
昭和の夢を追いかけた社長――「もう少し頑張ろう」と言っている間に過ぎた30年 あの社長の人生を、もう一度考えてみた
昭和の夢を追いかけた社長――「もう少し頑張ろう」と言っている間に過ぎた30年
あの社長の人生を、もう一度考えてみた
以前、私が知っていた会社の社長について記事を書いた。
会社を大きくしようとして、中国に進出し、外注化を進め、売上を増やそうとした社長の話である。
しかし、仕事を増やしても利益が残らない。
会社を成長させるために始めたことが、かえって経営を苦しくしてしまった。
そんな話だった。
ところが、この記事を書いてから、私は少し違うことを考えるようになった。
あの社長は、本当に経営に失敗したのだろうか。
そもそも、社長が若い頃と、会社を経営していた頃では、日本経済そのものが大きく変わっていた。
一人の経営者の人生を振り返ることは、失われた30年の日本を振り返ることでもあるのではないか。
今回は、そんな話をしてみたい。
昔の日本には、明日への希望があった
社長が若かった頃の日本は、今ほど豊かな国ではなかった。
映画『ALWAYS 三丁目の夕日』に描かれたような世界である。
テレビが家にやってきた。
冷蔵庫を買った。
洗濯機を買った。
やがて自家用車を持つようになった。
昨日より今日、今日より明日の方が豊かになる。
そんな時代だった。
もちろん、当時の生活は決して楽ではなかった。
今のように便利な家電もなければ、社会保障も十分ではない。
それでも、頑張って働けば生活が良くなるという希望があった。
そして、自分の会社を持つことを夢見る人たちがいた。
小さな事務所に机を一つ置いて商売を始める。
自分で営業して仕事を取ってくる。
少しずつ取引先を増やし、社員を雇い、会社を大きくしていく。
そんな社長たちが、日本中にいた。
日本経済を支えていたのは、トヨタやソニーのような大企業だけではなかった。
全国に無数に存在した中小企業の経営者たちも、日本の成長を支えていたのである。
あの社長も、そんな時代に夢を持った一人だったのかもしれない。
不況になっても、また景気は戻ると思っていた
昭和の日本にも不況はあった。
オイルショックもあったし、円高不況もあった。
しかし、日本経済は何度も危機を乗り越えてきた。
不況になっても、しばらく我慢していれば景気が戻ってくる。
そういう経験をしてきた経営者は多かったはずだ。
だから、バブルが崩壊したときも、数年も我慢すれば何とかなると考えた人は少なくなかったのではないか。
ところが、今度は違った。
1990年代には金融危機が起こり、その後もデフレや低成長が長く続いた。
途中には景気回復期もあったが、2008年にはリーマンショックが起きた。
景気が良くなりそうになると、また別の問題が起きる。
そんなことを繰り返しているうちに、10年が過ぎ、20年が過ぎた。
そして、気がつけば30年である。
「もう少し頑張ろう」
そう言っている間に過ぎた30年間だったのかもしれない。
会社を大きくすれば何とかなる
あの社長も、会社を大きくしようとしていた。
営業を強化して仕事を取ってくる。
利益率が低くても仕事を受注する。
外注化を進めて経費を削減する。
さらには中国にも進出した。
今になって考えると、無理な経営だったようにも見える。
しかし、当時の日本では、似たような経営判断をした会社が数多くあった。
中国に進出すれば儲かる。
人件費を削減すれば利益が増える。
正社員を減らして外注化すれば経営効率が良くなる。
そんな話が盛んに語られていた時代だった。
銀行やコンサルタントから、事業拡大や経営改革を勧められた経営者もいただろう。
あの社長が具体的に誰からどんな助言を受けていたのか、私にはわからない。
しかし、当時の経営環境を考えれば、社長が選んだ方向は決して珍しいものではなかった。
問題は、仕事を増やしても利益が残らないことだった。
安い仕事を大量に受注する。
会社は忙しくなる。
