
【夫婦関係 思いやり】 思いやりは、自然にできなければ嘘なのか
「言ってくれればやるのに」
家事のことで、夫がそう言う。ゴミ出しでも掃除でも、頼めばやってくれる。助かっているのは確かだ。それでも妻の中には、少しもやもやが残る。
何が必要かに気づき、頼む言葉を考えるところまでは、ずっと自分がやっているからだ。
「女の『察して』は、そんなに難しいのか」という記事で、妻が求めているのは、家事を一つ代わってもらうことだけではなく、自分の様子を見ていてもらうことではないか、と書いた。
このすれ違いは、家事以外のところでも起きる。
たとえば、妻が仕事で嫌なことがあったと話す。
夫は「その人に悪気はなかったんじゃない?」と言いかけて、やめられるようになったかもしれない。妻が今ほしいのは、相手をかばう説明ではない。前に妻からそう言われたことを思い出して、少し考えてから「それは嫌だったね」と返せるようになったからだ。
妻は、その言葉を聞く。
以前なら、話し終わる前に別の見方を示されていた。今日は最後まで聞いてくれたし、気持ちを受け止める言葉も返ってきた。夫が変わろうとしていることは、分かる。
それでも、どこか寂しい。
夫が考えた末に口にした「それは嫌だったね」は、妻には、前に教えた言葉を思い出して使ったように聞こえるからだ。自分の話を聞いて、夫自身の中で「何かが動いた」ようには感じられないのだ。
夫は、自分には妻のように思えなくても、妻が傷ついたという話を聞こうとして、言いかけた反論を飲み込んでいた。
夫が飲み込んだ言葉は聞こえない。妻に届くのは、短い一言だけだ。
もちろん、妻の寂しさは、この一度の返事だけで生まれたものではない。何度も話して、何度も分かってもらえなかった時間がある。一度言い方を変えたからといって、それまでのことが消えるわけではない。
そのうえ、夫が少し考えてから返した言葉は、とっさに出た言葉よりも、用意していたものに聞こえることさえある。
では、夫が「本当は別のことを言いたかったけれど、君の気持ちを考えて言い直した」と説明したらどうだろう。
妻には、自分のつらさを話しているときに、夫の努力を認めるよう求められていると聞こえるかもしれない。説明しなければ見えない。説明すれば、今度は妻がそれを受け取る仕事を負う。
自分の中で起きていることを、相手にも見てほしい。その気持ちは、夫にもある。「最悪の一日を過ごした、言ってくれなきゃわからない夫」は、夫の側が、見てもらえなかったと感じた日の話だった。
妻はその後、夫にもう少し具体的に伝える。
「嫌だったね、と言ってくれるのはうれしい。でも、それで話が終わると寂しい。何があったのか、私がどう思ったのか、もう少し聞いてほしい」
しばらくして、また妻に嫌なことがあった日。夫は話を遮らずに聞き、「いやだったね。何があったの?」と尋ねる。
聞いてくれたことは、うれしい。
妻が続きを話そうとしたとき、ふと思う。
それも、私が聞いてほしいと言った言葉だった。
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