
言えなかった「ありがとう」を、白州に忍ばせて「マイナス五度の夜に」。
#お酒で伝えるありがとう 応募作品です。
ある初冬の夜、都内で一人暮らしをしている娘から珍しく電話がきた。
用があるときは最低限のLINEしか寄こさない子だ。
胸騒ぎを覚えつつ出ると、意外な言葉が飛び込んできた。
「結婚したい人がいるから会ってほしい」
間抜けな話だが、我が身にそんなイベントが起こり得ることを、正直まったく想像していなかった。それでも、真っ先に私に打ち明けてくれたことが、胸の奥にじんわりと沁みた。
堅苦しい席が苦手な私は、こう提案した。
「じゃあ、彼をキャンプに連れてきたらどうだ?」
ちょうど年明けに秩父へ娘とキャンプに行く予定を立てていた。かしこまった場で緊張させるより、自然の中で焚き火を囲み、酒でも飲みながらゆったり話す方がいい。
荷物の奥に、サントリーの白州を一本忍ばせた。ハイボールにすると森の中にいるような清々しい香りが立つと聞いていたからだ。
娘にも、彼にも、まだ照れくさくて言えない「ありがとう」の代わりのつもりだった。
当日の秩父は気温マイナス五度。凍える寒さだが、風がないおかげで焚き火の暖かさが心地よい。
私は白州のお湯割り、若い二人は氷点下にまさかの白州ハイボールで乾杯した。
渓谷のせせらぎ、満天の星、薪の爆ぜる音。焚き火の煙に、ほのかな森の香りが混じる。炎に照らされた三人の顔が、ゆらゆらと揺れる。
頃合いを見計らったように、彼が口を開く。
「あの、お父さん……」
きた! これが世に聞く「あの儀式」か。
「君にお父さんなんて呼ばれる筋合いはない」なんて野暮は言うまい。
私は静かに「はい」と返す。
炎の向こうで娘がじっとこちらを見つめている。
彼は緊張で声を震わせながら、しかし覚悟を決めた表情で言った。
「ハイボール、おかわりしていいですか?」





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