
対話篇:女性建築家と『100日後に別れる僕と彼』
(車椅子の女性建築家と、ある男の対話)
※真面目な考察を期待される方は論考①と②をどうぞです。シリーズについてはマガジンをどうぞ。
I氏と
キミは暑がりな熱帯魚を推測としては外れだろうと言ったから、私としてはスロープを比喩ではなくそのものとして扱いたい。
スロープは、あれはあれで不便なものだ。手動の車椅子で坂道を登る苦労が分かるかい?
だから、スロープがあっても意味がない、という意見はありえる。傾斜をゆるくしたり、そもそも段差をなくしたり、調整していくこともできるし、すべきだ。
けれど、スロープが――たとえ不十分なそれであっても――あると生きられない、と言う車椅子ユーザは、少なくとも私には思い浮かべられない。
だから、暑がりな熱帯魚は、比喩としては破綻していると思えてしまうんだ。あくまで私には、だけれど。
キミが嘘をついていると言いたいわけじゃなく、どこが違うのか考えられるだろうか。
車椅子から降りてではなく、車椅子でがんばって上がれ、でいいかな? さすがに車椅子から降りては比喩としても変だから。
そのあとの「スロープがあるのに登ろうとしない」は車椅子でがんばれでも通じるから、キミの趣旨を勝手に変えるわけではないと思う。
――うん、ありがとう。
あくまで建築の話として続けさせてもらうけれど、合理的配慮とユニバーサルデザインという言葉がある。
たとえば、私は図書館の本棚の高いところにある本は取れないよね。
そのとき、司書の人に取ってもらうのが合理的配慮。
合理的配慮を提供するのは義務だ、っていうことになってる。
でも、毎回呼ぶのは気が引けるし、多くの本をとっかえひっかえしたいときはお互い大変だ。
だから本棚の高さ自体を適切にしよう、っていうのがユニバーサルデザイン。
もちろん、たとえば手の力も弱い車椅子ユーザだったら高さが低くても配慮の必要があるから、前者のニーズがゼロになることはないけれど、私がしているのは後者だ。
それで。
うん、キミには怒る権利がある、と認めたうえで言う。
本棚の高さが低くなったのに、私が毎回司書の人を呼びつけて、取れる本を取らせていたら、それはよくないことだよね。
キミは私だろうか、それとも手の力の弱い人だろうか?
……どちらでもない、か。
……私は、高校生のとき男に押し倒されたことがある。つれなくしたと逆切れされてね。
――ああ、何かされる前に私の親友がそいつをのしてくれたから心配しなくていい。
ん? いや、この指輪の相手じゃないよ。親友って言ったじゃないか。いまは司書をやってる女性。
だからつい図書館の比喩が出るんだ、私は。司書になる女子高生が男をのすほど強気であっていけない法はないだろう?
で、だ。彼は私を押し倒したんだから、異性愛者だ。
悲しいけれど、きちんと制度化されて誰にでも認められている世界にも、そういうことはいくらでもある。
もちろん、キミが彼の同類だとは言わない。むしろ適切なのは、セックスワーカーの人たちとか、契約結婚や合意の上での自由恋愛をする人たちかな。
望んでそうする人もいれば、余儀なくそうする人もいるけれど、いずれにしても、隙間はいくらでも残ると、私は考えている。
――そう、そういうこと。
スロープを作っても、コンクリートの隙間には草が生えてきて、蟻が巣を作ったりする。
木の根がぼこぼこ出てくるのはちょっと勘弁してほしいけれど、世界はそんなこともする。
キミの言う「暑がりな熱帯魚」は、世界が温水になってもいないうちから、諦めてしまっているだけではないと言えるかい?
キミみたいな人間を一人残らず炙り出して駆逐するためのディストピアを作りたい人なんていない。ただ、普通に生きたい人が普通に生きられるというひとつの選択肢を増やしているだけだ。
その横で、キミが相変わらずアプリで相手を探して、刹那的に性交渉して、日陰で泥水をすすって生きていたとしても、誰もそれを止めやしないし、止められない。
隙間は、なくならないんだから。
――それは世界じゃない。「あいつ」だ。
キミが本当に怒っている相手は、社会のシステムではないんじゃないかな。キミを見ずにあたたかいお湯を入れた固有のひとり。
なぜなら、世間はどうでもよくて、刹那的だという自認が本当に正しいなら、世間に忘れないでいてほしいと言う必要はないのだから。
だから、独白じゃなく、対話をしよう、と私は言っている。
その相手は、きっと私じゃない。世間でもない。カメラを回している彼女でもない。
……そう。
――そうだね。たぶん平行線だ。けれど、キミが自分を覚えておいてほしいと言うのならば、私を覚えるキミのことを覚えておくよ。
――普通? 私が? なるほど、面白い言いかただ。
そう、キミは彼を「普通」と言ったね。結婚したいと思う、子どもが欲しいと思う、世間に認められて、祝福されて、日の当たる場所で生きたいと思う、普通の人間だと。
私の友人は、外国人とつきあっていて、彼が日本に来たときには熱烈に愛し合うけれど、普段はおたがい没交渉だ。子供が生まれたら未婚の母になるだろうね。まるで平安時代の妻問い婚だ。
彼女は普通だろうか?
別の友人は、あえて指輪をしないでトラックドライバーとして日本全国を走り回っていて、お互い縛られたくないタイプだからと笑っているけれど――トラックフェリーで暇している間に何をしているか聞いたことはないね――、三人の子供を誰より大切に育てている。
彼女は普通だろうか?
