が高いのは、デラウェア0.188、メリーランド0.179、コロンビア特別区0.122である[61]。

    人種隔離法の変数には、時間と曝露の問題もある。用いられたのは1950年時点の法令の集成である。ただし同論文が例示する条文を見ると、ジョージア州は1877年、テネシー州は1870年、フロリダ州は1885年の州憲法に学校の人種分離の規定をもっており、南部諸州の制度は1930年よりはるか以前にさかのぼる。教育の不平等も具体的に記録されており、1927年のアラバマ州の公立学校では、児童一人あたりの年間費用が白人26.47ドル、黒人3.81ドルだったという[62]。問題はむしろ、個人がその制度にどれだけさらされたかである。1930年に10歳以上だった人々の学齢期は数十年にわたって分布し、しかも1910年から1940年にかけての第一次大移動では、多くの南部の黒人が北部や中西部の工業都市に移り住んでいた[63]。1930年にどの州に住んでいたかは、どの州の学校制度のもとで読み書きを学んだか、あるいは学べなかったかとは一致しない。北部の区分に住む黒人の非識字率にも、南部で学齢期を過ごした人々の経験が混ざっている可能性がある。横断的な居住地と制度との関連から制度の因果効果を特定するには、就学期の居住地、移住歴、出生コーホートなどを扱う追加の資料と仮定が要る。

    2009年の論争は合意だけで終わったのでもない。オークス(J. Michael Oakes)は、疫学者、とくに社会的な力が健康に及ぼす影響に関心をもつ疫学者は文脈と多水準の現象を考慮すべきだという点では同意しつつ、著者らのロビンソン批判は有益でなく、方法論的個人主義への批判は的外れだとし、とりわけ多水準の思考と多水準回帰モデルという統計手法とを混同していると批判した[64]。ファイアボーは、住む場所や付き合う相手が関係しない、つまり場所の効果も文脈の効果も伝播の効果もないという意味で社会が「平ら」であれば単一水準の分析で足りるが、社会はふつう平らではないので多水準分析が求められると整理した。そして、単一水準の分析が多水準の効果の前で問題を抱えるという考えはロビンソンの警告と矛盾せず、ロビンソン自身も、当時多水準分析が存在していれば歓迎しただろうと推測している[65]。文脈が重要であるという点では三者は一致し、争点は、ロビンソンをどう評価するか、そして多水準の問いと多水準の回帰モデルを同一視してよいかにあった。

    文脈効果はどこに入るか

    この論点は、二値の結果についての説明用の線形モデルで表すことができる。地域 jj に住む個人 ii が非識字であることを yijy_{ij}、黒人であることを xijx_{ij} とし、地域の黒人割合 xˉj\bar{x}_j が個人の属性とは別に非識字と結びつくとする。黒人割合の高い州ほど人種別学の制度をもっていたという状況は、その一例である。

    yij=β0+βW,xij+γ,xˉj+εijy_{ij}=\beta_0+\beta_W,x_{ij}+\gamma,\bar{x}j+\varepsilon{ij}

    これは、ファイアボーが1978年に水準間の推論の規則を導いた構造方程式と同じ形である。全体、地域内、地域間(地域の人口で重みづけ)の回帰の傾きを bTb_T、bWb_W、bBb_B とすると、次の関係が標本の中でそのまま成り立つ。

    bT=(1−ηXA2),bW+ηXA2,bBb_T=(1-\eta_{XA}^2),b_W+\eta_{XA}^2,b_B

    bW=βW+SWXεSWXX,bB=βW+γ+SBXεSBXXb_W=\beta_W+\frac{S^{W}{X\varepsilon}}{S^{W}{XX}},\qquad b_B=\beta_W+\gamma+\frac{S^{B}{X\varepsilon}}{S^{B}{XX}}

    第一式は最小二乗法の代数だけから、第二式は誤差項 εij\varepsilon_{ij} をモデルの式の残りとして定義することだけから導かれ、どちらも仮定を要しない。第一式は、全体の傾きが地域内の傾きと地域間の傾きの加重平均であることを示す。第二式の余りの項は、誤差と説明変数の地域内の積和と地域間の積和であり、誤差項が地域の内側でも地域のあいだでも説明変数と無相関であれば消える。その場合、bWb_W は βW\beta_W を、bBb_B は βW+γ\beta_W+\gamma を推定し、個人データだけの回帰では γ\gamma が ηXA2\eta_{XA}^2 倍に薄められて傾きに入り込み、地域の割合どうしの回帰では丸ごと入り込む。

    ファイアボーはこの構造から、誤差項が平均0で説明変数と無相関であるといった通常の仮定のもとで、集計データの回帰係数が地域内の個人水準の係数の偏りのない推定値になるのは、Xを統制したうえでXの集団平均がYに効果をもたないとき、すなわち γ=0\gamma=0 のとき、かつそのときに限るという規則を導き、集団平均の記号にちなんで「Xバー規則」と名づけた。彼は、関心を向けるべき個人水準の効果は地域を無視した全体の傾きではなく地域内の傾きだとし、第一式にあたる関係をダンカンらの1961年の著作から引いて、全体の傾きは個人水準の効果と集計水準の効果の混合だと述べている。さらに、集計の傾きと全体の傾きの差を「集計の偏り」、集計の傾きと地域内の傾きの差を「水準間の偏り」と呼び分け、前者がつねに後者の 1−ηXA21-\eta_{XA}^2 倍であることを示した。第一式を書き換えれば出てくる関係である。生態学的誤謬と個人主義的誤謬は、こうして同じ式の二通りの読み違いとして並べることができる。地域間の傾きを個人の係数と読むのが前者であり、地域を無視した全体の傾きを文脈と無関係な個人の係数と読むのが後者である。

