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30. 私が、この記録を残す理由

    第1回から第29回までに書いたのは、2024年12月頃までに私が直面してきた世界の、ごく一部です。何かがおかしいと感じてから約40年。経験したこと、見聞きしたこと、相談を受けたこと、まだ言葉にできないことが数多くあります。

    記録を残そうと思ったのは、次の若い世代の人たちの目を、まっすぐに見られなくなったからです。知っていることを語らずにいるのは、彼らに嘘をついているのと同じではないか。そう感じていました。

    過去の経験が夢に現れ、SDA教会員の家族からの電話が鳴るたびに過呼吸になることもありました。心身の状態を放置してはいけないと判断し、自ら関係機関に連絡しました。現在は専門家などの助言や指示に従って対応しています。

    小学2年生の頃から、SDA教会に通う家族の背後に、理解できない、どす黒い何かを感じていました。家庭では、SDAクリスチャンたちが牧師から聞いた言葉を、その意味や理由を説明せずに繰り返していました。

    三育学院の中学・高校では、同級生とも疑問を共有するようになりました。退学や停学になった人たちは、自分の感覚に正直だったのかもしれません。今も「古傷が痛む」と語る人がいます。その後、自死によって亡くなった友人たちもいて、安心して話せる相手がいなくなっていきました。

    忘れられないのは、彼らが生前に抱いていた疑問です。

    なぜ、生まれたときから、自分では選んでいないことについて、他人に自分の価値を決められなければならないのか。

    教会の外で相談すれば「そんな法律を守らない組織があるはずがない」「被害妄想だ」と否定され、時には謝罪まで求められる。内側では、問題を語ること自体を止められる。自分や友人たちの記憶や存在が、なかったことにされているようでした。正直であることを教えてきた大人たちは、なぜ私たちが正直に語ることを止めようとしたのでしょうか。

    さらに、教団の外部に相談する意思を伝えると、SDA教団の職員・教会員でもある家族から、「お前の人生がむちゃくちゃになるぞ」「SDA教団がお前の職場を壊す」「身内にSDA教団の牧師がいるんだぞ。だまってろよ。」「お前の職場に弁護士を送り付けて首にしてやる」と言われました。問題を解決するために外部へ助けを求めようとすることさえ、脅迫的な言葉によって妨げられていたのです。

    だから、記録を残すのです。私があの世界を生き延び、今ここにいる。その事実が消されないように、証拠を残しておくのです。

    国内外には、SDA教会との関係で苦痛を訴える人たちがいます。海外のRedditなどにも元信徒や宗教2世の経験談があります。個々の事実関係は確認が必要ですが、同じ疑問を持つ人の存在を知る手がかりになります。

    私が誰なのか分かる教団関係者もいるでしょう。これまで「勝ちたくないのか」「負けるぞ」と言われてきました。しかし、それは相手が持ち込んだ基準です。私にとって勝ち負けはどうでもよいのです。

    私は、理解したいのです。

    なぜ、あのようなことが起きたのか。正直であることを教えられながら、なぜ正直に話せなかったのか。なぜ事実を確かめることが問題にされ、教会を離れた後も恐怖が続いたのか。分かったことと、まだ分からないことを区別して記録したいのです。

    今もSDA教団や三育学院には、疑問を持つことに罪悪感や恐怖を抱える子どもたちがいるかもしれません。それは信仰でも教育でもない。虐待です。

    外の世界との接触が制限された子どもが、教団の大人から「私たちは若い人たちを虐待なんかしていないよね」「教会の中で変な家族と思われる」と尋ねられたら、自由に答えられるでしょうか。

    本当のことを話せば親を困らせ、帰る場所や生まれ育った世界を失うかもしれない。その恐れから生まれる沈黙を、大人たちは理解できるのでしょうか。

    私は、信仰が人を支える姿も、人の意思や自由が尊重されない姿も見てきました。

    数十年後、今の大人たちがもういない時代に、子どもたちが「何かがおかしい」と感じたとき、教えられた七日間の世界だけでなく、その先にある「8日目」の世界を知り、自分の意思で一歩を踏み出せるように。

    勝つためでも、誰かを負かすためでもありません。

    理解できないままにされてきた世界を記録し、次の世代が自分で考え、選択するための手がかりを残したいのです。

    2026年10月21日
    言っていることと、やっていること

     
     
    セブンスデー・アドベンチスト教会と三育学院に関係する環境で育ちました。 子どもの頃から感じていた違和感、家族と教会の境界、記録、そして回復の過程を、個人の経験として書いています。 記録・記憶・現在の解釈をできるだけ分けて残します。 NoMoreSeventh。第七日の、その先へ。

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