また別の友人は、企業の一員として社会をよくしていくことに誇りを持っているけれど、個人的な事情から、母になることも、結婚することすらも、しないほうがよいだろうと考えている。
彼女は普通だろうか?
……答えてほしいな。
――まあ、いいけれど。
ノーマライゼーションとは、暮らしと社会をノーマルにしていくことだよ。誰かにノーマルというラベルを貼って、ノーマルなんだからノーマルらしくしろと言うことではない。ノーマルなんだからアブノーマルの気持ちは分からないと決めつけることではない。
「普通」に傷つけられたキミが、他人に普通というラベルを貼ってどうしようというのかな。
――ああ、その傷か。キミが本棚を指した日。
誤解のないようまず言っておくけれど、私はキミの痛みを疑ってはいない。
けれど、キミは、エロ小説を書く人間への怒りを、小説を読んでもいない彼女にぶつけた。
なぜ、書いた人間に直接抗議しないのだろうか?
怖いのかな。
能力がないのかな。
辞書を引けば、やつあたりという単語が見つかるだろう。
キミは自分がそのインタビューに応じた張本人であることを、都合よく忘れた。
消極的にであろうとも、あのときのキミはインタビューを、ドキュメンタリーを、主導している側だったのだよ。世間に殴られている側ではなく。
そして、そしてだ。
キミは、他の男性を、彼に破局を見せつけるための道具にした。
見世物にされるのが性に合わない、他人の生き様を玩具にするな、そう啖呵を切るキミが、他の人間を見世物にし、玩具にした。
ひとつでも、否定できるかい?
――キミがいつか答えられる日が来たら、聞かせてほしい。
それだけは言っておく。
私は逃げも隠れもしない。なにしろ車椅子ユーザだから、よく目立つよ。
Y氏と
キミにも、聞きたいことがあるんだ。酔ったキミは、彼女に「人間として見てほしいんですよ」と言ったそうだね。
……そう、彼が男を連れ込んでいた夜の、その直前のことだ。
けれど、彼の話は今していない。彼女もキミに同じことを言い、共感し合った。
間違いないね?
お互い、人間として見てほしいという望みを抱く人間であることを認知し合った。
――では、キミにとって、人間として見るとはどういうことだろうか。
質問した側だから、まずは私が言おう。
私にとっては、その場にいると認める、ということだ。
車椅子ユーザはその場にいるから、スロープやエレベーターを設置する。目の見えない人はその場にいるから、点字ブロックや音声案内を設置する。性別で分けられたトイレを使いづらい人はその場にいるから、だれでもトイレを設置する。いっぽうで異性の目が気になる人もいるから、性別で分けたトイレを設置する。クレーマーだって、困ったことだけれどその場にいるから、お互いのために、殴りかかれないようなカウンターの幅を設けたり、そもそも苛立たないような色使いをしたりする。
さっ、キミにとって、人間として見るとはどういうことだろう。
――同じ? いいや、勝手に溶接してはいけない。それでは溶接というより鍛接/捏造だ。
キミが「認める」という言葉で表現したのは、多様性だ。
世界の多様性を認めることと、個人を人間として見ることは別だ。
人間として見るとは、どういうことだろうか?
――綺麗な答えだね。私は実務の人間だから、尊厳とか魂とかと言われてもなかなかぴんとこない。
クローズドクエスチョン――イエスかノーかで答えられる質問を、みっつだけさせてもらってもいいだろうか。
簡単な質問だし、ひっかけもない。保証しよう。
ひとつめ。出会い系サイト、今はマッチングアプリと言うのかな、そういうもので、十八歳のかっこいいゲイですというアカウントと待ち合わせをしたら私がやってきた。キミは、人間として見られたと思うだろうか。
ふたつめ。私が理解者の顔をしてキミの悩みを聞いて、その裏で悩みをぜんぶSNSに暴露して、キミを題材にしたいやらしい絵まで描いていた。キミは、人間として見られたと思うだろうか。
みっつめ。――コロッケと言ってクソを食わされたら、キミは、人間として見られたと思うだろうか。
(彼女の顔に今までになかった表情が浮かび、それを見た彼は思わず、一、二歩、あとずさりする。)
――そのほうがいい。
ついでに、風下にまわってくれれば、もっとありがたい。
とは、ある人が好きだった小説の言葉だけれど……そう口にする気持ちが、少し分かるな。
彼女は、人間として見られたいと思うあまり、他人を人間扱いすることを忘れていたと痛切に反省していた。その傷に耐えて、彼やキミに向き合おうとした。自分の苦しみよりも先にね。
キミは、彼女に、クソ以外になにを返したのだろうか? なにかを返すつもりがあったのだろうか?
……答えたまえ。
――ふう。
なにも言うことがないならついでに指摘しておくけれど、もし綺麗な偽りのドキュメンタリーをうまく作り上げられたとして、放送された直後に別れていたことが判明したら、なにが起きただろうね?
彼は刹那的なのだろう? ほとぼりがさめるまで次の相手を見つけることを我慢してくれるとは思えない。
そのときキミが炎上するのは勝手だけれど、他の人たちはどうなるだろうか?
他人を目的ではなく単なる手段として用いることは間違っている、といったのは誰だったかな。
覚えていないけれど、確かに道具扱いすることは、人間扱いしているとは言えなさそうだね。
人間扱いしてほしいキミは、他人を人間扱いしていただろうか?
――ああ、うん。正直なところあまり対話をする気がなかったことは、詫びておくよ。彼女の代わりに文句を言うのも、まあ、彼女に申し訳ないかもしれない。
……だからこれくらいで済ませているとは思ってほしいけれど。
キミという人間に出会える日を待っている。本気で、ね。