    ファイアボーは、集団平均が効果をもつように見える理由を三つに分けた。統制されていない個人の性質が集団平均と相関している場合、集団平均とは別の集団の性質が効いていてそれが集団平均と相関している場合、集団平均そのものが新しい性質を生む場合である。第二の場合の集団の性質には、政府の形態のように個人の性質の集計では測れない「統合的性質」も含まれる。黒人の割合は個人の性質の集計だが、州の学校制度は州の統合的性質であり、黒人割合と強く結びついていた。ファイアボーは、ある地域の黒人の割合は、黒人の住民にとってと同じだけ黒人以外の住民にとっても意味のある特徴、つまり社会経済的地位や、都市か農村か、南部か否かといった居住地の特徴を表すと書き、水準を移るときに変数の指すものがこのように移ることこそが水準間の偏りの基盤だとした。集団平均の効果が本物か見かけのものかは、最終的には理論によって判断するほかないとも述べている[66]。βW\beta_W や γ\gamma はあくまでモデルの係数であり、それを因果効果と読むには、交絡についてのさらに強い仮定が要る。

    先の五区分で計算すると、ηXA2≈0.062\eta_{XA}^2\approx 0.062 のもとで、全体の傾き(黒人と白人の非識字率の差)は13.5ポイント、地域内の傾きは13.1ポイント、地域間の傾きは20.9ポイントになる。水準間の偏りは約7.9ポイント、集計の偏りはその0.938倍の約7.4ポイントである。相関係数で比べれば、地域間の0.92は全体の0.20の約4.6倍だった。傾きで比べれば、地域間の20.9は全体の13.5の約1.5倍、地域内の13.1の約1.6倍にとどまる。二つの比のあいだには、相関係数の定義から次の関係がある。

    rer=bBbT⋅ηXAηYA\frac{r_e}{r}=\frac{b_B}{b_T}\cdot\frac{\eta_{XA}}{\eta_{YA}}

    約4.6倍のうち、傾きの違いによる部分は約1.5倍で、残りの約2.9倍は相関比の比、つまり黒人であるか否かの違いが、非識字であるか否かの違いに比べてどれだけ地域のあいだに偏って分布しているかから来る。先に見た増幅の大半は、関係の強さの違いではなく、相関係数という指標が分散の配分を取り込むことから生じている。グッドマン以後の議論が、集計データから個人について推論するなら相関係数ではなく回帰係数を使うべきだとしてきたのはこのためである[67]。地域間の傾きが地域内の傾きを約8ポイント上回ることは、Xバー規則に照らせば、黒人割合と結びついた地域水準の要因の存在を示唆する。しかし、この差を人種別学の作用と読むことはできない。五区分のうち一つは五つの区分をまとめた人工的な残余であり、地域の貧困や農村性など、黒人割合と相関しうる他の要因も、先に見た居住地と就学地のずれも区別されていない。

    州を単位とする分析は、州の制度についての問いを立てることができる。その問いに答えるために必要な仮定は、個人についての問いに答えるための仮定とは別のものであり、どちらも明示されなければならない。問うべきは、どちらの水準が正しいかではない。知りたいのはどの水準のどの量か、そして観測された情報からそこへ至るのにどの仮定が要るか、である。

    集計から個人へ橋を架ける試み

    ロビンソン以後、集計データしか手に入らないときに個人についてどこまで言えるかを問う研究が続いた。今日「生態学的推論(ecological inference)」と呼ばれる分野である。

    1953年、グッドマン(Leo A. Goodman)は、集団ごとの率が地域によらず一定であれば、地域の割合どうしの回帰から集団ごとの率を推定できることを示した[68]。地域 jj の黒人と白人の非識字率を pjb=pb+ujp^{b}_j=p^{b}+u_j、pjw=pw+vjp^{w}_j=p^{w}+v_j と書くと、地域の非識字率は恒等的に

    yˉj=pw+(pb−pw),xˉj+[vj+(uj−vj),xˉj]\bar{y}_j=p^{w}+(p^{b}-p^{w}),\bar{x}_j+\left[v_j+(u_j-v_j),\bar{x}_j\right]

    となる。括弧内が黒人割合 xˉj\bar{x}_j と無相関なら、回帰の切片と傾きから pwp^{w} と pbp^{b} が得られる。率が全地域で一定(uj=vj=0u_j=v_j=0)という仮定は、そのための十分条件であって必要条件ではない。率に地域差があっても、その差が黒人割合と無関係なら偏りは生じない。

    先の五区分に人口で重みづけしてこの回帰を当てはめると、白人の非識字率は約2.0%、黒人は約23.0%と推定される。実際の全国値は白人2.7%、黒人16.3%である。黒人の率が大きく過大に推定されるのは、率に地域差があること自体によるのではなく、その地域差が黒人割合と強く結びついていたからである。五区分では、黒人の非識字率の全国値からのずれ uju_j と黒人割合との人口加重相関は0.99、括弧内の合成誤差と黒人割合との相関は0.64に達する[69]。黒人が多く住む地域ほど黒人の非識字率が高いという構造が、そのまま傾きに上乗せされている。前節のモデルとの対応でいえば、グッドマンの一定率の仮定は、文脈の係数 γ\gamma が0であることに加えて、各地域の集団別の率に地域固有のずれがないことを求める。

