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Photo byshiekasai

​30代女の友情|対岸の私たち。「子ども可愛いね」を強制したくない私のざわつく本音

    こんにちは。第二子育休中ちりめんです。

    未婚・既婚、子あり・子なし、働いているか・専業主婦か…女の友情は複雑で脆い。

    女性同士…ではなく男性も当てはまるかもしれませんが、20代までは共に笑い合ってた友人達も私も、30代半ばを迎えるとライフステージは人それぞれ。

    結婚、出産、仕事。ライフステージが変わるにつれて、昔からの友人との関係にも、少しずつ変化が生まれることがあります。

    今、私もそんな悩みの真っただ中にいます。
    ライフステージが異なる友人との関わりって難しい。というミドサーあるあるについて、今まさに悩んでいる話です。

    幼馴染といつの間にかできた距離

    私には、ひとつ上の幼馴染がいます。
    赤ちゃんの頃からの付き合いで、小学生の頃までは夏休みになればずっと一緒に過ごしていました。大人になって会う頻度が減ってからも、会えば何時間でも話が尽きない大切な友達でした。

    ​けれど、いつからか少しずつ距離ができ始めました。​私が結婚し、一人、二人と子どもが生まれるにつれて、連絡の頻度は自然と減っていきました。気づけば私たちは川を挟んだ向こうとこちら、「異なる立場」に立っている感覚をお互い持っている気がします。

    ​そんな彼女から先日、「少しでいいから会えないかな?」と連絡をもらいました。

    ​声をかけてくれたことは、本当に、すごく嬉しいです。その反面、「どんな話をすればいいんだろう」「うまく共感できるかな」と、私の胸の奥はざわざわと波立っています。

    ​「年齢的に結婚や出産に焦っているのかもしれない」なんていうのは、私の勝手な想像に過ぎません。彼女には彼女の価値観や生活があるはずなのに、決めつけるのはとても失礼な話です。
    ​それでも私がここまで過剰に身構えてしまうのは、私自身が独身で子どもがいなかった頃の「冷めた感情」を、いまも鮮明に覚えているからです。

    「可愛いね」と言わなきゃいけない空気に疲れてた

    今でこそ2児の母ですが、私は元々「子どもが大好き!」というタイプではありません。
    独身の頃、友人たちの集まりに誰かが子連れで来る回が増えるにつれ、どこか冷めた気持ちになっていました。もちろん小さい子供を「可愛いね」とは思います。
    でも、話題がどうしても子ども中心になってしまうのが正直苦手で、心の底から可愛いと思えていたわけではありませんでした。

    周りに合わせて「わー!可愛い〜!」とはしゃいでみせる。相手に悪気がないことも、子どもを見せたい気持ちも分かる。それでも、心の中で感じている以上の熱量で「可愛い」と言わなければいけないような空気に、どっと疲れてしまうことがありました。

    相手に悪気がないのは分かっていても、眩しさと居心地の悪さが混ざり合い、自分の精神衛生を保つために、少しずつ距離を置くようになった時期もあります。

    ​だからこそ子連れ同士以外では「自分が親になったら、絶対に子連れで友達に会うのはやめよう」と心に決めて、一人目の時はそれを徹底していましま。

    ​けれど、子が二人になり連れて行かざるを得ない場面も出てきました。今回の再会も、どうしても片方は同席することになりそうです。

    ​そうなった瞬間、昔の自分の感情がよみがえります。
    彼女も昔の私と同じように「また子ども連れか……」と辟易するのではないか。本当は可愛いと思っていなくても(その時の状況によっては可愛いと思えない時ってあると思うのです)、「子ども可愛いね」と言わなきゃいけない無言の強制力を相手に与えてしまうのが、たまらなく嫌。
    自分がかつて苦手だった「可愛いねを強制する側」に、今度は自分が立ってしまう。そのことに、申し訳なさを感じています。

    ​「女性の友情はライフステージが変われば合わなくなるのが当たり前。50代になればまた合流する」

    という話もよく聞きます。もし会うのが億劫なら、今は会わない選択だってあるはずです。
    ​でも、今回の難しさはそこではありません。
    ​立場が変われば声をかけるハードルが高くなることを一番分かっているはずの彼女が、それを乗り越えて「会おう」と言ってくれた。私はその気持ちにまっすぐ応えたいし、純粋に久しぶりに彼女に会って話したい。
    でも会うのが不安。自分の感情が矛盾だらけでざわつきます。

    ​だけど、こうやって相手の心情を勝手に察したつもりになって悩み続けること自体が、傲慢な気もします。
    「傷つけないように」「上手く寄り添えるように」と気負うこと自体、相手を勝手に「配慮が必要な存在」にしてしまっているのではないか、と。

    同感と共感の違いと現実問題

    「同感」は自分と同じだと肯定すること。
    「共感」は、相手のいる場所まで想像力を伸ばして相手に寄り添うこと。

    ​理論上は分かっています。立場が違っても共感はできるはずです。

    でも、実際にカフェで向かい合って座ったとき、私はどんな顔をしてどんな言葉を選べばいいのか。
    最近どうしてる?
    仕事は順調?
    恋愛は?
    数年間で開いた距離を埋めるために何から聞いたらいいのか、こちらは何を話したら相手が嫌な思いをしないのか、考えれば考えるほど分からなくなってきます。

    そんなに悩むなら会わなければいい。会いたいなら気にしすぎなければいい。そう思われるかもしれません。
    でも、会いたい気持ちも、不安な気持ちも、どちらも本当なのです。

    昔のように楽しく笑い合えるのか、それとも少し微妙な空気が流れてしまうのか。今はまだ分かりません。

    共通の話題が見つからない気まずさも、私の過剰な自省からくる居心地の悪さも、きっと抱えたまま会うのだと思います。

    相手の気持ちを想像することは大切だけれど、想像だけで相手の気持ちを決めつけず、目の前にいる彼女と向き合えたらいいなと思っています。

    未婚・既婚、子あり・子なし、働いているか・専業主婦か…
    35歳前後の女の友情は複雑で脆い。
    昔からの友人との関係に、正解はないのかもしれません。

    みなさんは、ライフステージが変わった友人と会うとき、どんなことを考えますか?
    昔のように話せなくなった経験や、逆に関係が変わっても続いている友情があれば、ぜひ聞いてみたいです。

    ***
    後日譚
    実際に友人に会ってから感じた事はこちら↓


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