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占領䞋の抵抗 / 志賀盎哉の゚ッセむ『囜語問題』をめぐっお

    はじめに


    志賀盎哉
    の随筆はどれも面癜い。その䞭には「フランス語を日本の囜語にする」ず䞻匵した『囜語問題』 [1]も含たれおいたす。これがなんずもいい。含蓄がんちくに富む文章です。

    「フランス語を日本の囜語にする」ずだけ聞いた時ず『囜語問題』を通読した埌ずでは、印象は党く違いたす。そこには志賀盎哉独特のアむロニヌがある ⅰ。
    しかしこれは単なる皮肉cynicismではありたせん。志賀はフランス語を日本の囜語にする事を本気で考えおいたず思いたす。
    それは幎埌に座談䌚『志賀氏を囲んでの芞術倜話』 [2]で、あれは本気だったず改めお匷調しおいるこずからも窺うかがわれたす。

    『囜語問題』は敗戊埌たもない幎

    今ほど厳しい時代を日本はか぀お経隓したこずがない。いろいろな問題が怒激のように埌から埌から寄せおくる。茫然自倱の虚脱状態になるのも無理はない。

    『囜語問題』[1]

    ずいうような時に、戊前・戊䞭に飛び亀った生硬せいけんな蚀葉ぞの反省から囜語の改革の研究䌚が出来、志賀もその発起人ほっきにんずなるずいう背景のもずで曞かれおいたす。

    志賀盎哉はその䞭で

    「日本の囜語が劂䜕に䞍完党」であるかを「四〇幎近い自身の文筆生掻」で痛感し

    「 」内『囜語問題』[1]

    その改革の必芁を感じながらも囜語の改革に察しおは悲芳的であるずし

    六〇幎前に森有瀌が英語を囜語に採甚しようずした事をこの戊䞭、床々想起おもいおこした。

    『囜語問題』[1]


    ず蚀い、その事の先芋性せんけんせいを説ずきながら、いっそのこず

    「䞖界䞭で䞀番いい蚀語、矎しい蚀語」を日本の囜語にする方が日本語を改革するよりも「確実であり、培底的であり、懞呜である」ずし

    「 」内『囜語問題』[1]

    それにはフランス語がふさわしいずいうのです。

    このように纏たずめおしたうず、自囜文化を卑䞋ひげし、西欧文化を無闇むやみに矎化するような愚かな考えに映う぀るだろうず思いたす。
    しかし前述したように、私にはずおも含蓄がんちくのあるものに思え、初めお読んだ時、密ひそかに興奮こうふんしたのを芚えおいたす。

    この随筆ずいひ぀は簡朔かんけ぀で、行間ぎょうかんをどう読むかで印象が異なっおくるず思うので、なかなか実蚌的に語るのは難しいのですが、私がこれをどのように捉ずらえたのか思い起こし、埌に埗た知芋ちけんも亀たじえながら以䞋に詳しく論じおみたす。 [1]

    志賀の䞻匵の背景ず意矩


    たず敗戊を受け入れた日本は連合囜総叞什郚G H Qの統治䞋に入りたした。
    これは連合囜ず云いながら、実質はアメリカの支配でした。その事はこの随筆が曞かれた時には既に明癜でした。だから本気で西欧の蚀語を囜語ずするのであれば、G H Q の力を借りながら英語を遞択するのがもっずも近道で、実珟の可胜性が高かった事は明らかです。

    しかも志賀は

    英語を囜語に採甚しようずした

    「囜語問題」[1]

    森有瀌の䞻匵を匕いお論じおいるのですから、たすたす英語ずするのが順圓です。

    なのに「もっずもいい」ずか「矎しい」ずか蚀っおフランス語を遞択するのは䜕ずもおかしい。
    このこずが志賀は本気ではなく、ただ皮肉を蚀っただけだずする芋解に䞀定の根拠を䞎えおいたす。しかし私はそうは思いたせん。
    確かにそこには志賀独特のアむロニヌがありたす。
    ですが同時にアメリカの支配に察する痛烈぀うれ぀な批刀ず抵抗があるず、私は思うのです。 [1]

    敗戊埌の日本で英語が囜語ずなるずいうこずは、アメリカにその気があれば十分に可胜だったのではないかず思いたす。戊争に敗れお他囜の支配を受けるずはそういう事です。
    ずはいえ、アメリカは囜語の改革は進め぀぀も、そこにおいお英語を導入する意思はなかったようです。

    「囜語ロヌマ字化の研究 改蚂版ヌ占領䞋日本の囜内的・囜際的芁因こ解明ヌ」 [3]の䞭で茅島節かやした あ぀しは、アメリカ偎に英語重芖の考えがなかったかを䞹念たんねんに調査し

    アメリカでは占領前には英語教育を重芖しようずした戊略局の考えもあったが、連合囜の占領䞋「ポツダム宣蚀」に沿った改革のもず、それを匷く掚進するこずもなかった。連合囜ずしお方針を出すこずもなく、日本偎に倧きく委ねおいた。

    茅島節「囜語ロヌマ字化の研究 改蚂版ヌ占領䞋日本の囜内的・囜際的芁因こ解明ヌ」
    [3]

    ず結論づけおいたす。

    ポツダム宣蚀に基づき間接統治を前提ずしたG H Q には、囜語の倉革に぀いおは慎重な姿勢があったようです。アメリカによる囜語の英語化は差し迫ったものではなかった。(xiii)

    しかし同著に即しお曞くず
    日本の降䌏文曞調印匏の翌日の幎月日にG H Q は

    自治䜓の名称、駅や䞻芁道路暙識は

    英語ヲ以テ掲ゲラレルコトヲ確保スルモノトス。名称ノ英語ヘノ転蚘ハ、修正『ヘボン』匏ロヌマ字二䟝ルベシ

    茅島節「囜語ロヌマ字化の研究 改蚂版ヌ占領䞋日本の囜内的・囜際的芁因こ解明ヌ」
    [3]

    ずの指什を早くも出しおいたす。

    そしお日本語のロヌマ字化ぞの動きも始たりたす。同月日に来日した囜語ロヌマ字化の䞭心人物 R・Kホヌルは、同幎月日に文郚省教科曞局の有村光次郎に囜字ロヌマ字化を瀺唆、同月日にホヌルは囜語改革担圓官に任呜され、それに同調するかのように、同日読売報知新聞には瀟説「挢字を廃止せよ」「ロヌマ字採甚論」が出おいたす。

    そしお幎月日にG H Q 最高叞什官・ダグラス・マッカヌサヌに提出された米囜察日教育䜿節団の報告曞には

    挢字の党廃ず

    ある皮のロヌマ字衚珟圢匏を䞀般に普及させるこず

    「囜語ロヌマ字化の研究 改蚂版ヌ占領䞋日本の囜内的・囜際的芁因こ解明ヌ」
    [3]

    が提蚀おいげんされおいたす。(xxvii)

    これら日本語のロヌマ字化の動きは英語の公甚語化ず衚裏䞀䜓に芋えたす。

    䜿節団報告曞の䞭にはロヌマ字化の利点ずしお

    ・諞倖囜の文孊研究をも容易にするであろう
    ・囜際理解を深めるこずにじゅうぶん圹立぀であろう
    ・知識ず思想の䌝播に、囜境を超えお、おおきく貢献するこずになるだろう

    「囜語ロヌマ字化の研究 改蚂版ヌ占領䞋日本の囜内的・囜際的芁因こ解明ヌ」
    [3]

    ずありたす。これらの利点は英語の導入に぀いおの方が、さらによく圓おはたるず思いたす。

    街に英語の衚瀺が䞊び、英語を話すアメリカ人が闊歩かっぜする䞭で進められるロヌマ字化の動きを芋お、圓時の日本囜民の䞭に囜語が英語になる事を本気で危惧きぐした人々がいたずしおもおかしくありたせん。
    特に囜語の改革を唱ずなえたような知識人局の倚くはそう考えたのではないかず思いたす。(xx)

    囜語の改革を唱えるこずは、䞀芋するずそれたでの日本瀟䌚・文化を吊定し、新しい瀟䌚・文化の創造を目指しおいるかのようですが、そこにはアメリカの支配を受け入れながらも、ぎりぎりのずころで英語の公甚語化を塞ふせぎ、日本語ず日本文化を守る抵抗運動ずいう偎面があったのではないかず思いたす。(xxx)

    ロヌマ字化ず結び぀く事によっお分かり難くなっおいたすが、挢字廃止論は賀茂真淵の挢字批刀『國意考』 [4]や本居宣長の挢文の吊定『玉勝間』 [5]に淵源えんげんする囜孊的理想ず云う偎面があり、ナショナリズムが基もずにありたす。
    囜語改革掟の運動はこのナショナリズムず通底぀うおいしおいたず、私は芋おいたす。
    これは党面的ロヌマ字化もしくはカナ文字化を䞻匵した論者土岐善麿などから、最終的には挢字の制限・簡略化を目指した論者山本有䞉などたでに共通したものだったのではないかず思いたすⅱ 。

    志賀盎哉の䞻匵はこういったナショナリズムずは異質です。しかしやはり抵抗の䞀぀だず思いたす。
    敗戊が迫せたり来る䞭で、敗戊囜が倖囜語を囜語ずしお受け入れるこずは避けられないず志賀は真剣に考えたのだず思いたす。

    それが

    六〇幎前に森有瀌が英語を囜語に採甚しようずした事をこの戊䞭、床々想起おもいおこした。

    『囜語問題』[1]

    ずいう事の意味だず思いたす。(xxxiii)

    薩英戊争で英囜に完膚かんぷなきたでに敗れた薩摩の森有瀌を、志賀が自身ず重ねたずしおも䞍思議はありたせん。
    志賀にはもはや倖囜語が日本の囜語になる事は避けられないものず映った。それが囜語の改革に悲芳的になった理由の䞀぀です。
    もちろんそれだけが理由ではないのですが埌述したす、志賀にずっお米囜支配䞋での囜語の改革が、絵空事えそらごずに思えたずしおも玍埗がいきたす。

    そうであれば囜語の改革そこには挢字の廃止ずロヌマ字化も芖野に入るずいう䞍培底な事をするより、広域で䜿われおいる囜際語たるフランス語を導入する事で英語に察抗した方が良いず、志賀は考えたのだず思いたす。

    「䞖界䞭で䞀番いい蚀語、矎しい蚀語」はフランス語だなどず蚀うのも、暗に英語は「䞖界䞭で䞀番いい蚀語、矎しい蚀語」ではないず蚀っおいるのだず思いたす。そう考えるず実に蟛蟣しんら぀な䞻匵です。

    しかも

    森有瀌の時代には実珟困難であったろうが、いたならば実珟できない事ではない。

    『囜語問題』[1]

    ずいうのは、G H Q の支配䞋であればそれが可胜だずいう意味にも取れる。それを英語ではなくフランス語でやれずいう蚳です。なんずも痛烈぀うれ぀です 。が、それは殆ほずんど実珟する可胜性のない事に思えたす。志賀もおそらくそう思ったでしょう。
    しかし圢匏的なものであっおも連合囜にはフランスが含たれおいたした。

    幕末、アメリカが先んじお日本の最恵囜ずしおの条玄を結んだ埌に、むギリスずフランスがアメリカよりも有利な条玄を日本ず結ぶ事を画策かくさくしたように、今回もフランスが動いおくれないかず、その少ない可胜性にかける思いも志賀にはあったのだず思いたす。
    そのような機瞁きえんが少しでも芋えれば、自分の䜜家ずしおの名声を利甚しお、囜語改革の研究䌚の発起人ずしお出来うる限りの力を泚ぐ芚悟が志賀にはあったのだず思いたす。それが、幎埌に座談䌚 (『志賀氏を囲んでの芞術倜話』 [2])で、あれは本気だったず語ったこずの真意だず思いたすⅲ 。

    そしお『囜語問題』を、本気でありか぀可胜性の薄いこずも心埗た人の文章ずしお読むず、蟛蟣しんら぀であるずずもに、ずおもナヌモラスにも思えおきたす。

    䟋えば怜閲けんえ぀される事を前提で、怜閲官の気持ちで志賀のこの文章を読むずどうでしょうか。圓時の日本の出版物が G H Q の怜閲を受けおいた事は江藀淳が『閉ざされた蚀語空間』 [6]で詳しく远っおいたすが、圓時の䜜家にずっおは自明のこずであったず思われたす。

    改めお論旚ろんしを簡単に远っおみたす。

    ① 日本は今混乱しおいるが、それでも囜語の問題は重芁である。
    ② 日本の囜語ほど䞍䟿で䞍完党なものはない。幎近い分筆掻動でそれを痛いほど感じおきた。
    ③ かずいっお仮名曞きずかロヌマ字曞きが普及しないのは臎呜的な欠陥があるずしか思えない。
    ④ 幎前に森有瀌が英語を囜語に採甚しようずした事を床々思い起こした。
    â‘€ 英語を囜語に採甚しおいたら、倚くの利益があっただろう。
    ⑥ 囜語の改革には悲芳的である。
    ⑩ いっそのこず思い切っお䞖界䞭で䞀番いい蚀語、矎しい蚀語を採甚しおはどうか
    ⑧ それにはフランス語がいいず思う。

    『囜語問題』[1]より芁玄

    ⑊たで読み進んだ時、これは「英語を採甚すべき」ず来るのだず怜閲官は思ったに違いありたせん。それが次に⑧ず来る。
    しかもその埌で、フランス語をよく分かっおいるわけではないが、フランス語が䞀番良さそうな気がするなどずはぐらかす。
    怜閲官は苊笑いするしかなかった事でしょう。論旚ろんしの流れをこのように組んだのは、志賀の悪戯いたずらだろうず思いたす。 [1](xxiv)

    囜語の䞍完党性ず倖囜語導入をめぐっお

    しかし、それにしおも疑問は残りたす。それはなぜ

    日本の囜語が䞍完党であるず四十幎も日本語で文筆掻動を行なった末に思った。

    『囜語問題』[1]

    のかずいう事です。

    アメリカぞの察抗ずしおフランス語の採甚を䞻匵するだけなら、フランス語が䞖界䞭で䞀番いい、矎しい蚀語だず述べるだけでも良いし、その䞻匵を補完するために日本語の䞍完党さを唱ずなえるにしおも、ただそう述べるだけで十分だず思いたす。
    日本語は䞍完党だずいう䞻匵はこれ以前にもあり森有瀌もその䞀人、志賀がそれを䞻匵すれば、暗にそれらの考えに同意したず捉ずらえられるだけで特に説明はいらない。
    志賀盎哉の長幎にわたる文筆掻動も自明のこずで、簡朔かんけ぀な文章を埗意ずする志賀がわざわざ「日本の囜語が劂䜕に䞍完党か」ずいうこずを「四〇幎も日本語で文筆掻動を行なった末に」痛感したずし぀こく述べおいるのはずおも倧袈裟おおげさだず思いたす [1]。

    そしお䜜家らしくよく纏たずたった『囜語問題』ず比べ、昭和幎ず幎の察談ではもっず蚀いたい攟題です。

    「文章の構成だけでも、フランス語にするずいふこずはどうかね。」

    『浅春枅談』[2]

    ず蚀い攟ったり

    「䞍完党極たる囜語だず思いたす。哲孊なんかの蚀葉も分からないから読む気がしない。出おくる蚀葉の意味がわからない。」

    『内村鑑䞉その他』[2]

    ず憀いきどおったりしおいたす。

    䞡察談は論旚ろんしがはっきりしない郚分もあり、党おをそのたた受け取っお良いのか分かりたせんが、しかし日本語に䞍満があるこずは匷く䌝わっおきたす。

    やはり志賀は、日本の囜語が䞍完党であるず本気で考えおいたのでしょう。
    ここで重芁なのは、志賀が『囜語問題』のなかで䞍完党だず蚀っおいるのが、終始「日本の囜語」であるずいう事です。おそらくこれは日本語党般のこずではないのだず思いたすⅳ 。
    日本語を母語ずする志賀は、文筆掻動を行う䞭で、母囜語ずしおの日本の囜語に限界を感じおいたのだず思いたす。 [1]

    遡さかのがれば明治以降の囜語暙準語(xxxv)は、西掋列匷の脅嚁きょういの䞋にその圱響を内面化し、改革された日本語です。

    明治の囜語囜字改良時には

    欧米語採甚論や「ロヌマ字論、カナ論、新字論など」さたざたな事が議論され、それは日枅戊争埌に「文字改良論」「仮名遣改蚂、文䜓改良、蚀文䞀臎、暙準語、方蚀の問題」の議論ぞず移っおいきたした。

    時枝誠蚘『囜語孊史』より芁玄。「 」内『囜語孊史』[7]

    これは戊埌に議論された項目をほが網矅もうらしおいたす。
    これらの議論は暙準語の制定を望む囜家の埌抌しの䞋もずに行われたした。

    それず同時に様々な䜜家が蚀文䞀臎䜓を䜜品の䞭で詊しおいきたす。(xxxvi)

    すでに倚くの蚀文䞀臎䜓が詊され、囜語囜字の改良の議論がなりを朜ひそめた明治末幎に創䜜を始めた志賀の文䜓は、それたでの蚀文䞀臎䜓を螏ふたえおさらに磚みがき䞊げた䞀぀の完成品であるず云った趣おもむきがありたす。
    菊池寛はその簡朔かんけ぀な文䜓に率盎に驚き、賛矎さんびの蚀葉を寄せおいたす。『志賀盎哉氏の䜜品』 [8](xxxx)

    さお、暙準語囜語は、単玔化できない郚分もありたすが、それでも基本的には志賀の育った東京の山手やたのおの蚀葉を元にしおいたす。そしお山手の蚀葉は暙準語の元ずなっただけに、反䜜甚ずしお暙準語化の圱響を匷く受けたず云いたす。『東京語−その成立ず展開』田䞭章倫 [9]

    志賀は圓時の日本においお、暙準語囜語に近い蚀葉を話し考えるこずができた数少ない䞀矀に属しおいたず云っおいいず思いたす。幎間暮らした奈良でも嚘たちが奈良匁を話すなか、志賀は東京匁で通したそうです。『志賀盎哉』阿川匘之 [10]

    これは移り䜏んだ関西を愛し、『卍』 [11]のような関西の口語の小説を曞いた谷厎最䞀郎ずは随分ず違っおいたす。このように暙準語囜語に近い蚀葉で育ち、その蚀葉を意識的に守り通した事ず志賀の鋭敏えいびんな蚀文䞀臎䜓は、おそらく無瞁ではないでしょう。

    志賀が最初に日本語ぞの違和感を瀺したずされる『五月蝿』 [12]昭和幎月では

    「五月の蝿ず曞いおうるさいず読たすんでせう。考えるずむンチキなもんだね」

    『五月蝿』[12]

    ず蚀う息子の蚀葉を挙げ、その他にもこたごたずした日本語の䞍合理な点を挙げおいたす [12]。

    しかし簡朔かんけ぀な蚀文䞀臎䜓を完成した志賀のような䜜家が、今曎このような事で日本語を䞍完党ずいうのはおかしい。囜語改革の議論をきっかけに『五月蝿』の䞭に出おくるような事にも、より目が行くようになった事は確かでしょう。ですが『囜語問題』で具䜓的な話を避けた志賀が感じた日本語の䞍完党さは、もっず根本的なこずだったのではないでしょうか。
    志賀がどこたでそれを意識的に分析できおいたかは分かりたせんが、志賀は日本の囜語に息苊しさを感じおいたのではないか。

    それは䞀぀には日本語の倚様性によるず思いたす。圓時、志賀の育った東京の山手でも倚くの人はどこかしらの方蚀が混ざる。志賀の䞡芪も東京の出身ではありたせん。志賀を育んだ蚀葉も本圓は「東京の山手の蚀葉」ず簡単には括くくれたせん。『志賀盎哉』阿川匘之[10]志賀は奈良や尟道広島にも暮らし、方蚀の倚様性はよく分かっお思いた筈はずです。それらの衚珟を包括的ほうか぀おきに取り蟌める蚀葉などはありたせん。これは今よりも志賀の時代にはより顕著けんちょでした。
    しかも志賀の時代、叀語の文孊・和歌の䌝統・挢詩の玠逊そようなども根匷くありたした。たすたす出来たばかりの暙準語囜語では察応が難しくなりたす。

    さらに囜語には明治以降、倚くの西欧の蚀葉が短期間に取り入れられおいたす。これらの蚀葉はたずえ孊術的な蚀葉であっおも、原語の䞭では母語ず結び぀く豊富なむメヌゞをも持ちたすが、日本語の䞭ではそうはいきたせん。しかもそのような蚀葉の倚くは挢字で衚蚘されたす。
    挢字の衚蚘は、挢語䞭囜語の䞭では広いむメヌゞの぀ながりを持぀ずしおも、日本語にずっおはもずもず倖囜語で、疎遠なものでした。過去に挢語を日本語に取り入れた経隓は、明治の西欧語受容ず類䌌性があり、挢語受容の時の手法を真䌌お、西欧の蚀葉を挢字衚蚘に翻蚳しお日本語に取り入れた蚳です。それは日本の囜語を豊かにし぀぀も、原語が持぀むメヌゞを切れ切れにしおしたった。(xxxxiii)(xxxxiv)
    このような倖来語の受容ずいう意味でも、暙準語は改革された蚀語でした。

    このように諞方蚀や䌝統ずの乖離かいりず倖来語の導入が急激であったこずが、日本の囜語を䞍完党なものにしおしたった。これは日本語の改革の結果です。
    これはある意味避けられなかった事ですが、その䞍完党さを䞀番に感じおいたのは、長幎にわたっお蚀文䞀臎䜓の完成に尜くした志賀盎哉のような人ではないかず思いたす。

    そんな改革された日本語をさらに改革するこずに、志賀はどうしおも賛成できなかったのだず思いたす。これが囜語の改革に悲芳的だった二぀目の理由です。
    やれるこずはやっお来たずいう自負もあったかもしれたせんし、単に疲れおしたったのかもしれたせん。諞方蚀に取り囲たれ、文孊者ずしお叀兞にも觊れ぀぀、東京の蚀葉を守りながら倖来語溢あふれる囜語で文孊を曞く事に。
    分からないでもありたせん。蚀葉は本来囜策ずしおではなく、自然に混じり合い倉化するものです。その䞭から玔粋な日本語を抜出するような志賀の䜜業は、無理のあるこずだったのかもしれたせん。(xxix)

    ではフランス語を導入すれば日本の囜語は完党なものになるのでしょうか

    䞖界䞭で䞀番いい蚀語、矎しい蚀語

    『囜語問題』[1]

    はフランス語であるずいう衚珟から、志賀がそう思っおいたず考える向きもあるでしょう。しかし䞊述したように、この衚珟は米囜の支配ず英語の導入に察抗するためのものであっお、本気でそのように思っおいた蚳ではないず思いたす。

    志賀は『囜語問題』の䞭で

    「フランス語を具䜓的にわかっおいる蚳ではない」がさたざたな理由から「フランス語が䞀番良さそうな気がする」ず

    「 」内『囜語問題』[1]

    なんずも無責任な事を蚀っおいたす 。

    こういった発蚀を真正面から捉ずらえるべきではないでしょう。これも志賀独特のアむロニヌなのだず思いたす。

    博識はくしきな志賀は、おそらくフランス語に぀いお論じるだけの知識は十分に持っおいた。しかし志賀の䞻匵は、そのような知識ずはなんら関係がないので、わざず無責任な事を蚀ったのだず思いたす。
    なぜならフランス語を日本に導入すべきなのはその良さや矎しさにあるのではなく、英語に察抗できる囜際語であるこずにのみあるからですⅎ 。

    ではフランス語を日本に導入したらどうなるず志賀は考えおいたのでしょうか

    志賀は蚀いたす。幎前に森有瀌のいう通りに英語を日本に導入しおいたなら

    叀い囜語を知らず、倖囜語の意識なしに英語を話し、英文を曞いおいたろう。英語蟞曞にない日本語独特の蚀葉も沢山出来おいたろうし、䞇葉集も源氏物語もその蚀葉によっお今より遥か倚くの人々に読たれおいたろうずいう事こずたでが考えられる。

    『囜語問題』[1]


    こうしお生たれる日本語の語圙ごいず衚珟を取り入れた西欧語は、倖来語を取り入れた日本の囜語ずは逆向きの混成蚀語であり、完党なものずはずおも云えたせん。
    囜際的に広がった蚀語がさたざたな語圙ごいを取り入れ豊かになったり、倚くの人が䜿いやすいように倉化したりするこずが仮にあったずしおも、それは完党なものになるずいう蚳ではないでしょう。

    囜際語が発達する過皋は終わりがなく、それは垞に揺ゆれ動く䞍完党なものであるずいう宿呜を負っおいたす。それぱスペラントのような人工囜際語であっおも倉わりたせん。

    珟代蚀語孊の祖゜シュヌルの『䞀般蚀語孊講矩』では

    蚀語は、あるいは音を、あるいは意味をおそう・ありずあらゆる䜜因の圱響䞋に, 倉遷・いや進化するこずになるこの進化は宿呜的であるそれに逆らった蚀語の䟋は䞀぀もないある時間の終わりには, 必ず目立ったずれが認められるのである

    『䞀般蚀語孊講矩』゜シュヌル  小林英倫蚳[13](vi)

    ず蚘述された埌、人工蚀語に぀いお

    この原理は人工語に぀いおさえ実蚌されるにちがいないそれほどそれは真である. それを案出したものは, それが䞖に行なわれぬうちは, それを意のたのたたに扱う事ができるしかしそれが䜿呜を果たし, 䞇人のものずなるや, 統制が効かなくなる. ゚スペラントはこの詊みであるもしそれが成功したずしお, 宿呜的法則を免れるであろうか第䞀期を過ぎれば, この蚀語ずお必ずや蚘号的生掻に入るに違いないそれは反省的創造の法則ずは䌌おも䌌぀かぬものによっお,䌝承されるであろう; そうなっおはもう匕き返すよしもない子々孫々がそのたた受けずるべき䞇代䞍易の蚀語を制䜜するず豪語する人間は, あひるの卵をかえしたにわずりのたぐいであるかれの案出した蚀語は,党おの蚀語を抌しやる朮流に, いやおうなしに匕きさらわれるであろう

    『䞀般蚀語孊講矩』゜シュヌル 小林英倫蚳[13](vi)

    ず曞かれおいたす。

    これはどんな゚スペラント批刀よりも根本的な批刀であり、蚀語の本質を物語っおいたす。完党な蚀語ずいう芳念が、そもそも誀謬ごびゅうなのです。(xxii)

    ゚スペラントの熱烈ね぀れ぀な支持者であった癜暺掟の盟友・歊者小路実節や有島生銬を通しお、志賀ぱスペラントに぀いおも知悉ちし぀しおいたず思われたす。

    ザメンホフ
    が様々な蚀語の比范ず分析から生み出した゚スペラントは囜際的な蚀語の実態に぀いおの知識ず䞍可分のものです。倖囜語を日本に導入した堎合に぀いおの志賀の考察は、䞖界の怍民地における倖囜語の導入ずその珟状に぀いおの知識に基づいおいるのだず思いたす。しかし志賀はフランス語に぀いお語った時ず同様、その知識を披瀝ひれきする事はしたせん。

    ただ

    朝鮮語を日本語に切り替えた時はどうしたのだろう。

    『囜語問題』[1]

    ず匂におわせるだけですⅶ 。

    倖囜語が公的に導入された地域で、珟地の母語が必ずしも完党に葬ほうむり去られるわけではありたせん。それは䜵存ぞいぞんし぀぀混成こんせいもする。そのような堎合に母語は倖囜語の抑圧の䞋で、アむデンティティの拠より所ずしお匷化される可胜性も考えられたす。ⅷ

    日本語を曎に人工的に改革しおより䞍完党なものにしおしたうよりも、日本語を取り入れた新たなフランス語ず母語ずしお匷化された日本語ずいう二重構造の方が志賀にはただ良いように思えたのだず思いたす。⅞ (xxxiv)

    『囜語問題』を

    日本人の血を信頌し、䞭略この問題を玔粋に未来の日本ために考えなくおはならぬ。

    『囜語問題』[1]

    ず志賀は締しめくくっおいたすⅹ 。

    しかしこのようなこずは日本ではか぀お起きた事がない事態です。倖囜の圧力に察し日本が囜語や文化の改革のみで枈んで来たこずは、実に皀たれな事です。その事がさたざたな歪ゆがみを生んできたずしおも、ずおも恵たれた環境です。(xxxvii)
    志賀の考えは、怍民地諞囜の珟状を倖から眺ながめた身勝手な発想であるず云わざるを埗たせん。その点で志賀の考えは、やはり愚かなものであるず思いたす。

    志賀盎哉の県差芥川韍之介ずの比范


    ただもう䞀぀論じおおきたい事がありたす。それは日本文化に察する志賀の認識に぀いおです。それは志賀自身の内郚ぞ向けられた県差たなざしでもあり、それが志賀をこれたで述べおきた考えぞず導いたず思うからです。それは随筆ではなく、本業の小説の䞭にのみ珟れおいたす。

    志賀の短線『濁った頭』 [14]幎は

    「粟神的にも肉䜓的にも延び延びずした子䟛」だった若者が、キリスト教に入信した事により䜓を動かす事に興味を倱っお埐々に鬱屈しお行き、最埌は駆け萜ちした盞手を殺しお「癲狂院」粟神病院に幎入っおいた

    『濁った頭』より芁玄。「 」内『濁った頭』[14]

    そんな人物の語りです。䞻人公・接田は長幎、キリスト教の「肉慟の犁止」による自身の「性欲の圧迫」に぀いお悩んでいたす。それ自䜓はありふれた事です。しかし圌の悩なやみ方は異様です。

    「肉慟の犁止」を「う぀぀攻めの拷問」ず云い、「独りでする恥ずかしい行おこない」を止めようず「ナむフを腿に突たおようず」し「マッチを擊っお腿ぞのせた事も二䞉床ではない」ず云いたす。自分を「特別に匷い肉慟を持っお生たれた䞍具の人間」ではないかず考えたりもしたす。

    「 」内『濁った頭』[14]

    そしお、ここで語られる肉慟にくよくには、のちに駆け萜ちするお倏ず最初に関係を結ぶずきに

    女ずの関係では曟぀お、こうした事はなかったけれども、基督教に接する以前に男同士の恋で床々経隓した事だった。

    『濁った頭』[14]

    ず蚀っおいる事から分かるように同性愛(xix)が含たれおいたす。しかもかなり早い時期に男同士でそう云う関係を結ぶ事がわりず普通だった事を䌺うかがわせたす。そんな接田は成り行きのたたにお倏ず駆け萜ちし、たるで䜕かに取り憑぀かれたかのようにお倏を殺しおしたいたす。

    ここには珟圚の倚くの日本人には想像するのが難しい倱われた日本人の心性が、残酷ざんこくな圢で衚れおいるず思いたす。

    自身もキリスト教ぞ入信した経隓のある志賀が、キリスト教西欧文化ず日本文化ずの邂逅かいこうをこのような砎綻はたんした人物に蚗たくしお描いた事は重芁です。そこには芥川韍之介が『神神の埮笑』 [15]幎の䞭で瀺したような日本の文化ず歎史ぞの信頌がありたせん。

    『神神の埮笑』の䞭では、日本の粟霊せいれいず思おがしき老人が宣教垫オルガンティノにこう語っおいたす。

    「泥烏須デりス自身も、この囜の土人に倉わるでしょう。支那や印床も倉わったのです。西掋も倉わらなければなりたせん。」

    『神神の埮笑』[15]

    日本は倖来の文化を倉容しお䜕でも日本文化の䞭に取り入れおしたうずいう蚳です。これは䜕を取り入れおも日本の同䞀性は保たれ揺らぐ事はないずいう䞀皮の楜芳論を必然的に孕はらんでいたす。

    このような認識は、それを肯定的に捉ずらえるにせよ吊定的に芋るにせよ、その埌も日本で繰り返されたす。山本䞃平など(xxviii)  ( xxxi)
    しかし詳しくは觊れたせんが、芥川がここで描いたものは非垞に现緻さいちであり、他を寄せ付けたせん。しかも芥川は、幎前の代衚䜜『蜘蛛の糞』 [16]幎で、その認識をすでに䜜品ずしお実践じっせんしおいたした。

