
紙へ原点回帰するデジタル先進国、タブレット学習が広がる日本
東大阪市では夏休みに、
市内の児童が参加できる作品展への出品が
自由課題として出されます。
せっかくなので、桜書道教室でも生徒さんが
この課題に取り組む期間を設けているのですが、
その出品者数の激減ぶりには、
毎年驚かされています。
平成の後半は2,500点前後
令和元年でも2,000点ほどあった出品数が、
昨年は1000点にも届かない数まで落ち込んだと伺いました。
ご兄姉がおられて、毎年のように
作品展に足を運んでおられるお母さま方も
規模の縮小に大変驚いておられたほどです。
実際、今の高校生以上の世代にとって
書道は習いたい子も多い
人気の習い事のひとつで、
高校生になった今でも書道部・運動部関わらず
変わらず続けてくれている子が多いです。
けれど今の小学生は、
書道そのものへの関心が
ほぼないようなリアクションをすることも多いようで、
「せっかく教室が楽しいから
“一緒に行こうよ〜😃”って誘ったのに、
友達が全然興味なさそうなんよ〜😥」
という寂しい話を、ここ2年ほどよく耳にします。
でも、これは実にもったいない話だと思うのです。
いま、多くの教育現場で
タブレット学習が急速に広がっています。
文字を打てば読みやすく整い、直しも簡単。
効率だけを考えれば、
デジタルに軍配が上がるように思えます。
けれど、手で文字を書くという行為には、
実は脳科学的な裏付けもあるようです。
印象に残ったのが、
ノルウェー科学技術大学の報告です。
大学生にペンで手書きしてもらったときと、
キーボードで入力してもらったときの
脳の働きを比べたところ、
手で書いているときの方が、
記憶や学習に関わる脳の領域を含めて、
脳の各領域のつながりが
明らかに豊かになっていたそうです。
この幅広い脳の連携は、
記憶の形成や新しい情報を刻みつけることに
一役買っているのだとか。
一方で、今私たちが便利に使っている
タイピングでは、そうした反応は
見られなかったとのことです。
東京大学の研究でも、
似たような結果が出ています。
紙の手帳・タブレット・スマートフォン
のいずれかに予定を書き込んでもらい、
しばらく経ってから
内容を思い出してもらいながら
脳の働きを調べたところ、
紙に書いたグループの方が、
記憶を取り出すときの脳活動が強かったそうです。
筆圧、摩擦、紙の感触といった身体感覚が、
脳に"ユニークな記憶刺激"
として刻まれるのだとか。
画面をタップするだけでは得られない、
紙との「やり取り」があるからこそのようです。
つまり、
手を動かして文字を「かたち作る」
という行為そのものが、
脳にとって特別な刺激になっている
ということなのだと思います。
こうした背景もあってか、海外では、
タブレット学習の普及を
一度立ち止まって見直す動きも増えてきているようです。
例えばアメリカ・カリフォルニア州では2024年、
公立小学校での筆記体指導が義務化されました。
実際の授業は、発達段階に合わせた
「適切な学年(一般的には3年生以上)」で実施されます。
この背景にあるのは、
手書きが脳の発達を刺激し、
思考力や記憶力を育むという科学的な再評価です。
加えて、合衆国憲法などの
歴史的文書を原文のまま読み解くための
「文化的リテラシー」を残したいという意図もあるそうです。
そしてもう一つ切実なのが「サイン」の問題です。
デジタル化が進んだ結果、
自分の名前を筆記体でサインすることすら
できない若者が増え、
「社会人として必要な最低限の
自立性が失われているのでは」
という危機感が広がっていたのです。
日本人のおばちゃんの私ですら
筆記体で書けるのに、
ネイティブの若者が読み書きできないのは
ちょっとびっくりですよね。
スウェーデンでも、
いち早く進めたデジタル教育から
「紙と鉛筆で学ぶ基礎」へ原点回帰する動きが
広がっています。
デジタルが便利であることは間違いありません。
それでも、
世界中で「手で書く」ことの価値が
あらためて見直されているのを知ると、
教室で真剣に筆やペンを動かす子どもたちの時間が、
どれほど豊かなものであるかを実感します。
しかも書道は、
ただ字を書くだけの習い事ではありません。
自分の内側にあるものを、線として表す。
れっきとした自己表現のための芸術です。
柔道や空手道、剣道と同じように、
書道にもまた、
先人たちが積み重ねてきた型があります。
型を習得していく中で
姿勢が整い、
呼吸が整い、
やがて心が整っていく。
行き着く先にあるのは、
上手に書けるようになることだけではなく、
自分自身の精神性を
自分の手で研ぎ澄ましていくことなのだと思います。
「ただ座って、大人しく字を整えるだけの習い事」
——そんなふうに思われがちな書道ですが、
その一画一画の奥には、
武道と同じように、
自分と向き合う時間が流れています。
書道人口の減少は
コストパフォーマンス、
タイムパフォーマンス。
何でも「効率」や「最短距離」が
評価される時代の波に、
書道もまた、
のみ込まれかけているのかもしれません。
動画を何本見ても、
何時間ゲームしても、
実際に自分の手を動かした経験には敵わない。
頭では分かっていても、
体験したことにはならない
——そんな声を、
長年子供たちを見てこられた教育関係の
先生方からも本当によく伺います。
書道の一画一画を積み重ねる時間そのものが、
脳を、そして心を育てているのだとしたら
——それは、決して非効率でも
遠回りでもないのかもしれません。
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