    この偏りの出どころは、ロビンソンの例についてすでに指摘されていた。スブラマニアンらの整理によれば、ハヌシェク(Eric A. Hanushek)らは1974年、教育サービスの利用可能性を表す変数を集計モデルに加えると、本国生まれの白人以外の集団について推定される非識字率が個人データに基づく値に近づくことを示した。ラングバイン(Laura I. Langbein)とリクトマン(Allan J. Lichtman)は1978年、この問題を、非識字とも人種・出生とも共変する教育の提供という欠落変数による定式化の誤りと、その欠落変数の影響を最大にする州という区切りでの集計との、二つの効果の組み合わせとして論じた。ファイアボーは1978年の論文の結びで、真の集団の効果がまれか無視できるほど小さいなら、集計データしかない研究者はまず定式化を心配すべきだというハヌシェクらの主張が正しく、生態学的誤謬はそれ自体「ほとんど誤謬」になるが、集団の効果を退けられないなら、偏りのない推定は多くの場合、多水準の分析からしか得られないと整理している[70]。集計単位の選び方が推定をとりわけ大きく歪めるのは、その単位が、欠落した原因の働く単位と重なるときである。

    同じ1953年、ダンカン(Otis Dudley Duncan)とデーヴィス(Beverly Davis)は、周辺度数と矛盾しない内側の度数の範囲を求める方法を示した[71]。仮定を置かないかわりに、答えは区間になる。五区分でこの範囲を求めると、残余区分の黒人の非識字率は0%から32.3%のあいだとしか言えない[72]。区間は広い。しかし先に見たとおり、区間だけで排除できる主張もある。チョ(Wendy K. Tam Cho)とマンスキー(Charles F. Manski)は、生態学的推論の問題を部分識別の文献のなかに位置づけ、ダンカンとデーヴィスの分析は集計データが個人の行動の構造を部分的にしか明かさないことをはっきりさせたが、その貢献は限定的なものとみなされ、上下限を識別領域として捉える見方は十分に理解されてこなかったと述べている[73]。

    1997年、キング(Gary King)は、この上下限の情報と統計モデルを組み合わせた手法を「生態学的推論問題の解決」と銘打って提示した[74]。これに対してフリードマン(David A. Freedman)らは、真の値がわかっているデータで手法を検証し、推定値が真の値から遠く、診断も当てにならない場合があることを示して批判し、キングの再反論とフリードマンらの応答が続いた[75]。部分識別の言葉で言い直すと、争点の位置がはっきりする。周辺度数だけから得られるのは区間であり、その区間はデータだけで正当化できる。区間の中から一点を選ぶには、率の分布や地域差の構造についての追加の仮定が必要であり、その仮定の妥当性は、集計データだけでは十分に検証できないことが多い。グッドマンの回帰が五区分で黒人の率を23.0%と推定したのも、区間の中の一点を仮定によって選んだ結果である。そうした仮定を個人水準のデータで補い、検証する工夫として、集計データと個人データを組み合わせる「ハイブリッド」な研究設計も論じられている。発想そのものは古く、ファイアボーも1978年の論文の注で、無作為に選んだ一部の集団について個人データがあれば地域内の傾きと集団の効果を推定でき、すべての集団について個人データを集めるのが高くつく場合には、そうした方法がしばしば必要になると述べていた[76]。

    地理学の側では、オープンショー(Stan Openshaw)とテイラー(Peter J. Taylor)が1979年、同じ基礎データを異なる区画に組み替える実験を大規模に行い、相関係数が区画の大きさ(尺度効果)だけでなく区画の切り方(区割り効果)によっても大きく変わりうることを示した。この問題は「可変単位地区問題(modifiable areal unit problem)」の名で知られるようになった[77]。ゲールケとビール、そしてロビンソンが指摘した区分の粗さと係数の大きさの関係は、この問題の一面にあたる。

    数字の主語

    ロビンソンの論文から四分の三世紀が経つ。その教訓を「集団の数字を個人に当てはめてはならない」と要約するのは誤りではないが、それだけでは足りない。

    第一に、問題は集団か個人かという二者択一ではない。確かめるべきは、知りたいのはどの水準のどの量か、観測されているのは同時度数か周辺度数だけか、そして両者を結ぶのにどの仮定が要るか、である。ロビンソンの表2のように同時度数を保存した集計表からは個人相関が復元できるが、区分ごとの割合しかなければ、仮定を加えない限り、個人相関には区間しか与えられない。水準をまたぐ推論そのものが誤りなのではない。その橋渡しの仮定を明示しないまま、主語を入れ替えることが誤りなのである。

    第二に、個人水準のデータも中立な「真の値」ではない。0.203は、調査員が当時の規則に従って分類した人々について、φがほぼ0の州から0.3を超える州までを足し合わせた合算表の記述量である。0.118は、外国生まれの白人と、本国生まれの白人と黒人を合わせた集団との比較だった。「人種の効果」が0.02か0.132か0.151かも、南部という文脈をモデルのどこに置くかで決まっていた。個人のデータに移っても、誰をどう数えたか、誰を比較の基準に置いたか、どの地理的な分布の上で数えたかは、係数の中に溶け込んで残る。

    第三に、ロビンソンの最も持続的な貢献は、結論の激しさよりも、暗黙の置き換えを明示の問題に変えたことにある。生態学的相関が個人相関の代わりに使われていることを指摘し、二つの相関の関係を一つの恒等式に書き、置き換えが成り立つための条件を示した。そしてその論文自身が、二つの水準で異なる人口を数えるという誤りを含み、それが60年後の追試で見つかった。この経緯は、水準をまたぐ推論の難しさと、それを確かめる手段としての再現と追試の価値の両方を物語っている。

    散布図を見るとき、最初に確かめるべきは、一つの点が何を表しているかである。一人の人か、一つの学校か、一つの州か。次に確かめるべきは、結論の主語がその点と同じ単位になっているかどうか、なっていないなら、その間を何が埋めているかである。「研修の受講率が高い支店ほど営業成績の平均が高い」という数字から「研修を受けた社員ほど成績が高い」と言うとき、主語は支店から社員へ、いつのまにか入れ替わっている。支店の数字から社員について語ること自体が禁じられているのではない。入れ替えに必要な仮定を、言葉にしたかどうかが問われている。