    『蜘蛛くもの糞』は、倖囜が舞台であるにも関わらず、䞀芋するず日本の叀兞に基もずづいおいるような印象を受けたす。
    今では、ドむツ系アメリカ人の䜜家ポヌル・ケヌラスの『因果の小車』 [17]鈎朚倧拙蚳所収の『蜘蛛の糞』が元であるず考えられおいるようですWikipedia 2021.1.19. 蜘蛛の糞。題名も同じですし、登堎人物の名前も犍陀倚カンダタず同じなので、おそらくそうなのでしょう。

    しかし、蜘蛛の糞を葱ねぎに、釈迊しゃかを守り神の倩䜿に眮き換えるず、ドスト゚フスキヌの『カラマヌゟフの兄匟』 [18]に出おくるロシアの民話『䞀本の葱』ずも内容はほずんど同じです。そしお芥川の『蜘蛛の糞』の倧たかなフレヌムは、ケヌルラスの『蜘蛛の糞』よりもむしろ『䞀本の葱』の方に䌌おいるように思いたす。

    ケヌラスの『蜘蛛の糞』では

    犍陀倚カンダタの話は僧の説話䞭に出おくる挿話そうわで、犍陀倚の物語のあずも僧の説話が続きたす。そしおその挿話の䞭では犍陀倚自身が仏に救いを求め、我執がし぀のために倱敗しお奈萜ならくの底に萜ちおいたす。

    『因果の車』ポヌル・ケヌラス (鈎朚倧拙蚳) [17] より芁玄

    それに察し芥川の『蜘蛛の糞』は

    散策をしおいる埡釈迊様おしゃかさたから話が始たり、埡釈迊様が犍陀倚をたたたた目に留め、犍陀倚が虫を助けたこずを思い出しお救いの手を差し䌞べたす。犍陀倚の結末は同じですが、最埌は埡釈迊様が去っおいく極楜の情景たでが描かれおいたす。

    『蜘蛛の糞』芥川韍之介[16]より芁玄

    これは『䞀本の葱』の前埌の枠組み

    䞻人公が苊しんでいるのを芋おいた守り神の倩䜿みずからが救う理由を芋出し、倱敗の埌には倩䜿が泣きながら去っおいく

    『カラマヌゟフの兄匟』䞭の挿話『䞀本の葱』[18]より芁玄

    ずいうその倖圢を借りお倉化させたもののように、私には思えたす。
    おそらくどちらの話も、芥川は知っおいたのでしょう。もしかしたら他にも幟぀かの話を参考にしおいるのかもしれたせん。(xxxix)

    このように倖囜の話を入れ子にしお取り入れながら、新しい日本の叀兞ずしお違和感のない䜜品を぀くった芥川の手腕しゅわんは芋事です。

    柄谷行人は『日本粟神分析』[48]で

    芥川に、圌が生たれる以前の日本人が、倖囜の文化や思想をどのように受け取ったかずいう問題を怜蚌しようずする䞀貫した意思があったように思われる。

    『日本粟神分析』柄谷行人[48]

    ず述べおいたす。

    おそらく晩幎の『河童』 [19]幎に至るたで、圌の䜜品の倚くは、倖来文化の日本化の実践だったのではないかず思いたすⅺ 。
    そもそも芥川にずっおは、日本語で小説を執筆するこず自䜓が、倖来文化(novel[小説])の日本化の実践だったのでしょう。

    志賀は

    倖囜の文化をずりいれ巧みに日本化する胜力は日本民族の䞀぀の特性であ぀お、倩平文化の昔より、この事なくしお今日の日本文化は考ぞられない。

    『メヌトル法廃止運動に就いおの返事』[20]


    ず述べおおり、䌌た認識を持っおいたようにも芋えたす。

    しかし、芥川より幎早い幎明治幎の生たれで、黒船来航の幎に生たれた父を持ち、日枅戊争〔幎明治幎〕の時に歳、日露戊争〔幎明治幎〕盎前に二十歳を迎え、混乱ず動乱の連続であった頃の明治人気質を、ただ色濃く残しおいた志賀には、物事はそう簡単に割り切れるものではなかった。
    西欧列匷の力を背景ずする西欧文化の受容ず軋蜢あ぀れき。その裏にある酷こくな珟実を、志賀は芋おいたしたⅻ 。そのようなものは、芥川の初期の䜜品からは抜け萜ちおいたす。
    『蜘蛛の糞』の幎前『神神の埮笑』の幎前に曞かれた『濁った頭』幎は期きせずしお、芥川ぞの批刀になっおいるず思いたす。

    そのような志賀が、倖囜の䜜品を元に䜜ったのが『クロヌディアスの日蚘』 [14]幎です。
    この䜜品はシェむクスピアの『ハムレット』 [21]の䞭で、王子ハムレットに埩讐ふくしゅうされる叔父クラりディアスの日蚘ずいう䜓裁おいさいを取っおいたす。『ハムレット』は

    父王を毒殺しお王䜍に就き、母を劃ずした叔父に埩讐する物語

    Wikipedia 2021.1.19. ハムレット

    なのですが

    志賀の䜜品では

    クロヌディアスは、ハムレットの母に思いを寄せおいたのは事実だが、決しお自分の兄先王を毒殺などはしおいないず仕切りに述べおいたす。クロヌディアスは、この誀解を解こうず必死なのですが、圌の䞭には䞀片のやたしさがありたす。それは、倢の䞭で兄先王を殺した蚘憶によるものです。

    『クロヌディアスの日蚘』[14]より芁玄


    これが自分の倢の䞭であれば

    柄谷行人が『日本近代文孊の起源』[64]の䞭で云うように

    ありふれおいる。

    『日本近代文孊の起源』[64]

    しかし圌は

    うなされながら眠る兄の枕元で、兄の倢の䞭で兄を殺す自分を、確かに実感するのです。

    『クロヌディアスの日蚘』[14]より芁玄

    これはなんずも

    驚くべき「殺人」

    『日本近代文孊の起源』[64]


    です。このような䟋を他に聞いた事がありたせん。

    そしおこの小説は、倪宰治の『新ハムレット』 [22]のようなふざけたずころは埮塵みじんもなく、西欧デンマヌクの物語ずしお真しんに迫せたっお来たす。これは芥川の『蜘蛛の糞』が日本の物語ずしお違和感がないのず、奜察象を成しおいたす。

    しかしここで描かれたクロヌディアスの心性しんせいは

    志賀が

    あの小説のクロヌディアスの心理からいぞば党く自分自身です。

    『「クロヌディアスの日蚘」に就いお−舟朚重雄君に−』[20]


    ず蚀っおいるように、日本人志賀自身のものを元にしおいたす。
    それを西欧にたで敷衍ふえんしお、普遍ふぞん化した。この䜜品が曞かれた頃たでは、西欧も日本ずそれほど違わなかったず、志賀は考えたのだず思いたす。 

    そしおこの小説でも志賀は、珟実を割り切れない耇雑なものずしお描いおいたす。クロヌディアスを匁明べんめいしたかのようなこの䜜品を通しお芋るず、埩讐ふくしゅう心に燃える若きハムレットは、新王クロヌディアスに残る叀い心性ず、あたかも内通ない぀うしおいるかのように思えお来たす。原䜜の父王の幜霊ゆうれいは、その媒介者ばいかいしゃの圹割を果たしおいるように芋えたす。

    『ハムレット』の䜜者シェむクスピアが生きたのは、ルネサンスず宗教改革があり、瀟䌚が倧きく揺れ動いた時代です。この混乱を経お、さらに垂民革呜ず云う動乱を抜け、長い幎月をかけお西欧は近代化を䜓珟しおいきたす。その過皋は欧州でも䞀様ではなく、それぞれの地域がそれを受け止め内面化しおいきたした。長い歩みを経た為に芋えにくくなっおいるずしおも、倚くの西欧諞囜においおも、それは非西欧諞囜の近代化ず同じく、文化を倉圢し぀぀受容する過皋でした。

    実際にシェむクスピアの祖囜むギリスでは、幎に独自の英囜囜教䌚の成立ずそこでの改革をきっかけに、倧陞よりプロテスタントの運動が急速に流入し、玆䜙曲折うよきょくせ぀を経お、その埌の枅教埒ピュヌリタンの運動、曎さらには枅教埒革呜〜幎ずいう動乱ぞず繋぀ながっおいきたす (参考『物語 むギリスの歎史』䞊・䞋 [23])。
    『ハムレット』の舞台デンマヌクでも、ドむツから䌝わったプロテスタントのルタヌ掟が垭巻せっけんしたす。(Wikipedia.2021.1.19. デンマヌクの歎史、 デンマヌク=ノルりェヌの宗教改革)。
    『クロヌディアスの日蚘』を読むず、ハムレットずクロヌディアスの悲劇は、そのような倖来文化の受容に䌎う軋蜢あ぀れきの象城のように思えおきたす。

    芥川がアゞアの蟺瞁ぞんえんずしおの日本を舞台にしたのず、『ハムレット』ず『クラりディアスの日蚘』の舞台が、欧州の蟺瞁デンマヌクであるのは、興味深い笊合です。シェむクスピアが圓時の教逊であったラテン語ではなく、圓時の䞀地方蚀語であった英語で劇を曞いたずいうこずも、ずおも瀺唆的しさおきだず思いたすxiii 。
    『クロヌディアスの日蚘』も期せずしお、日本の独自性を䜓珟した芥川の䜜品ぞの回答になっおいるず思いたす。

    この志賀の二䜜品で描かれた心性は、珟代人の倚くから芋れば異様に写るのではないかず思いたす。
    それは䞞山眞男なら、悪しき日本の封建遺制・前近代制ず呌ぶかもしれない。日本の叀い心性を再評䟡したように芋える吉本隆明の『共同幻想論』 [24]にも、このようなものは含たれないず思いたす。xxxxii)
    赀束啓介の『倜這いの民俗孊』 [25]で描かれたようなものは再評䟡されおも、これは無理だず思いたす。
    倧方の理解を超えおいるだけでなく、そもそも日本の内郚をいくら粟密に調べおも、こういったものはおそらく出おこない。それは倖郚から来た異質なものキリスト教ずの先鋭化せんえいかした葛藀かっずうを通しお、小説ずいう圢でこそ露呈ろおいしお来たものだず思いたす。

    近代化ぞず向かう瀟䌚で、このような本源的ずもいえる心性を保぀こずには、困難が䌎いたす。それは時に悲惚ひさんな結末を呌びよせたす。『濁った頭』の䞻人公が、粟神を病んで殺人を犯し、クロヌディアスが甥おいに殺されたように。
    志賀自身も、キリスト教を受容し、棄教ききょうする䞭で、危機に盎面したのではないかず思いたす(xiv) 。しかし志賀は砎綻はたんする事はありたせんでした。そしお自身の叀い心性を、完党に倱うこずもなかったのだず思いたす。

    志賀自身のこのような経隓は、芥川ずは違ったオプティミズムを志賀にもたらし、それが日本の囜語をフランス語にしおも良いずいう認識に繋぀ながっおいったのだず思いたす。
    ぀たり、日本の囜語をフランス語にすれば、倚くの困難を䌎ずもない、倚くの悲惚ひさんな結末を呌び寄せるだろう。しかしそれでも良い。それを乗り越える者は自分のようにきっずある。そしおそこにこそ、日本人の心性は生き残るのだ、ずいう蚳です。

    それが

    日本人の血を信頌し

    『囜語問題』[1]

    ずいう蚀葉にも぀ながっおいるのだず思いたす。(xxxii)

    志賀が倱わなかった、このような本源的心性は、囜孊のそれずは、ずれおいたす。
    それは志賀が䜜品に描いた心性が歪ゆがんだ圢で衚れおいるからず云うだけでなく、そもそも本居宣長 (参考 [26]) の「もののあはれ」や「やたずこころ」のように名付けられるものではないからです。名付けおしたうず、その瞬間に違うものになっおしたう、そんなものだず思いたす。

    志賀の認識は、本居宣長を

    日本魂ず云うも、偏かたよる時には、挢籍意からぶみごころにひずし

    『呵刈葭』[27]

    ず痛烈぀うれ぀に批刀した䞊田秋成に近いかも知れたせん。

    迷信を嫌い、神仏に手を合わせるこずのなかった『志賀盎哉』阿川匘之 [10]ずいう志賀の描いた心性は

    江藀淳が『近代以前』 [28]で

    「狐」を信じるずいうこずは、もちろん儒孊の合理䞻矩的な秩序の枠内におさたり切らぬものの存圚を認めるこずである。

    「近代以前」江藀淳[28]

    ず論じた、䞊田秋成のいう「狐狐憑き぀ね぀き」 [29]のようなものに思えたす。それは実蚌的に語れるものではなく、だからこそ志賀はそれを䜜品ずしお描いた。

    そのような心性は、志賀がシェむクスピアの䜜品を題に取り、䞊田秋成が䞭囜の叀兞を元に物語を描いたように『雚月物語』 [30]、決しお日本固有のものでなく、普遍的なものです。
    しかし西欧科孊文明の広がりの元では、どこでも滅ほろびびゆく運呜にありたす。

    『濁った頭』に連なる志賀の䜜品に぀いお、芥川は述べおいたす。

    神秘が、叀の垌臘の神々のやうに、森からも海からも遂におはれお、人々の心裡のうちに、隠れたのは、今曎らここに云う迄もない。−神秘を解こうずした䜜家は、日本にも、少なくない。しかし、圌等の倚くは笑ふ可き「怪談」を繰り返すか、さもなければ、幌皚なカテゎリむの䞭に埘埊するか、その二途を出ずにゐたのである。翻぀お、「濁った頭」にはじたる䜜品のseriesを芋るず、ここに描かれた神秘は、いづれも殆盎䞋ぢげに、垞人の䞖界に迫぀お来る神秘である。「濁った頭」の末節に斌お、接田のみた林間の幻圱の劂きは、明に「怪談」を離れた神品であ぀た。

    芥川の遺皿『志賀盎哉氏の短線断片』[31]

    たこずに芋事な分析です。xviii)

    しかし芥川はこのように志賀の䜜品を理解できおも、それを自身では描けなかった。
    最晩幎の『点鬌簿』 [32]『歯車』 [33]『或阿呆の䞀生』 [34]などは「人々の心裡のうちに、隠れた」神秘を描こうずした芥川なりの足掻あがきのなのかもしれたせんが、志賀の䜜品の䞍気味さには及びたせん。『歯車』の䞻人公がどんなに怪あやしい圱に誘われるようであっおも、そこには自我のようなものが感じられ、その自我が混乱しおいるように読めたす。それは断片的な『或阿呆の䞀生』でもそうです。

    『点鬌簿』で

    人物を必ず「狐の顔」に描く「狂人」の母

    「 」内『点鬌簿』䞭の蚀葉 [32]

    に぀いお述べ、その母ず亡くなった姉が混じり合った姿で自分を芋守っおいるず感じ

    それを

    䜕かの機䌚に実存の䞖界ぞも面かげを芋せる超自然の力の仕業であろうか

    『点鬌簿』[32]

    ず語る芥川に、それほど奇異な印象は受けたせん。それは同様の経隓がなくずも、想像の範囲内です。

    それに察しお、志賀の䞀連の䜜品の䞻人公には、自我のようなものがおよそ感じられたせん。ただ䜕かに取り憑぀かれ、匷いられおいる切迫感せっぱくかんがあるだけです。それが「垞人に迫぀おくる神秘」を感じさせるのだず思いたす。(xxxviii)

    初期䞭期のものは芥川君の䞀面で、晩幎のものは他のより眞寊な䞀面であ぀たず思ふ。傷たしいこずではあるが、私は歀面のものをも぀ず芋せお貰ひたか぀た。

    『「芥川韍之介党集」掚薊』[20]

    ず自殺した䜜家の党集の掚薊文すいせんぶんに平然ず曞く志賀の率盎さは異様いようです。

    それに比しお芥川は、あくたでも、客芳的・歎史的分析に片足を残したたたで、圌の䜜品もその日本文化史の理論の実践ずしおの枠を、超える事はなかったず思いたす。

    志賀盎哉ず䞉島由玀倫

    さお、フランス語囜際語を匷制的に導入しお、あずは自然に任せるずいうのは、それがかえっお日本語ず日本人の心性を匷化する可胜性があるずしおも、なんずも乱暎な方法です。しかし、囜語の改革によっお日本語を守った日本で、その埌、志賀が描いたような心性が、急激に倱われおいった事は確かです。
    それは䞉島由玀倫が『文化防衛論』 [35]を曞いた頃初出幎には、確実性を垯びおいたした。

    䞉島の

    「文化ずいうものは、ほんずうにどんな匱い女よりもか匱く、どんなに砎れやすい垃よりも砎れやすい。もう手にそうっず持っおいなければならん。」

    犏田恆存ずの察談『文歊䞡道ず死の哲孊』[36]

    ずいう認識ず志賀のオプティミズムは盞補的そうほおきなものだず思いたす。

    倧正時代に掻躍した志賀は、䞉島がどう考えようずも、䞉島が批刀した

    倧正教逊䞻矩

    『文化防衛論』35『䞉島由玀倫vs東倧党共闘〜幎目の真実〜』 [37]『行動孊入門』[68]

    ずは無瞁です。(xv)

    自衛隊駐屯地ちゅうずんちでの自決じけ぀ずいう䞉島の壮絶そうぜ぀な死ず志賀の二䜜品に珟れた悲劇ずは底流で通じおいるず、私は感じたす。(xxxxi)

    志賀が「フランス語を日本の囜語にする」事を本気で考えおいお、それでも日本文化は生き残るず考えおいたこずず

    䞉島が

    「文化抂念たる倩皇」「文化の党䜓性の統括者ずしおの倩皇」によっお、「巊右の党䜓䞻矩に察抗」しお

    「 」内『文化防衛論』[35]

    文化を防衛しようず本気で考えおいたこずずは、うらはらで、捩よじれながら繋぀ながっおいるように思えたす。

    前述したように、志賀は『囜語問題』で

    吟々は日本人の血を信頌し

    『囜語問題』[1]

    お考えなくおはいけないず蚀い

    『メヌトル法廃止運動に぀いおの返事』でも

    メヌトル法採甚によ぀お國颚の確立に䞍安を感ずるが劂きは日本民族の血液を冒涜するものである。

    『メヌトル法廃止運動に就いおの返事』[20]

    ず蚀っおいお、ずおも民族䞻矩的で䞍思議な䞀面がありたす。

    たた倩皇に぀いおは

    「倩子様のご意志を無芖し、少数の銬鹿者がこんな戊争を起す事のできる倩皇制」には反察でも「倩子様ず囜民ずの叀い関係をこの際捚お去぀お了う事は淋しい」

    「 」内『倩皇制』[12]

    ず蚀っおいたす。

    䜕やら䞉島ず通じるものを感じたす。(xxi)
    しかし元来皇宀に関心のなかった志賀が、こういう颚に考えるようになったのは、二・二六事件に際しお、断固ずした決断をした倩皇ぞの尊敬心からだず、阿川匘之は述べおいたす。『志賀盎哉』 [10]

    䞀方、䞉島は二・二六事件を元に『英霊の声』『憂囜』『十日の菊』䜜品 [38]を曞きたした。䞀芋するず䞉島は、二・二六事件を起こした陞軍将校たちの偎に立っおいるように芋えたす。しかし、この䜜品は、それぞれが党く違う芳点から、違う調子で描かれおいお、単玔ではありたせん。
    ずにかく二・二六事件が、この人の䜜家に倧きな痕跡こんせきを残したこずだけは確かです。

    そしお䞉島には、志賀が『特攻隊再教育』[12]の䞭で気に掛けおいる

    「新しい生掻の焊点を自身の力で芋出」せない特攻隊員

    「 」内『特攻隊再教育』[12]

    ずいう様盞がありたす。

    「死に察する淡々たる心境」を持った故に「恐らく圌等には今日の䞖盞を軜䜻浮薄、無節操なものず考え、癜県芖しおゐるのではないかず思う。」

    「 」内『特攻隊再教育』[12]

    ずいう特攻隊員に察する志賀の蚀葉は、戊埌瀟䌚ぞの嫌悪感を露あらわにした、その埌の䞉島の姿を圷圿ほうふ぀ずさせたす。

    志賀の闘たたかいも䞉島のそれも、どちらも敗北を芚悟した䞊での、ぎりぎりのものでした。

    䞉島の『文化防衛論』初出の翌幎、䞉島自決の前幎に曞かれた志賀の『ナむルの氎の䞀滎』 [39]は、自身が敗北した埌も生き続けた志賀からの䞉島ぞ向けた蚀葉のように、私には読めおしたいたす。

    長くはないので、党文を䞋蚘に匕甚したす。


    人間が出来お、䜕千䞇幎になるか知らないが、その間に数えきれない人間が生れ、生き、死んでいった。私もその䞀人ずしお生れ、生きおいるのだが、䟋えおいえば悠々流れるナむルの氎の䞀滎のようなもので、その䞀滎は埌にも前にもこの私だけで、䜕䞇幎溯っおも私はいず、䜕䞇幎経っおも再び生たれおは来ないのだ。しかもなおその私は䟝然ずしお倧河の氎の䞀滎に過ぎない。それで差支えないのだ。

    『ナむルの氎の䞀滎』[39]


    志賀を䞉島ず結ぶ芳点から捉ずらえるず、芥川の認識は察極たいきょくにありたす。しかしそれは志賀ず䞉島を結ぶ線䞊からそう芋えるのであっお、䞉人の立堎は、ちょうど䞉角圢の頂点のような関係にありたす。(図1)

    第二次䞖界倧戊埌の幎8ヶ月匱を陀いお他囜に支配されるずいう事がなく、倖囜の圱響が文化的なものに留たっお来た日本の歎史が、芥川に代衚される「日本は䜕でも取り入れお日本化する」ずいうポゞティブな芖点を可胜にし、それがあっおこそ、志賀や䞉島のような倧胆な䞻匵がありうるのだず思いたす。
    そういう意味では、者は補完的ほかんおきであるず云えたす。

    その䞭で芥川の立堎は、私に本居宣長を想起そうきさせたす。宣長の「もののあはれ」や「やたずこころ」も、本来はポゞティブに名付けられるようなものではないず思うからです。宣長も本圓は、䞊田秋成のいう「狐」が跋扈ばっこする䞖を生きおいた筈はずです (xvi) 。芥川も、圌が描いた以䞊に、その理知を超えた「神秘」の䞭を生きおいた。

    芥川の頃よりも、曎に「神秘」が「心裡」ず「怪談」の䞭に閉じ蟌められた珟圚の日本においおも、本圓の「狐」は「心裡」ず「怪談」の狭間はざたにいるのだず思いたす。それは神秘䞻矩が、繰り返し埩掻しおくる基もずになっおいるず思いたす。(図2)
    しかし神秘䞻矩は「心裡」ず「怪談」を補完ほかんするものでしかありたせん。本圓の姿は志賀のように、異質なものずの軋蜢あ぀れきの䞭に垣間かいた芋えるだけだず思いたす。(xxvi)

    画像


    志賀盎哉ず有島歊郎の倚様性

    志賀盎哉は、癜暺掟の䜜家ばかりではなく倚くの䜜家ず亀流がありたした。䞉島が敬愛けいあいした谷厎最䞀郎ずは懇意こんいでしたし、プロレタリア文孊の小林倚喜二は、自身の小説に぀いお志賀に批評を求め、志賀は手玙で答えおいたす。

    官憲かんけんに監芖かんしされる身であった小林は

    目立たないやうに呉服屋の番頭みたやうななりをしお

    志賀盎哉『「定本小林倚喜二党集」掚薊』[20]

    奈良に志賀を蚪ねおいたす。

    志賀ずいうず私小説ずいう枠組みで切り取られ、わりず単䞀の芖点で描かれた小説ばかりであるず捉ずらえられがちですが、志賀の柔軟性を考えるず、その小説の倚くは長倧な物語の断片ずしお捉えられるべきではないかず思いたす。
    その芖野には『クロヌディアスの日蚘』で描かれたように、日本以倖の堎所も含たれたす。ず云っおもそれはフランスの䜜家ゟラの代衚䜜「居酒屋」ず「ナナ」を含む長線の連䜜ルヌゎンマッカヌル叢曞ずは違い、ほずんどが短線で、内容に統䞀のテヌマや関連は芋られたせん。
    志賀の䜜品矀を叢曞そうしょずしお捉ずらえるずしおも、それは日本の詩歌の䌝統に基もずづいおいるずいう感じがしたす。䞀぀䞀぀の詩歌は短くずも、句集や歌集を読み通した時に䞀぀のたずたりを確かに感じる、そういった手応えに近いのではないかず思いたす(xvii) 。

    それでも志賀の䜜品をそのような倚様なものの亀錯こうさくずしお捉えるず

    有島歊郎の

    実生掻の波乱に乏しい、孀独な道を螏んできた私の衷うちに、思いもかけず、倚数の個性を発芋した時、私は県を芋匵っお驚かずにはいられなかったではないか。私が県を据えお憚はばかりなく自己を芋぀めれば芋぀めるほど、倧きな真実な人間生掻の諞盞が珟れ出た。私の内郚に充満しお私の衚珟を埅ち望んでいるこの䞍思議な䞖界。

    『惜しみなく愛は奪う』[40]

    ずいう感性ず志賀のそれずが近づいお芋えたす。

    癜暺掟で志賀より぀幎長の有島は志賀ず同様、キリスト教ずの軋蜢あ぀れきを先鋭化せんえいかさせた数少ない䜜家の䞀人でした。

    ずはいえ、有島ず志賀の䜜品は異質です。断片だんぺんを繋぀なぎ合わせたような志賀の長線『暗倜行路』 [41]に比べお、有島の『或る女』 [42] [43]ず『カむンの末裔』 [44]は䜜䞭人物がどんどん勝手に動き出しおいくような倧胆な䜜品です。それを曞きか぀『惜しみなく愛は奪う』のような哲孊曞ず呌べるものたで曞いた有島の倚圩さは、志賀にはないものです。
    有島には前述した志賀・䞉島・芥川の補完的な関係を揺ゆるがす湧わき䞊がる力のようなものを感じたす。(xxv)
    幎倧正幎に歳で瞊死いしした有島がもし生きおいたら、戊埌の囜語ず日本文化に぀いおの議論も違った展開があったかもしれたせん。

    最埌に

    志賀盎哉を䞭心に据すえるず、か぀おの日本ず日本の䜜家の諞盞しょそうが浮き䞊がっお来たす。皀有けうな資質を持った志賀は、倚様で豊かな䜜家達の䞭で、その連関の結節点のような䜍眮にいたのだず思いたす。志賀を批刀した倪宰治『劂是我聞』 [45]や織田䜜之助『可胜性の文孊』のような䜜家も、反発ずいう圢で同じ環わの䞭にいたず云えたす。
    そんな日本文孊の芁かなめの䜍眮にいた志賀の『囜語問題』を単なる愚かな暎蚀ず捉えるべきではありたせん。むしろ日本の瀟䌚を読み解く䞊での貎重なテキストの぀ずしお捉え盎しお行くべきであるず思いたす。拙論せ぀ろんはその぀の詊みです。

     本論の匕甚ず芁玄には、䞀郚今日から芋れば䞍適切な衚珟がありたすが、䜜品が曞かれた時代背景を衚しおいるもので、匕甚ずしお䞍可欠な郚分であるず考え、そのたたの衚珟で蚘茉したした。どうぞご理解をお願い臎したす。

    改蚂歎



    2022.1.25.本文ず泚に䞀郚蚂正加筆、2022.1.27.匕甚文献远加
    2022.5.21. 本文ず泚に䞀郚蚂正加筆・匕甚文献远加
    2022.6.7. 泚ⅺに加筆
    2022.7.12.本文若干の蚂正・改蚂歎項目に远加・泚xviii远加
    2023.4.13.泚 xixを远加。
    2023.4.26.本文に江藀淳「近代以前」からの匕甚文を加筆。
    2023.12.16.泚xxを远加
    2023.12.17.泚xvに埌半郚、柄谷行人の曞籍からの匕甚を甚いた箇所を远加
    泚xxiを远加
    2023.12.30. 泚xxiiを远加
    2023.12.31.泚xiiiを远加
    2024.1.3.泚xxivを远加
    2024.1.4.泚xxvを远加
    2024.1.4.泚xxviを远加
    2024.1.5泚viに「゜シュヌル䞀般蚀語孊講矩 コンスタンタンのノヌト」(東京倧孊出版䌚)からの匕甚を远加
    2024.1.6.泚xxviiを远加ずそれに䌎う若干の蚂正(曞籍の衚蚘方法など)
    2024.1.11.泚xxviiiを远加
    2024.1.16.泚xxixずxxxずxxxiずxxxiiを远加
    2024.1.17.泚xxxiiiを远加
    2024.1.20.泚xxxivを远加
    2024.1.21.泚xxxivにを远加→削陀
    2024.2.4.泚xxxv〜xxxviiを远加
    2024.2.12.泚xxxviiiを远加。泚xiに加筆、たたもずの泚xiにあった文章の䞀郚を本文䞭に挿入。柄谷行人の『日本粟神分析』[48]からの匕甚を含む
    2024.2.17.泚xxxvに远蚘。
    2024.10.12.脱字蚂正。段萜「最埌に」に織田䜜之助『可胜性の文孊』を远加。
    2025.1.5.泚xvずxxiに加筆。
    2026.1.8.泚xxxivを远加。
    2026.1.12.泚xxxxを远加。
    2026.1.24.泚xxxxiを远加。
    2026.2.1.泚xxxxiに付蚘
    2026.2.15.泚xxxxiの衚を倉曎
    2026.2.17泚xxxxiに泚1⃣を远加
    2026.2.22泚xxxxiに泚3⃣を远加
    2026.5.5.泚xxxxiに泚4⃣を远加
    2026.5.6.泚xxxxiに泚5⃣を远加
    2026.10.16.泚xxxxiiを远加
    2026.10.18.泚xxxxiiiを远加
    2026.10.23.泚xxxxiii䞭の西掋語を本論に合わせお、西欧語に倉曎。
    泚xxxxivを远加。
    2026.11.6.泚xxxxiに泚6⃣を远加
    今たでのずころ本論の倧意に倉曎はありたせん。


    泚 本文䞭の(i)〜(xxxxiv)からも芋れたす


    ⅰ むロニヌもしくはアむロニヌ英irony, 独: Ironie, 仏: ironieは、皮肉ず蚳されたすが、本意は「衚面的な立ち振る舞いによっお本質を隠すこず、無知の状態を挔じるこず」Wikipedia 2021.1.19.アむロニヌであり、反語、逆説などの意味も含み、ほのめかすずいう語感もありたす。たた、゜クラテスが真理を探求する為に甚いた、知っおいるこずを知らぬふりをしお議論をする「哲孊的むロニヌ」はヘヌゲル、キルケゎヌルに批刀的に取り䞊げられたのをはじめ、珟代に至るたで倚くの哲孊者に取り䞊げられたポヌル・ド・マンの「アむロニヌの抂念」 [53]など長い歎史があり、それらによる豊富なむメヌゞの広がりを持ちたす。

    ⅱ  䟋えば日本語の党面的ロヌマ字化を䞻匵した土岐善麿はG H Qのロヌマ字化の動きを歓迎し、『國語ず國字問題』 [49]を曞きたしたが、その冒頭を

    倪安萬䟶が叀事蚘を぀く぀たずき、䞭略いろいろず苊蟛をかさねお、遂に、その挢字にずくべ぀な日本語的甚法を考えだした。

    『國語ず國字問題』[49]

    ず云うずころから始めおいたす。そしお日本語の

    こずばを音ずしお぀たえるこずは、なかなかむずかしかった。

    『國語ず國字問題』[49]

    ずし、カナ文字の発明から、前島密の挢字廃止論、南郚矩籌ず西呚のロヌマ字論ぞず必然の流れであるかのように描いお、ロヌマ字を日本語の歎史の䞭に正統に䜍眮付けようずしおいたす。これは日本語のロヌマ字化を正圓化する詊みなのはもちろんですが、同時にナショナリスティックなものだず思いたす。前島・南郚・西の䞉人の目的が、日本の囜力を高め、日本の独立を守るこずにあったのはその論旚より明らかです。特に南郚に぀いおは、明癜に囜粋䞻矩的であるこずを、土岐も認めおいたす [49]。
    ただそれが西によっお、真に開明的なものになったずいうG H Qが喜びそうな論述になっおいたす。土岐はこの著曞の䞭に、米囜察日教育䜿節団の報告曞の囜語改革に関する箇所を党お茉せお

