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習い事の先生という、ふしぎな立ち位置

    10月になりました。
    教室では、今日から後期です。

    次の学年に向かって、
    それぞれのペースに合わせて、
    少しずつ歩幅を広げていくお稽古に
    切り替えていきます。

    春に入会した生徒さんたちは、
    最初の不安そうな表情がすっかり消えて、
    気づけばずっと前からそこにいたような顔で
    笑ってくれています。

    その笑顔の向こうには、
    お母さま方がいつも気にかけてくださって、
    ときどきLINEで様子を尋ねてくださる。

    そんな温かなやりとりのたびに、
    思い出すことがあります。


    20年以上前の私

    初めての子育てに、毎日戸惑っていました。
    引っ越してきたばかりの東大阪には、
    知り合いが一人もいません。

    自分から積極的に
    友達をつくるのは得意ではなく、
    もともと一人で過ごす時間が
    好きなタイプではあります。

    それでも子育て期だけは、
    「世の中のお母さんって、こんなに孤独なの?」
    と、社会から切り離されるような思いを
    実感しました。

    そんな頃、
    子供の習い事の先生との、
    ふとした心の交流に、
    私はずいぶん励まされていました。

    特別な出来事があったわけではありません。
    「何曜日の何時から何時まで」
    という決まった時間の中で過ごした、
    何気ない日々の積み重ねです。

    レッスンの様子を中で見ることはありませんが、
    送迎のときに、先生と子供が
    楽しそうに話す様子を垣間見て
    嬉しく思ったり。

    私は保護者なので、
    立ち話もできませんから、

    ガラケーメールで先生に
    ときどき様子をお伺いしたり、

    当時は珍しかった教室ブログから
    レッスンで先生が感じたことを
    読ませてもらったり。

    本当に、何か特別な出来事が
    あったわけではないのです。

    でも、学校でも家でもない場所で

    幼いわが子が、
    大人とコミュニケーションをとり、
    新しいことを学び、考え、笑い、
    楽しそうに過ごしている。

    先生は、気になることは知らせてくれるけれど
    「大丈夫だよ!」
    と、いつも前向きに一緒に見守ってくれる。

    私も子育てが終わる頃、
    こんな大人になれたらいいな
    と、
    あの頃は思っていました。


    自然にあった時代

    思えば、私が育った昭和の時代は、
    こういう関わりが

    「わざわざ作るもの」

    ではありませんでした。

    近所の人、
    習い事の先生、
    親戚でも友達でもない大人たち。

    そういう人たちが、
    生活のあちこちにいて、

    ちょっと声をかけてくれたり、
    黙って見ていてくれたりする。

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    「大きくなったねぇ」
    「発表会頑張ってね!」
    「試合残念だったね、でも格好良かったよ」
    「おばちゃん、今晩おかず作りすぎちゃったから食べてみて~」
    「買い物行くけど、なんか買ってこようか?」

    誰かが意図して用意したわけではなく、
    ただ自然にそこにありました。

    子供だった私も、
    その「自然」に、
    知らないうちに
    たくさん救われていたのだと思います。

    親にも友達にも言えないことが、
    ふと習い事の帰り道で軽くなっていたり、

    大人の何気ない一言で
    気持ちが立ち直ったり。

    あとから気づくような救われ方でした。

    そして大人になった私も、
    あの頃、子育ての真ん中で、
    同じように救われていました。


    学校でも家庭でもないのに、守られている場所

    習い事の先生の立ち位置は、
    とてもふしぎなところにあります。

    学校とも家庭とも違います。
    それなのに、安全で、守られている。

    評価されすぎず、
    急かされすぎず、
    ただ「その子のまま」でいられる場所です。

    今は、そういう関わりが
    自然に生まれる機会が、
    なかなかない時代になりました。


    だからこそ、この時間を守りたい

    筆を持つ時間が、
    字の上達だけでなく、
    誰かにとっての
    安心できる居場所にもなっていたら。

    あの頃の私が受け取ったものを、
    今度は私が渡す側にいられたら。

    習い事の先生は、
    親でも学校の先生でもない、
    ちょうどいい距離の大人でいられる。

    子どもたちの笑顔や迷いと共に
    これからもこの時間を大切にしていきたいです。


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    東大阪で「桜書道教室」主宰。書歴40年以上・教育書道会範士。大学で心理学を学び認定心理士取得。老犬介護と子育てを経て2ワン🐾の母。書を通じ子どもの感覚と考える力を育み、noteに気づきを綴ります。 https://sakura-syodo.wixsite.com/official

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