    注

    [1] Robinson, W. S. (1950). "Ecological Correlations and the Behavior of Individuals." American Sociological Review, 15(3), 351–357. 以下、頁数は International Journal of Epidemiology への再録版(Robinson, W. S. (2009). International Journal of Epidemiology, 38(2), 337–341. doi:10.1093/ije/dyn357)による。再録版の数式には誤植があり、正誤表が出ている("Ecological correlations and the behavior of individuals." Erratum. International Journal of Epidemiology, 40(4), 1134, 2011. doi:10.1093/ije/dyr082)。九区分の生態学的相関0.946と個人相関0.203は再録版 p. 337。表1に掲載された千人単位の四セルから四分点相関を計算すると0.2023865となり、報告値0.203とはわずかに異なる。各セルが千人単位への四捨五入によるものとして、それぞれを±500人の範囲で動かしても相関は0.2023から0.2025のあいだにとどまり、小数第3位は0.202のままである。Subramanian ほか(注3)の付録2aも、ロビンソンの数値からの値を0.202としている。差は掲載値の丸めだけでは説明できず、その原因(未丸めの原資料、計算途中の丸め、転記など)は確認できていない。

    [2] 所属は再録版の著者注(カリフォルニア大学ロサンゼルス校人類学・社会学科)による。生没年は te Grotenhuis, M., Eisinga, R., & Subramanian, S. V. (2011). "Robinson's Ecological Correlations and the Behavior of Individuals: methodological corrections." International Journal of Epidemiology, 40(4), 1123–1125. doi:10.1093/ije/dyr081 による。

    [3] 再録版(前掲注1)と同じ International Journal of Epidemiology 38巻2号(2009年)に、Subramanian, S. V., Jones, K., Kaddour, A., & Krieger, N. "Revisiting Robinson: the perils of individualistic and ecologic fallacy." pp. 342–360(doi:10.1093/ije/dyn359)、Oakes, J. M. "Commentary: Individual, ecological and multilevel fallacies." pp. 361–368(doi:10.1093/ije/dyn356)、Firebaugh, G. "Commentary: 'Is the social world flat? W.S. Robinson and the ecologic fallacy'." pp. 368–370(doi:10.1093/ije/dyn355)、Subramanian, S. V., Jones, K., Kaddour, A., & Krieger, N. "Response: The value of a historically informed multilevel analysis of Robinson's data." pp. 370–373 が掲載されている。同号には Wakefield, J. "Multi-level modelling, the ecologic fallacy, and hybrid study designs." pp. 330–336 も収められている。以下、Subramanian ほか(注3)は "Revisiting Robinson" を指す。

    [4] Robinson(前掲注1)再録版 p. 337。

    [5] 同 p. 337。原文は "In each instance, however, the substitution is made tacitly rather than explicitly." 列挙された研究には、Cowles の結核と気候の研究、Gosnell のシカゴの投票分析、Ogburn の女性の投票や都市の犯罪の研究、Shaw の Delinquency Areas、Thompson の子ども女性比の研究、Whelpton の出生力の地域差の研究などが含まれる(同 p. 337、注1–14)。

    [6] 同 p. 338、表2。掲載された四区分の四分表(千人単位、黒人・非識字、白人・非識字、黒人・識字、白人・識字の順)は、ニューイングランド4、240、72、6,386、中部大西洋32、719、836、19,958、東北中部36、392、735、19,443、太平洋2、71、75、6,332。掲載されなかった五区分(西北中部、南大西洋、東南中部、西南中部、山岳)は紙幅の節約のため省いたと注記されている(同 p. 341、注18)。

    [7] 同 pp. 338–339。引用部の原文は "Thus there need be no correspondence between the individual correlation and the ecological correlation."

    [8] 仮想例。計算は筆者による四分点相関。合格者が全員運動部員の場合、二校合計で運動部員60人中30人、運動部員以外140人中0人が合格し、相関は約0.642。合格者が全員運動部員以外の場合、運動部員60人中0人、運動部員以外140人中30人が合格し、相関は約−0.275。各校内で独立の場合、A校は運動部員40人中8人と運動部員以外60人中12人、B校は運動部員20人中2人と運動部員以外80人中8人が合格し、各校内の相関は0、二校合計の相関は約0.031。

    [9] Robinson の表1・表2の数値から筆者が計算。黒人の非識字者数を KK、総数を nn、黒人数を nXn_X、非識字者数を nYn_Y とすると、四分点相関は r=(Kn−nXnY)/nX(n−nX)nY(n−nY)r=(Kn-n_Xn_Y)/\sqrt{n_X(n-n_X)n_Y(n-n_Y)} であり、KK について単調増加する。周辺度数が許す KK の範囲の両端を代入して区間を得た。五区分の場合の KK の上限は、各区分で黒人数と非識字者数の小さいほうを合計した375万人である。

    [10] Robinson(前掲注1)再録版 p. 341、注19。

    [11] 同 p. 340、式(1)(1a)(1b)。再録版の式(1a)(1b)(2a)には誤植があり、正誤表(前掲注1)で訂正されている。本文の式は、正誤表の図版との逐字照合ではなく、本文に示した恒等式から代数的に導いたものである。

    [12] Robinson の言葉による説明は同 p. 340。二つの値は注16の五区分に基づく筆者の計算による。本文の恒等式に対応するのが合算した平方和・積和からの地域内相関であることは、偏差積和の分解から直接確かめられる。

    [13] Robinson(前掲注1)再録版 p. 340、式(2)(2a)。式(2a)の誤植については前掲注1の正誤表を参照。

    [14] 同 p. 340。原文は "In short, the equivalency assumption has no basis in fact."