しかし、利益は増えない。
利益が増えないから、さらに仕事を取ってくる。
これでは、いつまでたっても楽にならない。
会社を成長させるための経営が、いつの間にか会社を存続させるための経営に変わっていたのかもしれない。
デフレの時代の申し子だったのかもしれない
私は、この社長をデフレの時代の申し子だったのではないかと思う。
安く仕事を取る。
経費を削減する。
外注化する。
海外に進出する。
これらは、デフレと価格競争の時代に企業が生き残るための典型的な対応でもあった。
もちろん、こうした方法で成功した会社もある。
しかし、価格を下げることと、利益を増やすことは同じではない。
そして、会社を大きくすることと、経営を安定させることも同じではない。
ここには、高度成長期とは違う難しさがあった。
高度成長期には、市場そのものが大きくなっていた。
新しい顧客が増え、新しい仕事が生まれていた。
ところが、成熟した市場では、既存の仕事を企業同士で奪い合うことになる。
価格競争も激しくなる。
あの社長は、若い頃に経験した成長の時代を、もう一度取り戻そうとしていたのかもしれない。
しかし、時代は変わっていた。
経営者の責任と、時代の責任
もちろん、会社の経営判断について最終的な責任を負うのは経営者である。
無理な事業拡大をしたことも、利益率の低い仕事を引き受けたことも、経営者自身の判断だった。
だから、すべてを時代のせいにすることはできない。
しかし、だからといって、すべてを社長個人の能力の問題にするのも違うと思う。
もし、あの社長が高度成長期に事業を拡大していたらどうなっていただろうか。
もし、バブル崩壊後の日本経済が数年で回復していたらどうなっていただろうか。
もし、適度なインフレと賃金上昇が続いていたらどうなっていただろうか。
もちろん、答えは誰にもわからない。
インフレの時代でも経営に失敗する会社はあるし、デフレの時代でも成功した会社はある。
ただ、経営者の能力だけで会社の運命が決まるわけではない。
時代によって、同じ経営判断が成功することもあれば、失敗することもある。
そのことは忘れてはいけないと思う。
社長は自分の時代を生きた
あの社長は、すでに経営から引退している。
会社も手放した。
だから、今さら私が「ああすればよかった」「こうすればよかった」と批評するつもりはない。
自分で会社を興し、社員を雇い、長い年月にわたって経営を続けてきた。
それだけでも、誰にでもできることではない。
若い頃には、自分の会社を持つという夢があった。
そして、その夢を実現した。
その後には、楽しいことも苦しいこともあっただろう。
会社を大きくしようと努力し、時代の変化に対応しようとした。
そして最後には、会社を手放して経営から退いた。
それを失敗した人生と呼ぶ必要があるのだろうか。
私はそうは思わない。
失われた30年に、失われなかったもの
日本経済について語るとき、私たちはよく「失われた30年」という言葉を使う。
確かに、日本経済は長い停滞を経験した。
しかし、その30年間を生きた人々の人生まで、すべて失われたわけではない。
会社を経営し、社員を雇い、取引先との関係を守り、毎日の仕事を続けてきた人たちがいる。
その一人が、あの社長だった。
会社を大きくするという夢を持ち、その夢を追いかけた。
そして、時代が変わっても走り続けた。
今では、もう経営の第一線から退いている。
あの社長が今、どんな気持ちで昔を振り返っているのかはわからない。
しかし、自分の会社を持つという若い頃の夢を実現できたことは事実である。
それだけでも、十分に意味のある人生だったのではないかと思う。
失われた30年とは、日本経済の話であって、そこを生きた人々の人生が無駄だったという意味ではない。
私は、そう考えている。
次回は、あの社長の経営から少し離れて、なぜ昭和の日本では小さな会社を興して豊かになることができたのか、そしてなぜ今ではそれが難しくなったのかを考えてみたい。