
秋は、香りからやってくる。
秋になると、少しだけ歩くのが楽しくなる。
夏のあいだは、外に出るだけで汗をかいていた。
玄関を開けた瞬間から、むっとするような熱気に包まれて、「今日はできるだけ外に出たくないな」と思う日もあった。
それが10月になると、空気が少し変わってくる。
朝、家を出たとき。
「あれ?」
と思う。
暑くない。
むしろ、少しひんやりする。
そんな小さな変化に気づいたとき、秋はもう、すぐそこまで来ている。
でも、秋を教えてくれるのは、気温だけではない。
「あ、秋だ」と気づく香り

たとえば、金木犀。
歩いていると、どこからともなく甘い香りが漂ってくる。
「あ、金木犀だ」
そう思って、周りを見渡す。
でも、最初は花が見つからない。
香りだけが、先に届いてくる。
少し歩いてみると、塀の向こうや庭の片隅に、小さなオレンジ色の花が見つかる。
「ああ、ここにいたのか」
なんだか、ちょっとした宝探しのような気分になる。
金木犀は、姿より先に、香りで存在を知らせてくれる。
だから、金木犀を見て秋を感じるというより、
金木犀の香りを嗅いで、秋に気づく。
落ち葉にも、秋の匂いがある

少し季節が進むと、道端に落ち葉が増えてくる。
赤や黄色、茶色。
目で見れば、秋らしい風景そのものだ。
でも、落ち葉には「色」だけではなく、「匂い」もある。
乾いた葉っぱの匂い。
少し湿った土の匂い。
雨のあと、地面に張りついた葉から漂ってくる、ひんやりとした匂い。
春の新緑や、夏の草むらとは違う。
どこか静かで、少しだけ寂しい。
でも、その寂しさが嫌いではない。
むしろ、秋らしくていい。
落ち葉を踏んだときの、カサッという音まで加わると、
「ああ、今年もこの季節が来たんだな」
と思う。
歩いていると、足元からも秋がやってくる。
なぜか、コーヒーが似合う

そして、もうひとつ。
秋になると、なぜかコーヒーの香りが恋しくなる。
カフェの前を通ったとき。
誰かが職場でコーヒーを淹れているとき。
家でお湯を注いだとき。
ふわっと立ち上る香りを感じると、少しだけ立ち止まりたくなる。
考えてみれば、コーヒーは夏にも飲んでいる。
アイスコーヒーだって、おいしい。
それなのに、秋になると、湯気の立つカップを両手で包みたくなる。
温かいコーヒーの香りが、妙にしっくりくる。
たぶん、コーヒーの香りそのものが変わったわけではない。
変わったのは、香りを受け取るこちらのほうなのかもしれない。
暑い季節には「冷たいもの」が心地よくて、
少し肌寒くなると、「温かいもの」が恋しくなる。
焼き芋の香りには、かなわない

そして、秋の香りといえば、やっぱりこれを忘れるわけにはいかない。
焼き芋。
あの香りは、反則だと思う。
スーパーの入口あたりから、ふわっと漂ってくる。
あるいは、焼き芋屋さんの車から流れてくる、あの香ばしい匂い。
姿が見えていなくても、
「焼き芋だ!」
と分かる。
そして、なぜだか少し嬉しくなる。
焼き芋の香りには、不思議な懐かしさがある。
子どもの頃に食べた焼き芋。
寒い日に、両手で熱々の芋を持っていたこと。
家族と分けながら食べたこと。
そんな記憶が、焼き芋の香りと一緒に、どこからともなく戻ってくる。
きっとそれぞれに、
「これを嗅ぐと、なぜかあの頃を思い出す」
という香りがあるのではないだろうか。
それは、焼き芋かもしれない。
コーヒーかもしれない。
金木犀かもしれない。
あるいは、雨上がりの土の匂いかもしれない。
香りは、記憶を連れてくる

香りには、少し不思議なところがある。
音楽を聴いて、昔を思い出すことがある。
写真を見て、過去の出来事を思い出すこともある。
でも、香りはもっと突然やってくる。
何の準備もしていないときに、ふっと香って、
「あの頃のこと」を連れてくる。
昔歩いた道。
以前住んでいた街。
子どもの頃の家。
昔よく行った店。
そのとき一緒にいた人。
香りをきっかけにして、忘れていた風景が急に立ち上がる。
その年、その場所、そのときの自分。
いろいろなものが、香りの中に一緒にしまわれている。
「今年の秋」も、いつか思い出になる

考えてみれば、今年感じている秋も、いつかは思い出になる。
今年見た金木犀。
今年踏んだ落ち葉。
今年飲んだコーヒー。
今年、どこかで嗅いだ焼き芋の香り。
今はただの「今日」だけれど、何年か先には、
「あの頃は、こんな秋だったな」
と思い出す日が来るかもしれない。
そう思うと、何気ない一日が少しだけ違って見える。
特別なことをしなくてもいい。
旅行に行かなくてもいい。
何か大きな思い出を作らなくてもいい。
歩いている途中で、ふっと香りに気づく。
「ああ、秋だな」
と思う。
秋は、カレンダーをめくったからやってくるのではない。
朝の空気が少し冷たくなったとき。
夕暮れが少し早くなったとき。
温かい飲み物が欲しくなったとき。
そんな小さな変化の中に、秋は静かにやってくる。
そして、きっと人によって「秋の香り」は違う。
金木犀の人もいれば、焼き芋の人もいる。
新しい本を開いたときの紙の匂い、という人もいるかもしれない。
あなたにとって、秋を感じる香りは何でしょう。
もし今日、どこかでふっと懐かしい香りがしたら。
ほんの少しだけ、立ち止まってみませんか。(文:千里ふうた)



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