    [15] Robinson の表2から筆者が計算した四分点相関。率の比は注47を参照。

    [16] 残余区分は、全国表(表1)から表2の四区分を差し引いたもので、黒人の非識字者143万8千人、白人の非識字者98万4千人、黒人の識字者606万2千人、白人の識字者3,345万5千人(いずれも千人単位の数値から算出)。この五区分について、全体・地域間・地域内の平方和と積和から三つの相関と二つの相関比を計算し、本文の恒等式が成り立つこと(両辺とも0.2024)を確認した。生態学的相関は各区分の人口で重みづけしており、重みなしでは約0.818になる。全体の相関が0.202となるのは、注1のとおり掲載四セルから計算した値だからである。

    [17] Robinson(前掲注1)再録版 p. 340。Gehlke, C. E., & Biehl, K. (1934). "Certain effects of grouping upon the size of the correlation coefficient in census tract material." Journal of the American Statistical Association, 29(185A), 169–170. なお再録版の注20では巻数が24と読めるが、他の文献ではこの論文は29巻(185A号)として引用されている。

    [18] Robinson(前掲注1)再録版 p. 340。

    [19] 同 pp. 339–340、表3。原文は "We know that educational standards are lower for the foreign born than for the native born, and therefore that there ought to be a positive correlation between foreign birth and illiteracy." 九区分の値が −0.619、州単位の値が −0.526 であることは te Grotenhuis ほか(前掲注2)でも確認できる。表3の千人単位の数値から計算すると個人相関は0.1177となる。

    [20] Subramanian ほか(注3)pp. 344–346 および表1。同論文によれば、国勢調査の「黒人」は合衆国の内外いずれの生まれかを区別していない。表1の値は、本国生まれの白人74,773,962人中1,103,134人、外国生まれの白人13,233,609人中1,304,084人、黒人9,302,988人中1,513,892人が非識字で、ロビンソンの区分による「本国生まれ(白人と黒人)」は84,076,950人中2,617,026人(3.11%)である。te Grotenhuis ほか(前掲注2)も、ロビンソンの「外国生まれ」は外国生まれの白人であると指摘している。

    [21] Subramanian ほか(注3)表1の値から筆者が計算。ロビンソンの区分によるφは0.1175で、表3からの値と一致する。オッズ比7.31は同論文表2のモデル1の値。

    [22] 1930年国勢調査報告の非識字の章 p. 1219。Subramanian ほか(注3)p. 354 の引用による。同論文はこの資料を文献58として挙げ、その書誌を1931年の合衆国統計要覧としているが、te Grotenhuis ほか(前掲注2)はロビンソンの資料を1933年刊の第2巻第10表(p. 1229)としている。両者の書誌の対応は確認していない。移民が非識字率の低い州に定住したという説明は te Grotenhuis ほか、および Freedman, D. A. (1999). "Ecological Inference and the Ecological Fallacy." Technical Report No. 549, Department of Statistics, University of California, Berkeley(International Encyclopedia of the Social & Behavioral Sciences, Vol. 6, pp. 4027–4030 のための原稿)にもある。

    [23] Freedman, D. A. (2002). "The Ecological Fallacy." 2002年8月1日付の覚書、カリフォルニア大学バークレー校統計学科のウェブサイト(https://www.stat.berkeley.edu/~freedman/ecofall.txt)で公開。

    [24] Selvin, H. C. (1958). "Durkheim's Suicide and Problems of Empirical Research." American Journal of Sociology, 63(6), 607–619. 同論文には "ecological fallacy" を扱う節があり、ロビンソンが社会学者の注意を最初にこの誤りに向けたとする記述もそこにある。Subramanian ほか(注3)p. 343 も、この語を1958年にセルヴィンが造ったとしている。Firebaugh(注56)p. 557 も、集計データで個人を調べた研究者は生態学的誤謬を犯しているとされた、としてセルヴィンの論文を挙げている。同様の帰属は Kurz, A. S. (2019). "Individuals are not small groups, II: The ecological fallacy." ブログ記事(2019年10月14日)などにも見られる。1958年以前の使用例の有無を網羅的に調べた用語史研究は確認していない。ロビンソンの論文に fallacy の語が現れないことは、再録版の本文と注で確認した。

    [25] Selvin(前掲注24)pp. 615–618 の当該節。

    [26] Freedman(前掲注22)は、デュルケームの議論を生態学的推論の例として冒頭で取り上げている。

    [27] Thorndike, E. L. (1939). "On the fallacy of imputing the correlations found for groups to the individuals or smaller groups composing them." American Journal of Psychology, 52(1), 122–124. doi:10.2307/1416673. 例の変数と地区数は、Kurz, A. S. による GitHub リポジトリ "ecological_fallacy_Thorndike"(https://github.com/ASKurz/ecological_fallacy_Thorndike)が引く原文の記述による。Kurz は同リポジトリで、ソーンダイクの表を再現し、各地区内の相関が0、全員をまとめた相関が約0.45、地区平均どうしの相関が約0.91になると計算しているが、原表にはいくつかのセルの数え違いがあるとも注記している。これらの数値は Kurz の再計算であり、ソーンダイク自身が報告した値として筆者は原論文と照合していない。

    [28] Robinson(前掲注1)再録版 pp. 340–341、注1–20。

    [29] Firebaugh, G. (2001). "Ecological Fallacy, Statistics of." In N. J. Smelser & P. B. Baltes (Eds.), International Encyclopedia of the Social and Behavioral Sciences (pp. 4023–4026). Oxford: Elsevier の p. 4024。Subramanian ほか(注3)p. 343 の引用による。引用回数は同論文が Google Scholar で調べた値(2008年6月)。

    [30] Robinson(前掲注1)再録版 p. 341。引用部の原文は "The purpose of this paper will have been accomplished, however, if it prevents the future computation of meaningless correlations and stimulates the study of similar problems with the use of meaningful correlations between the properties of individuals."

