
就職氷河期クライシス、或いは、売れ残りのマッチングアプリ
歳上が苦手だ。
昭和の価値観バリバリの、根性論至上主義なあの感じ。
私が子どもの頃に刷り込まれた、『苦労は買ってでもしろ』というのは、もしかしたら、こういう根性論的なところに根ざしていたのかもしれない。
ただ、私は悲劇のヒロイン的な背景を持つ人のことのように、履き違えてしまっていたようだけれど。
私の精神年齢が低いのであろう。普段は積極的に関わりたいとは思えない「歳上」だけれど、マッチングアプリや婚活をする上では選択肢から完全に除外することはできない。
あまりにも歳の離れた60オーバーの人にいいねされるとギョッとするけれど、そういう場合は静かに画面をスクロールする。
ある時、少し歳上だけれど、話してみてもいいかなと思う人とマッチしてメッセージのやりとりをした。
初回早々、その人からのメッセージ上に、
『就職氷河期世代かぁ。僕は、バブル世代なんだよね』
という言葉が踊っていた。
それ自体は、なんら間違ってはいない。
年齢を世代で区切ればそうだろう。
ただ、やけに文面から臭ってくる「バブリー臭満載」の、(大変だっただろうね)という温度のマウンティング感に、嫌悪感を感じた。
こいつ、バブル時代に、相当遊んでたやつだ……
バブル世代だからと言って、すべての人が景気よくあそびに呆けていたわけではないだろう。
同じように、就職氷河期世代と一括りにされるのにもカチンとくる。あなたたち世代に、見下され、憐れまれる由縁はない。
同世代の女子は、たぶん全員が就職を目指すような世代ではなかったように思う。
世代的に割を食っているのは確かだ。けれど、みんながリクルートスーツに身を包んで、画面の向こうに浮かぶ黒だかりの悲壮感の中にいたかと言われたら、疑問符がつく私もいる。
人口比率でいったら間違いなくボリュームゾーンだし、まだ昭和の『女は永久就職』、つまり“誰かのオクサンになって、専業主婦となる。”という「就職」の形が普通にあった。例え会社勤めをしたとしても、与えられる仕事は、お茶汲み、コピー取りが当たり前で、『お局様』という含みを孕んだ売れ残りになる前に、さっさと結婚して寿退社を目指すのが良しとされていた。つまり、就職は、ただの腰掛けにすぎない人もたくさんいた。
そんな社会を、視線の端に見せられていた私は、普通に学校を卒業して就職するという道に魅力を感じることはできなかったし、バイトでもして出会った人と早々に結婚して、「上がり」となることを夢見ていた。そんな人も割といたんじゃないかと思うのは、世界が狭すぎるのだろうか。
実際、就職氷河期世代と言われるより、アムラー世代、コギャル世代と言われた方がピンとくる。
女子たちは、自分たちに科された悲哀を悲観することもせず、もっと明るくパワフルで、社会が不景気に落ち込もうとしているその空気を、どこか見ずして活気に変換しようとする気概があったように思う。
バブルの恩恵を受けられなかった、ちょっと生まれるのが遅かった残念な世代に見えたのか知らないけれど、私たちの青春は、もっと熱があって、勢いがあったよ。
下の世代から見ても、楽しそうで羨ましいと言われるような時代だった。
あの頃聴いていた音楽は、いまだにそのカッコ良さが衰えることはない。
同世代や歳下と話している方が楽しい。
ますます、婚活なんて、この歳では無理ゲーだなと思って、人生を下に下にとスクロールする。
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次回|神輿とフレネミー
このエッセイは、note創作大賞2026への応募作品として、 無職の一年を18の物語で綴る連載です。
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