    消しおおし぀けがたしい指圖はしない。指圖どころか、寊に芪切な、おいねいなこずばづかいで、その決定を日本人にたかせおいる。

    『國語ず國字問題』[49]

    ず賛蟞さんじを送っおいたす。しかしこれは賛蟞であるず同時に、今埌も倉わらず “指図さしずせずに日本人に任せるように” ずいう牜制けんせいの意味もあったのではないかず思いたす。
    土岐の囜語のロヌマ字化を正圓化しようずする歎史の䞭に、賀茂真淵ず本居宣長ぞの蚀及がないのが気になる所ではありたす。もしかするず、囜孊を取り䞊げるこずが、囜粋䞻矩を譊戒するG H Qの意向に沿わないず刀断したのかもしれたせん。

    ⅲ  志賀はこの座談䌚で、アルファベットが、字であるこずの利点を匷調しおいたす。それであれば尚の事、英語で構わない筈です。ロヌマ字に぀いおは、長幎の普及運動があったにも関わらず広たらないのは

    臎呜的欠点があるのではないか

    『囜語問題』[1]

    ず、志賀は吊定的ですが、英語に぀いおは述べおいたせん。

    さらに志賀は

    「たずえば尺貫法をメヌトル法に盎したために、ずッず子䟛達の算術が進んだずいふからね。」

    「志賀氏を囲んでの芞術倜話』[2]

    ずメヌトル法をアルファベットに類比させおいたす。
    この類比は、『囜語問題』ず谷厎最䞀郎ずの察談『文藝攟談』 [2]でも述べられおいお、䞀貫しおいたす。メヌトル法がフランスによっお生み出され、広たった事を考えれば、そのようなフランスの囜際性アメリカに察抗できる力を念頭に眮いおいるのだず思いたす。
    フランスは、ドむツ占領時には、分割統治の䞀角を占めたしたが、日本の分割統治が画策された時には、そこから倖れおいたす。
    そこたでの事実は知らなくずも、フランスを日本の占領政策に匷く導き入れるこずは、ポツダム䌚談ずポツダム宣蚀に関わったアメリカ・むギリス・゜連・䞭囜ずは違う軞を持ち蟌むこずであったろうこずは、想像できたのではないかず思いたす。
    しかし、幎埌の座談䌚で、このような事を匷調しおも仕方がない事は確かです。

    これは、蟰野隆に

    「『い぀そフランス語にしちやえばいい』ずいう冗談たじりの意芋を出したしたね。」

    『志賀氏を囲んでの芞術倜話』[2]

    ず蚀われお、思わず出た発蚀だず思われたす。

    「あれはみんな、僕が䜕か思ひ぀きでさう云぀たず思われおいるんだが、さうぢやないんだよ」

    『志賀氏を囲んでの芞術倜話』[2]

    ず話し始め、字の利点のくだりの埌

    「ずい぀おも今はもう駄目だが、戊埌なら」

    『志賀氏を囲んでの芞術倜話』[2]

    ず残念そうに蚀っおいたす。

    ⅳ  察談『内村鑑䞉その他』 [2]では

    「日本語が䞍自由な蚀葉だずいうこずは」

    『内村鑑䞉その他』[2]

    ずいう衚珟も芋られたすが、その埌でやはり囜語ず蚀っおいお、䞻意はやはり囜語なのだず思いたす。

    Ⅾ  これが志賀独特のアむロニヌである事は私には疑い埗ないのですが、倚くの論者は、志賀の䞻匵を真正面から捉ずらえるばかりなので䞍思議です。

    それは

    無茶苊茶な議論で、銬鹿に぀ける薬はないずどなりたくなる

    『日本語のために』[63]

    ずいう䞞谷才䞀から

    内容に぀いおはフランス語で語ったずしおも支離滅裂だろうずしながらも

    真面目に扱う必芁のある、近代の日本人の囜語芳を兞型的に瀺した重芁な論文

    『閉ざされた蚀語・日本語の䞖界』[57]

    ずする鈎朚孝倫

    敗戊ずいふ衝撃によ぀お生じた䞀時的な粟神麻痺の悪戯ずは蚀え、些か床が過ぎおいる。

    『國語問題論争史』[61][60]

    ず切り捚おる『國語問題論争史』 [61] [60]の土屋道雄・犏田恆存

    このような䞻匵をする志賀を「小説の神様」ずした人々ぞの苛立ちを露わにする倧野晋『日本語緎習垳』 [56]たで、志賀の豪胆ごうたんさに比べるず、皆ずおも小心しょうしんな生真面目きたじめさを瀺しおいたす。

    私の知る限りでは、蓮寊重圊の

    「制床」ずしおの「日本語」ず囜家ずしおの「日本」ずに察する苛立ちに捉えられ、その「制床」が「制床」ずしお機胜しえない理想郷を「フランス語」ずしお思い描いおみたたでのこずだ。

    『反=日本語論』[55]

    ず云う蚀葉のみが、䞀面で芯を぀いおいたす。
    蓮寊の云う「『制床』ずしおの『日本語』ず囜家ずしおの『日本』ずに察する苛立ち」は、確かに志賀に内圚しおいたず思いたす。
    しかし、敗戊盎埌のこの時期に、なぜ志賀があえおこのような発蚀をしたのかを、それだけで説明するのは無理がありたす。
    そこには G H Q による支配䞋ずいう状況を鑑かんがみるみる事が必芁だず思いたす。
    そしおその堎合、加藀䞉重子が『志賀盎哉の「囜語問題」の政治孊』 [58]で瀺唆しさしおいるように、アメリカに察する密ひそかな反発から、フランス語を遞んだず云うよりも、より積極的な抵抗ずしお志賀は遞択したのだず、私は考えたす。

    远蚘: 2022.2.25

    加藀䞉重子の他に、圓時の状況を鑑かんがみた論考ずしお

    終戊埌盎埌の特別な状況の䞭で執筆されおいる

    『終戊埌盎埌の囜語囜字問題』[66]

    こずを匷調した甲斐睊郎の『終戊埌盎埌の囜語囜字問題』[66] がありたす。たずもに志賀の『囜語問題』を扱ったものずしお倧倉貎重なものですが、私は拙論せ぀ろんを曞いた圓初、この著曞の事を愚かにも知らなかった。
    読み通しおみお倧いに参考になったが、拙論に倧きな倉曎を加える必芁は感じなかった。

    ただ䞀぀だけ重芁な指摘があった。それは志賀が察談『浅春攟談』[2]の䞭で

    「䞻栌なしで文章の曞ける囜語ずいうものは蚀葉ずしおは非垞に䞍完党なものだず思ふ。」

    『浅春攟談』[2]

    ず日本語に぀いお蚀っおいる事です。
    このような事を志賀の考える囜語批刀の䞭心ずするなら、日本語そのものを吊定したず取られおも仕方がない。

    志賀はこの埌

    「突飛なやうだけれども、蚀葉は日本の蚀葉を、名詞でもなんでも䜿぀おいいが、文章の構成だけでも、フランス語にするずいふこずはどうかね」

    『浅春攟談』[2]

    ず蚀っおいたす。これをどう理解したら良いか。

    これは䌌通った䞻匵をした察談『内村鑑䞉その他』の

    「皆に察手にされないこずを承知で、云぀おゐるのです。」

    『内村鑑䞉その他』[2]

    ずいう志賀の蚀葉から抌しお、『囜語問題』がたずもに盞手にされないこずに苛立った攟蚀ずいう偎面が匷いように、私は思いたす。
    志賀にも混乱した郚分があったのかもしれたせんが、この発蚀だけで「䞻栌なしで文章の曞ける囜語」である事が志賀の囜語批刀の䞻題の぀であるずは、私には思えない。
    日本語が「䞻栌なしで文章の曞ける囜語」である事は自明のこずであり、志賀のような老緎ろうれんな䜜家が今曎このような事を匷調しおみせるのは、その埌の「突飛な」意芋ぞ繋぀なげるための方䟿ほうべんではないかず思いたす。

    ⅵ  ゜シュヌルの『䞀般蚀語孊講矩』は、゜シュヌルの講矩そのものではなく、孊生の講矩ノヌトから再構成したもので、その埌のさたざたな資料の発芋により、新たな研究が進んでいたす。
    しかし゜シュヌルの手皿や新たな孊生の講矩ノヌトがゞュネヌブ公共倧孊図曞通で収集され始めたのは幎の事であり、ここでは志賀が『囜語問題』を曞く前に芋聞きした可胜性を考え、䞀般蚀語孊講矩初版のものを遞びたした。


    様々な資料をもずにした各著曞から、本文で匕甚したものず完党に同じ箇所を取り出すのは難しいですが、類䌌性のある蚘述の䞀䟋を䞊げるず

    「゜シュヌル䞀般蚀語孊講矩 コンスタンタンのノヌト」(東京倧孊出版䌚)では䞋蚘のように蚘されおいたす。

    どのような蚀語であれ、そもそも蚀語ずしおの条件を満たすならば、シニフィアンからシニフィ゚ぞの関係党䜓を刻々ず倉化させる諞芁因から身を守るには、匱い存圚です。関係が完党にそのたた保たれおいる䟋はありたせん。これは連続性の原理からすぐに埗られる補題です。蚘号の恣意性に含たれる自由の原理ずの関係では、連続性は自由を剥奪するだけでなく、法埋にもずづいお蚀語を構築したずしおも、次の日には人々(共同䜓)がその関係を倉化させおしたっおいるでしょう。人々のあいだに流通しない限り、蚀語を統制するこずは可胜ですが、蚀語がその機胜を満たすならばなら、関係は倉化したす。歎史が瀺す䟋にもずづくならば、少なくずも、このこずは避け難いず結論するかこずができたす。
    ゚スペラントは、人工的な蚀語の詊みずしお成功したかに芋えたすが、瀟䌚に広たるに぀れお、この避けがたい法則に埓うでしょうか
    ゚スペラント語を甚いおいるのは小さなたずたった共同䜓ではなく、あちこちに散らばったグルヌプです。そこに属する人々は、自分たちのしおいるこずを完党に意識しおおり、この蚀語を自然蚀語ずしお孊んだわけではありたせん。
    蚘号システム(文字衚蚘のシステム。パヌリ語を考えおみたしょう)や、聎芚障害者の蚀語でも、同様にむやみに関係が倉化したす。次のこずは䞀般蚘号孊の事実でしょう: 時間の連続性は時間䞊の倉化ず関係する。

    「゜シュヌル䞀般蚀語孊講矩 コンスタンタンのノヌト」



    匕甚文献: 「゜シュヌル 䞀般蚀語孊講矩  コンスタンタンのノヌト」
    2007.3.27.初版、2008.3.18.第2刷
    著者: フェルナンド・ド・゜シュヌル
    蚳者: 圱浊峡・田䞭久矎子
    発行所: 財団法人 東京倧孊出版䌚

    画像



    ⅶ この発蚀に぀いお、

    志賀の垝囜䞻矩・怍民地䞻矩意識を露呈しおしたった。

    『志賀盎哉の「囜語問題」の政治孊』[58]

    ものず加藀䞉重子は述べおいたす。『志賀盎哉の「囜語問題」の政治孊』 [58]
    加藀䞉重子も取り䞊げおいるこの前段で志賀は

    囜語の切換に぀いお、技術的な面のこずは私にはよく分からないが、それほどの困難はないず思぀おいる。教員の逊成が出来た時には小孊生から、それに切換ればいいず思う。

    『囜語問題』[1]

    ずぶっきらがうに述べおいるので、そう取られおも仕方はありたせん。しかしこれも志賀のアむロニヌなのであっお、むしろ「台湟や朝鮮で、日本も日本語を公甚語ずしお匷制したではないか、今曎なにを驚くのだ」ずいう事を含意しおいるのだず、私は思いたす。技術的なこずは分からないのに、困難はないず思うなどず云うのも、反語的衚珟であるず私には取れたす。しかし埌述したように、倖囜語の匷制に察する無理解が志賀にあるこずも確かです。

    ⅷ  アむデンティティの拠り所ずしおの母語の可胜性に぀いお、䟋えば『蚀語孊ず怍民地䞻矩−こずば喰い小論−』[54]のルむゞャン・カルノェの

    自分の蚀語を話すこずは䞀皮の抵抗行為ずなる。倧倚数の怍民地原䜏民にずっお瀟䌚䜓制が理解䞍可胜であるのず同様、倧倚数の怍民地支配者にずっおは圌らの蚀語は理解䞍胜だからである。そしおこの抵抗は、圢匏的独立を隠れ蓑に新怍民地䞻矩がこずば喰いを継続するずき、蚀うたでもなく継続されるのである。

    『蚀語孊ず怍民地䞻矩−こずば喰い小論−』砂野幞皔蚳 [54]

    ずいう力匷い蚀葉を思い起こす事ができたす。
    しかしこれは実際に怍民地化され、倖囜語を匷制された人々の必死の抵抗の姿であり、日本のようにそのような匷制が起こらなかった囜の想像の䞭で可胜性ずしお考えられるようなものずはやはり違いたす。
    それはガンゞヌの自䌝にある次のような蚀葉ず盞たっおこそ、意味を持぀ものであるこずを忘れおはならないでしょう。

    祝いの蚀葉を蚀われ、たた、総督䞻催の䌚議でヒンドニスタヌ語を話したのはわたしが最初だったこずを知っお、わたしの民族的自負心は傷぀けられた。わたしは肩身の狭い思いをした。自囜の蚀葉が、自囜に関係するこずのために自囜で開かれる䌚議で䜿甚犁止になるずは。たたその垭䞊、わたしのような䞀介の心定たらない者によっお、挔説が自囜の蚀葉、ヒンドニスタヌ語で行われたずいうこずが慶賀に䟡するずは、なんずいう悲劇であろう。このような出来事からみおも、私たちがいかに䜎劣な状態に萜ちこんでいたかを思い知らされる。

    『ガンゞヌ自䌝』蠟山芳郎蚳 [47]


    ⅾ  加藀䞉重子は『志賀盎哉の「囜語問題」の政治孊』 [58]の䞭で志賀が自分は日本語を䜿い続けるず察談『文芞攟談』 [2]で蚀っおいるこずをもっお、志賀がフランス語日本語の二局構造を想定しおいるではなかず論じおいたす。私の堎合の二重構造は『囜語問題』で志賀が終始「日本の囜語」を問題ずしおいるこずから、志賀が母語ずしおの日本語の䜿甚を党吊定したわけではないず掚論したに過ぎたせん。
    倖囜語ず母語が䜵存した実䟋ずしおはフィリピンが考えられたす。
    フィリピンにおける教授語ずしおの英語の導入ず母語ずの関連ず歎史に぀いおは岡田泰平著『「恩恵の論理」ず怍民地−アメリカ怍民地期の教育ずその遺制−』が詳しい。 [52]

    ⅹ  こうした文脈での「日本人の血を信頌し」ずいう蚀葉は、仮に日本語が完党に滅んでも、それでも日本人の血があれば、ずいうふうにも読め、䞀皮の恐ろしさも感じたす。

    しかし察談では

    「『蚀葉は日本語の蚀葉を、名詞でも䜕でも䜿぀おいいが、文章の構成だけでもフランス語にする』ずいふこずはどうかね」

    『内村鑑䞉その他』[2]

    ず蚀っおいお、より積極的な混淆こんこう蚀語を想定しおいるようにも読め、
    志賀がどのようなものを想定しおいたのか、はっきりしたせん。

    名詞などはそのたたでいいから日本語の仕組みを思ひ切っお合理的に倉える必芁がある

    『内村鑑䞉その他』[2]

    ずいうような発蚀は、フランス語の構造が日本語よりも合理的であるず理解しおいたようにも取れたす。志賀自身の考えにも混乱したずころがあり、そこにはフランス語の構造が日本語よりも合理的であるずいうような、西欧䞭心䞻矩的な考えも若干混じり合っおいたのかもしれたせん。

    しかしこの察談では

    「皆に察手にされないこずを承知で、云぀おゐるのです。」

    『内村鑑䞉その他』[2]

    ず蚀っおいお、『囜語問題』がたずもに盞手にされないこずに苛立った攟蚀ずいう偎面もあるように思いたす。

    ⅺ  柄谷行人は『日本粟神分析』の䞭で、『神神の埮笑』[15]を取り䞊げお、日本の文化受容の歎史に぀いお、詳现な分析ず考察をしおいたす。 [48]

    その䞊で柄谷行人は、キリシタンの匟圧ず背教を描いた「おぎん」ずいう芥川の䜜品に觊れながら、

    キリシタンを滅がしたのは、「造り倉える力」などではない。端的に、暎力なのです。なぜ芥川は、そんな自明の理を無芖しようずしたのでしょうか。

    『日本粟神分析』柄谷行人 [48]

    ず問いかけおいたす。

    そしお

    倧正時代は、西掋列匷の䞋で、近代囜家ずしお自己確立するために懞呜であった日本人が、日露戊争埌そうした軍事的経枈的緊匵から解攟され、たた、自ら列匷の䞭に入ったずいう誇りから、日本の文化的独自性をいいはじめたじきです。しかし、それは日露戊争たでの日本人のように、䞖界を芏定しおいる普遍的な「力」を忘れるずいうこずです。

    『日本粟神分析』柄谷行人 [48]

     

    ず述べ、曎に

    倧正時代の日本瀟䌚が忘れおのは、「満州の戊堎」だけではありたせん。倧正時代の瀟䌚は日韓䜵合ず倧逆事件の埌に成立したのですが、この二぀の出来事が、この二぀の出来事がこの時代の蚀説にたったく出おこないのです。倧正デモクラシヌず呌ばれた時代は、実際は、そのような暎力を隠すこずにおいお圢成されおいたす。

    『日本粟神分析』柄谷行人 [48]

    ず倧正時代を芏定した䞊で

    しかし少なくずも芥川は、暎力が根底に存するこずを匷く意識しおいたした。圌が文化的な「造り倉える力」を匷調したのは、むしろそのためです。

    『日本粟神分析』柄谷行人 [48]

    ず述べおいたす。

    柄谷行人のこの論に則するならば、芥川韍之介は志賀盎哉ずは違った意味で、暎力を感受しおいたのかもしれない。

    ⅻ  明治政府は、圓初キリスト教を匟圧したした。しかし西欧列匷の圧力により、信教の自由を認めたす。キリスト教プロテスタントが日本で広たるのは、明治幎頃からで、信者の䞭心は、か぀おの幕臣の垫匟であったずいいたす。『日本近代文孊の出発』平岡敏倫 [50]
    志賀盎哉の垫・内村鑑䞉もその䞀人です。明治維新ずいう暎力ず西欧列匷の匷倧な軍事力の狭間で、キリスト教は足堎を倱った者たち幕臣の垫匟の拠り所になった。
    ナむゞェリアの䜜家チアヌ・アチェべが『厩れゆく絆』の埌半で描いたキリスト教の二重性

    ある人々にずっおはキリスト教が新たな可胜性ず解攟の契機をもたらした。しかし同時に、キリスト教は怍民地支配の論理ず結び぀いき、瀟䌚が独自に倉革し刷新しおいく胜力ず機䌚を、暎力的に、そしお氞久に奪い去っおしたうこずになった

    『厩れゆく絆』の「解説 チアヌ・アチェべずアフリカ文孊」
    粟飯文子[59]

    ず郚分的には䌌た構図が日本にもあったのかもしれたせん。
    しかし、日本で最初にキリスト教に救いを求めたのは、アチェべが描いたような

    共同䜓で抑圧を受けおきた者たち

    『厩れゆく絆』の「解説 チアヌ・アチェべずアフリカ文孊」
    粟飯文子[59]

    よりも、か぀おの支配局幕臣の垫匟でした。そしお日本は怍民地化されるこずはなかった。

    瀟䌚が独自に倉革し刷新しおいく胜力ず機䌚を、暎力的に、そしお氞久に奪い去

    『厩れゆく絆』の「解説 チアヌ・アチェべずアフリカ文孊」
    粟飯文子[59]

    られるずいう過酷かこくな状況は、日本にはなかった。キリスト教の広がりは限定的でした。信者からも棄教ききょうする者が続出したす。キリスト教を堅持けんじし続けた内村鑑䞉ずその教えずの葛藀かっずうを先鋭化せんえいかさせた志賀盎哉のような人は、どちらも日本では皀たれでした。その志賀の特異性が、独特の考察を可胜にしたず云えたす。

    尚なお、日本人ずキリスト教の関係に぀いおは、柄谷行人が『日本近代文孊の起源』[64]の「告癜ずいう制床」で詳しく論考を加えおいる。志賀の『濁った頭』に連なる䜜品矀に぀いおも、そこで觊れられおいる。この点での拙論せ぀ろんの発想は、倚く柄谷氏の考察に觊発しょくは぀されたものである。

    xiii  ハムレットは、北欧の䌝説が元ずなったず云われ、それはシェむクスピアがハムレットを曞いたずされる幎前埌を遥はるかに遡さかのがりたす『ハムレット』犏田恆存蚳所収「解題」犏田恆存 [21]。しかし、志賀は、シェむクスピアが自分の時代の混乱を蚗した物語ずしお、ハムレットを読んだのだず思いたす。

    xiv  志賀の『内村鑑䞉先生の憶い出 [39]』を読むず、『濁った頭』の内容の䞀郚は、志賀自身の経隓に基づいおいる事がわかりたす。

    xv  䞉島由玀倫は

    高等孊生の千線䞀埋の教逊䜓系、西田幟倚郎の『善の研究』、和蟻哲郎の『颚土』『倫理孊』、阿郚次郎の『䞉倪郎の日蚘』などの必読曞に瞛られた知的コンフォヌミティが我慢ならなかった。珟圚にいたるたで私には根匷い知識人嫌悪があるが、その根はおそらくこういう少幎期のヘ゜曲りに源しおいるに違いない。

    『日本の叀兞ず私』[46]

    ず蚀っおいる。
    『濁った頭』や『クロヌディアスの日蚘』のような異様な䜜品を曞いた志賀が、このような「知識人」に該圓がいずうするずは、私には思えたせん。

    『行動孊入門』68所収の「革呜哲孊ずしおの陜明孊」の䞭で䞉島が倧正教逊䞻矩に觊れた箇所で、歊者小路実節ず志賀盎哉を䞊べおいるのはは䞍圓なこずに思えたす。歊者小路ず志賀は共に癜暺掟を代衚する人物ではありたすが、党く資質の異なる䜜家であるず思いたす。

    ただ、柄谷行人が「双系性をめぐっお」の䞭で

    倧正期に、志賀や西田がいわば基局的なものに向かったのは、それ自䜓、明治的近代のなかにおいおであり、たた、西掋ずいう匷迫的な「他者」から䞀時的に解攟されたずいう状況なしには、ありえないのです。

    「〈戊前〉の思考」所収「双系性をめぐっお」

    ず述べおいる通り、志賀の䜜品もたた倧正ずいう時代を反映しおいるずはいえるのかもしれない。

    そしお、柄谷行人が

    西田も志賀もある意味で、「明治」的な人で、ある匷さを持っおいたす。しかし、倧正以埌の人にずっおは、こうしたものが日本独自のものずしお自明化されおいきたした。

    「〈戊前〉の思考」所収「双系性をめぐっお」

    ず述べおいるように、倧正教逊䞻矩の元祖の1人である西田幟倚郎にも、䞉島の云う

    知的コンフォヌミティ

    『日本の叀兞ず私』46

    ずは異質な偎面があったのかもしれない。

    このような

    倧正教逊䞻矩

    『文化防衛論』35『䞉島由玀倫vs東倧党共闘〜幎目の真実〜』 [37]『行動孊入門』[68]
    の

    知的コヌンフォヌミティ

    『日本の叀兞ず私』[46]


    ずは異質な偎面が志賀盎哉にある事に、䞉島由玀倫は気が付かなかったのだろうか
    おそらくそんな事はあるたい。

    䞉島由玀倫は孊習院の4幎先茩の矎術評論家・埳倧寺公英きんひでずの察談の䞭で
    2人が通った圓時たでの

    「孊習院には教逊䞻矩に察する䟮蔑があっおね」

    「青春を語る」決定版䞉島由玀倫党集41

    「その䞉぀子の魂癟たでっおのは今でも残っおるね。
    僕は倧孊の先生っおのさ倧っ嫌いだしね。それからそのむンテリゲンチャっおのも嫌いでしょ。その䜓質は二十䜕幎経ったっお党然治らないね。」

    「青春を語る」決定版䞉島由玀倫党集4

    ず自分の

    「教逊䞻矩に察する䟮蔑」

    「青春を語る」決定版䞉島由玀倫党集41


    の源泉の1぀に孊習院がある事を述べおいる。
    しかし時期は違えど志賀盎哉ず癜暺掟の䜜家たちも孊習院に圚籍しおいたのである。

    同察談で䞉島由玀倫は

    「癜暺があんたりに孊習院を代衚しちゃったから、反感を感じたんだな」

    「青春を語る」決定版䞉島由玀倫党集41

    ず蚀っおいる。

    䞉島由玀倫が癜暺掟に察しお、同じ孊習院であっおも、距離を感じおいた事も事実のようではある。
    それでも癜暺掟の䜜家たちも、同じような孊習院の反教逊䞻矩を身近に感じおいたものず思われる。

    人道䞻矩的思想家ずいう偎面が段々ず倧きくなっおいった歊者小路実節ず違い、志賀盎哉は晩幎に至るたで、教逊䞻矩ずは無瞁であったように、私には思われる。

    たた、この察談の䞭で䞉島由玀倫ず埳倧寺公英は、圓時の孊習院がいかに暎力に溢れおいたかを繰り返し話題にし、そしおそれが孊習院の孊生の封建的家庭環境から来おいる事を述べ、そういった環境が癜暺掟の文孊にも圱響を䞎えおいる事を指摘しおいる。
    志賀盎哉の小説「和解」で描かれた芪子の確執は、その兞型䟋であろう。

    それは具䜓的には

    「お家隒動からね。家ん䞭で誰が殿様方で誰が奥方方だずかね。(äž­ç•¥)
    それから、家うちん䞭に腹違いの兄匟がいっぱいいるずかね。
    それから、たぁ、財産争いずかね。
    そんな事がどこの家うちだっおない家はないよ。
    そんな䞭で揉みに揉たれお、お父さんは嫌でも嚁厳を持っお、完党な父暩性瀟䌚だから」

    䞉島由玀倫談「青春を語る」決定版䞉島由玀倫党集41

    ず云った家庭である。

    䞉島由玀倫ず志賀盎哉に時に珟れる暎力性は、孊習院ずその垫匟の家庭ずいう共通の地盀があるように思われる。

    以䞊のようなこずからも、䞉島由玀倫の志賀盎哉に察する態床に぀いお考える時には、安盎に捉えずに、少し留保がいるように思われる。

    䞉島由玀倫は1966幎の安郚公房ずの察談で

    「ただ僕が䌝統などず蚀うのは、やはり䞀皮の敵本䞻矩でそういうこずを蚀うのだ。」

    『文孊者ずは䜕か』所収「二十䞖玀の文孊」

    ず蚀っおいる。

    そしお

    「志賀盎哉氏のは立掟ない文孊だが、ああいうふ぀なものだけが日本語の特質であっお、もっずデコラティノな西鶎以来の、ああいう連想䜜甚の豊富な、メタファヌの豊富な文孊はだね、ぜんぜん、぀たり日本文孊の矎しいものではないずいうふうな考え、それでずいぶんひどい目にあっおる䜜家が、どれだけいるかわからないよ。泉鏡花だろうが、岡本かの子だろうが、だれだろが」

    『文孊者ずは䜕か』所収「二十䞖玀の文孊」

    ず蚀い

    「僕がいただにくやしくお芚えおいるのは、小孊校のずき綎り方を曞いお、そのころはみんな志賀盎哉が最高のお手本だよ。小孊生に志賀盎哉を読たせおもしようがないのだけれどもね。あれに少しでも䌌おいない文章は、もう悪い文章で、圢容詞が䞀぀あっおもいけないのだ。぀たり、ああいうふうなものが最高だず。そうしお、ああいう写生文なり、写実的なね、非垞に象城の域にたで入った写実が最高だずいう考えね。」

    『文孊者ずは䜕か』所収「二十䞖玀の文孊」


    ず小孊生の時の思い出を語っおいる。


    䞉島由玀倫の志賀盎哉に察する態床は、このような珟状に察しお察抗する為のもので
    䞉島が

    「䞀皮の敵本䞻矩」

    『文孊者ずは䜕か』所収「二十䞖玀の文孊」


    ずいうように戊略的なものであろう。

    『文章読本』の䞭で

    日本語のいかに堪胜な西掋人でも、森鎎倖や志賀盎哉の文章がわかりにくいのは、それがきわめお埮劙な味、氎に䌌た味わいをもっおいるからにほかなりたせん。

    『文章読本』


    ず敬愛した森鎎倖ず䞊べるかたちで、䞉島由玀倫は志賀盎哉の名前を䞊げおいたす。志賀盎哉を高く評䟡しおいた事がうかがえたす。

    䞉島由玀倫は『蘭陵王』(新朮瀟)所収の「日本ぞの信条」(1967幎)のなかで

    戊埌、日本語をフランス語に倉えよう、などず蚀った文孊者があったずは、驚くにたえたこずである。

    『蘭陵王』所収「日本ぞの信条」


    ず述べおいる。これは志賀盎哉の「囜語問題」の事であろうが、倚匁な䞉島にしおは、なんずも簡朔な蚀葉である。

    䞉島由玀倫は同『蘭陵王』所収の「「倉革の思想」ずは」(1970幎1月)の䞭で、井䞊枅の『党人民的激動の予震』ずいう文章を批刀するずいう文脈の䞭ではありたすが(この井䞊枅の文章を私は読んでいないのですが)

    孊生の勇気の蚌明を黙秘暩に眮くのは、論理的矛盟である。なぜなら、死を賭けるべき黙秘を、「黙秘暩」ずしお基本的人暩ず接着せしめた法䜓系こそ、思想の盞察化によっお柔構造瀟䌚を成立せしめた匵本人であり、その暩利を利甚するこずは、すでにそのような法䜓系を容認するこずでこそあれ、䜕ら勇気の蚌明にはならぬからである。

    『蘭陵王』所収「「倉革の思想」ずは」

    ず述べおいる。
    これを曞いた幎の11月25日に䞉島由玀倫は割腹自殺を遂げおいる。

    䞉島由玀倫は、倚くを語ったが、時に簡朔すぎるほど簡朔にしか語らない事がある。
    志賀盎哉の「囜語問題」に぀いお、たた泚 xxi で取り䞊げた坂口安吟に぀いおもそうである。

    䞉島由玀倫は

    死を賭け

    『蘭陵王』所収「「倉革の思想」ずは」

    お黙秘を守ったのかもしれない。

    その黙秘された心のうちを想像するのには、困難が䌎うが、䞉島由玀倫が蚀葉少なに語った䞭にこそ、重芁なものが隠れおいるず思えおならない。

    匕甚文献・音声:

    ①䞉島由玀倫, 『叀兞文孊読本』[46]䞭倮公論新瀟,初版発行 2016.11.25. 、再版発行 2020.5.25. うち「日本の叀兞ず私」初出: 1968.1.1.他「山圢新聞」

    ②『〈戊前〉の思考』柄谷行人
    1994.2.1.第1刷
    1994幎4.10.第4刷
    発行所: 株匏䌚瀟 文藝春秋

    ③ 決定版䞉島由玀倫党集41 音声
    発行2004.9.10.
    著者: 䞉島由玀倫 
    発行所: 株匏䌚瀟新朮瀟
    「青春を語る」は昭和44幎11月12日に、東京・有楜町の日掻ホテルのレストランで行われた。

    ④ 『文孊者ずは䜕か』
    2024.12.10.初版発行
    著者: 安郚公房  䞉島由玀倫  倧江健䞉郎
    発行所: 䞭倮公論瀟
    「二十䞖玀の文孊」初出1966.2.「文芞」

    â‘€ 『文章読本』ヌ 新装版
    1973.8.10.初版発行
    2020.3.25.改版発行
    2024.1.30.改版3刷発行
    著者:䞉島由玀倫
    発行所: 䞭倮公論瀟

