
スナックゆきの常連さん #02 同じ夜を生き延びる人たち
今日もスナックゆきで、一杯だけ頼んだ。
フォロワーがもうすぐ1,000人になろうとしている。
会社のSlackのステータスを「離席中」にし、オフィスの狭いトイレの個室に駆け込んでは、スマートフォンの画面を親指で何度もリロードしている。あと何人だ、まだ増えないか。
そうやって冷たい無機質な数字を追いかけては、胃薬を奥歯で噛み砕いている40代の男。これほど格好悪く、浅ましい姿が他にあるだろうか。
けれど、薄暗いカウンターで冷えたグラスの結露をなぞりながら、ふと我に返る。
数字を追うことに必死になって、私は一番大切なものを見失いかけていた。画面の向こう側にいるのは、冷たいアルゴリズムでも、ただカウントされただけの記号でもない。
夜な夜なそれぞれの生活を営み、仕事に悩み、家族を思い、傷つき、ため息を吐きながらも、不器用に己の言葉を紡ぎ続けている生身の人間たちだ。
春に『常連さん #01』を書いてから、半年が経った。
今夜は、この薄暗い止まり木のカウンターで、私と同じように不揃いな夜を懸命に生き延びている、愛すべき常連さんたちの話を、丁寧にお届けしたいと思う。
かわやんさん
前回も紹介させてもらったが、スナックゆきでは欠かせない人だ。
記事を更新するたび、誰よりも早くカウンターの重い扉をガラリと開け、温かい言葉を置いていってくれる人だ。
入社式での会社倒産、理不尽ないじめ、飛び込み先で名刺を破られた日々をくぐり抜け、土木の現場で二十九年戦い続けてきた関西の「ぶっ飛んだ自由人」。
若い日の冷や汗も人生の泥水もすべて笑い飛ばすその豪快な背中に、画面の前でウジウジ悩む私はいつも胃の痛みを忘れさせてもらっている。
スナックゆきにこの人の笑い声があるだけで、湿っぽい夜の空気が一瞬で晴れ渡る。
Naoさん
日本から約1万キロの彼方、フランスの空の下から時差を越えてカウンターの隅に静かに腰掛けてくれている人だ。
20年以上暮らす異国から認知症の両親の遠距離介護に向き合い、ままならない生や老いを綴る文章は、どこまでも澄み切っていて深い思索に満ちている。
「成功も失敗も自分一人でつくったものではない」という彼女の言葉に、私は何度も強張りを解いてもらった。
何より、私が「自腹で本を刷る」と怯えていた夜、真っ先に温かい言葉で背中を押してくださった、かけがえのない恩人だ。
辻・ケネス梓さん
薄暗いスナックの静けさを心地よく引き裂き、突如として鮮やかな極彩色の風を吹き込んでくれる人だ。
中南米の太陽と耽美な文学の香りをまとい、吹き出すような疾走感あふれるユーモアから息を呑むほど美しいリリシズムまでを自在に行き来する、まさに天性の表現者。
めくるめく言葉の奔流に触れるたび、私の錆びついた感性が心地よく揺さぶられる。
日々のやり取りのなかで注いでくれる圧倒的な熱量と愛嬌に、縮こまりがちな私はいつもどれだけ元気を分けてもらっているか知れない。
水豊さん
北の大地・札幌の冷涼な空気のなかから、言葉の「美しい余白」を大切に届けてくれる人だ。
かつて酪農を営んでいた手触りから紡がれる文章は、過剰な装飾を削ぎ落とし、身体の素朴な実感へと引き戻してくれる。
世の中の「知ったかぶり」の帽子を脱ぎ捨て、「それって何?」と世界を捉え直す透き通った思考は、社内政治で凝り固まった私の頭を優しく解きほぐす。
マガジンへ記事を加えるたび、その指先の気配を見逃さずに温かな言葉を届けてくれる、誠実で静かな常連さんだ。
まだ途中さん
同じ時代を、同じ痛みと傷跡を背負って歩いている、あまりにも尊い「同志」のような人だ。
起業の挫折、古巣への出戻り、そして四人の子どもを抱えながら、消耗しない生き方を求めて日々の葛藤と思考を正直に書き残されている。
昨日、この方が「スナックゆきに行きたい」と書いてくださった記事を読んだ瞬間、不覚にも目頭が熱くなった。
「不快なら削除します」という不器用なまでの誠実さ。泥水をすすりながらも前を向こうとするその背中に、救われ、勇気をもらっているのは私の方だ。
「みんなそれぞれ、自分の夜をやってんのよ」
ゆきママがアイスピックで大きな氷を割りながら、顔も上げずに言った。
「あんたがトイレで胃薬飲んでジタバタしてる間もね、みんな自分の足で立って、自分の荷物を背負って息してんの。誰かの言葉に救われたいなら、まずはあんたが、その情けない背中を真っ直ぐに晒し続けなさいよ」
ママは砕いた氷を無造作にロックグラスへ落とすと、清潔なおしぼりをトンと置いた。
その通りだ。
フォロワーの数字が何人になろうと、私は何者かになれるわけではない。
明日もまた年下上司に頭を下げ、フロアの片隅で一日をやり過ごすだけの、冴えない出戻りの平社員だ。
けれど、この薄暗い止まり木の暖簾をくぐれば、同じように傷だらけになりながら、不揃いな夜を生き延びている人たちがいる。
一人きりで泥舟を漕いでいるわけじゃなかった。
それだけで、明日の一日をどうにか生き延びられる気がするのだ。
グラスが空いた。
今日はここまでにする。
※日頃の心からの感謝を込めて、ご紹介させていただきました。もし掲載に不都合等がございましたら、お手数ですがコメント等でお知らせいただければ、速やかに修正・対応いたします。
【自腹で本を刷るプロジェクト、進行中】
フォロワーが1,000人に達した夜、この『スナックゆきで、一杯だけ』を自費出版で紙の本(ZINE)にします。
現在、982人(あと18人)。
誰の人生の役にも立たない恥辱と泥水の記録を、逃げ場のない紙の質量として世の中に晒すための、40代男のみっともない悪あがきです。
型落ちの40代が泥をすする姿を、もう少し見てみたいと思ってくれたなら、スキやフォローで「カウンターの席」を確保してもらえると嬉しいです。

はじめてスナックゆきに 来てくれた方へ。
私がどんな人間で、
なぜこのエッセイを書いているのか。
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