    [31] Menzel, H. (1950). "Comment on Robinson's 'Ecological Correlations and the Behavior of Individuals'." American Sociological Review, 15, 674. 頁を674–675とする文献もある(Shively, W. P. (1969). "'Ecological' Inference: The Use of Aggregate Data to Study Individuals." American Political Science Review, 63(4), 1183–1196 の注)。筆者はコメントの原文を確認できなかったため、その内容には立ち入らない。

    [32] Robinson(前掲注1)再録版 pp. 340–341。原文は "They cannot." および "From a practical standpoint, therefore, the only reasonable assumption is that an ecological correlation is almost certainly not equal to its corresponding individual correlation."

    [33] Firebaugh(前掲注3)。原文では解釈者が Robinson を "out-Robinsoned" した例がある、と表現されている。スブラマニアンらの記述は Subramanian ほか(注3)p. 350 および p. 354。同論文は要旨で、ロビンソンの研究を、データを個人水準だけで分析することの優位の基礎を築いた研究と位置づけている。

    [34] te Grotenhuis ほか(前掲注2)。資料は US Bureau of the Census (1933). Fifteenth Census of the United States: 1930. Population, Volume II, General Report, Statistics by Subjects. Washington: Government Printing Office の第10表(p. 1229)とされる。

    [35] te Grotenhuis ほか(前掲注2)。同論文は除外された人々を "non-whites, e.g., Mexicans, Indians, and Chinese" と表記しているが、黒人は分析に残っているので、本文では黒人以外の非白人と訳した。総数98,723,047人は同論文では "U.S. citizens" と表記されている。

    [36] 同上。

    [37] Robinson(前掲注1)再録版 pp. 339–340。te Grotenhuis ほか(前掲注2)。

    [38] te Grotenhuis ほか(前掲注2)。

    [39] 正誤表(前掲注1)は、再録版の式(1a)(1b)(2a)に誤植があることを示し、正しい式を掲げている。

    [40] te Grotenhuis ほか(前掲注2)。

    [41] Subramanian ほか(注3)表1の全国値から筆者が計算すると、ロビンソンの人種の区分によるφは0.2024、黒人と本国生まれの白人のφは0.267、本国生まれの白人を基準とする黒人の粗オッズ比は12.98、外国生まれの白人は7.30になる。外国生まれの白人の値は表2のモデル1の7.31と一致するが、黒人の値はモデル1の11.66と一致しない。付録2aの全国の値(ロビンソンの区分で0.189、本国生まれの白人と黒人で0.252)も、表1からの値と一致しない。同論文にこれらの差の説明は見当たらない。

    [42] te Grotenhuis ほか(前掲注2)。

    [43] 1930年国勢調査の調査員指示、第150–155項(IPUMS USA による翻刻、https://usa.ipums.org/usa/voliii/inst1930.shtml)。第151項の原文は "A person of mixed white and Negro blood should be returned as a Negro, no matter how small the percentage of Negro blood." 第154項は、メキシコ生まれまたは親がメキシコ生まれの人のうち "who are not definitely white, Negro, Indian, Chinese, or Japanese, should be returned as Mexican" と定める。メキシコ系が人種として数えられたのは1930年だけであることは US Census Bureau, "1930 – History." Index of Questions(https://www.census.gov/history/www/through_the_decades/index_of_questions/1930_1.html)による。

    [44] 同調査員指示、第163項。10歳以上の人のうち "who can read and write in any language, whether English or some other" に「はい」、読み書きの両方ができない人に「いいえ」と記入し、"simply because he can write his own name" の理由で読み書きできると報告してはならないと定める。第164項は、失明した人については失明前に読み書きができた場合に「はい」とすると定める。州別の非識字データが最後に集められたのが1930年国勢調査であることは US Census Bureau (1959). "Estimates of Illiteracy, by States: 1950." Current Population Reports, Series P-23, No. 6 による。

    [45] Subramanian ほか(注3)表4。Murray, P. (1950). States' Laws on Race and Color(同論文の文献62。1997年にジョージア大学出版局から再刊)からの抜粋として、フロリダ州(Rev. Gen. St. 1920; Comp. Gen. Laws 1927)、アーカンソー州(内縁関係に関する条文中の定義)、ジョージア州(Acts 1865–6; 1927)などの定義が示されている。

    [46] Duncan, B., & Trejo, S. J. (2025). "Which Mexicans Are White? Enumerator-Assigned Race in the 1930 Census and the Socioeconomic Integration of Mexican Americans." ILR Review, 78(1), 62–85. doi:10.1177/00197939231213055. 同論文は、この選択的な割り当てによって関係する人口のかなりの部分が「メキシコ系」から漏れ、この集団の社会経済的達成が大きく過小に表されると指摘している。

    [47] Robinson の表1・表2から筆者が計算。四区分に住む黒人は929万2千人中179万2千人(約19.3%)、残余五区分には750万人(約80.7%)。四区分の黒人の非識字率はニューイングランド5.3%、中部大西洋3.7%、東北中部4.7%、太平洋2.6%、白人はそれぞれ3.6%、3.5%、2.0%、1.1%で、率の比は1.45、1.06、2.36、2.34、オッズ比は1.48、1.06、2.43、2.38。残余五区分では黒人19.2%、白人2.9%、率の比6.71、オッズ比8.07。

    [48] Subramanian ほか(注3)付録2a。ロビンソンと同様に「本国生まれと外国生まれの白人」対「黒人」で計算したφ。同付録で人種隔離法のある州として網かけされているのは付録1の20州である。

    [49] 同上。後者の値は「本国生まれの白人」対「黒人」で計算したφ。全国表の率の比とオッズ比は Robinson の表1から筆者が計算。

    [50] Robinson(前掲注1)再録版 p. 339。国勢調査報告の記述は注22と同じ章の p. 1219 で、Subramanian ほか(注3)p. 354 の引用による。スブラマニアンらの記述は同 p. 354。