    ⑥ 『蘭陵王』ヌ 䞉島由玀倫 1967.1〜1970.11
    1971.5.1.印刷 1971.5.6.発行
    著者: 䞉島由玀倫
    発行所: 株匏䌚瀟新朮瀟
    「日本ぞの信条」初出:1967.1.1.「共同通信」
    「「倉革の思想」ずは」初出:1970.1.20.〜22.『読売新聞』

    xvi この狐が跋扈ばっこする䞖は、あるいは柄谷行人が『反文孊論』[65] の第章「法に぀いお」で富岡倚惠子の小説『坂の䞊の闇』[67]に蚀及した箇所で

    宣長もたたこのような「闇」に觊れおいたずいっおもよいだろう。たた、そういう「闇」をぬいお、宣長を読むこずはできない。

    『反文孊論』[65]

    ず述べた時の「闇」に觊れる䞖ず云えるかもしれない。

    xvii 志賀の短線の䜜颚は様々ですが、それぞれのフレヌムは異なっおも、正岡子芏ず高浜虚子に始たる近代俳句ず写生文に、どれも近いように思いたす。
    これは、江藀淳が『リアリズムの源流』 [51]の䞭で分析したように、近代日本のリアリズムの源流の䞀぀が写生文に基づいおいお

    志賀が虚子ず

    地䞋氎にようにリアリズムぞの志向が共通しおいた。

    『リアリズムの源流』[51]

    ずするなら、圓然のこずず云えたす。

    菊池寛が

    氏のリアリズムは、文壇における自然掟系統の老少幟倚の䜜家のリアリズムずは、䌌おも䌌぀かぬように自分に思われる。

    『志賀盎哉の䜜品』[8]

    ず指摘しおいるのも、志賀が、囜朚田独歩に端たんを発する日本の自然䞻矩掟島厎藀村・田山花袋などのリアリズムずは別の、写生文の流れを汲くんでいる故ゆえであろうず思いたす。

    そしお、芥川韍之介が『文芞的な、あたりに文芞的な』の䞭で、

    あらゆる小説䞭、もっずも詩に近い小説である。しかも散文詩などず呌ばれるものよりも遥かに小説に近いものである。

    『文芞的な、䜙りに文芞的な』[62]

    ず云った「『話』らしい話のない小説」の代衚栌ずしお志賀をあげおいるのは、もっずもなこずだず思いたす。

    xviii 芥川韍之介はここで、ハむンリッヒ・ハむネの「流刑の神々・粟霊物語」を念頭に眮いおいるものず思われたす。

    「流刑の神々・粟霊物語」ハむンリッヒ・ハむネ小柀俊倫蚳
    岩波曞店 1980.2.28.第1刷発行、2019.5.24.第16刷発行
    原兞: GÖTTER IM EXIL 1853
    ELEMENTARGEISTER 1935-36
    Heinrich Heine

    画像

    xix 志賀盎哉の「濁った頭」の䞭で述べられた同性愛は珟代のものずはだいぶ違っおいるように感じられたす。それはたるで異性愛ぞず向かう䞀段階であるかのように読めたす。

    䞉橋順子は著曞『歎史の䞭の倚様な「性」ヌ日本ずアゞア 倉幻するセクシュアリティ』の䞭で

    前近代の日本人が男色䜓隓を䞀皮の通過儀瀌ず認識しおいた

    『歎史の䞭の倚様な「性」
    ヌ日本ずアゞア 倉幻するセクシュアリティ』䞉橋順子


    こずを指摘しおいたす。

    それはこの小説の䞻人公のように、女色ぞず容易に結び぀くものだった。

    䞉橋順子によれば

    日本の前近代の男色文化の最倧の特性は幎霢階梯制ずいう仕組みにあ

    『歎史の䞭の倚様な「性」
    ヌ日本ずアゞア 倉幻するセクシュアリティ』䞉橋順子



    り、同著を元に僕なりに芁玄するず、それは

    性愛行為においお、受動的圹割を担っおいた幎少者が、成長しお幎長者ずしおの胜動的圹割を担うようになるこずによっお、受動から胜動ぞず圹割を倉えながら、䌝えられおいくものだった。

    明治以降こうした男色文化は抑圧されるが、男子校文化の䞭で、根匷く残っおいたこずをこの本は様々な事䟋を元に指摘しおいたす。

    志賀盎哉ずの関連では、里芋匎が「志賀君ずの亀友録」『銀語録』盞暡曞房(1938幎)の䞭で志賀ぞず向けた蚀葉を玹介しおいたす。

    志賀盎哉が、このような男色文化が色濃く残る瀟䌚で、この小説を曞いたのだずいうこずが、この本を読むず良くわかりたす。

    同著で䞉橋は前近代の日本では

    男性同士の性愛は「男色」ずしお抂念化されおいたが、それは成人した男性ず元服前の少幎の関係が䞻で、成人男性同士の性愛を䞭心ずする「男性同性愛」ずはかなり異なる。男色は文化的、環境的なら芁玠が匷く圱響しおいお埌倩的か぀可倉的である。それに察しお「同性愛は先倩的か぀䞍倉的ずされおいる。「男色」ず「男性同性愛」は䌌お非なるものだ。そこらぞんをしっかり認識しおほしい。

    『歎史の䞭の倚様な「性」
    ヌ日本ずアゞア 倉幻するセクシュアリティ』䞉橋順子


    ず述べおいたす。重芁な指摘です。

    志賀盎哉の「濁぀た頭」で述べられた男性同士の性愛もおそらく男色の流れを汲むもず思われるので、男性同性愛ずするよりは男色ずする方が正しいのかもしれない。

    匕甚文献:
    『歎史の䞭の倚様な「性」ヌ日本ずアゞア 倉幻するセクシュアリティ』䞉橋順子
    2022.7.14.第1刷発行
    岩波曞店

    画像


    xx 「戊埌日本の囜語教育  二束孞舎に孊んだ沖山光の軌跡」に戊埌の昭和

    二二幎四月から二四幎䞉月たで䜿甚された最埌の囜定教科曞(第六期)「みんないいこ」読本

    「戊埌日本の囜語教育 二束孞舎に孊んだ沖山光の軌跡」

    の線集責任者、

    文郚省教科曞局第䞀課の囜語担圓で児童文孊者の石森延男

    「戊埌日本の囜語教育 二束孞舎に孊んだ沖山光の軌跡」

    の次のような蚀葉が玹介されおいたす。

    「無条件降䌏日本、たさに日本語そのものが、消えおしたうかもしれないず思った。囜語科などずいう教科は、果たしお存続するのだろうか。圓の責任者であるわたしにすら䞍明であった。局長でも、倧臣ずおも予想はしかねたであろう。それほど混沌ずしおいたさ䞭に、囜語教科曞の線集は、なみたいおいのわざではなかった。」

    「戊埌日本の囜語教育 二束孞舎に孊んだ沖山光の軌跡」


    敗戊囜日本の知識人局の心情をよく衚しおいる蚀葉ではないかず思いたす。

    同著の P94 泚7 に䞊蚘の発蚀の匕甚元が蚘されおいたす。䞋蚘の通りです。

    石森延男「敗戊盎埌の囜語教育」、珟代囜語教育論集成線集委員䌚『珟代囜語教育論集成 石森延男」䞀九九二、明治図曞、䞉䞀二頁(初出は『教育科孊囜語教育』䞀九六六・二、明治図曞)。

    「戊埌日本の囜語教育 二束孞舎に孊んだ沖山光の軌跡」

    匕甚文献: 「戊埌日本の囜語教育 二束孞舎に孊んだ沖山光の軌跡」
    2018幎3月31日 初版第1刷発行 
    線者 沖山光研究䌚 発行者 村束泰子 
    発行所 東京孊芞倧孊出版瀟

    画像

    xxi 䞉島由玀倫を志賀盎哉ず結ぶ線で理解しようずする時、その補助ずなるのは坂口安吟ではないかず思いたす。

    䞉島は戊埌の無頌掟ず呌ばれた䜜家達の䞭で、倪宰治よりも坂口安吟を高く評䟡しおいたした。

    坂口安吟党集の掚薊文で䞉島は

    䜕たる悪い䞖盞だ。倪宰治がもおはやされお、坂口安吟が忘れられるずは、石が浮かんで、朚の葉が沈むようなものだ。

    無題「坂口安吟党集」掚薊文

    ず述べた埌、

    坂口安吟は、䜕もかも掞察しおゐた。底の底たで芋透かしおゐた

    無題「坂口安吟党集」掚薊文

    ず述べおいたす。

    坂口安吟は䜕をどのように掞察し芋透かしたのだろうか

    有名な「堕萜論」の䞭で坂口安吟は述べおいたす。

    元来日本人は最も憎悪心の少い又氞続しない囜民であり、昚日の敵は今日の友ずいう楜倩性が実際の停らぬ心情であろう。昚日の敵ず劥協吊肝胆盞照すのは日垞茶飯事であり、仇敵なるが故に䞀そう肝胆盞照らし、応ち二君に仕えたがるし、昚日の敵にも仕えたがる。生きお捕虜の恥を受けるべからず、ずいうが、こういう芏定がないず日本人を戊闘にかりたおるのは䞍可胜なので、我々は芏玄に埓順であるが、我々の停らぬ心情は芏玄ず逆なものである。

    「堕萜論」


    だからこそ

    叀いにしえの歊人は歊士道によっお自らの又郚䞋達の匱点を抑える必芁があった。

    「堕萜論」

    のであり、その必芁によっお生たれた歊士道は 

    人性や本胜に察する犁止条項である為に非人間的反人性的なものであるが、その人性や本胜に察する掞察の結果である点に斌おは党く人間的なものである。

    「堕萜論」


    これが䞉島由玀倫が拘こだわった歊士道に関する坂口安吟の既定だずするず、

    もう䞀぀の䞉島の思想の鍵である倩皇に぀いおはどうだろうか

    「倩皇陛䞋にさゝぐる蚀葉」の䞭で坂口安吟は述べおいたす。

    倩皇が我々ず同じ混雑の電車で出勀する、それをふず囜民が気が぀いお、サアサア、倩皇、どうぞおかけ䞋さい、ず垭をすゝめる。これだけの自然の尊敬が持続すればそれでよい。

    「倩皇陛䞋にさゝぐる蚀葉」

    私ずおも、銀座の散歩の人波の䞭に、もし倩皇ずすれ違う時があるなら、私はオゞギなどはしないであろうけれども、道はゆずっおあげるであろう。倩皇家ずいうものが、人間ずしお、日本人から受ける尊敬は、それが限床であり、又、この尊敬の限床が、元来、尊敬ずいうものゝ党おの限床ではないか。

    「倩皇陛䞋にさゝぐる蚀葉」


    このような歊士道ず倩皇に関する坂口安吟の掞察を䞉島由玀倫は受け入れおいたのだろうか

    受け入れおいたず考えるず、䞉島の歊士道ず倩皇に関する発蚀ず思想も、だいぶ違っお響いお来たす。

    それは志賀盎哉の

    「倩子様のご意志を無芖し、少数の銬鹿者がこんな戊争を起す事のできる倩皇制」には反察でも「倩子様ず囜民ずの叀い関係をこの際捚お去぀お了う事は淋しい」

    「 」内『倩皇制』より12



    ず云う朎蚥がくず぀な認識ずも曎に近づいお感じられお来たす。

    ずはいえ、坂口安吟の豪攟な蚀葉には、志賀盎哉の玠朎さずは異質なものがありたすし、
    䞉島由玀倫の認識も、玠朎なものにずどたっおいたわけではありたせん。

    1968幎の石原慎倪郎ずの察談で䞉島由玀倫は

    「぀たり日本をね、日本以倖の囜から、䜕が日本かずいうこずを匁別する最終的なメルクマヌルずしお、倩皇しかないんだよ。はっきりしおいるこずだ。がくはね、それ以倖にはあたり日本的なものずいうのを信じないな。そういう意味では倩皇しかないんだ。」

    『䞉島由玀倫 石原慎倪郎 党䜓話』所収「倩皇ず珟代日本の颚土」

    ず蚀い切り

    「日本の囜から倖ぞ、倩皇を信じさせようずするのは、僕は無理だず思うし、倧東亜共栄圏なんおいう考えは持たないね。日本を倖囜から匁別するメルクマヌル、日本人を他囜人から匁別するのはメルクマヌルずいうのは倩皇しかない。他をいくらさがしおもないんだ。いろいろ考えおみたんだが。」

    『䞉島由玀倫 石原慎倪郎 党䜓話』所収「倩皇ず珟代日本の颚土」

    ず繰り返した埌

    「がくは、日本文化の特殊性ずいうものをずい分長く考えおきた。ほずんどそれは、非垞に特殊なもんであるけれども、結局普遍的なものになりうるこずが、文化ずいうものの䞀぀の宿呜みたいなものだよ。それは文化の長所であるずはいえないが、普遍的になりうるこずが文化の宿呜なんだ。しかし䞀方、文化の䞭栞には絶察に普遍化されぬものがあるはずだ。その䞭で絶察に普遍化されないものずいうのは、倩皇みたいなものしかないんだ。
    お胜なんか解りにくいずいうけれども、僕はお胜の䞭にあるロゞックは、西掋人にも絶察解るものだず信じいる。」

    『䞉島由玀倫 石原慎倪郎 党䜓話』所収「倩皇ず珟代日本の颚土」

    ず述べおいたす。

    これは志賀盎哉の朎蚥な認識ずは、随分ず遠く隔たっおいたす。

    そしお、このような考察に䞉島由玀倫を向かわせた契機も、坂口安吟にあるのではないかず、私は思いたす。

    前述の石原慎倪郎ずの察談で䞉島由玀倫は

    「日本人ずいうのは、暩力ずいうものの構造を抜象的なものず考えないね。どうも、自分の暩力意志を具䜓的なものにぶ぀けお、はね返っおきた手ごたえが自分の暩力だずいう感じを持぀んです。野球の球を壁にぶ぀けお、はね返っおきおはじめお、わが手に握ったんだず思うでしょう。それず同じで、倩皇ずいうのは、そういう生きた壁なんですよ。あれに䞀床ぶ぀けないず、暩力ずいうものは、絶察になりたたない。日本人ずいうのは、なにか、ああいうクッションずいうか、そういうものにぶ぀けおみないず、党くわからない。そのクッションずいうものが抜象的なものであっおはいけないんですよ。どうしおも」

    『䞉島由玀倫 石原慎倪郎 党䜓話』所収「倩皇ず珟代日本の颚土」

    ず述べおいたす。

    これは坂口安吟が『堕萜論』の䞭で述べおいる。

    藀原氏や将軍家にずっお䜕がために倩皇制が必芁であったか。䜕が故に圌等自身が最高の䞻暩を握らなかったか。
    それは圌等が自ら䞻暩を握るよりも、倩皇制が郜合がよかったからで、圌らは自分自身が倩䞋に号什するよりも、倩皇に号什させ、自分がたっさきにその号什に服埓しおみせるこずによっお号什が曎によく行きわたるこずを心埗おいた。その倩皇の号什ずは倩皇自身の意志ではなく、実は圌等の号什であり、圌等は自分の欲するずころを倩皇の名に斌お行い、自分が先ずたっさきにその号什に服しおみせる、自分が倩皇に服す範を人民に抌し぀けるこずによっお、自分の号什を抌し぀けるのである。 自分自らを神ず称し絶察の尊厳を人民に芁求するこずは䞍可胜だ。だが、自分が倩皇にぬかずくこずによっお倩皇を神たらしめ、それを人民に抌し぀けるこずは可胜なのである。そこで圌等は倩皇の擁立を自分勝手にやりながら、倩皇の前にぬかずき、自分がぬかずくこずによっお倩皇の尊厳を人民に匷芁し、その尊厳を利甚しお号什しおいた。 それは遠い歎史の藀原氏や歊家のみの物語ではないのだ。

    『堕萜論』

    ずいう蚀葉ず殆ど同じ事に぀いお述べおいるように思えたす。

    日本歎史ず文化・歊士道・倩皇に぀いお、明確に自身の芋解を瀺し

    坂口安吟は、䜕もかも掞察しおゐた。底の底たで芋透かしおゐた

    無題(「坂口安吟党集」掚薊文)

    ずたで䞉島由玀倫に蚀わしめた坂口安吟。

    最終的な䞉島由玀倫の認識は、坂口安吟のものずはだいぶ異なるものを含むずしおも、それは坂口安吟の掞察を䞀床は受け入れた䞊でのものであったのだろうず思いたす。

    坂口安吟の認識から、曎に自分の論を進めた䞉島由玀倫ですが

    1969幎の東倧党共闘ずの察話の䞭では

    「こんな事を蚀うずね、あげ足をずられるから蚀いたくないのだけれどもね、ひず぀個人的な感想を聞いおください。ずいうのはだね、がくらは぀たり戊争䞭に生たれた人間でね、こういうずころに陛䞋が立っおお、たぁ坐っおおられたが、3時間党然埮動だにしない姿を芋おいる。
    ずにかく3時間、朚像のごずく党然埮動もしない、卒業匏で。そういう倩皇から私は時蚈をもらった。そういう個人的な恩顧があるんだな。こんな事蚀いたくないよ、俺は。蚀いたくないけれどもだね、人間の䞀人の個人的な歎史の䞭で、そういう事はあるんだ。そしおそういう事はどうしおも吊定できないんだ、俺ん䞭でね。それはずおも立掟だった、その時の倩皇は。」

    豊島圭介監督『䞉島由玀倫vs東倧党共闘〜幎目の真実〜』[37]

    豊島圭介監督『䞉島由玀倫vs東倧党共闘〜幎目の真実〜』37

    ずいう個人的な回顧を述べおいたす。

    これは志賀盎哉の

    「倩子様ず囜民ずの叀い関係をこの際捚お去぀お了う事は淋しい」

    『倩皇制』12

    ずいう玠朎な蚀葉を再び思い起こさせたす。
    そしお志賀盎哉ず䞉島由玀倫が時期は違っおも共に孊習院に圚籍しおいたこずを想起させたす。

    しかし同時にこの発蚀には奇異な印象を私は受けたす。

    この東倧党共闘ずの蚎論が行われた時点で、䞉島由玀倫は既にこのような個人的な感慚ずは異質な地点にいたように思われるからです。
    先に取り䞊げた石原慎倪郎ずの察談での発蚀からも、その事は明らかです。

    そのような䞉島由玀倫がなぜ今曎

    あげ足をずられるから蚀いたくないのだけれども

    豊島圭介監督『䞉島由玀倫vs東倧党共闘〜幎目の真実〜』[37]

    ず断り぀぀も

    倩皇から私は時蚈をもらった

    豊島圭介監督『䞉島由玀倫vs東倧党共闘〜幎目の真実〜』[37]

    ずいう個人的感懐を敢えお述べたのだろうか

    そこには䜕か意図があるのだろうか

    それずも文化的・歎史的な考察・芋解ずは別に、このような玠朎な敬愛の念も、隠しきれぬほどに匷く持ち続けおいたのだろうか

    「䞉島さん、これからの日本の倩皇だけど倩皇はもう少し囜民ず話をすべきじゃあないですか。(埌略)」

    『䞉島由玀倫 石原慎倪郎 党䜓話』所収「倩皇ず珟代日本の颚土」

    ずいう石原慎倪郎の問いかけに

    䞉島由玀倫は

    「がくは党然そう思わないね。
    ぀たり日本が、小さいコミュニティヌであり、そういう䞭では倚少そういう可胜性はあったかも知れない。だけど今、䞀億の囜民に䌝達するのは、いろんなマスコミュニケヌションでもっお䌝達しおいるでしょう。
    倩皇ずいうものは䌝達から断絶しなけりゃあならないですよ。がくは䌝達に倩皇が阿諛あゆするずいうか、䌝達ずいうものに倩皇が負けたならば、倩皇制はなくなるずも思っおいる。」

    『䞉島由玀倫 石原慎倪郎 党䜓話』所収「倩皇ず珟代日本の颚土」

    ず蚀い

    「どうしおも䌝達できないずころを䞀぀䜜っおおかなきゃあならないね。今日本人は、぀たりどんなこずも䌝達できるずいう劄想をもっおるよ。(äž­ç•¥)
    陛䞋ずいうものは、絶察にそういう䌝達の仕方から断絶しなきゃならないず思う。」

    『䞉島由玀倫 石原慎倪郎 党䜓話』所収「倩皇ず珟代日本の颚土」

    ず述べおいたす。

    このような考えは
    志賀盎哉の玠朎さずはもちろん

    坂口安吟の

    倩皇が我々ず同じ混雑の電車で出勀する、それをふず囜民が気が぀いお、サアサア、倩皇、どうぞおかけ䞋さい、ず垭をすゝめる。これだけの自然の尊敬が持続すればそれでよい。

    『堕萜論』

    ずいう発想ずも、党く異質なものであるように思いたす。
    䜕か倩皇に察しお冷淡なようにさえ、私は感じたす。

    志賀盎哉・坂口安吟・䞉島由玀倫の3人をこのように簡単に比范しただけでも、興味深い論点が浮かび䞊がっおきたす。

    䞉島由玀倫の思想に぀いは倚く論じられお来たが、この2人ずの比范は、管芋の限りでは殆ど芋受けない。

    特に䞉島由玀倫が

    坂口安吟は、䜕もかも掞察しおゐた。底の底たで芋透かしおゐた

    無題(「坂口安吟党集」掚薊文)

    ずたでいう坂口安吟ずの比范は、䞉島由玀倫を論じる際には必須ではないかずすら、私は思うのだけれども。

    匕甚文献・映画:  

    ① 決定版䞉島由玀倫党集34
    著者 䞉島由玀倫
    発行 2003.9.10. 2刷2012.10.5.
    発行所 株匏䌚瀟新朮瀟
    所収 無題(「坂口安吟党集」掚薊文)
    〈初出〉坂口安吟党集 内容芋本・冬暹瀟・昭和42幎11月 
    〈初刊〉䞉島由玀倫党集33・新朮瀟・昭和51幎1月


    ②「堕萜論」青空文庫 
    2006幎1月11日䜜成 2012幎5月19日修正
    著者: 坂口安吟
    底本「坂口安吟党集14」ちくた文庫、筑摩曞房1990平成2幎6月26日第1刷発行
    底本の芪本「堕萜論」銀座出版瀟 1947昭和22幎6月25日発行
    初出「新朮 第四十䞉巻第四号」1946昭和21幎4月1日発行

    ③「倩皇陛䞋にさゝぐる蚀葉」
    青空文庫 2007幎2月18日䜜成
    著者: 坂口安吟
    底本「坂口安吟党集 06」筑摩曞房   1998平成10幎7月20日初版第1刷発行
    底本の芪本「颚報 第二巻第䞀号」
    1948昭和23幎1月5日発行
    初出「颚報 第二巻第䞀号」1948昭和23幎1月5日発行

    ④志賀盎哉, 志賀盎哉党集 第䞃巻, 岩波曞店, 1999.6.7. [12]
    「倩皇制」1946.4.1.「婊人公論」]

    ⑀『䞉島由玀倫 石原慎倪郎 党䜓話』
    2020.7.25.初版発行
    著者: 䞉島由玀倫 石原慎倪郎
    発行所: 䞭倮公論瀟
    匕甚した「倩皇ず珟代日本の颚土」は、初出『論争ゞャヌナル』昭和43幎2月号 底本:『䞭倮公論特別線集 䞉島由玀倫ず戊埌』

    ⑥監督 豊島圭介, 『䞉島由玀倫vs東倧党共闘〜幎目の真実〜』[37]
    1969.5.13.東京駒堎キャンパスでの䞉島由玀倫ず党共闘孊生の蚎論䌚のドキュメンタリヌ, 2020.3.20. 

    xxii 人工蚀語゚スペラントの創案者ザメンホフは、゚スペラントを完璧なものず思っおいた蚳ではなく、それが倉化しおいく事を党面的に吊定しおはいたせん。しかしザメンホフが認める倉化はずおも限定的です。

    ゚スペラントの改造案による混乱ず゚スペラント運動の分裂の危機のあず、以前の著䜜から線纂された「゚スペラントの基瀎」ぞの序文(1905幎)のなかでザメンホフは

    囜際語の順調な前進のためには

    明確に芏定され、䜕人にも䞍可䟵の、ぜったいに倉曎を蚱さない蚀語の基瀎の存圚が必芁であるず述べおいたす。

    「゚スペラントの基瀎」ぞの序文
    「囜際共通語の思想 ゚スペラント創始者ザメンホフ論説集」


    そしおその䞊で

    ゚スペラントが確実に存続し䜿甚され、個々の気たぐれや議論に巊右されないこずを保蚌する日が来たら、そのずきには各囜政府の合意の䞋に遞出される暩嚁ある委員䌚が、この蚀語の基瀎に芁望のある倉曎を必芁あれば最終的におこなっおもよい。

    「゚スペラントの基瀎」ぞの序文
    「囜際共通語の思想 ゚スペラント創始者ザメンホフ論説集」


    ずその基瀎ぞの倉曎の可胜性を、限定的にだけ認めおいたす。

    そしお゚スペラントに぀いお

    基瀎は厳重に䞍可䟵であるが、たえず内容を充実させるだけでなく、たえず改良し完成ぞ向かう可胜性がじゅうぶんにあるのだ。基瀎が䞍可䟵ずいうこずは「そのような完成の過皋が、恣意的で内茪揉めによる砎滅のもずになる砎壊や倉曎や、これたでの文献を無䟡倀にしおしたうような改倉に頌るのではなく、混乱も危険もない自然の道にしたがっおおこなわれおいく」ための保蚌ずなっおいるのである。

    「゚スペラントの基瀎」ぞの序文
    「囜際共通語の思想 ゚スペラント創始者ザメンホフ論説集」


    ず述べおいたす。

    しかし「自然の道」にしたがったずきに、その倉化が蚀語の基瀎にたで及ばないずいう保蚌はないのではないだろうか拙論で匕甚した゜シュヌルの指摘はその事を瀺しおいるように私には思われる。

    匕甚文献: 「囜際共通語の思想 ゚スペラント創始者ザメンホフ論説集」L.L.ザメンホフ著・述氎野矩明線集・蚳]
    1997幎6月10日第1刷発行
    著者: Lazaro Ludviko Zamenhof
    蚳者: 氎野矩明
    発行所:株匏䌚瀟 新泉瀟

    画像


    参考文献:: 「ザメンホフ |䞖界共通語《゚スペラントを創った医垫の物語」
    2005幎1月24日 第1刷
    著者: 小林叞
    発行所: 株匏䌚瀟 原曞房

    画像


    xiii 日本の降䌏文曞調印以埌にGHQにより占領された地域においおは、ポツダム宣蚀に基づく間接統治が倧枠では決たっおいたずはいえ、占領初期には混乱もあり、1945幎9月2日に瀺され、日本偎のGHQずの折衝もあり、公衚される事なく終わった垃告第䞀号の䞭には

    第五条「軍事管理期間䞭ニ英語ヲ以ッテ䞀切ノ目的ニ䜿甚セラルル公甚語トス」

    「GHQ」竹前栄治

    ず云うような文蚀も確かにあった

    これは

    「本官ハ連合囜最高叞什官トシテ賊䞎セラレタル暩限ニ基キ、茲ここニ日本囜党領域竝ならびに其ノ䜏民ニ察シ軍事管理ヲ蚭定シ、巊ノ占領条件ヲ垃告ス」

    「GHQ」竹前栄治

    ず始たり

    第䞀条で

    「行政、叞法及立法ノ䞉暩ヲ含ム日本垝囜政府ノ䞀切ノ機胜ハ、爟今本官ノ暩力䞋ニ行䜿セラルルモノトス」

    「GHQ」竹前栄治

    ずしおいるように

    䞀時的にせよ間接統治ではなく、GHQによる盎接的な軍政を敷く事を前提ずしおおり、その事に䞻県がある。
    第五条はそれに付随するもので、拙論で取り䞊げた「倖囜語が日本の囜語になる」ず云うこずずは少し意味合いが異なるし、すぐ取り䞋げたずころから芋おも、本文䞭でも論じたように、英語を日本の公甚語にするず云うような政策が実斜された可胜性は殆どなかったものず思われる。

    ずはいえ、もしこの垃告が実際に出されおいたら、日本囜内に倧きな混乱をもたらしおいたであろう事は想像に難くない。


    匕甚文献: GHQ
    1983幎6月20日第1刷発行
    著者: 竹前栄治
    発行所: 株匏䌚瀟 岩波曞店

    画像


    xxiv
    䜜家の接原泰氎氏は2018.12.6.にTwitter(珟X)䞊で

    僕がそれなりにGHQ通なのは回し者だからではなく、戊埌巻き起こった「日本の公甚語・正匏衚蚘」論議を調べた経隓から。GHQ民間情報教育局CIEの人類孊者ペルれルは、日本の民䞻化の遅れの原因を読み曞き胜力に求め、衚蚘のロヌマ字化を䞻匵したが、識字率調査の結果を知り断念。100に近かった。

    接原泰氎Twitter(珟X) 2018.12.6.13:28

    ず述べた埌

    同時期、志賀盎哉は随筆「囜語問題」で「日本は思ひ切っお䞖界䞭で䞀番いい蚀語、䞀番矎しい蚀語をずっお」ずしおフランス語の公甚化を掚した。僕はこれを、他囜語を積極的に受け容れれば、日本語が犁じられはしたいず予枬しおの、䞀皮の囮䜜戊だったのではず考えおいる。志賀は仏語を話せなかった。

    接原泰氎Twitter(珟X) 2018.12.6.13:42


    ずコメントしおいたす。

    前半郚分はずもかく、埌半郚の志賀盎哉の「囜語問題」に関する考えは、拙論ず同じではないが、それを䞀぀の䜜戊ずしお捉えおいるずいう点で、類䌌した方向性がある。

    拙論を曞くにあたっおは、その動機ずしお、志賀の「囜語問題」に぀いお、それを䜜戊ずしお捉える芋方が党く芋受けられない事に察する違和感が匷くあった。

    接原泰氎氏の発蚀を知らなかった事は党く私の䞍芚の臎すずころです。

    本日(2024.1.3.)この発蚀を芋぀けた時、私は嬉しくなり、埌先考えずに、あわおおコメントを返しおしたった。しかし、接原泰氎が2022.10.2.に亡くなっおいる事をすぐに知った。

    ご冥犏をお祈り臎したす。

    接原泰氎氏Twitter(珟X)

    https://x.com/tsuharayasumi?s=21


    戊埌のロヌマ字化政策の流れに぀いおは泚xxviiに匕甚を元にたずめたした。


    xxv
    柄谷行人は「階玚に぀いお」の䞭で

    自我あるいは意識は、䞭間階玚ミドル・クラス(これを䞭産階玚ず呌ばないのは、䞭間性を匷調したいからだ)の意識であっお、この階玚は支配階玚による犁止を逆に積極的に内面化する。

    新版 倏目挱石集成所収「階玚に぀いお」柄谷行人 


    ず述べた埌、有島歊郎に぀いお

    圌にずっお、曞くこずはこの「䞭間にある」意識を転倒するこずであり、日垞の有島ずは䌌おも䌌぀かぬ凶暎な官胜的な䞖界を実珟するこずである。

    新版 倏目挱石集成所収「階玚に぀いお」柄谷行人 


    ず述べ、志賀盎哉に぀いおは

    おそらく、志賀盎哉だけが圌らのような「意識」から自由であり、いわば「無意識」の䜜家だった。だが、志賀もたた内村鑑䞉の門䞋に属した時期がある。

    新版 倏目挱石集成所収「階玚に぀いお」柄谷行人 


    ずし、志賀ず有島に぀いお

    したがっお、この二人の棄教者が、癜暺掟のなかでアりトサむダヌだったこずは偶然ではない。

    新版 倏目挱石集成所収「階玚に぀いお」柄谷行人 

    ず2人の芪近性を瀺唆し぀぀も

    埌段で有島歊郎に぀いお

    おそらく有島は最も深刻にキリスト教に内面を喰い砎られた人間であり、それを転倒するこずこそが「曞く」こずに結実しおいった唯䞀の䜜家だずいっおさし぀かえない。

    新版 倏目挱石集成所収「階玚に぀いお」柄谷行人 

    ず有島の特異性を匷調しおいる。

    これはずおも玍埗のいく分析であるず思う。

    匕甚文献: 新版 倏目挱石集成
    2017.11.16.第1刷発行
    著者: 柄谷行人
    発行所: 株匏䌚瀟 岩波曞店
    匕甚した本著所収の「階玚に぀いお」の初出は「文䜓」1977幎秋創刊号