    [51] Alker, H. R., Jr. (1969). "A Typology of Ecological Fallacies." In M. Dogan & S. Rokkan (Eds.), Quantitative Ecological Analysis in the Social Sciences (pp. 69–86). Cambridge, MA: MIT Press. 個人主義的誤謬の定義(p. 78)と選挙行動についての問い(p. 85)は Subramanian ほか(注3)pp. 343, 349 の引用による。類型の要約は "Ecological fallacy." In B. Warf (Ed.), Encyclopedia of Geography (p. 825). SAGE, 2010 も参照。筆者はアルカーの章を直接確認していない。

    [52] Susser, M. (1973). Causal Thinking in the Health Sciences. London: Oxford University Press の p. 60(原子論的誤謬)。「集計的誤謬」の提案と、「生態学的」と「誤謬」の結合が生態学的方法の評判を落としたという議論は Susser, M. (1994). "The logic in ecological." American Journal of Public Health, 84, 825–835 と Susser (1973) による。いずれも Subramanian ほか(注3)pp. 343, 349 の引用による。

    [53] Diez-Roux, A. V. (1998). "Bringing context back into epidemiology: variables and fallacies in multilevel analysis." American Journal of Public Health, 88(2), 216–222.

    [54] Schwartz, S. (1994). "The fallacy of the ecological fallacy: the potential misuse of a concept and the consequences." American Journal of Public Health, 84(5), 819–824.

    [55] Subramanian ほか(注3)p. 349。Firebaugh(注56)p. 557 の注1も、「個人」と「集計」は分析の単位を指す語であり、個人が人である必要はないと断っている。

    [56] Firebaugh, G. (1978). "A Rule for Inferring Individual-Level Relationships from Aggregate Data." American Sociological Review, 43(4), 557–572 の pp. 567–569、表3–6、式(15)–(17)。同論文の表3は黒人と黒人以外(千人単位で、非識字者は黒人1,514、黒人以外2,770、総数4,284)に分けた10歳以上人口の表であり、黒人以外には白人だけでなく黒人以外の非白人も含まれる。ロビンソンの表1(黒人と白人のみ)から同じ傾きを計算すると0.135(16.27%−2.73%)となり、比べている人口が異なる。南部は九区分のうち5–7(南大西洋、東南中部、西南中部)で、南部と南部以外の二点からなる集計の式は Iˉ=0.019+0.26Rˉ\bar{I}=0.019+0.26\bar{R}。交互作用の解釈についての留保は p. 568。スブラマニアンらの要約は Subramanian ほか(注3)p. 343。

    [57] Subramanian ほか(注3)p. 343(それまでの論評についての評価)、pp. 344–346、表2、付録1。人種隔離法の資料は同論文の文献62(Murray 1950)で、同論文 p. 352 はこれを、人種と肌の色にかかわるすべての州法と地方条例を記録した746頁の最初の集成と紹介している。付録1で人種隔離法のある州とされたのは、アラバマ、アリゾナ、アーカンソー、フロリダ、ジョージア、インディアナ、カンザス、ケンタッキー、ルイジアナ、ミシシッピ、ミズーリ、ニューメキシコ、ノースカロライナ、オクラホマ、サウスカロライナ、テネシー、テキサス、ヴァージニア、ウェストヴァージニア、ワイオミングの20州。オッズ比の95%信用区間は、モデル1で黒人11.63–11.69、外国生まれの白人7.29–7.33、モデル2で黒人5.84–5.88、外国生まれの白人13.58–13.67。州の変量効果を用いたモデル3でも値は同じで、人種・出生の係数を州ごとに変化させたモデル4では外国生まれの白人5.71、黒人5.95。著者らは、モデル1・2の係数は、周辺的な解釈をもたず州間のばらつきを明示的にモデル化するために推定されたモデル3・4の係数とは比較できないと注記している。

    [58] Subramanian ほか(注3)pp. 346–347、図1、図3、図4。人種隔離法の変数のオッズ比の95%信用区間は1.81–2.03。約30倍と約7倍は、人種隔離法のない州の本国生まれの白人を基準とした、人種・出生と州区分の組み合わせの結果である。予測確率の95%信用区間は、ない州の黒人0.033–0.049、ある州の黒人0.123–0.141、ない州の本国生まれの白人0.004–0.006、ある州の本国生まれの白人0.027–0.031。学校支出と純所得を加えた結果は、同論文ではデータを示さずに記述されている。

    [59] Subramanian ほか(注3)要旨、pp. 350–352、p. 355。

    [60] Subramanian ほか(注3)p. 348。原文は、国勢調査の非識字と人種・出生の記録が教育、所得、職業でさらに集計されていないことを例に挙げ、目的は "to draw substantive inferences about either levels of analysis (or specific variables)" ではなく、個人水準の分析だけが "meaningful" だとするロビンソンの議論の落とし穴を示すことにあると述べる。

    [61] US National Park Service, "The Cases of Brown v. Board of Education of Topeka"(https://nps.gov/common/uploads/teachers/lessonplans/The cases of Brown v. Board of Education.pdf)。同資料は、デラウェア州の事件(Belton v. Gebhart, Bulah v. Gebhart)の州裁判所の判断が州の人種隔離法を覆さなかったこと、コロンビア特別区の事件(Bolling v. Sharpe)では地方裁判所が同特別区の人種別学を合憲としていたことを記している。コロンビア特別区は州ではないので、州法の集成に基づく区分の対象として扱うこと自体にも問題がありうる。州別の値は Subramanian ほか(注3)付録2a(注48と同じ)。

    [62] Subramanian ほか(注3)表4および p. 352。アラバマ州の費用は Stevens, L. (1976). Equal! The Case of Integration vs. Jim Crow. New York: Coward, McCann & Geoghegan, p. 70 からの同論文による引用。