    画像


    xxvi  芥川韍之介の云う

    人々の心裡のうちに、隠れた

    芥川の遺皿『志賀盎哉氏の短線断片』[31]


    神秘を描こうずするず、倧䜓においお、それを誘おびき出すか(怪談)、分析するか(心理孊)の䞻に2぀の方法に収束しおいくように思う。

    それは芥川が述べたように

    笑ふ可き「怪談」を繰り返すか、さもなければ、幌皚なカテゎリむの䞭に埘埊するか

    芥川の遺皿『志賀盎哉氏の短線断片』[31]

    のどちらかか、その混合になりがちである。

    優れた䜜品でも、この2぀の方法を避ける事は難しい。それは近幎の䜜品を芋おもわかる。

    吟峠呌䞖晎の「鬌滅の刃」や諫山創の「進撃の巚人」のような優れたヒット䜜が、怪談ず倚様な心理孊的・粟神医孊的カテゎリヌ(1)ずの混淆こんこうである事は、䞀芋しお明らかであるように、私には思われる。
    䞡䜜品は、驚くほどさたざたな孊術的知識の宝庫でもある。

    それは私に泉鏡花の「高野聖」や芥川韍之介の「河童」を想起させる。

    これらは党お

    笑ふ可き「怪談」

    芥川の遺皿『志賀盎哉氏の短線断片』[31]

    ずか

    幌皚なカテゎリむの䞭に埘埊

    芥川の遺皿『志賀盎哉氏の短線断片』[31]


    ずいっお片付けられるようなものではなく、たいぞん優秀な䜜品であるし、゚ンタヌテむメントずしお楜しめる。

    しかしそのようなものからはこがれ萜ちおしたう神秘を、芥川が志賀盎哉の「濁った頭」にはじたる䞀連の䜜品から感じ取ったこずもたた真理であるず思われる。


    改めお、本文䞭に匕甚した芥川の蚀葉を茉せおおきたす。

    神秘が、叀の垌臘の神々のやうに、森からも海からも遂におはれお、人々の心裡のうちに、隠れたのは、今曎らここに云う迄もない。−神秘を解こうずした䜜家は、日本にも、少なくない。しかし、圌等の倚くは笑ふ可き「怪談」を繰り返すか、さもなければ、幌皚なカテゎリむの䞭に埘埊するか、その二途を出ずにゐたのである。翻぀お、「濁った頭」にはじたる䜜品のseriesを芋るず、ここに描かれた神秘は、いづれも殆盎䞋ぢげに、垞人の䞖界に迫぀お来る神秘である。「濁った頭」の末節に斌お、接田のみた林間の幻圱の劂きは、明に「怪談」を離れた神品であ぀た。

    芥川の遺皿『志賀盎哉氏の短線断片』[31]



    (1 )ここで芥川の蚀葉ず関連させお甚いた心理孊的・粟神医孊的カテゎリヌずは、珟圚疟病等の蚺断基準で甚いられおいるカテゎリヌ(分類)だけではなく、歎史期的に倉遷しおきた倚様な分類を意味する。それは兞型的事象ずしお語られおきたあらゆるものを含む。人の内面を描こうずした時、こうしたカテゎリヌから䞀切無瞁である事はもはや困難であるず思われる。


    匕甚文献: 芥川韍之介, 芥川韍之介未定皿集, 葛巻矩敏線: 岩波曞店, 1976.6.30.第四刷、1968.2.13.第䞀刷発行.
    [原兞:1914幎〜15幎]


    xxvii 本文䞭にも䞊げた茅島節「囜語ロヌマ字化の研究 改蚂版ヌ占領䞋日本の囜内的・囜際的芁因こ解明ヌ」では綿密な調査ず怜蚎を経お

    最終章では

    アメリカ偎からみたロヌマ字化の䞻匵根拠

    「囜語ロヌマ字化の研究 改蚂版ヌ占領䞋日本の囜内的・囜際的芁因こ解明ヌ」[3]

    ずしお

    (侀)軍事占領䞋の怜閲に圹にた぀、(二)囜語衚蚘の耇雑さ、(侉)囜語(殊に挢字)の孊習負担、(四)日本人の再教育・日本の民䞻化の䞀環、(五)日本人の識字率に察する疑問、(六)囜語に内圚する軍囜䞻矩的・囜家䞻矩的性質、(䞃)文字の倧衆化、(八)囜際瀟䌚ぞの参加・囜際理解ぞの助長、(九)知識ず思想の囜境を超えた䌝播、(䞀〇)音声衚蚘でも立掟な文孊は可胜、(侀侀)文字機械利甚䞊の利䟿性、぀たり経枈性、(䞀二)文字数が少なく、短音文字で衚蚘に郜合がよい

    「囜語ロヌマ字化の研究 改蚂版ヌ占領䞋日本の囜内的・囜際的芁因こ解明ヌ」[3]

    など倚様な論拠が

    有機的に぀ながっお

    「囜語ロヌマ字化の研究 改蚂版ヌ占領䞋日本の囜内的・囜際的芁因こ解明ヌ」[3]

    いたこず

    たた

    CI&Eず䜿節団の間、および占領前ず占領埌では芖点も異なり、圓然異論もあった

    「囜語ロヌマ字化の研究 改蚂版ヌ占領䞋日本の囜内的・囜際的芁因こ解明ヌ」[3]

    こずを述べ、その耇雑さを明瀺し(CI&Eは民間情報教育局。䜿節団はアメリカ教育䜿節団)

    埌段でロヌマ字化ぞのアメリカ偎の動向をたずめおいたす。

    CI&E教育課では、占領圓初、(略)ロバヌト・K・ホヌル海軍倧尉を䞭心に、囜字ロヌマ字化にむけお、粟力的な調査が行われた。(略)䞀方䜿節団も、囜語の簡易化、぀たり挢字制限やかなづかいの改革は過枡期のものにすぎないずみた。CI&Eでの囜字ロヌマ字化問題は、䜿節団が垰囜埌の玄䞀カ月半埌に持たれた同局での特別䌚議で、承認されず䞀応終止笊を打぀こずになった。けれどもCI&Eでは、その埌も囜語改革担圓郚眲を占領埌半たで蚭眮し、囜語簡易化顧問にハルパヌン、ペルれル(䞡人ずも個人的にはロヌマ字論者)をおき、囜語審議䌚の䌚議に出垭するなどしお、囜語改革自䜓には関心を瀺し続けた。そしお四八幎には、CI&Eは日本偎を指導する圢で、䜿節団が残しおいった実蚌的研究の宿題ずもいえる「読み曞き胜力調査」を実斜した。しかしこれは結果的に、日本の識字率の高さを蚌明するものずなり、極く䞀郚の人々の挢字の運呜の憂慮は杞憂ずなった。

    「囜語ロヌマ字化の研究 改蚂版ヌ占領䞋日本の囜内的・囜際的芁因こ解明ヌ」[3]

    そしお

    ロヌマ字化が実珟しなかった背景ずしおは、たず囜民内郚の盛り䞊がりの欠劂にあるが、日本占領が公匏には連合囜による間接統治で、米囜偎、占領軍䞊局郚にその確たる意思がなかったこずが挙げられる。

    「囜語ロヌマ字化の研究 改蚂版ヌ占領䞋日本の囜内的・囜際的芁因こ解明ヌ」[3]

    ずしおいたす。

    拙論では志賀盎哉が゚ッセむ「囜語問題」を曞いた占領初期の囜語ロヌマ字化政策に぀いおのみ簡単にしか觊れなかったが、実際にロヌマ字化の政策がどのような論拠でどのように進んでいったのかは、拙論ずも無関係ずはいえず、重芁な問題であるず感じたため、長文を匕甚させおいただきたした。(曎に詳しくは匕甚文献に粟现に述べられおいたす。)


    この匕甚をする必芁性に気が付いたのは、はヌがさんの蚘事↓でのコメントのやり取りがあったおかげでした。私の䞍躟ぶし぀けなコメントに真摯しんしに答えおくださったはヌがさんに感謝したす。


    匕甚文献: 茅島節, 『囜語ロヌマ字化の研究 改蚂版 ヌ占領䞋日本の囜内的・囜際的芁因の解明ヌ』, 颚間曞房, 2009.3.31.改蚂版第1刷発行2000.3.15.初版第1刷発行.


    xxviii 日本は倖来文化を日本化しお受容するずいう芥川韍之介等の芖点は、間違いであるずは勿論もちろん蚀えない。

    それは仏教の䌝来や明治期の西掋文化の受容ずいったこずばかりではなく、私の生きた時代にも倚く圓おはたる。

    レベッカずマドンナ

    䟋えばブレむク埌の第1期レベッカのNOKKOの衣装には、シンディ・ロヌパヌを思わせるものず混ざり合い぀぀も、キャバレヌのダンサヌ・ストリッパヌあるいは嚌婊の服装を私に連想させるものが幟぀かある。映画「フラッシュダンス」("Flashdance"1983幎公開)を知る圌女が、その事を意識しおいなかったずは、私には思えない。(1)

    これは悪い事ずはいえない。瀟䌚から蔑芖べっしされおきた人々のファッションや蚀葉をあえお䜿っお、衚瀟䌚で隠されおいたものを衚舞台に䞊げる。そういった事こそ、アヌティストの真骚頂しんこっちょうずもいえる。しかし䟋えばマドンナの「Like A Virgin 」のMVの衣装も、私に同様のこずを連想させるが、そこでは前半の歌詞が、その人物の存圚あり方を匷く暗瀺しおいる。だからこそ、Like A Virginずいう蚀葉も生きおくる。

    Like A Virgin / Madonna

    それは私に、ある䞍思議な客に惹かれおいく女郎を描いた山本呚五郎の短線小説「倜の蟛倷」(i)を連想させる。独特のリアリティが底にある。(2)

    察しお、レベッカの歌詞の倚様な比喩は、どれも党く空想的なものであり、䜕ら具䜓性を感じさせない。マドンナの歌に垞にあるラディカルさは、レベッカにはない。それは倉容し無害化されおいる。(3)

    SPEEDずTLC

    他の䟋をあげれば、TLCに憧れたずいうSPEEDがある。1stアルバム『Ooooooohhh... On the TLC Tip』の時のTLCはTeenagerを思わせる子䟛っぜい栌奜をしおいる。しかし圌女らは既に20才を過ぎおおり、幌さを挔じおいるのである。(4)

    1stアルバム所収
    What About Your Friends / TLC


    Ain't 2 Proud 2 Beg / TLC

    そんな䞭、メンバヌの1人 Left Eye は巊目にコンドヌムで䜜った県垯をしおいる。そのような栌奜で圌女らは Safe Sexを蚎えた。

    TLC talking about safe sex

    そのようなラディカルさは、デビュヌ圓時本圓に子䟛だったSPEEDのメンバヌには求められる蚳もない。SPEEDのデビュヌ曲「Body & Soul」は、初期のTLCを連想させるずころがあるが、TLCのラディカルさはSPEEDにおいおやはり倉容し無害化されおいる。(5)

    Body & Soul / SPEED

    「Body & Soul」がリリヌスされたのは、1996.8.5.で、既にTLCの2ndアルバム『CrazySexyCool』(1994.11.15.)が出た埌である。SPEEDのデビュヌアルバム『Starting Over』ずセカンドアルバム『RISE』の曲ずファッションの䞭には、より倧人っぜいスタむル、『CrazySexyCool』の頃のTLCを思わせるものもある。しかし『CrazySexyCool』の゚ッセンスずメッセヌゞは尚のこず、圓時のSPEEDのメンバヌには衚珟するのが難しかったのではないかず思う。実際に倧人だったTLCのメンバヌに比べお、それは背䌞びをした子䟛の衚珟であった。

    1stアルバム『Starting Over』所収Steady / SPEED


    2ndアルバム『RISE』所収White Love / SPEED


    『CrazySexyCool』所収Waterfalls / TLC


    『CrazySexyCool』所収Creep / TLC


    レベッカずSPEEDの魅力の先に

    レベッカずSPEEDの音楜ずパフォヌマンスはどちらも倧倉優れおいお、抗あらがえない魅力がある。(それは鎌倉仏教のような日本化された仏教が魅力的なのず軌を䞀にする。)以埌に䞎えた圱響も倧きい。

    Raspberry Dream / Rebcca
    NOKKOのパフォヌマンスは圧巻である


    Wake Me Up! /SPEED
    今芳おも枅新である


    しかしそのこずが返っお、圌女らに圱響を䞎えた海倖の音楜家の真の姿を芋えにくくし、本来あった歌の力を無効化しおいるように思う。䞊述したような倖来文化の日本化の珟象は䞀長䞀短である。このような文化受容の圢は、異文化の受け入れを容易にし、日本の同䞀性を揺るがすような軋蜢あ぀れきを生み出さない。それはただのファッションずしお、NOKKOずSPEEDの特異で実力ある個性を圩あやななしおいるのである。

    それは日本の珟実を反映しおいるず同時に、芆おおい隠しおもいる。
    それらは䟋えば八朚柀高明の「黄金町マリア 暪浜黄金町 路䞊の嚌婊たち」(ii)にあるような日本の性の珟実を誘おびき出すものには、決しお繋぀ながる事はなかった。

    ※䞊述の論はレベッカ及びNOKKOずSPEEDを日本の異文化受容の䞀䟋ずしお芋るずいう䞀぀の詊みであっお、レベッカ及びNOKKOずSPEEDを貶おずしめようずする意図は䜕らありたせん。

    1〜6[泚(匕甚文献、参考文献・音楜・映画含む)]

    (1)「Nokko This Town, New Yorkフォト&゚ッセむ」の䞭で、ダンス・スクヌルの光景を

    その光景っおさ、あの映画〈フラッシュ・ダンス〉の䞀堎面に出おきたず思わない

    ず語っおいる。

    映画「フラッシュダンス」("Flashdance"1983幎公開)の䞻人公はキャバレヌでセクシヌなダンスを螊りながらダンスの緎習に励んでいお、ストリップ・クラブぞの出挔の勧誘を受けおいる。圌女はキャバレヌでのショヌの為にたくさんの衣装を揃えおいる。

    たた1980幎代頃のニュヌペヌクの嚌婊のアむコニックでステレオタむプな姿は、映画「倧逆転」(("Trading Places" 1983幎公開)や「プリティ・りヌマン」("Pretty Women "1990幎公開)に良く珟れおいる。

    映画「Trading Places」邊題「倧逆転」1シヌン


    映画「Pretty Women」1シヌン


    匕甚文献: 「NOKKO THIS TOWN, NEW YORKフォト&゚ッセむ」発行日:1986幎6月10日発行所: 株匏䌚瀟シンコヌ・ミュヌゞック

    画像

    (2)「 Like A Virgin」の歌詞も倚くのレベッカ曲の歌詞も、䜕かを仄ほのめめかしおいるだけで、はっりした事は述べられおはいない。それでいお、䞡者の喚起するむメヌゞは党くちがう。レベッカのファンシヌさず違っお、「Like A Virgin」は珟実ぞず繋぀ながる匷床を持っおいる。マドンナの2ndアルバム『True Blue』収録曲「Papa Don't Preach」でのリアルな衚珟を芋れば、マドンナの目指しおいた方向性がよく分かる。これは同アルバムの「La Isla Bonita」などにも共通するものず芋るべきだし、 1stアルバムから䞀貫したものず考えるべきであるず思う。

    「Papa Don't Preach」


    「La Isla Bonita」

    マドンナは垞にアメリカのラディカルな良心であり続けたお来た思う。

    『Like a Prayer』所収 Like A prayer / Madonna


    Madonnaむンタビュヌ(日本語字幕付き)

    なお䞭で觊れた山本呚五郎の「倜の蟛倷」は、小孊通文庫 「新線傑䜜3 倜の蟛倷」山本呚五郎 竹添敊子線 2010幎10月11日 初版第䞀刷発行 発行所 株匏䌚瀟 小孊通 に収録されおいたす。初出は、〈週刊朝日別冊〉(1955幎4月、時代小説特集号)です。


    (3)NOKKOがマドンナの圱響を匷く受けおいた事は明らかである。「Rockin,On Japan Mar.1992 Vol.58」のむンタビュヌでNOKKOはそれたでの掻動を振り返る䞭で

    そうした人生の決断を経お、ノッコ自身の具䜓的な方法論はどう生たれおきたのか、ず。

    「Rockin,On Japan Mar.1992 Vol.58」

    問われ

    「バンドで『私マドンナみたいになりたい』っおいう短絡的な(笑)、そっくりな"ラブ・むズ・キャッシュ"ヌもう汚点だわ私、䞀生の(笑)。でも、そういうのもどうでもよかったんだよね。䜕か知んないけれど挔れさえすれば」

    「Rockin,On Japan Mar.1992 Vol.58」

    ず答え

    少し埌で

    「だっおやっぱりパクリのフレヌズ沢山あったしさあ。だけど䜕お蚀うのかな、そうした原曲の嚁力を取り陀いおも凄くパワフルな物がでも感じられたのね。だから私はこっちの方がノレたし」

    「Rockin,On Japan Mar.1992 Vol.58」

    ず蚀い

    だから、マドンナ挔りたくなったから玠盎にマドンナやっおみた、みたいな。

    「Rockin,On Japan Mar.1992 Vol.58」


    ず問われ

    「そう。でもアルバムがそればっかりだず、自分の䞀郚分しかないからヌバレ゚で蚀ったら1幕があっお2幕があったみたいな、いろいろな堎面があっおいろんな衣装があったずいう䞖界を、党郚䞀人で挔りたかったのね。」

    「Rockin,On Japan Mar.1992 Vol.58」

    ず答えおいる。倧倉興味深い。

    このむンタビュヌの発蚀からも、レベッカは海倖文化の日本化の䞀䟋ずしお䞊げるのにふさわしいず思える。

    特に

    「そうした原曲の嚁力を取り陀いおも凄くパワフルな物がでも感じられたのね。だから私はこっちの方がノレたし」

    「Rockin,On Japan Mar.1992 Vol.58」


    ず蚀う発蚀はずおも意味深い。

    そしおNOKKOかバレ゚のステヌゞを意識しおいたずするず、倚様な衣装を着こなすのも玍埗がいく。‚圌女は様々な人物を挔じようずしおいたのかもしれない。

    匕甚文献: 「Rockin,On Japan Mar.1992 Vol.58」月刊ロッキング・オン・ゞャパン3月号 第6å·»3号通巻58号 平成元幎2月20日第䞉皮郵䟿物認可 ‚平成4幎3月16日発行(毎月1回16日発行)‚発行株匏䌚瀟 ロッキング・オン

    画像

    ‹(4) TLCは、2ndアルバム『CrazySexyCool』(1994幎)で既に「幌さを挔じる」路線から脱华しおいる。圓然のこずであろう。しかし、圌女らは、女性アヌティストに求められるステレオタむプな女らしさに䞀貫しお抗あらがい続けた事も確かである。(時にはドレスアップする事もあるずしおも)

    『FanMail』所収 No Scrubs / TLC

    初期のスタむルは、その流れの始たりである。それは幌なさずいっおも、少女らしさではなく、少幎ぜさである。

    (5)JUNON (ゞュノン) 1997幎 9月号のむンタビュヌでSPEEDの䞊原倚銙子は

    「私たちは高い目暙を持っおるんですよ。TLCみたいになりたいっおいう目暙。アルバムのゞャケット写真を撮った時、カメラの暪でTLCのビデオを流しおたんです。だからみんな、芋぀めた目が真剣になっおる。目暙を持っおやっおるっおいうのはすごくパワヌになりたすよね。」

    JUNON (ゞュノン) 1997幎 9月号


    ず語っおいる。

    この初々ういういしいポゞティブな姿勢は玠晎らしい。私が行った分析は、決しおこういったSPEEDの良さを䜕ら吊定するものではありたせん。‚‚匕甚文献: JUNON (ゞュノン) 1997幎 9月号‚発行: 䞻婊ず生掻瀟 月刊毎月23日

    文献(i)(ii)

    (i)小孊通文庫 「新線傑䜜3 倜の蟛倷」山本呚五郎 竹添敊子線 2010幎10月11日 初版第䞀刷発 発行所 株匏䌚瀟 小孊通 所収短線「倜の蟛倷」の初出は〈週刊朝日別冊〉(1955幎4月、時代小説特集号)です。

    画像


    (ii)「黄金町マリア 暪浜黄金町 路䞊の嚌婊たち」2006.11.8.初版第䞀刷発行著者 八朚柀高明発行所 ミリオン出版株匏䌚瀟

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    xxix 「病床にお」の䞭で埳田秋声は

    䜕が䞀番芪しみがあるかず蚀えば、それはおそらく挢文で、次が英語 ヌ 日本語は䞍幞にしお最も垌薄な感じしか䞎えないのこずは、私のその時分のの教育がさうであ぀たためもあるでせうが、実際に考えおみるず、日本語にはこれず云っお懐かしい䜕にもがないこずは争えない事実です。

    「病床にお」埳田秋声


    ず蚀っおいる。

    「あらくれ」1915幎(倧正4幎のような圓時の日本を代衚する蚀文䞀臎䜓の小説を曞いた埳田秋声のこのような発蚀は、圓時の倚くの人にずっお、囜語(暙準語)・蚀文䞀臎䜓がいかに困難なものであったのかをうかがわせる。

    倧杉重男は「森有瀌の匔鐘 ヌ 『小説家の起源』補遺」の䞭では、䞊述した埳田秋声の発蚀を他の発蚀ず合わせながら

    囜語が英語になったずしおも、秋声は実践的には困るかもしれないが、心情的にはたったく痛みを感じないだろう。

    「森有瀌の匔鐘 ヌ 『小説家の起源』補遺」倧杉重男


    ずし

    この秋声の日本語に察する冷淡な態床は、第二次倧戊埌に志賀盎哉がフランス語を囜語にするべきだず述べた事が、決しお志賀個人の倢想ではなかった事を瀺しおいる。

    「森有瀌の匔鐘 ヌ 『小説家の起源』補遺」倧杉重男


    ず志賀ず䞊べお論じおいる。

    しかし志賀よりも10幎以䞊早い明治4幎(1872幎)生たれで、金沢で幌少期を過ごした秋声ず、圓時の日本で䟋倖的に暙準語に近い蚀葉を話しおいたず思われる東京の山手で育った志賀ずを同列に論じお良いものだろうか

    それは拙論せ぀ろんの䞭で論じたように、志賀を育んだ蚀葉にも倚様な芁玠があり、東京の山手の蚀葉ず単玔に括れないずしおも、なお志賀ず秋声の間の懞隔けんかくは決しお小さくはなかったのではないかず思われる。

    柄谷行人は「文孊に぀いお」のなかで

    「蚀文䞀臎」は、けっしお「蚀」を「文」にするこずではなく、あらたな「文」の創出にほかならなかった。

    「文孊に぀いお」柄谷行人


    さらに重芁なこずは、「蚀文䞀臎」が「蚀」そのものの創出でもあったずいうこずである。

    「文孊に぀いお」柄谷行人

    ず述べた埌で

    このこずは、「暙準語」ず「方蚀」の区別においお、端的に瀺される。いうたでもなく、「暙準語」は、明治の制床が䞭倮集暩的に確立されたこずを蚀語的なレベルで瀺すものである。暙準語は音声蚀語においおある。それたで、珟圚の意味での方蚀なるものはなかった。どの地域の人間も曞くずきは共通の曞き方をしたのであり、音声蚀語における「暙準」などはなかったのである。だが「蚀文䞀臎」においお、「蚀」そのものの暙準化が匷いられる。地方の人間にずっお、「蚀文䞀臎」は、「蚀」の習埗をしか意味しおいない。

    「文孊に぀いお」柄谷行人


    ず述べおいる。

    埳田秋声にずっお暙準語・蚀文䞀臎䜓は、このような

    「蚀」の習埗

    「文孊に぀いお」柄谷行人


    であったであろう。

    そのような芁玠は、志賀盎哉にずっおももちろん皆無ではないが、拙論で論じたように他地方に䜏んでも東京の䞋町の蚀葉を守り続け、蚀文䞀臎䜓をさらに研ぎ柄たせおいった志賀の感じた囜語(日本語の暙準化)に察する困難は、埳田秋声の感じたものずは、盞圓に異質なものだったのではないかず思われる。

    正宗癜鳥の䟋を䞊げながら

    明治の知識人にずっお、自分たち自身が開発し創造しおきた蚀文䞀臎文は、英語の文章ず取り替え可胜なものであり、決しお自明の前提ではなかった。

    「森有瀌の匔鐘 ヌ 『小説家の起源』補遺」倧杉重男


    ず論じ

    「母囜語」ずいうもののフィクション性

    「森有瀌の匔鐘 ヌ 『小説家の起源』補遺」倧杉重男

    を云い

    志賀の蚀葉が瀺しおいるのは、今ここで日本語を䜿っおいるこずの根源的偶然性である。

    「森有瀌の匔鐘 ヌ 『小説家の起源』補遺」倧杉重男


    ずする倧杉重男の議論は䞀面の真理ではあるかもしれないが、それは先に述べた志賀ず秋声の違いず、志賀の発蚀が戊埌たもないGHQの占領䞋に発せられたこずの意味合いを無芖したものであり、行き届いた議論であるずは蚀えない。

    倧杉が述べおいるように

    「囜語」ずいう抂念そのものが、明治においお「孊校」ず同じく制床的に人工的に構築された

    「森有瀌の匔鐘 ヌ 『小説家の起源』補遺」倧杉重男


    のは確かであろう。

    しかしそのようなにしお生たれた囜語は、それが定着すれば、倚くの人にずっお自然なものに感じられるだろう。それを自然なものずしお捉える目から芋れば、埳田秋声の発蚀は奇異なものに映るだろう。

    志賀盎哉の感性は、囜語を人工的なもの感じる埳田秋声のような人ず自然なものず感じる人ずの䞭間に䜍眮するように、私には思われる。


    匕甚文献:①「埳田秋聲党集」第20å·»(随筆・評論Ⅱ 倧正4幎〜倧正14幎) 2001.1.18.初版発行
    著者 埳田秋聲
    発行所: 株匏䌚瀟 八朚曞店
    匕甚した本曞所収の「病床にお」の初出は倧正9幎4月1日「新朮」

    画像


    ②「重力01」初版第䞀刷発行 2002幎2月28日
    発行者: 「重力」線集䌚議
    発行元:株匏䌚瀟 青山出版瀟
    P234. 倧杉重雄「森有瀌の匔鐘 ヌ 『小説家の起源』補遺 

    画像

    ③ 新版 倏目挱石集成
    2017.11.16.第1刷発行
    著者: 柄谷行人
    発行所: 株匏䌚瀟 岩波曞店
    匕甚した本著所収の「文孊に぀いお」の初出は「國文孞」1978幎5月号

    画像

    xxx 石森延男ず共に、戊埌最埌の囜定囜語教科曞の䜜成に携わった沖山光は「占領䞋における魂の雄たけび」の䞭で

    終戊ず共に石森先生を残しおあず数人の囜語の監修官はすべお远攟凊分。

    「占領䞋における魂の雄たけび」沖山光

    囜語教育は、思想育成に぀ながるこずは、進駐軍の怜蚎ずみのこずである。だからこそヒュヌマニストの石森先生だけが远攟の凊眮から陀かれおいる。

    「占領䞋における魂の雄たけび」沖山光

    これからの教科曞で育っおいく青少幎の日本人ずしおの自負は、囜語教科曞によっお培われおいく。このこずは、䜕よりも進駐軍圓局が知りぬいおいる。だからこそ、囜語の監修官をねこそぎにしたのである。

    「占領䞋における魂の雄たけび」沖山光


    ず圓時の状況を述べた埌

    党知党胜を傟けお、日本の子どもたちに、日本のこずばを通しお、日本人ずしおの心情を培っおいかなければならない。䜕ずしおもこの焌土から立ち䞊がっおもらわなければならない。

    「占領䞋における魂の雄たけび」沖山光


    ずその意気蟌みを語っおいる。

    その埌も

    町行く進駐軍の兵士たちにガムをねだるような子どもたちに、䜕ずしおも日本人ずしおの自負を芜生えさせおやらなければならない。

    「占領䞋における魂の雄たけび」沖山光

    焌土の䞭に芜生えた草のように、咲き出た䞀茪の花のように、根匷く生きるのだ。自分のこずばを倱っおはいけない。明るいきれいな日本語。これを忘れおはいけない。

    「占領䞋における魂の雄たけび」沖山光


    ず力匷い蚀葉が続く。

    その䞊で埌段では占領軍の民間情報局ずの難しい亀枉に぀いお觊れた埌

    䞖人は、占領によっお、すべおのものがアメリカの抌し぀けであるず蚀う人もあるが、ここに私が取りあげた䞀シヌンをもっおしおも、アメリカは決しお抌し぀けおきたのではない。お互いに良識ある文化人ずしお、誠意をもっお接し合ったのである。たこずに文化の闘いである。こちらが善戊善凊すれば、盞手もたた然りである。あずに䜕のしこりも残さない。

    「占領䞋における魂の雄たけび」沖山光


    ず述べおいる。

    ここにはGHQず察峙した良識ある日本の知識人局の姿勢ず心持ちがよく珟れおいる。


    匕甚文献: 石森延男囜語教育遞集第二巻
    昭和53幎(1978幎)9月10日発行
    著者: 石森延男
    発行所: 光村図曞出版株匏䌚瀟
    匕甚個所は【解説】「占領䞋における魂の雄たけび」沖山光

    画像

    xxxi 日本の西掋文化受容に぀いおは、デヌタを甚いながら分析を加えた小坂井敏晶の「異文化受容のパラドックス」(1996幎)ずいう優れた論考がある。この著曞の栞ずなる芖点は、「瀟䌚心理孊講矩」小坂井敏晶(2013幎)の䞭でも繰り返し取り䞊げられおいる。

    䞭囜文化がいかに日本独自のものに倉わっおいるかずいうこずに぀いおは、䞭囜から日本に移り䜏んだ際に感じた疑問を起点に、䞭囜ず日本の文化を比范怜蚎した圭䞹ほうたんの「䞭囜ず茶碗ず日本ず」(2012幎)が瀺唆に富んでいる。

    文献
    ①「異文化受容のパラドックス」
    1996幎10月25日 第1刷発行
    著者: 小坂井敏晶
    発行所: 朝日新聞瀟

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    ②「瀟䌚心理孊講矩  〈閉ざされた瀟䌚〉ず〈開かれた瀟䌚〉」
    2016幎7月15日 初版発行
    著者: 小坂井敏晶こざかい・ずしあき
    発行所 株匏䌚瀟 筑摩曞房

    ③「䞭囜ず茶碗ず日本ず」
    2012幎9月5日 初版 第䞀刷発行
    著者: 圭䞹
    発行所: 株匏䌚瀟 小孊通

    画像


    xxxii 倧杉重男は志賀盎哉の「囜語問題」に぀いお

    志賀の蚀説の䞭で真に批刀に倀する郚分があるずすれば、それはこの囜語ずしお採甚された英語ないしフランス語が日本化され埗るこずぞの自信である。それは「吟々は日本人の血を信頌し」ずいう「日本人の血」ぞの信頌ず぀ながっおいる

    倧杉重雄「森有瀌の匔鐘 ヌ 『小説家の起源』補遺


    ずしおいる。

    しかし志賀は、英語やフランス語が日本に導入された堎合、さたざたな怍民地で珟実に起きおいる蚀語の混淆こんこうが、日本でも起きるであろう事を述べおいるのに過ぎない。それをよりポゞティブに捉えようずしおいるずころがあるずしおも。

    拙論せ぀ろんでも論じたように、志賀の「日本人の血」ぞの信頌は、もっず倧きなもの、蚀語の匷制に䌎うあらゆる困難に察しお向けられおいるだず私は思う。

    「重力01」初版第䞀刷発行 2002幎2月28日
    発行者: 「重力」線集䌚議
    発行元:株匏䌚瀟 青山出版瀟
    P234. 倧杉重雄「森有瀌の匔鐘 ヌ 『小説家の起源』補遺 

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    xxxiii む・ペンスクは『「囜語」ずいう思想 近代日本の蚀語認識』の䞭で森有瀌が日本の囜語ずしお採甚を䞻匵した英語が珟実に䜿われおいる英語そのたたではなく

    簡易英語(simplified English)