    [63] US National Archives, "The First Great Migration (1910-1940)"(https://www.archives.gov/research/african-americans/wwi/great-migration)。US Census Bureau, "The Great Migration, 1910 to 1970"(https://www.census.gov/dataviz/visualizations/020)は、1910年から1970年までに推計600万人の黒人が南部を離れたとしている。1930年に北部の各区分に住んでいた黒人のうち、南部で学齢期を過ごした人の割合は確認していない。

    [64] Oakes(前掲注3)の冒頭部分による。

    [65] Firebaugh(前掲注3)。

    [66] Firebaugh(前掲注56)。規則の言明は p. 560(原文は "Cross-level bias is absent when, and only when, β2 = 0 in the structural equation Y = a + β1X1 + β2X̄1 + e")、要旨では "bias is absent when, and only when, the group mean of the independent variable (X) has no effect on Y, with X controlled" と述べる。誤差項についての仮定と構造パラメータの導出は p. 561。地域内の傾きに焦点を置く理由と、全体の傾きの分解(Duncan, O. D., Cuzzort, R. P., & Duncan, B. (1961). Statistical Geography. Glencoe, IL: Free Press, p. 66 からの引用)、集計の偏りと水準間の偏りの関係は p. 566。三つの場合の分類と「統合的性質」(Selvin と Hagstrom の1963年の用語)は pp. 563–565 と表1。黒人の割合についての記述は p. 560。集団の効果が本物か見かけのものかは理論で判断するほかないという記述は p. 564。

    [67] 注16の五区分に基づく筆者の計算。地域間の回帰は各区分の人口で重みづけしている。bTb_T は全国の黒人と白人の非識字率の差(16.27%−2.73%)に等しい。比の関係式は、r=bTSTXX/STYYr=b_T\sqrt{S^{T}{XX}/S^{T}{YY}} と re=bBSBXX/SBYYr_e=b_B\sqrt{S^{B}{XX}/S^{B}{YY}} の比をとれば得られる。五区分では bB/bT≈1.547b_B/b_T\approx 1.547、ηXA/ηYA≈2.942\eta_{XA}/\eta_{YA}\approx 2.942 で、その積は約4.553になり、re/rr_e/r に一致する。集計データからの推論には相関係数ではなく回帰係数を用いるべきだという整理は Firebaugh(前掲注56)p. 558 による。同論文は、その根拠を Goodman の1953年と1959年の論文に求めている。

    [68] Goodman, L. A. (1953). "Ecological Regressions and Behavior of Individuals." American Sociological Review, 18(6), 663–664. Goodman, L. A. (1959). "Some Alternatives to Ecological Correlation." American Journal of Sociology, 64(6), 610–625.

    [69] 注16の五区分に基づく筆者の計算。重みなしで当てはめると白人約2.1%、黒人約22.7%。実際の全国値は Robinson の表1による。相関は各区分の人口で重みづけした。区分が五つしかなく、そのうち一つは人工的な残余であるため、これらの相関は構造を示す例示であって、一般的な推定値ではない。

    [70] Subramanian ほか(注3)p. 343。原典は Hanushek, E. A., Jackson, J. E., & Kain, J. F. (1974). "Model specification, use of aggregate data, and the ecological correlation fallacy." Political Methodology, 1, 89–107、および Langbein, L. I., & Lichtman, A. J. (1978). Ecological Inference. Beverly Hills, CA: Sage。筆者は両原典を直接確認していない。ファイアボーの整理は Firebaugh(前掲注56)pp. 569–570。原文は、前者の場合について "the ecological fallacy is itself a near fallacy" と書く。

    [71] Duncan, O. D., & Davis, B. (1953). "An Alternative to Ecological Correlation." American Sociological Review, 18(6), 665–666. Shively(前掲注31)は、この手法をグッドマンらの生態学的回帰と並ぶ部分的な解決策として検討している。

    [72] 注16の五区分に基づく筆者の計算。同じ区分で白人の非識字率は0%から7.0%のあいだとなる。

    [73] Cho, W. K. T., & Manski, C. F. (2008). "Cross-Level/Ecological Inference." In J. M. Box-Steffensmeier, H. E. Brady, & D. Collier (Eds.), The Oxford Handbook of Political Methodology (pp. 530–569). Oxford: Oxford University Press. doi:10.1093/oxfordhb/9780199286546.003.0024. 本文の要約は同章の要旨による。

    [74] King, G. (1997). A Solution to the Ecological Inference Problem: Reconstructing Individual Behavior from Aggregate Data. Princeton, NJ: Princeton University Press.

    [75] Freedman, D. A., Klein, S. P., Ostland, M., & Roberts, M. R. (1998). Review of "A Solution to the Ecological Inference Problem." Journal of the American Statistical Association, 93(444), 1518–1522. King, G. (1999). "The Future of Ecological Inference Research: A Reply to Freedman et al." Journal of the American Statistical Association, 94, 352–355. Freedman, D. A., Ostland, M., Roberts, M. R., & Klein, S. P. (1999). "Response to King's Comment." Journal of the American Statistical Association, 94, 355–357.

    [76] Wakefield(前掲注3)。Firebaugh(前掲注56)p. 570 の注16。

    [77] Openshaw, S., & Taylor, P. J. (1979). "A Million or so Correlation Coefficients: Three Experiments on the Modifiable Areal Unit Problem." In N. Wrigley (Ed.), Statistical Applications in the Spatial Sciences (pp. 127–144). London: Pion. 尺度効果と区割り効果の区別、およびこの名称の定着については Wong, D. W. S. (2004). "The Modifiable Areal Unit Problem (MAUP)." Springer, doi:10.1007/978-1-4020-2352-1_93 を参照。

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