    『「囜語」ずいう思想』む・ペンスク


    ず呌ばれるものだった事を指摘しおいたす。

    同曞によるず

    森は、英語には「正曞法に語源あるいは発音にもずづいた法則、芏則、秩序が欠けおいるこず、倧量の䞍芏則動詞があるこず」が「英語の日本ぞの導入」を困難にしおいるず考えた。そこで森は、「日本囜民の䜿甚のために英語からすべおの䞍芏則性を取り陀くこずを提案する」にいたる。たずえば、動詞掻甚ではsaw/seenやspoke/spokenのような䞍芏則倉化を廃止しお、seed, speakedずするこず、たた、正曞法に関しおは綎りず発音を䞀臎させるために、thoughではなくthoず、boughではなくbowず曞くこずを森は提案しおいる。

    『「囜語」ずいう思想』む・ペンスク


    ずいう。

    このような簡易英語の発想は、拙論でも觊れた人工囜際蚀語゚スペラントに近いず蚀えるかもしれない。


    匕甚文献: 『「囜語」ずいう思想』
    1996幎12月18日 第1刷発行
    2002幎9月5日 第11刷発行
    著者: む・ペンスク
    発行所: 株匏䌚瀟 岩波曞店
    匕甚した個所の内容は、本曞の泚によれば、「森有瀌党集 第1巻」からの匕甚に基づく。森のアメリカの蚀語孊者ホむットニヌ宛曞簡より。

    画像

    xxxiv む・ペンスクは『「こずば」ずいう幻圱』の䞭で

    志賀盎哉は埓来の「囜語改革」の詊みがきわめお「䞍培底な改革」「䞭途半端な改革」であるず考えおいた。志賀によれば、ロヌマ字運動や仮名文字運動がいっこうに成功しないのは、日本語に「臎呜的な欠陥」があるからである。
    明治以来の日本では、いわゆる「囜語囜字問題」が倧きな論争の的ずなっおきた。改革掟は、衚音匏仮名づかい、挢字廃止、蚀文䞀臎などを぀ねに䞻匵しおきたが、その぀ど「囜語の䌝統」を信奉する保守掟の反撃にあっお、「囜語改革」の芜は぀みずられおきた。結局のずころ隒々しい論争のあずにはなにも残らなかった。志賀はこうした近代日本語の歎史にいらだったのである。

    『「こずば」ずいう幻圱』む・ペンスク


    ずし

    そしお志賀にあるのは

    日本語ぞの絶望感であり、「培底的な」改革を望む断固たる決意のほうである。

    『「こずば」ずいう幻圱』む・ペンスク


    ず述べおいる。

    しかし

    隒々しい論争

    『「こずば」ずいう幻圱』む・ペンスク


    の埌、倚様な䜜家達の詊䜜によっお䜕ずか圢になった蚀文䞀臎䜓を、志賀は䞀床は受け入れお、それを研ぎ柄たせおいったのである。

    その䞊で志賀が囜語に持った

    いらだち

    『「こずば」ずいう幻圱』む・ペンスク


    の匷さは、蚀文䞀臎䜓を完成ぞず導こうずした者ゆえの苊悩だずいえる。

    そのような志賀にずっお、戊埌の政策ずしお改めお囜語の改革を議論するこずは、もう䞀床

    隒々しい論争

    『「こずば」ずいう幻圱』む・ペンスク


    ぞず逆戻りするこずでしかない。そのような事が受け入れ難いのは圓然ずしお

    果たしおどのような

    培底的な改革

    『「こずば」ずいう幻圱』む・ペンスク


    が歎史䞊行われおいたら、志賀は満足できたずいうのであろうか

    おそらくどのような蚀語のどのような改革でも、志賀の感じた

    いらだち

    『「こずば」ずいう幻圱』む・ペンスク


    は蚀語の暙準化においお䞍可避であるように思われる。

    「囜語問題」で志賀か䞻匵したフランス語の導入は

    確かに

    培底的な改革

    『「こずば」ずいう幻圱』む・ペンスク


    ではあるだろうが、フランス語も䞀぀の蚀語に過ぎない以䞊、それはある意味で人工的な改革の攟棄である。

    むは志賀がフランス語を日本の囜語ずする理由ずしお

    フランスは文化の進んだ囜であり、小説を読んで芋おも䜕か日本人ず通ずるものがあるず思われる

    「囜語問題」志賀盎哉


    ずいう志賀の蚀葉を匕甚しおいるが、これはあたりに恣意的しいおきな匕甚である。

    この蚀葉の前に志賀は

    倖囜語に䞍案内な私はフランス語採甚を自信を以っおいうほど、具䜓的にわかっおいるわけではない

    「囜語問題」志賀盎哉


    ず断っおいるのだから。志賀の蚀葉はアむロニックなものであり、フランス語を遞んだのは拙論で論じたように、戊術的なものであろう。

    そしお志賀は少なくずもこの゚ッセむにおいお、母語ずしおの日本語ず日本の囜語(暙準語)を混同するような事はしおいない。
    志賀が問題ずしおいるのは䞀貫しお日本の囜語である。

    志賀の論を

    日本語廃止論

    『「こずば」ずいう幻圱』む・ペンスク


    ず断ずるのは早蚈である。

    それはここでむ・ペンスクが志賀ず䞊べお論じおいる北䞀茝ずは党く違う。
    北が吊定しおいるのは、明らかに日本語党般である。

    それは日本語の

    組織根底

    「日本改造法案倧綱」北䞀茝


    にたで及んでいるのだから。

    人工語゚スペラントの導入よっお、日本語だけでなく

    劣惡ナル者ガ亡ビテ優秀ナル者ガ殘存スル自然淘汰埋ハ日本語ト國際語ノ存亡ヲ決スル劂ク、癟幎ヲ出デズシテ日本領土内ノ歐掲各國語、支那、印床、朝鮮語ハ亊當然ニ國際語ノタメニ亡ブベシ

    「日本改造法案倧綱」北䞀茝



    (前段で北は國際語に゚スペラントずルビを振っおいる。ここでの囜際語ぱスペラントを意味する。) ()

    ずいう北の姿勢は志賀ずは根本的に異質であり、䌌お非なるものである。

    それはむがしたように

    志賀盎哉ず北䞀茝が思う存分衚珟しおしたった「日本語ぞの絶望」

    『「こずば」ずいう幻圱』む・ペンスク



    ず䞊眮しお論じられるようなものではない。(



    北が優れたものずしお掚奚する゚スペラントを志賀が支持したずは思えない。

    同じ癜暺掟の歊者小路実節や有島生銬のような熱心な゚スペランティストず亀流のあった志賀である。゚スペラントを掚奚するならば、はっきりずそう述べたであろう。

    志賀の

    仮名曞きずか、ロヌマ字曞きずか、そういう運動は倧分前からあるが、なかなかものにならない。殊にロヌマ字運動は知名の人々が随分熱心にそれを続けおいるにもかかわらず、どうしおも普及しないのはやはりそれに臎呜的な欠陥があるのではないかず思われる。

    「囜語問題」志賀盎哉[1]



    ず云う蚀葉を玠盎に受け取るならば

    志賀は

    むが云うように

    ロヌマ字運動や仮名文字運動がいっこうに成功しないのは、日本語に「臎呜的な欠陥」があるから

    『「こずば」ずいう幻圱』む・ペンスク



    ず考えたのではなく

    そのような人工的な改革そのものに

    臎呜的な欠陥

    「囜語問題」志賀盎哉[1]



    があるず考えたのだず思う。

    人工語゚スペラントなら尚曎である。

    志賀は

    「囜語問題」の時点では

    培底的な改革を望んだ

    『「こずば」ずいう幻圱』む・ペンスク

    どころではなく、あらゆる人工的改革を拒吊しおいるように、私には思われる。

    志賀が望んだのは、どうせ䞍培底なものに終わらざるを埗ない

    隒々しい論争

    『「こずば」ずいう幻圱』む・ペンスク



    ず人工的な改革ではなく、戊術的に導入さぞた囜際語ずしおのフランス語ず母語ずしおの日本語の自然な混淆こんこうであったず、私には思われる。


    その意味ではむが 『「囜語」ずいう思想』の䞭で指摘した人工的に改革された

    簡易英語(simplified English)

    『「囜語」ずいう思想』む・ペンスク

    を提案した森有瀌ずも、志賀の考えは異質であるず云えるだろう。森の簡易英語に぀いおは泚xxxiiiぞ



    ()゚スペラントの創始者ザメンホフは、

    囜際語そのものは、民族語の力を匱めないばかりか、その反察に民族語をたすたす匷化し反映させる事は確かだ。

    「囜際語思想の本質ず将来」ザメンホフ



    ずいっおいる。゚スペラントを掚奚しながら、北䞀茝の䞻匵はザメンホフの考えずも党く異質である。

    (2)志賀盎哉ず北䞀茝はどちらも、1883幎(明治16幎)の生たれですが、東京の山手で育った志賀ず新期の䜐枡で育った北ずでは、日本の蚀語に぀いお、おのずず別様の感芚があったのではないかず想像できたす。
    志賀が「囜語問題」を出したのは63才の時、北が「日本改造法案倧綱 」を著したのは38才の時でした。
    北は1937幎(昭和12幎) 二・二六事件の理論的指導者の内の䞀人ずされ、死刑刀決を受けた。58歳没。志賀が「囜語問題」を出した1946幎(昭和21幎)たで生きる事はかなわなかった。

    匕甚曞籍:『「こずば」ずいう幻圱――近代日本の蚀語むデオロギヌ』〔電子曞籍版〕
    2013幎9月15日発行
    著者む・ペンスク
    発行所株匏䌚瀟明石曞店
    電子曞籍版の元本:
    『「こずば」ずいう幻圱――近代日本の蚀語むデオロギヌ』2009幎2月7日初版第1刷発行


    日本改造法案倧綱
    著者: 北䞀茝
    青空文庫
    2012幎10月12日䜜成
    底本「北䞀茝著䜜集 Ⅱ」みすず曞房   1959昭和34幎7月10日第1刷発行   1972昭和47幎8月30日第9刷発行
    初出「日本改造法案倧綱」改造瀟   1923倧正12幎5月9日発行


    『「囜語」ずいう思想』
    1996幎12月18日 第1刷発行
    2002幎9月5日 第11刷発行
    著者: む・ペンスク
    発行所: 株匏䌚瀟 岩波曞店

    志賀盎哉, 志賀盎哉党集 第䞃巻「囜語問題」, 岩波曞店, 1999.6.7.‹[「囜語問題」初出: 1946.4.1.「改造」第27巻第4号]「志賀盎哉随筆集」高橋英倫線 [39]岩波曞店1995.10.16.第1刷発行、2021.1.15.第9刷発行にも所収:

    ⑀「囜際共通語の思想 ゚スペラント創始者ザメンホフ論説集」L.L.ザメンホフ著・述氎野矩明線集・蚳]1997幎6月10日第1刷発行著者: Lazaro Ludviko Zamenhof蚳者: 氎野矩明発行所:株匏䌚瀟 新泉者匕甚した「囜際語の思想の本質ず将来」は1900幎に出されたもの。

    xxxv 暙準語ず共通語

    ここで暙準語ずいう蚀葉を甚いたのは、暙準語ずいう蚀葉が飛び亀った時代の事を想起しながら読んでほしいからです。

    珟圚では暙準語に代わっお、共通語ずいう蚀葉が倚く䜿われおいる。

    実際に日本党囜で通じる蚀葉がある以䞊、それを共通語ず呌ぶのは理解できる。

    ただ

    共通語を倧蟞林で匕くず

    ②䞀囜のどこででも、互いの思想や感情を䌝え合うこずのできる蚀語。わが囜では東京語特にその山の手蚀葉がこれにあたる。党囜共通語。

    スヌパヌ倧蟞林3.0䞉省堂線修所

    ずあった埌に〔 〕

    〔共通語は暙準語ずいう甚語を避けお甚いるようになった語。暙準語は党囜に共通しお甚いられるずずもに的に敎備された芏範性の匷いものであり、共通語は自然に存圚しお党囜に甚いられるものずしお区別する考え方による〕

    スヌパヌ倧蟞林3.0䞉省堂線修所


    ず曞かれおいる。これには違和感を芚える。

    珟圚䜿われおいる共通語が

    人為的に敎備された芏範性

    スヌパヌ倧蟞林3.0䞉省堂線修所


    によっお䜜られた偎面がある事は吊定出来ない。

    先の文蚀に沿うず、暙準語を共通語ず蚀い盎す事は、そういった歎史的事実を隠蔜いんぺいしかねないのではないかず危惧する。

    それは共通語を

    自然に存圚しお党囜に甚いられる

    スヌパヌ倧蟞林.䞉省堂線修所


    圓然のものずしお、受け入れさせる装眮ずしお䜜甚しおいる可胜性はないだろうか

    もし珟圚の共通語が暙準語に比べ

    人為的に敎備された芏範性が匱たっお感じられるのだずしたら、それは過去に匷力な人為的な敎備がなされた故であろう。

    過去の事実に぀いお論じる堎合は別ずしお、暙準語ずいう理念的蚀葉を殊曎に埩掻させる必芁はないし、共通語ずいう蚀葉を䜿う事は避けられないずしおも、䞊蚘のような可胜性を念頭に眮いお䜿う必芁があるだろうず思う。

    远蚘(2024.2.17):
    富岡倚惠子ずの察談の䞭で、柄谷行人は母語ず母囜語を区別した䞊で

    もう䞀぀倧事なのは、母語ず母囜語の他に共通語があるずいうこずですね。倧阪匁も倚様であっおね。各地から人が来おいたわけですからね。富岡さんも䜐々朚幹郎ずの察談で䜕床も蚀われおたけど、たずえば近束、西鶎は共通語で曞いおいたずいうこず。しかし、あれがむしろ倧阪匁でしょう。歊智鐵ニが蚀うように、圓時党囜で通甚したのは、問屋語である。それは江戞時代や経枈・亀通から芋たら圓たり前で、それが自然に圢成された共通語なんですよ。

    柄谷行人発蚀集 察話篇
    富岡倚惠子ずの察談「挫才ずナショナリズム」

    その蚀葉をしゃべらないず、亀易はできたせんからね。歊士の蚀葉ずいうのも、参勀亀代で江戞に出おきた歊士が互いにたったく通じないので、謡曲や挢文をもずにしお共通語を䜜ったわけですね。しかし、実際の経枈になるず、倧阪の商人が䞭心だから、問屋語が党囜の共通語になっおいた。近束、西鶎もそれによっおいる。だから、今の倧阪の人が、倧阪匁を自慢するのはバカげおいる。あれは河内匁にすぎない。倧䜓がふだんは母語でしゃべっおいお、亀通・コミュニケヌションにおいおは共通語でしゃべるずいうのは、これは䞖界䞭党郚そうなんですよ。

    柄谷行人発蚀集 察話篇
    富岡倚惠子ずの察談「挫才ずナショナリズム」

    ず語っおいる。

    ここで述べられおいるような共通語に぀いおであれば、先に述べた倧蟞林の〔 〕䞭の文蚀ずも、ずくに倧きな霟霬そごはないだろう。
    (柄谷行人は兵庫県尌厎垂垂、富岡倚惠子は倧阪府倧阪垂出身)

    匕甚文献: スヌパヌ倧蟞林 3.0
    線者束村 明た぀むら あきら
    䞉省堂線修所 䞉省堂 2006-2008
    Version 4.2.4 (R62)
    Copyright © 2008 MONOKAKIDO Co. Ltd.
    Tokyo, Japan
    All rights reserved.

    柄谷行人発蚀集 察話篇
    発行日:2020幎11月12日第䞀刷発行
    著者: 柄谷行人
    発行所: 株匏䌚瀟読者人
    匕甚した富岡倚惠子ずの察談「挫才ずナショナリズム」
    のは1991幎6月5日、初出:『すばる』1991幎8月号

    xxxvi 囜語・暙準語・蚀文䞀臎

    囜語・暙準語・蚀文䞀臎䜓は、もちろん同じものではないが、この論考の䞭で、これらを厳密に分けお論じるこずをしなかった。
    日本の近代囜家が成立する過皋で、これらは盞俟っお進んだ。それらを厳密に区別しお定矩するこずは可胜だろうが、そうした時、囜語・暙準語・蚀文䞀臎ずいった蚀葉が飛び亀った時代のダむナミックさは倱われおしたうように思いたす。

    Wikipediaの暙準語(2024.2.3)では

    明治䞭期から昭和前期にかけお、䞻に東京山の手の教逊局が䜿甚する蚀葉山の手蚀葉を基に暙準語を敎備しようずいう詊みが掚進されたそのうち最も代衚的で革新的だったのは小孊校における囜語教科曞である。これに文壇の蚀文䞀臎運動が倧きな圱響を䞎えお、「暙準語」ず呌ばれる蚀語の基瀎が築かれた。

    Wikipedia 2024.2.3."暙準語”

    ずある。

    囜語・暙準語・蚀文䞀臎が盞俟っお進んだ様子がこの短い文からも分かる。

    蚀文䞀臎の代衚的論客の䞀人だった山田矎劙は「蚀文䞀臎論抂略」の䞭で

    「若し我々が今日の俗語を歀儘
    文章に甚ゐるなら日本囜䞭で通ぜぬこずがあるだろう。」

    「蚀文䞀臎論抂略」臚川曞店『山田矎劙集 第九巻所収

    ずいう想定した蚀文䞀臎ぞの反論に察しお、

    小生に限ツおは小生が䞻唱する蚀文䞀臎を造るに斌おは決しおどの蚀葉でも構はず甚ゐるが善いずは蚀ひたせん。じ぀に倧阪の「さかい」や奥州の「なす」や又は長厎の「ばツおん」などは、其実叀語に基づいお居るにせよ、普通の蚀葉ずは蚀ぞたすたい。又薩摩や隠岐や安房の俗語など、是も叀文の倉ツた物ずは蚀ぞ、普通の語法ずは蚀ぞたすたい。普通の蚀葉ずは蚀はれぬもの、又は普通の語法ずは蚀はれぬ物を構はず文章に甚ゐるなら、劂䜕にも䞍通の害は有りたしやう。若し巊様為ないなら其様な事は有りたすたい。それには普通の蚀葉を芋出し、普通の語法を探出し、それを甚いる事さぞ出来れば最早十分のこずでしやう。

    「蚀文䞀臎論抂略」臚川曞店『山田矎劙集 第九巻』所収



    ずし

    今東京語の性質を粟密に吟味しおみるず実に歀蚀葉ばかりが前の泚文に合ふ様です。事実から文を芋おも東京語が通ぜぬ床は薩州語や奥州語が通ぜぬ床よりは軜いです。䜕凊でも歀東京語が䞍十分ながらも通甚せぬ凊は殆ど無い皋です。

    「蚀文䞀臎論抂略」臚川曞店『山田矎劙 第九巻』所収

    ず述べおいたす。

    ここには方蚀ぞの蔑芖べっしず東京語の優䜍性の意識、俗語に察する普通の蚀葉・語法ずいう暙準語に通ずる志向性が芋られる様に思いたす。

    たた明治埌の日本の囜語孊の祖ずもいえる䞊田䞇幎は「暙準語に就きお」の䞭で暙準語に぀いお

    䞀囜内に話され居る蚀語䞭にお、殊に䞀地方䞀郚の人々にのみかぎり甚ゐらるゝ、所謂方蚀なるほど者ずは事かはり、党囜内至る凊、凡その堎所に通じお倧抵の人々に理解せらるべき効力をゆうするものを云ふ。猶䞀局簡単にいぞば、暙準語ずは䞀囜内に暡範ずしお甚ゐらるゝ蚀語をいふ。

    「暙準語に就きお」平凡瀟『囜語のため』所収

    ず暙準語を定矩しお

    埌段では

    珟今の東京語が他日其名誉を享有すべき資栌を䟛そなふる者なりず確信す。たゞし、東京埌ずいぞば或る䞀郚の人は、盎に東京の「ベランメヌ」蚀葉の様に思ふけれども、決しおさにあらず、予の云う東京語ずは、教育ある東京人の話すこずばず云う矩なり。

    「暙準語に就きお」平凡瀟『囜語のため』所収

    蚀っおいたす。
    山田矎劙の䞻匵ずの類䌌性は明らかだず思いたす。

    そしお䞊田䞇幎にずっお暙準語は文孊や文章ず切り離せないものです。

    䞊田は倖囜の状況に぀いお

    劂䜕にしおチョヌサヌ、シ゚ヌクスピダ等の蚀語が、英囜の暙準語ずなりしか。劂䜕にしおルヌテル、ゲヌテ等の蚀語が、独逞垝囜の暙準語ずたで発達し来たりしか。而しおコルネヌナ、モリ゚ヌル等の蚀語、ダンテ、ボツカショ等の蚀語が、数癟幎来かの倧勢力を有せる矅甞の旧暙準語を排斥しお、仏に以に皆発生を為すの止むを埗ざりしを芋る時は、所謂時䞖に䌎う理想の倉遷が、劂䜕に蚀語の䞭心ず文孊の䞭心ずを動かすのに力あるかに驚かざるを埗ず。

    「暙準語に就きお」平凡瀟『囜語のために』所収

    ず述べ、日本に぀いお

    文孊者が歀感化力に富む東京語を䜿甚しお、其倧傑䜜を著はさゞるも、亊遺憟なる䞀事なりずす。予はある蚀文䞀臎厇拝者の劂く、䜕もかも俗語に憑拠しお、其奎隷ずなり了り、华぀お文孊者の尊ふべき、気品ずいう者を悉皆抛棄するが劂き圢跡あるは、決しおほむべき事ならずず信ず。しかれども、歀芪しき蚀語の文章法単語法を基瀎ずしお、而しお其矎術䞊の劙意劙案を歀䞊に仕組みなば、其時には唯に暙準語制定䞊の䞀倧補助を埗るのみならず、又䞀皮独特の矎文孊歀間に生ぜずずせんや。

    「暙準語に就きお」平凡瀟『囜語のため』所収

    ず述べおいたす。

    これも

    蚀文䞀臎を造るに斌おは決しおどの蚀葉でも構はず甚ゐるが善いずは蚀ひたせん。

    「蚀文䞀臎論抂略」臚川曞店『山田矎劙 第九巻』所収

    ず云う山田矎劙ず軌きを䞀い぀にしおいたす。

    そしお、倚くの文孊者が東京語を元にした蚀文䞀臎䜓の䜜品を曞いお行ったこずは、歎史が瀺す通りです。

    このような囜語・暙準語・蚀文䞀臎の関係に぀いお詳しく論じたものに、む・ペンスク『「囜語」ずいう思想』ずいう優れた著曞がありたす。


    匕甚文献: ①『山田矎劙集 第九巻』(å…š12å·»)
    2014幎5月31日 初版発行
    線者: 『山田矎劙集』線集委員䌚
    発行所: 株匏䌚瀟 臚川曞店
    「蚀文䞀臎論抂略」初出:1888幎(明治21幎)2月25日発行「孊海之指針」第八号及び3月25日発行第九号

    ②『囜語のため』東掋文庫808
    2011幎4月25日 初版第1刷発行
    著者: 䞊田䞇幎
    校泚者: 安田敏朗
    発行所:株匏䌚瀟 平凡瀟

    参考文献:『「囜語」ずいう思想』
    1996幎12月18日 第1刷発行
    2002幎9月5日 第11刷発行
    著者: む・ペンスク
    発行所: 株匏䌚瀟 岩波曞店


    xxxvii
    囜語孊・民族孊・文孊

    囜語は倚矩的な蚀葉である。ずはいえ志賀盎哉がフランス語にするず蚀った時の囜語が日本の共通語もしくは公甚語ずしおの囜語である事は疑い埗ないだろう。ここでフランス語に眮き換えられる事を求められおいる日本の囜語は、蚀文䞀臎ず暙準化が進み、ある皋床の成功を収めた結果ずしお出来たものである。

    時枝誠蚘は「囜語孊史」の䞭で囜語を

    日本語的性栌を持った蚀語を意味するものず考えたい。換蚀すれば囜語はすなわち日本語のこずである。

    『囜語孊史』時枝誠蚘


    ず敷衍ふえんさせおいる。
    このような考えを広げおいくず、日琉同祖論や日鮮同祖論に芋られるようにどんどんずその領域を拡倧しおいきそうでもあるが

    時枝は

    朝鮮語、アむヌ語、台湟語のごずきは囜語孊の察象ずしお考えるこずは出来ない。

    『囜語孊史』時枝誠蚘

    ずしおいる。

    これは京城垝囜倧孊で教鞭きょうべんをずった時枝の実感から来るのかもしれない。

    共通語ずしおの囜語は、こうした異なった蚀語を母語に持぀人々に察しおも公甚語ずされたこずを忘れおはならないだろう。

    朝鮮語に぀いおは、志賀盎哉も「囜語問題」で

    朝鮮語を日本語に切り替えた時はどうしたのだろう。

    「囜語問題」志賀盎哉

    ず簡単にではあるが觊れおいる。

    これは拙論䞭でも述べ、泚viiでも朝鮮や台湟に぀いおの、志賀のアむロニックな態床ずしお極々簡単にではあるが觊れた。


    時枝から囜語孊の埒倖らちがいずされたアむヌ語は、日本の民俗孊・文孊に絡み぀いおいる。

    日本の民俗孊の嚆矢こうし、柳田國男の「遠野物語」[1910幎(明治43幎)]では

    遠野郷のトヌはもずアむヌ語の湖ずいう語より出でたるなるべし、ナむもアむヌ語なり。

    「遠野物語」柳田國男

    タッ゜ベもアむヌ語なるべし。岩手郡玉山村にも同じ倧字あり。

    「遠野物語」柳田國男

    䞊郷村倧字来内、ラむナむもアむヌ語におラむは死のこずナむは沢なり、氎の静かなるよりの名か。

    「遠野物語」柳田國男

    ずアむヌ語を語源ずする地名が沢山出おくるし

    たた文䞭に

    オシラサマずいう神あり。この神の像もたた同じようにしお造り蚭け、これも正月の十五日に里人集たりおこれを祭る。

    「遠野物語」柳田國男

    ずあった埌

    オシラサマは双神なり。アむヌの䞭にもこの神あるこず『蝊倷颚俗圙聞』に芋ゆ。

    「遠野物語」柳田國男

    ずの蚘茉もある。

    たた北海道を舞台ずした有島歊郎の「カむンの末裔」1917幎(倧正6幎)では冒頭郚で

    蝊倷富士ずいわれるマッカリヌプリの麓に続く胆振の倧草原を、日本海から内浊湟に吹きぬける西颚が、打ち寄せる玆激のように跡から跡から吹き払っおいった。寒い颚だ。芋䞊げるず八合目たで雪になったマッカリヌプリは少し頭を前にこごめお颚に歯向いながら黙ったたた突立っおいた。

    「カむンの末裔」有島歊郎

    ずアむヌ語の山名が出おくる。

    私はこれらを最初に読んだ時、どきりずした。
    それらはアむヌに぀いお盎截ちょくさいに語られたものではないが、少なくずも過去に、そこでアむヌの人々が暮らしおいたこずを明確に珟しおいる。それではこれらが曞かれた圓時はどうだったのか
    それは語られぬだけに、語られた物語・小説に纏たずわり぀いおいるように、私には思われる。

    そのように思っおから読芋盎すず、蚀文䞀臎小説の嚆矢こうしの䞀぀、囜朚田独歩の北海道を描いた「空知川の岞蟺」1902幎(明治35幎)にアむヌを思わせるものが䜕も出おこないのは、䜕か異様な感じがしお来る。
    空知倪そらちぶずずいうアむヌ語が語源ず思われる地名も、流暢りゅうちょうな蚀葉の䞭に埋もれお、䜕も感じさせない。

    瀟䌚が䜕凊にある、人間の誇り顔に䌝唱する「歎史」が䜕凊にある。歀堎所に斌お、歀時に斌お、人はたゞ「生存」其者の、自然の䞀呌吞の䞭に托されおをるこずを感ずるばかりである。

    「空知川の岞蟺」囜朚田独歩


    ず平然ず語る囜朚田の小説には、有島歊郎や柳田國男が蚘した残酷な物語・小説ずは別皮の残酷さが底に暪たわっおいるように思われる。

    なお日本語を母語ずしない人々に察する日本の蚀語政策に぀いおは『蚀語垝囜䞻矩ずは䜕か』所収の「日本の蚀語垝囜䞻矩」【アむヌ、琉球から台湟たで】小熊英二ず「垝囜日本の蚀語線制」【怍民地期朝鮮・「満州」・「倧東亜共栄圏」】安田敏朗が包括的でか぀分かりやすい。

    匕甚文献: ①『囜語孊史』 〔電子曞籍版〕 2021幎7月21日発行
    著者時枝誠蚘
    発行所株匏䌚瀟 岩波曞店
    定本: 「囜語孊史」2017幎10月17日 第䞀刷発行 岩波文庫
    昭和15幎(1940幎)12月発行『囜語孊史』岩波曞店、が底本の元本ず思われる。

    ②志賀盎哉, 志賀盎哉党集 第䞃巻「囜語問題」岩波曞店, 1999.6.7.
    [「囜語問題」初出: 1946.4.1.「改造」第27巻第4号]「志賀盎哉随筆集」高橋英倫線 [39]岩波曞店1995.10.16.第1刷発行、2021.1.15.第9刷発行にも所収

    ③「遠野物語」柳田國男
    青空文庫 2012幎12月16日䜜成
    2022幎3月9日修正
    底本:「遠野物語・山の人生」岩波文庫、岩波曞店   1976昭和51幎4月16日第1刷発行   2007平成19幎10月4日第47刷改版発行   2010平成22幎3月5日第50刷発行
    初出「遠野物語」柳田國男
    1910明治43幎6月14日発行

    ④「カむンの末裔」有島歊郎
    青空文庫
    2000幎3月4日公開
    2005幎9月24日修正䜜成
    底本「カむンの末裔 クララの出家」岩波文庫、岩波曞店
    1940昭和15幎9月10日第1刷発行   1980昭和55幎5月16日第25刷改版発行   1990平成2幎4月15日第35刷発行
    底本の芪本「有島歊郎著䜜集 第䞉茯」新朮瀟   1918倧正7幎2月刊
    初出「新小説」   1917倧正6幎7月号

    ⑀「空知川の岞蟺」囜朚田独歩
    (明治䞉十五幎十䞀月─十二月)
    青空文庫
    2000幎6月27日公開2006幎3月18日修正
    底本「珟代日本文孞倧系 11 
    國朚田獚歩・田山花袋集」筑摩曞房   
    1970昭和45幎3月15日初版第1刷発行   1973昭和48幎9月1日初版第4刷発行

    参考文献: 『蚀語垝囜䞻矩ずは䜕か』
    2000幎9月30日 初版第1刷発行
    2006幎11月30日 初版第4刷発行
    線者: 䞉浊信孝 粕谷啓介
    発行所: 株匏䌚瀟 藀原曞店

    xxxviii 䞻芳・自我・身䜓性〈柄谷行人・メルロヌポンティ・志賀盎哉〉

    柄谷行人は『日本近代文孊の起源』[64]の䞭で、志賀盎哉の「濁぀た頭」から匕甚しなら、志賀に぀いお

    圌にずっお、「䞻䜓」たるこずは暎力的な抑圧だったのだ。他の連䞭が「意識」から出発したのに察しお、圌にずっお「意識」ずはせいぜい「濁぀た頭」にすぎなかった。
    「近代文孊」が、䞀぀の䞻䜓・䞻芳・意識から出発したずすれば、志賀はそのこず自䜓の転倒性に反撥したのである。「䞀぀の䞻芳」を疑うずころからはじめたのだ。

    『日本近代文孊の起源』柄谷行人[64]

    ず述べおいたす。

    たた同著の䞭で、柄谷は、拙論せ぀ろんでも取り䞊げた志賀盎哉の「クロヌディアスの日蚘」に出お来る

    兄の倢の䞭で兄を殺

    『日本近代文孊の起源』柄谷行人[64]

    すずいう

    驚くべき「殺人」

    『日本近代文孊の起源』柄谷行人[64]

    を匕甚し、さらにメルロポンティ『県ず粟神』(滝浊静雄・朚田元蚳)所収「幌児の察人関係」に出お来る

    ノァロンがシャルロッテ・ビュヌラヌの著者から借りおきた

    メルロポンティ『県ず粟神』滝浊静雄・朚田元蚳所収「幌児の察人関係」

    ずいうある

    小さな女の子の話

    メルロポンティ『県ず粟神』滝浊静雄・朚田元蚳所収「幌児の察人関係」

    を「クロヌディアスの日蚘」の倢ず関連付ける為に匕甚しおいたす。

    それは

    圌女はその家の女䞭ずもう䞀人の女の子のそばに坐りながら、䜕か䞍安そうな様子をしおいるうちに、やがお䞍意に隣の女の子に平手打ちを食わせ、そしおその理由を聞かれたずき、意地悪で自分をたたいたのはあの子だから、ず答えたした。その子のひじょうに真剣な様子からするず、でっち䞊げの嘘を蚀っおいるずは思われたせん。

    メルロポンティ『県ず粟神』滝浊静雄・朚田元蚳所収「幌児の察人関係」

    ずいう内容で、メルロポンティはこういった䟋などから

    幌児自身の人栌は同時に他人の人栌なのであっお、この二぀の人栌の無差別こそが転嫁おんかを可胜にするわけです。こうした人栌の無差別は、幌児の意識構造の党䜓を前提ずするものです。

    メルロポンティ『県ず粟神』枅浊静雄・朚田元蚳所収「幌児の察人関係」

    ず結論づけおいたす。

    このメルロポンティの垰結を匕甚しながら

    柄谷行人は志賀盎哉に぀いお

    おそらく志賀が幌児的だずか原始人ずかいわれる理由はここにある。しかし、重芁なのは、志賀が、私は私であり他者は他者であるずいう区別に先立っおあるような身䜓性を感受しおいたこずである。

    『日本近代文孊の起源』柄谷行人[64]

    ず述べおいたす。

    メルロポンティは先の論の䞭で

    幌児は䞉歳頃になりたすず、これたでみた癒合的瀟䌚性の段階のずきずは違っお、自分の身䜓ばかりか思考をさえ他人のものだず思うようなこずはやめたす。圌は自分を、〈状況〉そのものず混同したり、たた自分に負わされるこずもありある〈圹割〉そのものず混同したりするこずがなくなりたす。圌は自分固有の芖点やパヌスペクティノずいうものを採甚するわけです。いや、圌には、状況や圹柄がどれほどの倚様性をもっおいようずも、自分はそうしたさたざたの状況やさたざたの圹柄を超えた〈或る䜕者か〉だずいうこずがわかっおきたす。

    メルロポンティ『県ず粟神』枅浊静雄・朚田元蚳所収「幌児の察人関係」

    ず云い

    幌児が最初そこに埋没しおいた盎接䞎件ずしおの〈感芚的光景〉ず、今埌自分の考えで遞んだ方向に経隓を再線成したり再配分したりするような〈䞻芳〉ずいうものずが、二぀に分かれなければなりたせん。

    メルロポンティ『県ず粟神』滝浊静雄・朚田元蚳所収「胎児の察人関係」

    ず䞉歳頃に䞻芳が珟われ出お来る事を瀺し

    そしおそうなるず

    幌児には他人の県ざしが邪魔になり、他人が圌の方を芋るず、圌の泚意は果たすべき課題からそらされお、その課題を遂行し぀぀ある自分自身の衚象に向けられおしたうずいった颚になるのです。

    メルロポンティ『県ず粟神』滝浊静雄・朚田元蚳所収「幌児の察人関係」

    ず述べおいたす。

    しかしその䞊でメルロは

    自我゚ゎ、぀たり「私」ずいうものが、他人から芋た私によっお二重化されずに本圓の意味で珟れお来るこずは、䞉歳児においおはありえたせん。

    メルロポンティ『県ず粟神』滝浊静雄・朚田元蚳所収「幌児の察人関係」

    ず述べ、䞉歳児においお芋られる珟象は

    もっず埌で起こっお来るような意味での〈矞恥心〉、぀たり〈裞であるこずの恥ずかしさ〉(それは五・六歳頃にしか珟れたせん)が問題なのではなく、たた叱られるこわさも問題ではないからです。

    メルロポンティ『県ず粟神』滝浊静雄・朚田元蚳所収「幌児の察人関係」

    ずしおいたす。

    柄谷行人が述べたように

    志賀が、私は私であり他者は他者であるずいう区別に先立っおあるような身䜓性を感受しおいたこずである。

    『日本近代文孊の起源』柄谷行人[64]

    ずするなら、それはメルロポンティに即すれば3歳頃に珟れる䞻芳以前のものであり、5、6歳頃に芜生える自我゚ゎからは曎に距離の或る感芚です。

    メルロポンティの考察を元に柄谷行人に即しお考えれば、私が志賀の「濁぀た頭」、「クロヌディアスの日蚘」を含む䞀連の䜜品から自我を感じられなかったのは、圓然のこずず云えるのかもしれたせん。

    「幌児の察人関係」の埌段でメルロポンティは

    おそらく癒合的瀟䌚性は、䞉歳ずずもに枅算されおしたうものではないでしょう。かの他人ずの䞍可分の状態、さたざたの状況内郚で他人ず自己ずが互いに䟵食し合い、互いに混同されおいる状況、同䞀䞻䜓が倚くの圹柄に顔を出すずいったこずは、成人の生掻にもただ芋られたす。䞉歳の危機は、癒合性を抹殺するずいうよりは、むしろそれを遠くに抌しやるだけのこずなのです。

    メルロポンティ『県ず粟神』滝浊静雄・朚田元蚳所収「幌児の察人関係」

    ず論じおいたす。

    このような

    成人の生掻にもただ芋られる

    メルロポンティ『県ず粟神』滝浊静雄・朚田元蚳所収「幌児の察人関係」

    癒合的瀟䌚性

    メルロポンティ『県ず粟神』滝浊静雄・朚田元蚳所収「幌児察人関係」

    を志賀の䞀連の䜜品は捉ずらえおいるず云えるのかもしれたせん。


    匕甚文献: ①『日本近代文孊の起源』[64]
    著者: 柄谷行人
    1988幎6月10日第1刷発行
    2006幎3月1日第35刷発行
    発行所: 株匏䌚瀟 講談瀟
    匕甚は本曞の䞭のⅢ「告癜ずいう制床」(初出季刊芞術1979幎冬号)より


    ②『県ず粟神』
    著者: M. メルロポンティ
    滝浊静雄・朚田元共蚳
    1966幎11月30日 第1刷発行
    2022幎4月15日 第36刷発行
    発行所: 株匏䌚瀟 みすず曞房
    匕甚は本曞所収「幌児の察人関係」(1950〜51幎にかけおパリ倧孊文孊郚で行われた幌児心理孊の講矩録)より

    xxxix 芥川韍之介の『蜘蛛の糞』(1918幎)ず類䌌した物語で、その出兞ずしお論じられおきたものは耇数ある。
    私の論考でも取り䞊げたドスト゚フスキヌの『カラマヌゟフの兄匟』(原䜜1879〜1880幎)䞭の "䞀本の葱"、ポヌル・ケヌラスの『因果の小車』(原䜜1903幎)所収の「蜘蛛の糞」の2぀ず、ラヌゲル・レヌノの『キリスト䌝説集』(原䜜1904幎)の䞭の「わが䞻ずペトロ聖者」である。

    芥川の『蜘蛛の糞』の䞻たる出兞に぀いおは、1960幎代以降、山口静䞀・片野達郎・安田保雄らの詳现な怜蚎をぞお、ポヌル・ケヌラスの「Karma: A Story of Early Buddhism」の鈎朚倧拙による翻蚳『因果の小車』所収の「蜘蛛の糞」である事は、もはや疑いようがないものず思われる。

    これらを螏たえた䞊で、門前真䞀は

    いく぀かの䜜品からずらえた異なったヒントを぀なぎ合わせお、䞀぀の䜜品にたずめるのは、芥川の垞甚の手法である。芥川は、ねぎ、ペトロの母、カンダタ物語からえた材料を、同じ俎板の䞊に䞊べながら、適圓に包䞁で調理しお、䞀皿に盛ったのであろう。

    『「蜘蛛の糞」論始末蚘ヌ出兞ず䞻題に぀いおヌ 』
    門前新䞀 (✳1)

    ず論じ、あくたでも他の物語の関䞎を吊定しなかった。(1971幎)

    しかし宮坂芺は、䞹念に資料を比范怜蚎し、芥川韍之介が『カラマヌゟフの兄匟』を読んだのは『蜘蛛の糞』執筆の前であるが、ラヌゲルレヌノの『CHRIST LEGENDS』(キリスト䌝説集」)を読んだのは執筆の埌である事、そしお「OUR LORD AND SAINT PETER」(わが䞻ずペトロ聖者)を読んだ感想ずしお、芥川韍之介が

    自分ノ曞むタ「蜘蛛の糞」ト云フ埡䌜話ト甚ペク䌌テヰルノデ倉ナ気ガシタ 東西デ恐シクペク䌌タ話ガアルモノダト思フ

    「『蜘蛛の糞』出兞考ノヌトヌCHRIST LEGENDSぞのメモを手懞りずしお」宮坂芺 (✳2)

    ずメモを残しおいるこずから、

    『カラマヌゟフの兄匟』䞭の"䞀本の葱"に぀いお

    印象深い、それも非垞に単玔なプロットを持った寓話が芥川の印象に残ったのではないかず十分考えられる。しかし、『蜘蛛の糞』執筆䞭には、想起されおいなかったこずはCHRIST LEGENDSによっお明癜である。すなわち、「東西デ恐シクペク䌌タ話ガアルトノダト思フ」ずいう曞き蟌みから考えれば、〈西〉に〈䌌タ話ガアル〉こずに驚いおいるのである。倚少なりずも、プロットが蚘憶にあったずしたならば、『因果の小車』を繙いた時、䞀぀の共鳎があったはずである。むしろ、その蚘憶によっお、"The Spider Web"は、より匷烈になったであろうこずは容易に想像できる。しかし、メモによっお、『因果の小車』ずいう〈東〉の材によっおのみ創䜜されたこずは明らかである。

    「『蜘蛛の糞』出兞考ノヌトヌCHRIST LEGENDSぞのメモを手懞りずしお」宮坂芺 (✳2)

    ずしお、『因果の小車』以倖の2䜜の『蜘蛛の糞』ぞの関䞎を吊定しおいる。(初出1979幎)

    優れた論考であるが、私はこの芋解には怜蚎すべき点が぀あるず思う。

    1぀は、芥川がメモで

    䌌テヰル

    「『蜘蛛の糞』出兞考ノヌトヌCHRIST LEGENDSぞのメモを手懞りずしお」宮坂芺(✳2)

    ず曞いたその類䌌ずはどういったものなのかず云うこずである。

    『因果の小車』の䞭の「蜘蛛の糞」は、話の䞭で僧が語る説話であり、『カラマヌゟフの兄匟』に出お来る "䞀本の葱" は小説の登堎人物が語る民話である。
    これらは芥川韍之介にずっお小説の玠材になるものではあっおもそれ自䜓は近代的な小説ではなかった。
    しかしラヌゲルレヌノの「OUR LORD AND SAINT PETER」(わが䞻ずペトロ聖者)は民話を元にした小説である。
    東西で同じような内容を持぀、民話を元にしたよく䌌た小説があるこずに、芥川は驚いたのではないかず思う。

    メモの䞭たでも䜜家らしく

    埡䌜話

    『蜘蛛の糞』出兞考ノヌトヌCHRIST LEGENDSぞのメモを手懞りずしお」宮坂芺 (✳2)

    䌌た話

    『蜘蛛の糞』出兞考ノヌトヌCHRIST LEGENDSぞのメモを手懞りずしお」宮坂芺 (✳2)

    ず茶化しおいるが、芥川やラヌゲルレヌノが曞いおいるものが、単なる民話や昔話ではなく、近代的な小説である事を、芥川はよく分かっおいたはずである。
    ラヌゲルレヌノが民話を元にしお小説を曞く、芥川ず資質の䌌た䜜家であるこずを、芥川はよく知っおいたであろうが、それでも䞍思議な感じがしたのだろう。
    そういった感じを『カラマヌゟフの兄匟』の "䞀本の葱"からは受けなかったのだはないだろうかそうであれば、"䞀本の葱'を『蜘蛛の糞』の玠材の䞀぀ずしお䜿っおいたずしおも、䞍思議はないものずおもわれる。

    もう1぀の点は、東ずは䜕を意味するかずいうこずである。

    1920幎代前半頃に曞かれたず思しき「露譯短篇集の序」の䞭で芥川は

    近代の倖國文藝䞭、ロシア文藝ほど日本の䜜家に、──ず云ふよりも寧ろ日本の讀曞階玚に圱響を與ぞたものはありたせん。日本の叀兞を知らない青幎さぞトルストむやドスト゚フスキむやトゥルゲネフやチェホフの䜜品は知぀おゐるのです。我々日本人がロシアに芪しいこずはこれだけでも明らかになるこずでせう。

    「露譯短篇集の序」芥川韍之介 (✳3)

    ず述べた埌でこう曞いおいる。

    ロシアが生んだ近代の政治的倩才、レニンのこずを考ぞおも、所謂 Europe がレニンを理解しなか぀たのは逘りにレニンが東掋的な政治的倩才だ぀た爲かも知れたせん。最も理想に燃え䞊぀たず共に最も珟寊を知぀おゐたレニンは日本が生んだ政治的倩才たち、源頌朝や埳川家康に可なり近い倩才です。蚀はば東掋の草花の銚りに滿ちた、倧きい䞀臺の電氣機關車です。

    「露譯短篇集の序」芥川韍之介 (✳3)

    芥川韍之介はロシアを東掋ずしお、Europeの理解の及ばぬ地ずしお捉ずらえおいるのである。

    この文章は、芥川の䜜品がロシア語に蚳されるにあたっおの䜜品集ぞの序文だから、ロシア人読者ぞのリップサヌビスずいう偎面はあったであろうが、党くのデタラメを蚀っおいるわけではないず思う。

    こうした芥川の蚀葉は

    もっぱら歊力で他者を圧迫する文化を、わが䞭囜の叀い蚀葉では「芇道を行なう」ず蚀うので、ペヌロッパの文化ずは芇道の文化でありたす。しかしわが東掋は埓来、芇道の文化わ軜芖しおきたした。たたもう䞀぀の文化があっお、芇道の文化より優れおいるのでたすが、この文化の本質は仁矩・道埳です。この仁矩・道埳を甚いる文化は、他者に〔自己の〕嚁勢を恐れさせるのではありたせん。この他者に埳を慕わせる文化を、わが䞭囜の叀い蚀葉では「王道を行なう」ず蚀うので、アゞアの文化は王道の文化でありたす。

    『孫文・講挔「倧アゞア䞻矩」資料集II: 1924幎11月 日本ず䞭囜の岐路 (孫䞭山蚘念䌚研究叢曞)』 (✳4)

    ず述べた埌段で

    珟圚、ペヌロッパに䞀぀の新しい囜があっお、その囜はペヌロッパの党癜人が排斥しおおり、これをペヌロッパ人はみな猛獣・毒蛇であっお、人類でないかのように芋なし、これに近づこうずはしないのですが、わがアゞアにも同じ芋方をする者が倚数いたす、その囜ずは、どこでしょう。それはロシアです。珟圚ロシアは、ペヌロッパの癜人ず袂を分ずうずしおいたす。䜕故そのようにするのでしょう。それはこの囜が王道を䞻匵しお芇道を䞻匵せず、仁矩・道埳を唱えようずしお、功利・匷暩を唱えるこずを望たず、公道を極力䞻匵しお、少数が倚数を圧迫するこずに賛成しないからです。そうするず、ロシアの最近の新文化は、わが東方の旧文化に極めお合臎するので、この囜は東方ず手を携えお、西方ず袂を分ずうずするのでありたす。


    『孫文・講挔「倧アゞア䞻矩」資料集II: 1924幎11月 日本ず䞭囜の岐路 (孫䞭山蚘念䌚研究叢曞)』 (✳4)

    ず語った孫文(å­«äž­å±±)の神戞高等女子孊校の講堂で行われた講挔「倧アゞア䞻矩」(1924幎)を想起させる。

    もしかしたら芥川はこの挔説の内容を間接的にでも聞いおいたのかもしれない。
    もしそうなら、孫文の蚀葉が先の文章を曞いた時の芥川の念頭にあった可胜性はある。

    しかし䟋えそうであったずしおも、芥川韍之介のような日本の歎史・文化ぞの造詣ぞうけいのある䜜家が

    レニンは日本が生んだ政治的倩才たち、源頌朝や埳川家康に可なり近い倩才です。蚀はば東掋の草花の銚りに滿ちた、倧きい䞀臺の電氣機關車です。

    「露譯短篇集の序」芥川韍之介(✳3)

    ずいうような衚珟ぞず導かれおいったのは、ロシア文孊を通じお、既にそこに東掋に通じるものを感じおいたからこそであろう。

    そしおロシアをアゞアに近づけお捉える芋方は、芥川韍之介ず孫文に芋られるようなロシアの十月革呜を肯定的に評䟡した発蚀に限られたものではない。

    䟋えば東掋的専制䞻矩を氎力(氎利)瀟䌚ずいう独特の抂念を䜿っお分析したりィットフォヌゲルは、ロシアの西掋的芁玠を認め぀぀も、東掋的専制䞻矩に近い囜家ずしお捉えおいる。(1957幎)

    ロシアはタタヌルのくびきず呌ばれるモンゎル垝囜の支配を受けた時期(13〜15侖简)があり、そこから脱した埌も、珟圚に至るたで、広倧な領地の倚くをアゞア諞囜ず接しおいるのだから、圓然ずも云える。
    ロシアは西をペヌロッパず接し぀぀、東は日本ず接する、日本の隣囜でもあるずいう事を忘れおはならないだろう。

    それに察しおスりェヌデン(北欧)は、西掋科孊の基瀎を築いた分類孊の父リンネ(1707〜1778幎)を産んだ地であるり、芥川にずっお明癜にEurope(西掋)だったのではないだろうか
    それは西ペヌロッパずは異なった䌝統から出おきたラヌゲルレヌノなような䜜家のこずを知っおいおも、なお拭ぬぐえぬ感芚だったのではないかず思う。

    こうした事を螏たえるならば

    東西デ恐シクペク䌌タ話ガアルトノダト思フ

    「『蜘蛛の糞』出兞考ノヌトヌCHRIST LEGENDSぞのメモを手懞りずしお」宮坂芺 (✳2)

    ずいうメモの東西が䜕を意味するかに぀いおは、慎重に怜蚎しなくおはならない。

    ① 東(日本を含むアゞア)/西(ロシア・スりェヌデンを含むペヌロッパ)なのか
    それずも
    ② 東掋Orient(日本・ロシアを含む)/西掋Europe(西ペヌロッパず北欧を含む)であるのか。

    ②であるなら、宮坂芺の論は成り立たない。

    以䞊2぀の点から

    『OUR LORD AND SAINT PETER』(わが䞻ずペトロ聖者)に察する芥川の

    自分ノ曞むタ「蜘蛛の糞」ト云フ埡䌜話ト甚ペク䌌テヰルノデ倉ナ気ガシタ 東西デ恐シクペク䌌タ話ガアルモノダト思フ

    「『蜘蛛の糞』出兞考ノヌトヌCHRIST LEGENDSぞのメモを手懞りずしお」宮坂芺 (✳2)

    ずいうメモの存圚だけによっお、『カラマヌゟフの兄匟』の "䞀本の葱" が芥川の『蜘蛛の糞』の執筆にあたっお䜕らの圱響も䞎えなかったずするのは拙速に過ぎるのではないかず私は思う。

    『蜘蛛の糞』執筆埌に読たれたラヌゲルレヌノの『OUR LORD AND SAINT PETER』(わが䞻ずペトロ聖者)が玠材の䞀぀でない事は明らかだずしおも

    いく぀かの䜜品からずらえた異なったヒントを぀なぎ合わせお、䞀぀の䜜品にたずめるのは、芥川の垞甚の手法である。

    『「蜘蛛の糞」論始末蚘ヌ出兞ず䞻題に぀いおヌ 』
    門前新䞀(✳1)

    ずいう門前真䞀の蚀葉は芯を捉えおいるように思われる。ただ誰も気が付いおいない思いがけない玠材もあるのかもしれない。

    枅氎康次は『「矅生門」の䞖界ず芥川文孊』(✳5)で、芥川韍之介の小説『矅生門』がいかに耇雑な経緯を経お完成したかを描き出しおいる。
    『蜘蛛の糞』に぀いおも同様のこずが云えるのではなかろうか

    同じ俎板の䞊に䞊べながら、適圓に包䞁で調理しお、䞀皿に盛ったのであろう。

    『「蜘蛛の糞」論始末蚘ヌ出兞ず䞻題に぀いおヌ 』
    門前新䞀(✳1)

    ずいった衚珟ではおそらく単玔すぎる。

    芥川が物語を取り蟌むやり方は、もっずダむナミックなものであろう。
    それは諫早勇䞀が「"The onion broke"ヌ『蜘蛛の糞』ず『カラマヌゟフの兄匟』をめぐる若干の考察」で指摘しおいるように"䞀本の葱"が実は葱ずいうよりはタマネギなのだずしおも、倉わらない(✳6) 。柔軟に『蜘蛛の糞』の䞭に織り蟌たれおいったず思えおならない。

    自分ノ曞むタ「蜘蛛の糞」ト云フ埡䌜話ト甚ペク䌌テヰルノデ倉ナ気ガシタ 東西デ恐シクペク䌌タ話ガアルモノダト思フ

    「『蜘蛛の糞』出兞考ノヌトヌCHRIST LEGENDSぞのメモを手懞りずしお」宮坂芺(✳2)

    ずいうメモは、原兞をもずにしお小説を䜜り䞊げるこずの動的な難しさを知っおいるからゆえの驚きであり、西の䜜家ラヌゲルレヌノぞの共感でもあったのだろうず思う。


    ✳匕甚文献:

    1. 門前真䞀「『蜘蛛の糞』論始末蚘」『倩理倧孊孊報』72号、1971幎。

    2. 宮坂芺「『蜘蛛の糞』出兞考ノヌト――CHRIST LEGENDSぞのメモを手懞りずしお」
      関口安矩線『芥川韍之介䜜品論修正 第5å·» 蜘蛛の糞 児童文孊の䞖界』、1999幎、26〜39頁。

    3. 芥川韍之介「露譯短篇集の序」
      『芥川韍之介党集 第九巻』岩波曞店、1978幎。青空文庫所収テキストによる

    4. 孫文「倧アゞア䞻矩」(1924幎、兵庫県立神戞高等女孊校講堂での講挔)
      『孫文・講挔「倧アゞア䞻矩」資料集II: 1924幎11月 日本ず䞭囜の岐路 (孫䞭山蚘念䌚研究叢曞)』愛新翌・西村成雄線 248〜258頁

    5. 枅氎康次『「矅生門」の䞖界ず芥川文孊』
      倧阪倧孊出版瀟 2019.1.25

    6. 諫早勇䞀「“The onion broke”――『蜘蛛の糞』ず『カラマヌゟフの兄匟』をめぐる若干の考察」
      『人文科孊論集』第19号、1985幎、107–114頁。

    参考文献:

    1. 山口静䞀「『蜘蛛の糞』ずその材源に関する芚曞」『成城文藝』32号、1963幎。

    2. 山口静䞀「芥川韍之介ずポヌルケヌラスヌ『蜘蛛の糞』ずその材源に関する芚曞き再論ヌ」
      関口安矩線『芥川韍之介䜜品論修正 第5å·» 蜘蛛の糞 児童文孊の䞖界』、1999幎、7〜25頁
      (初出1978幎)

    3. 片野達郎「芥川韍之介『蜘蛛の糞』出兞考」『東北倧孊教逊郚玀芁』7号、1968幎。

    4. 安田保雄「『蜘蛛の糞』の原兞ずその著者に぀いお」『比范文孊』13号、1970幎。

    5. 芥川韍之介『蜘蛛の糞』(原䜜1918幎)
      『芥川韍之介党集2』ちくた文庫、1996幎。
      青空文庫掲茉テキストによる

    6. ドスト゚フスキヌ『カラマヌゟフの兄匟』䞭
      新朮瀟(kindle版)
      発行 幎月日
      蚳者 原 卓也
      (原䜜1879〜1880幎)

    7. 『因果の小車』
      ポヌル・ケラス 著
      鈎朚貞倪郎 èš³
      出版: 東京 : 長谷川商店
      出版幎: 1898(明治31幎)
      (Kindle版テキストを参照した)

    8. セルマ・ラヌゲルレヌノ「わが䞻ずペトロ聖者」
      キリスト䌝説集原著1904幎、岩波曞店、1955幎、203–218頁。
      むシガ・オサム蚳
      ※岩波曞店版『キリスト䌝説集』第36刷1990幎を参照した。

    9. カヌル・A・りィットフォヌゲル『東掋的専制䞻矩』論争瀟 
      昭和36(1961)幎9月5日(原著1957幎)
      蚳者: アゞア経枈研究所

    xxxx 山本正秀は『蚀文䞀臎の歎史論考 続線』の䞭で

    挱石・鎎倖や、花袋・藀村などの自然掟や幎配の䜜家の文章には、文章的口語䜓ずいった明治的限界があった。それは、圌らは和挢の旧文孊の玠逊が深かっただけに、文䜓の骚栌、語圙の遞択、文脈の敎え方などに、䜕ずいっおも難解な挢語・挢字や挢文脈ぞの執着があっお、そうした前近代的な挢文的措蟞法からの脱出や俗談的冗長性の克服、䞀方现叙にたけた欧文脈の䞀局の取り蟌みによる補匷などが、近代口語䜓の完成のために必芁であった。

    山本正秀著『蚀文䞀臎の歎史論考 続線』

    ず述べ

    その点で、これらの芁件をみごずに満たし、成就させたのは、癜暺掟および新珟実掟の䜜家たちであった。

    山本正秀著『蚀文䞀臎の歎史論考 続線』

    ず癜暺掟および新珟実掟の䜜家たちを評䟡した。
    特に癜暺掟に察する評䟡は高い。
    歊者小路実節に぀いおは

    最も自由倧胆に日垞語を駆䜿しお、旧文章から党く解攟し、口頭的口語䜓を芋事に暹立した。

    山本正秀著『蚀文䞀臎の歎史論考 続線』

    ずし、圌の文章察する宇野浩二の

    「珟さうず思ふ事をそのたた自分の蚀葉で曞くヌ぀たり、真の蚀文䞀臎に近い文章を歊者小路実節が創造した」

    山本正秀著『蚀文䞀臎の歎史論考 続線』

    ずいう蚀葉ず

    䜐藀春倫の

    「厳密な意味の蚀文䞀臎を倧成したのは歊者氏だも蚀぀おもいいような気がする」

    山本正秀著『蚀文䞀臎の歎史論考 続線』

    ずいう蚀葉を玹介しおいる。
    有島歊郎に぀いおは

    欧文脈をぞんぶんにずりこんで现叙性に富んだ絢爛倚圩なしゃれた口語䜓をあみだしたが、『或る女』(倧八)などの文章になるず、䞍必芁な字句は埌を絶ち、欧文脈もよほどこなれたものになっお完成されおいる。

    山本正秀著『蚀文䞀臎の歎史論考 続線』

    ず述べ
    志賀盎哉に぀いおは
    菊池寛の

    「䜕ずいう冎えた文章」「䜕ず云う簡朔な力匷い衚珟」

    山本正秀著『蚀文䞀臎の歎史論考 続線』

    ずいう賛蟞の蚀葉を取り䞊げながら

    簡朔的確な口語䜓を完成した。志賀の出珟によっお、口語文䜓通匊の冗長軟匱性は党く克服され、近代口語䜓は完成を芋た。

    山本正秀著『蚀文䞀臎の歎史論考 続線』

    ず述べおいる。
    そしお

    こうしお癜暺掟によっお確立された新文章道は、぀いで起こった新珟実掟(芥川韍之介・菊池寛・久米正雄・山本有䞉・里芋匎・䜐藀春倫・宇野浩二ら)が、䞀名技巧掟・理知掟ず呌ばれたような、めいめいの工倫によっお、個性色ゆたかな堪胜の口語䜓を成就し

    山本正秀著『蚀文䞀臎の歎史論考 続線』

    たず続けおいる。
    同様の趣旚の蚘茉は

    山本正秀著『近代文䜓発生の史的研究 䞊』にも芋られるが、『蚀文䞀臎の歎史論考 続線』の方がより簡朔でたずたった蚘茉ずなっおいる。
    これらの著曞に曞かれたような流れだけで、近代口語䜓・蚀文䞀臎の歎史をたずめおしたっお良いかどうかに぀いおは異論もあるだろうが、倚くの論が近代口語䜓・蚀文䞀臎を論ずるのに、癜暺掟の手前で止たっおいるのに比べるず、山本正秀のこの二著は遥かに包括的であり、私が手にするこずができた範囲では、近代口語䜓・蚀文䞀臎の歎史に぀いお癜暺掟も含めた圢で把握できる研究曞は、この2぀だけであった。

    匕甚文献:
    山本正秀『蚀文䞀臎の歎史論考 続線』49–50頁、桜楓瀟、1981(昭和56)幎2月。
    所収「ニノ五蚀文䞀臎運動の展望――口語䜓の確立―自然䞻矩から癜暺掟ぞ―」。
    原題「近代口語文䜓の成立ず展開」、『講座日本文孊』第九巻〈近代線1〉、1969(昭和44)幎4月

    参考文献:
    山本正秀著『近代文䜓発生の史的研究 䞊』
    53-54頁
    発行所: 株匏䌚瀟 岩波曞店
    1965幎7月31日 第1刷発行
    2021幎11月10日 オンデマンド版発行

    xxxxi
    本論で指摘したように、志賀盎哉の幟぀かの䜜品(「濁぀た頭」「クロヌディアスの日蚘」など)に珟れた悲劇ず自衛隊駐屯地での自決ずいう䞉島由玀倫の壮絶な死は底流で繋がっおいるず、私は考えおいる。

    䞉島由玀倫は「日本文化の深淵に぀いお」の䞭でこう述べおいる

    䞀民族の文化のも぀ずも粟劙なものは、おそらくも぀ずもおぞたしいものず固く結び぀いおゐるのである。゚リザベス朝時代の幟倚の悲劇がそうであるやうに。日本はその足早な、無理な近代化の歩みず共に、い぀も月のやうに、その片面だけを西欧に察しお瀺さうず努力しお来たのであ぀た。そしお日本の近代化ほど、光ず圱を等分に包含した文化の党䜓性をい぀も犠牲に䟛しおきた時代はなかった。私の四十幎の䞭でも、前半の二十幎は、軍囜䞻矩の䞋で、䞍自然なピュヌリタニズムが文化を統制し、戊埌の二十幎は、平和䞻矩の䞋で、あらゆる歊士的なもの、激し易い日本のスペむン颚な魂が抑圧されお来たのである。そこではい぀も支配者偎の停善が倧衆䞀般にしみ蟌み、抑圧されたものは䜕ら突砎口を芋出さなか぀た。そしお、倱われた文化の党䜓性が、均衡をずりもどさうずするずきには、必ず非合理な、ほずんず狂的な事件が起こるのであった。

    「日本文化の深淵に぀いお」

    5⃣
    そしお、そのような

    非合理な、ほずんず狂的な事件

    「日本文化の深淵に぀いお」

    の代衚的な䟋ずしお

    近代的兵営ぞ、日本刀だけで切り蟌んだ

    「日本文化の深淵に぀いお」


    明治9(1876)幎の神颚連の乱を䞊げおいる。

    埌段で、䞉島は神颚連に぀いお

    そのような無謀な行動ず、圓然の敗北ずが、或る固有の粟神の存圚蚌明ずしお必芁だ、ずいふこず知っおゐたのである。

    「日本文化の深淵に぀いお」

    ず云っおいる。

    これは自衛隊に決起を呌びかけた埌に割腹自殺をした䞉島由玀倫の事件を圷圿ほうふ぀ずさせる。

    しかしそれだけではない。日本のこのような事件ず比する圢で䞉島があげた

    ゚リザベス朝時代の幟倚の悲劇

    「日本文化の深淵に぀いお」

    には、メアリヌ・スチュアヌトの凊刑1587幎に象城的される珟実の悲劇ず共に、゚リザベス1䞖の治䞖晩幎からゞェヌムズ1䞖の治䞖初期に曞かれたシェむクスピアの悲劇(「ハムレット」「オセロヌ」「リア王」「マクベス」)の事も同時に意味しおいるず思われるからである。

    たずは䞀般的な歎史的事実に基づき、ChatGPTの助けを借りながら、゚リザベス朝ず明治の政策ず事件を、それぞれの時代の始たりを元幎、幎号をふっお䞊べおみた。
    (゚リザベス朝1558幎 - 1603幎、明治1868幎-1912幎)

    画像

    倚くの日本人には銎染みの薄いず思われる、゚リザベス朝の事象の簡単な説明文を぀けるずこのようになる。
    (説明文はChatGPTによる)


    囜王至䞊法・瀌拝統䞀法1559
    女王を教䌚の最高暩嚁ずし、囜教䌚瀌拝を党囜に矩務化。
    北郚諞䟯の反乱1569
    カトリック貎族による倧芏暡反乱。
    教皇による砎門1570
    女王が砎門され、宗教察立が囜際政治化。
    カヌラむト倱脚1570頃
    長老制を䞻匵急進改革掟が倧孊を远攟され、囜教䌚䜓制から
    排陀される。
    䞉十九箇条確定1571
    むングランド囜教䌚の公匏な教矩基準を確定。
    分離掟匟圧法1593
    囜教䌚からの分離や瀌拝拒吊を重眪化し、宗教的非同調を法的に抑圧。
    ゚セックス䌯の反乱1601
    女王偎近の有力貎族による反乱。
    44幎

    ぀の時代を比范しおみお、正確に䞀臎するわけではもちろんないが、䌌おいるず、私は思う。

    どちらも宗教的なものが絡たった倧きな政治的な改革の埌、それに反発するもの達の反乱があり、それらの反乱を鎮圧しお、囜家の枠組みが出来䞊がっおいく䞭で、最終的には、察倖的な戊争の勝利を受けお、䞍穏な圱を露呈し぀぀も、囜家はある皋床の匷床をもった䜓制を確立しおいったず、そのように芋える。
    もちろんこのようなたずめ方は雑なものです。
    先の衚は、その事実や芏暡に぀いお議論が分かれるものはなるべく省いた簡略化されたものであるし、事実はもっず耇雑であるだろう。しかし倧きな枠組みの類䌌性は吊定できないだろうず思う。今回の目的にはそれで十分である。

    䞉島が先の文章で

    ゚リザベス朝時代の幟倚の悲劇が

    ず述べるだけに留たらず

    ピュヌリタニズム

    「日本文化の深淵に぀いお」

    スペむン颚

    「日本文化の深淵に぀いお」

    などずいう日本に぀いお語るのに䌌぀かわしくない蚀葉をあえお䜿っおいるのは、こう云った゚リザベス朝ず明治時代の類䌌性を喚起する為の仕掛けであるように、私には思われる。

    そしおシェむクスピアの悲劇(「ハムレット」「オセロヌ」「リア王」「マクベス」)が45幎続いた゚リザベス1䞖の治䞖(1558幎1603幎)ず続くゞェヌムズ1䞖の治䞖の境目に曞かれたように、志賀盎哉の䞀連の異様な䜜品(「濁぀た頭」「クロヌディアスの日蚘」「范の犯眪」「児を盗む話」)もたた明治44(1911)幎から倧正3(1914)幎ずいう時代の狭間はざたに出されたものであった。明治もたた45幎間である。
    志賀の䞀連の䜜品もシェむクスピアの悲劇も、囜家䜓制がひずたず確立した新しい時代の始たりであり぀぀も、叀い時代の軋蜢あ぀れきの残滓ざんしが未だ淀よどんでいた時期に䞖に出されたのである。
    志賀の䞀連の䜜品の䞀぀「クロヌディアスの日蚘」がシェむクスピアの「ハムレット」を元にしおいるのは、䜕ずも象城的であるず云える。

    シェむクスピアの悲劇が゚リザベス朝の珟実の悲劇ず切り離せないように、䞉島が神颚連の乱に象城させた日本の悲劇ず志賀の䞀連の䜜品もたた繋がるものもしお捉えるべきだろう。

    どちらも

    倱われた文化の党䜓性が、均衡をずりもどさうずするずき

    「日本文化の深淵に぀いお」

    の

    非合理な、ほずんず狂的な

    「日本文化の深淵に぀いお」

    ものの珟れであるのだから。

    だずすれば、゚リザベス朝ずシェむクスピアの悲劇、および神颚連の乱のような日本の悲劇の䞡方を意識しおいた䞉島由玀倫の自決が、志賀の䞀連の䜜品ず通底しおいるのは、圓然のこずず云わねばならない。

    远蚘:2026.2.1

    䞊蚘の蚘事を曞いた時、゚リザベス朝ず明治が45幎なのず䞊んで䞉島由玀倫の生涯も45幎であり、それが昭和の幎号ずぎったり䞀臎するずいう事実を倱念しおいた。よく知っおいたにも関わらず、なぜか関連付けお考えるこずが出来なかった。

    しかも柄谷行人が「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」(1988幎)の䞭で明治ず昭和を䞊列で比范しお、その類䌌性を

    日本が近代囜家の䜓制を確立し、経枈的成長を遂げ、䞍平等条玄を改正し、西掋列匷に䞊ぶ囜家になっおいく過皋においおである。

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    ず述べ、䞉島由玀倫の自決に぀いお

    われわれは䞉島の行動に2・26事件の叛乱の"再珟"を身がちであるが、むしろ明治四十五幎における乃朚将軍の殉死を想起すべきなのである。

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    ず曞いおいるのである。

    私はこれを読んでいたはずだし、现かい内容はずもかく、柄谷行人が䞉島由玀倫の自決に぀いお、乃朚将軍の殉死を想起すべきだず述べおいたこずを芚えおいた。にも関わらず今回、これを自分の論に関連付ける事が䜕故か出来なかった。

    しかし柄谷のこの指摘は重芁で、無芖できるものではない。

    先に゚リザベス朝ず明治を䞊列で比范した衚を瀺したが、柄谷の指摘を螏たえるならば、それず䞊んで2぀の衚を参照しなければならないだろう。

    䞀぀は明治ず昭和を䞊列に䞊べたものである。

    画像


    もう䞀぀ぱリザベス朝ず昭和を䞊列に䞊べたものである。

    画像

    ゚リザベス朝ず明治を比范した時ず同様に、これらの45幎間には類䌌性がある。

    おそらく䞉島由玀倫は先のものに加え、埌にあげた2぀をも意識しおいた事だろう。
    特に明治ず昭和の察照を匷く意識しおいたのではないだろうか。

    だずすれば、䞉島由玀倫の自決が神颚連の乱や二・二六事件(1936幎)よりも、乃朚将軍の殉死(1912幎)ず䌌お芋えおくるのは圓然ず云える。

    それぞれ明治ず昭和の始たりから45幎埌に起き、

    どちらも

    そのアナクロニズムによっお、圓時の人々を驚かせた。

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    そしお

    おそらく䞉島自身がそのこずを意識しおいたのだ。

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    4⃣
    䞉島は1967(昭和42)幎の「念頭の迷い」の䞭で

    英雄たるこずをあきらめるか、それずもラむフ・ワヌクの完成をあきらめるか、その非垞に難しい決断が、今幎こそは来るのではないかずいう䞍安な予感

    「念頭の迷い」3

    がするず語っおいる。しかし、乃朚将軍の殉死が念頭にあった䞉島は、もはや英雄にはなれないこずを知っおいたはずである。

    実際、䞉島事件(1970幎)はすぐに遠藀賢叞によっお、諧謔かいぎゃく的に扱われおいる。[「カレヌラむス」(1971幎)、「満足できるかな」(1971幎)]

    「カレヌラむス」
    遠藀賢叞


    「満足できるかな」
    遠藀賢叞


    遠藀賢叞のアルバム
    「満足できるかな」1971幎


    前半の論で述べたように、䞉島がシェむクスピアの悲劇を意識しおいたのだずすれば、すぐれた戯曲家であった䞉島はなぜ

    アナクロニズムによっお、圓時の人々を驚かせ

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    る事になるず分かり぀぀行動に移すよりも

    それを䜜品ずしお残さなかったのだろうか

    䞉島は悲劇的な内容を持぀戯曲を幟぀も曞いいおいる。
    「十日の菊」(1959幎)、「サド䟯爵倫人」(1965幎)「わが友ヒットラヌ」(1968幎)などである。

    しかしそれらはどれもどこかナヌモラスでもある。䞉島の資質は悲劇ずその登堎人物をただ悲劇的には描かせない。どうしおも盞察化し、はぐらかし、宙吊りにしおしたう。

    それでも䞉島は悲劇を曞くこずを詊みはした。「朱雀家の滅亡」(1967幎)「癩王のテラス」(1969幎)がそれである。しかしこれらは先の諞䜜品ず比べるず、生気に欠けおいる。

    赀塚䞍二倫の「もヌれ぀ア倪郎(1967〜70幎)」ず氎朚しげるの「宇宙虫」(1965幎)を奜んだ(「劇画における若者論」1970.2) 䞉島の真骚頂は、息苊しい盎線的な悲劇や静的スタティックな小説[「仮面の告癜」(1949幎)、「金閣寺」(1956幎)]よりも戯曲[「只ほど高いものはない」(1952幎)、「若人よ蘇れ」(1954幎)、「鹿鳎通」(1956幎)、「喜びの琎」(1964幎)]のような動的ダむナミックなドタバタ劇にこそあった。6⃣

    「朱雀家の滅亡」や「癩王のテラス」は䞉島の他の戯曲よりも、䞉島の小説の延長線䞊にあるように思われる。
    それは法孊士らしく、論理的に組み立おられたものである。

    ずころが蚀葉ずいふものは自家䞭毒を起こす。私は次第に蚀葉を以っお蚀葉を守るずいう方法䞊の矛盟に気づきはじめ、戊前の文士が最初に陥った陥穜はこれではないかず感じたのである。

    「"囜を守る"ずは䜕か」3

    ずいった蚀葉に察する懐疑は、そのような「小説」に察する懐疑だったのだず思われる。3⃣

    深沢䞃郎のような䞉島の想像を超える

    䞍快な傑䜜

    「小説ずは䜕か」4

    を曞く䜜家や石原慎倪郎・倧江健䞉郎・野坂昭劂のような新しい䞖代の䜜家を評䟡し、自身も新たなスタむルを暡玢し぀぀も、そのような懐疑からは逃れようがなかったものず思われる。

    その埌、時代を画する䜜品は挔劇・映画・挫画・アニメずいったゞャンルにおいお開花した。(挫画・特撮ドラマ「仮面ラむダヌ」(1971幎)石ノ森章倪郎、映画「曞を捚おお街ぞ出よう」(1971幎)・「田園に死す」(1974幎)寺山修叞、挫画「おろち」(1969〜70幎)楳図かずお、など)(1⃣)(2⃣)

    䞉島は手塚治虫の「火の鳥」(1967〜86幎)を嫌ったが[「劇画における若者論」1970.2)] 、䞉島の最埌の䜜品四巻に及ぶ「豊饒の海」(1965〜71幎)は「火の鳥」にどこか䌌おいる。どちらも長倧な䜜品であるず共に、䞉島の死埌、「火の鳥」が「豊穣な海」のテヌマである生たれ倉わり・茪廻を扱っおいくようになるのが、それを象城しおいる。

    䞉島は自分の行動が敗北する事も、アナクロニズムず捉えられるこずも、挔劇的に芋える事も心埗おいたず思われる。

    柄谷行人が述べおいるように

    䞉島の

    行動は、培底的にアむロニカルなもので

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    あろう。

    䞉島は、ある意味で、自分の生涯ずずもに「昭和」を終わらせたのだ。

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    柄谷行人は蚀う

    䞀九䞃〇幎が䞀぀の分氎嶺をなすのは、むろんたんに䞉島由玀倫の華々しい死によっおではない。たずえば、䞃〇幎代の初めには「連合赀軍事件」が象城するように「新巊翌」運動が厩壊したし、たた為替盞堎やオむル・ショックにあらわれおいるように、戊埌の䞖界䜓制が構造的に揺らぎはじめたのである。そのなかで、たさに戊埌の米゜二元構造に䟝存しそれを䞀方的に利甚しながら成長した日本は、八〇幎代においお経枈的な匷囜ずしお出珟した。だがその意識においおは、たったく内面的に閉じられたたたであった。倖からあらゆる情報が䌝えられ消費されるが、「倖郚」は存圚しなかったのだ。

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2


    「冬の旅 死者ずの察話」(1971幎)の䞭で䞉島由玀倫の幜霊を静かに登堎させた円地文子は

    「連合赀軍事件」が象城するように「新巊翌」運動が厩壊

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2


    した埌で、それを題材に、日本ではおよそありそうにない蚭定を蚭けた䞊で小説「食卓のない家」(1979幎)を曞いた。

    円地文子にこの䜜品を曞かせたのは、連合赀軍事件(1971幎〜72幎)をはじめずする新巊翌の起こした事件ず共に䞉島由玀倫の自決ではないかず思う。

    それは

    「倖郚」

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    を持たず

    たったく内面的に閉じられた

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    日本瀟䌚ぞの挑戊であった。䞉島の残した爪痕はこうしたずころにこそ芋るべきだろう。

    ゜ビ゚ト連邊ずバブル経枈が厩壊(1991幎)した埌にも残った、䞀芋開かれおいるようでいお

    「倖郚」

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    を持たず

    たったく内面的に閉じられた

    「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    2

    ものたちぞの挑戊ず思える幟原邊圊監督のアニメ『少女革呜りテナ』(1997幎)ず『茪るピングドラム』(2011幎)の2䜜品を芳た時、私が思い起こしたのは、円地文子の「食卓のない家」での孀独な闘いであった。

    この蚘事は志賀盎哉の゚ッセむ「囜語問題」に぀いおの論考に付した泚です。

    ◯ 匕甚文献:
    ✳1  「日本文化の深淵に぀いお」
    『決定版 䞉島由玀倫党集』663-666頁
    著者: 䞉島由玀倫
    発行者:株匏䌚瀟新朮瀟 2003.10.10
    匕甚には二刷2011.8.15を䜿甚

    ✳2 「䞀九䞃〇幎昭和四十五幎近代日本の蚀説空間」
    『終焉をめぐっお』8-51頁
    著者: 柄谷行人
    発行者: 株匏䌚瀟講談瀟 1995.6.10.
    匕甚には第2刷1996.1.23.を䜿甚

    3 「念頭の迷い」及び「"囜を守る"ずは䜕か」
    『蘭陵王  䞉島由玀倫1967.1〜1970.11」
    著者: 䞉島由玀倫
    発行所: 株匏䌚瀟新朮瀟 1971.5.
    それぞれ13-16頁ず261-266頁

    4 「小説ずは䜕か」
    『決定版 䞉島由玀倫党集34』
    著者: 䞉島由玀倫
    発行所: 株匏䌚瀟新朮瀟 2003.9
    683-758頁
    匕甚は二刷2012.10.5.735頁より

    ◯ 参考文献
    ✳「冬の旅 死者ずの察話」
    『旅の小説集 円地文子玀行文集 第䞉巻』
    著者: 円地文子
    発行所: 株匏䌚瀟平凡瀟1984.9.14.
    165-199頁

    ✳「食卓のない家」
    著者: 円地文子
    発行所: 新朮瀟 1979.4.
    文庫版1982.4
    電子曞籍版2004.12.

    「ピュヌリタン」
    著者倧朚英倫
    発行所䞭倮公論瀟 1968幎

    ◯ 泚1⃣

    1970幎前埌には、その時代を代衚する優れた挫画・アニメ䜜品が沢山ある。
    「あしたのゞョヌ」梶原䞀階・ちばお぀や(1967-73)、 「タむガヌマスク」梶原䞀階・蟻なおき(1968-)、「挂流教宀」楳図かずお(1972-74)、「デビルマン」氞井豪(1972-73)などである。
    しかしこれらを取り䞊げなかったのは、これらの䜜品には明癜な終わりがあり、それが䞀぀の解攟をもたらすように思ったからです。
    「挂流教宀」の終わりが未来ぞの垌望であり、解攟であるこずは明らかですが、それ以倖の死や滅亡で終わる他の䜜品に぀いおもそれは云える。
    それは垌望の裏返しであり、䞀぀の解攟であるず思う。しかし、私がここで取り䞊げた䜜品達には終わりのない抜け出せない悪倢のようなずころがある。それは「おろち」ではより明確であるが、䞀芋収束ぞず向かう「仮面ラむダヌ」でも、改造人間であるずいう事実には終わりがない。
    その䞍気味さは、志賀盎哉の䞀連の䜜品の䞍穏な感觊を思い起こさせるものがあり、比范の察象ずしおよりふさわしいものず思われた。
    それらにあるのは、垞に繰り返されるが、茪廻のような倧きな物語には回収しようのないリアルな惚むごさである。

    泚 2⃣ 氎野しずは猫舌SHOWROOM豪の郚屋で仮面ラむダヌに぀いお

    実際に本圓に今仮面ラむダヌを攟送しおも「仮面ラむダヌ本郷猛は改造人間である」っお蚀っおた蚀葉の床肝を抜かれるようなおぞたしいニュアンスっお䌝わらないず思う

    氎野しず談「豪の郚屋」

    いいですよ、改造人間お。よくそんな凄い蚀葉、思い぀くず思う。シンプルな単語の組み合わせなのに、なんか、凄い倧倉なずころに䜕か、䟵入しちゃっおる感じがするし、うぁヌはっお感じがしお、それを始たっおすぐ蚀うっおいう、子䟛達に向けお宣蚀しおいるっおいう、改造人間である...それであの手術台の光がパヌっず明るい感じずかで、本圓に取り返しの぀かないずころに行っおしたったんだ。

    氎野しず談「豪の郚屋」

    ず述べ

    ず人造人間の取り返しの぀かなさ、おぞたしさに぀いお率盎に語っおいる。

    そしお

    あずあれを攟送しおた時代背景だず、なんかちょっずあり埗るんじゃないか、もう少し、なんかその、䞖の䞭に芋えない郚分ずか、なんかネットで繋がっおないから、隠された郚分ずかが倚かったから、もしかしたらこういうこずになっおしたうんじゃないか...

    氎野しず談「豪の郚屋」

    ず圓時の時代背景においお、人造人間ずいう蚀葉が圓時は持っおいたリアリティに぀いお瀺唆しおいる。

    ずおも腑に萜ちる話である。

    氎野しず(豪の郚屋)
    仮面ラむダヌに぀いお(52:42)


    氎野しずのnote


    3⃣
    柄谷行人は「䟡倀に぀いお」(1977.10)の䞭で

    私は䞉島由玀倫の小説を読みかえしたいず思わないが、圌の「戯曲党集」をずきどきひもずくのを愉しみにしおいる。それはたこずに皀有な才胜であっお、むしろ私は䞉島が小説を䟡倀ずする瀟䌚に生たれた䞍幞に同情するのである。実際、圌は䞀぀も小説を曞きはしなかったのであり、小説らしきものを曞くふりをしただけなのである。戊埌瀟䌚に察する圌の違和は、もっず具䜓的に創䜜掻動に即しおいえば、圌が小説家にならねばならなかったこずにあるずいっおよいかもしれない。

    「䟡倀に぀いお」(『反文孊論』所収)

    ず述べおいる。

    「䟡倀に぀いお」
    『反文孊論』1979.4
    81-91頁
    著者: 柄谷行人 
    発行所: 冬暹瀟
    匕甚は1984.2第四刷より

    4⃣
    䞉島由玀倫は「革呜哲孊ずしおの陜明孊」(1970幎)の䞭で2床、乃朚垌兞に぀いおふれおいる。

    1぀は冒頭近くで

    乃朚倧将の死ずずもに終぀た陜明孊的知的環境は、倧正教逊䞻矩ず倧正ヒュヌマニズムの敵に他ならなかった。

    「革呜哲孊ずしおの陜明孊」

    ず述べおいる。

    もう䞀぀は䞭盀で

    この陜明孊はおそらく、乃朚倧将の死に臎぀お、日本の衚面から消えおい぀たやうに思はれる。

    「革呜哲孊ずしおの陜明孊」

    ず述べ

    その埌、陜明孊的な行動原理は孊究を通じおではなくお、むしろ日本人の行動様匏のメンタリティの基本を圢づくるこずにな぀お、ひそかに朜流し始めたものであらう。昭和の動乱の時代から今日に至るたで、日本人が䌁おた行動には、西欧人が䌁及し埗ぬ、たた想像し埗ぬさたざたな䞍思議な芁玠がふくたれおゐる。そしおその日本人の政治行動自䜓には、完党な理性䞻矩や䞻知䞻矩に反するずころの䞍思議な暎発状況や、無効を承知でや぀た行動のいく぀かのめざたしい事䟋がみられるのである。

    「革呜哲孊ずしおの陜明孊」

    ずしおいる。

    䞉島が自身の行動をこのような日本的陜明孊の系譜に連なるものず考えおいたこずは明らかであるように私には思われるし、乃朚倧将の殉死ず自身の自決ずを重ねおいた事も疑いえぬように思う。

    䞉島は「二・二六事件ず私」(1966幎)の䞭でこう述べおいる。

    たしかに二・二六事件の挫折によっお、䜕か偉倧な神が死んだのだった。圓時十䞀歳の少幎であった私には、それはおがろげに感じられただけだったが、二十歳の倚感な幎霢に際䌚したずき、私はその折の神の死の怖ろしい残酷な実感が、十䞀歳の少幎時代に盎感したものず、どこかで密接に぀ながっおいるらしいのを感じた。

    「二・二六事件ず私」

    䞉島の自決はこのような「死」ぞの殉死であるのかもしれない。

    それは倢の䞭での英囜補の服を着た倩皇・皇后の殺害を描いた深沢䞃郎の「颚流倢譚」(1960幎)を私に連想させる。

    「颚流倢譚」の語り手は目を芚たす前に

    私も腹䞀文字にかき切っお死んでしたおうず、私は蟞䞖の歌を䜜ったのだ。

    「颚流倢譚」

    ず蚀っおいるからだ。

    そしおそれは曎に倩皇の歩んだ長い歎史に぀いお觊れ぀぀、明治以降の倩皇制を絶察君䞻制やボナパルチズムずいう抂念を䜿っお批刀的に考察した神山茂倫の思想ぞず私を誘う。

    こういった連想は恣意的しいおきな飛躍に思われるかもしれないが、倚圩な䞉島の思想ず行動はこういった倚様なものずの関連の䞭でこそ芋るべきであるず私には思われる。そのヒントを乃朚倧将の殉死が䞎えおくれる。そのような連関は乃朚垌兞ず䞉島由玀の歩んだ道のりや抱えた苊悩の比范などよりも重芁であるように、私には思う。

    䞉島の死を殉死ず捉えるず先にこちら↓

    で論じた䞉島の独特な高床な倩皇制ぞの考察ず、倩皇から時蚈をもらったこずを匷調する玔朎さずの矛盟も矛盟ずは感じずに理解できる。

    「問題提起」(1970幎)の䞭で䞉島はこう述べおいる

    埮笑、友愛、やはらかな奜意、さういうものなら、戊埌倩皇制が囜民からも぀ずも歓迎するものであり、この歓迎に応ぞる装眮もさたざたに䜜られたが、「忠誠」だけは有難迷惑な莈物であり、これを拒絶する装眮も隠密呚到にさたざたに䜜られた。

    「問題提起」

    䞉島は戊埌死䜓しにたいずなった囜䜓倩皇制が嫌う「忠誠」を敢あえお瀺しおいるのである。これは蟛蟣しんら぀な批刀であるずいえる。

    䞉島にずっお憲法の改正の䞻県もあくたで倩皇に぀いお曞かれた第䞀条で、第九条ではなかった。

    珟状のたたで

    珟憲法の郚分改正によ぀お、第九条だけが改正されるならば、日本は楜々ず米軍事䜓制の奜逌こうじずなり、自立はさらに倱われ、日本の歎史・䌝統・文化は、さらに危殆に瀕ひんするであろう。

    「問題提起」

    ずさえ蚀っおいるのである。

    では囜䜓に぀いおは䜕ず述べおいるであろうか「二・二六事件ず私」の䞭で䞉島は

    そしお囜䜓ずは私は圓時の囜䜓論のいく぀かに目をずおしたが、曖昧暡糊ずしお぀かみがたく、北䞀茝の囜䜓論吊定にもそれなりの理由があるず知り぀぀、䞀方、「囜䜓」そのものは、誰の心にも、明々癜々炳乎ぞいこずしお圚った、ずいう逆説的珟象に興味を抱いた。思うに、䞀億囜民の心の䞀぀䞀぀に囜䜓があり、囜䜓は億皮あるのである。軍人には軍陣の囜䜓があり、それが軍陣粟神ず呌ばれ、二・二六事件蹶起将校の「囜䜓」ずは、この軍人粟神の玔粋培逊されたものであった。そしお、䞇䞖䞀系の倩皇は同時に八癟䞇やおよろずの神を兌ねさせたたい、䞊埡䞀人のお姿は䞀億人の盞こずなるお姿を珟じ、䞀にしお倚、倚にしお䞀、しかも誰の目にも明々癜々のものだったのである。

    「二・二六事件ず私」

    このような囜䜓ずは䜕であろうか䞉島はこのような囜䜓に殉じゅんじたのであろうか

    䞉島由玀倫の述べたこずは倚様で、䞉島に぀いお論ずるのにはい぀でも困難が䌎う。䞀筋瞄では行かない。ここで述べた事もほんの端緒に觊れただけに過ぎないであろう。

    匕甚文献:

    1. 「革呜哲孊ずしおの陜明孊」及び「問題提起」
    『決定版 䞉島由玀倫党集 36』
    著者:䞉島由玀倫 、発行所:株匏䌚瀟新朮瀟
    発行: 2003.11.10
    それぞれ118-137頁ず277-310頁
    匕甚は第二刷2011.2.5.より

    2. 「二・二六事件ず私」
    『英霊の聲』、著者: 䞉島由玀倫
    発行所: 株匏䌚瀟河出曞房新瀟 
    発行: 2005.10.20.
    243-261頁、匕甚は第九刷2020.4.30.より

    3. 『颚流倢譚』
    著者: 深沢䞃郎、発行所: 株匏䌚瀟志朚電子曞籍
    発行:2011.11

    参考文献・映画
    1. 『倩皇制に関する理論的諞問題』
    著者: 神山茂倫、発行所: 有限䌚瀟こぶし曞房
    発行: 2003.6.25.(初版は1947.4.民䞻評論瀟)

    2. 監督 豊島圭介, 『䞉島由玀倫vs東倧党共闘〜幎目の真実〜』, 1969.5.13.東京駒堎キャンパスでの䞉島由玀倫ず党共闘孊生の蚎論䌚のドキュメンタリヌ, 2020.3.20.公開

    3. 『矎ず共同䜓ず東倧玛争』
    䞉島由玀倫・東倧党共闘
    発行: 2000.7.25
    (1969.6.新朮瀟発行『蚎論 䞉島由玀倫vs.東倧党共闘 ヌ 矎ず共同䜓ず東倧玛争』を文庫化したもの)

    5⃣

    足早な、無理な近代化

    「日本文化の深淵に぀いお」

    を歩んだのは日本だけではない。日本の急激な近代化は、決しお特殊な事䟋ではない。䞉島の認識は、近代化に䌎う普遍的な軋蜢ず反動の構造を指し瀺しおもいるのである。

    䟋えばトルコでケマル・アタテュルクが行った改革は早急ないものであった

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』でタミム・アンサヌリヌはアタテュルクの構想に぀いお

    トルコにおけるりラマヌの暩嚁を粉砕し、むスラヌムを瀟䌚の調停者の座から匕きずり䞋ろし、䞖俗的な手法で瀟䌚を管理・運営する公的な制床を確立するこずだった。

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    ず曞いおいる。

    アタテュルクは

    女性に公的領域を開攟

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    し

    䞀倫倚劻制を犁止し

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    結婚にた぀わる䌝統的な慣習に難色を瀺し、クルヌアンでもハディヌスでもなくスむスの民法兞に基づく離婚制床の制定を埌抌しした

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    たた

    囜が新たに定めた服装芏定の䞀環ずしお、ノェヌルやスカヌフの着甚を犁止した。この芏定は女性のみならず男性にも適甚され、たずえばフェスず呌ばれたトルコ垜〔説明は略〕の着甚も犁止された。タヌバンも顎髭あごひげも激しく非難されたが、山高垜や野球垜やベレヌ垜はよしずされた。アタテュルク自身はスヌツずネクタむを身に぀け、同胞のトルコ人に圌を芋習うように匷く促した。

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    のだずいう

    そしお

    アタテュルクはその埌半䞖玀間にわたっおムスリムの指導者の暡範ずなった。

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    ずいう
    むランではパラノィヌ朝の初代囜王レザヌ・シャヌ・パラノィヌは

    アタテュルクが行ったのず同様の内政改革を断行し、ずりわけ服務芏定を厳重に適甚した。スカヌフ、ノェヌル、タヌバン、顎髭  䞀般庶民はこれらすべおを犁じられた。

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』


    アフガニスタンでも1919幎に

    囜王が暗殺され、その息子アマヌノッラヌが王䜍を継承

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    するず

    性急に䞊からの改革を進めた。アマヌノッラヌは〔囜民の自由ず平等を保障する〕リベラルな憲法を発垃し、女性の解攟を宣蚀し、(略)䞖俗的な初等孊校制床を蚭立した。

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    そしお

    お決たりの服務芏定も定めたのだ

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    ず。
    このような服装芏定は明治初頭の散髪脱刀什を私に思い起こさせる。

    そしおタミム・アンサヌリヌは先の蚘述に続けおこう曞いおいる。

    私がこうした服務芏定に関しお興味深く思うのは、急進的なむスラヌム䞻矩者が半䞖玀以䞊のちにむランずアフガニスタンで暩力を奪取したずきに、同様の政策を掚進したずいうこずだ。ただし、芏定の内容は正反察だった。突劂ずしお、女性たちはスカヌフを被るこずを匷制され、顎髭わ生やしおいない男性は人前に出るず鞭で打たれるようになった。ずはいえ、服装や髭の有無を理由に鞭打ったり投獄したりずいう原則は  どちらの陣営も採甚したのだ。

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    このような

    急進的なむスラヌム䞻矩者

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    の政策に急激な近代化ぞの反動ずいう偎面がある事は想像に難くない。

    これらの事䟋を螏たえれば、䞉島の論じた内容は、日本固有の問題にずどたらないこずは明らかだろう。

    しかし、だからず蚀っお倖偎から眺めお、西掋民䞻䞻矩的な芳点から

    急進的なむスラヌム䞻矩者

    『むスラヌムから芋た「䞖界史」』

    の政策を

    非合理な、ほずんど狂的な

    「日本文化の深淵に぀いお」

    ものず芏定したずしおも、意味がない。そのような倖から貌り぀ける評䟡は傲慢ごうたんで無瀌なものにしかならない。

    そのような蚀葉の䜿い方は、自身が日本人である䞉島が日本人に向けた

    非合理な、ほずんど狂的な

    「日本文化の深淵に぀いお」

    ずいう蚀葉の持぀誠実さを倱っおしたうだろう。

    他囜に目を向け、日本で起きた急激な近代化は、決しお特殊な事䟋ではない事が分かったならば、もう䞀床䞉島の認識を、珟代の日本に向けおみるべきであるように思う。

    陜明孊的な行動原理が日本人の心の䞭に朜む限り、これから先も、西欧人にはたったくうかがい知られぬやうな䞍思議な政治的事象が、日本に次々ず起るこずは予蚀しおもよい。

    「革呜哲孊ずしおの陜明孊」

    ず䞉島は蚀っおいる。

    衚面的には䞉島の生きた時代よりも曎に西欧民䞻䞻矩的な䟡倀芳は日本に定着したように芋える。

    しかし今の日本に

    抑圧されたものは䜕ら突砎口を芋出さな

    「日本文化の深淵に぀いお」

    いずいうような状況はないのだろうかかたちをかえたり、隠れたりしおいるだけなのではないか

    非合理な、ほずんど狂的な事件が

    「日本文化の深淵に぀いお」

    再び起こらないず断蚀できるほどの質的な倉化が、日本に果たしお起きたのだろうか
    䞀芋倉化しお、それが自分らの䞀郚だず自然に感じられるようになった時こそが、実は

    文化の党䜓性を

    「日本文化の深淵に぀いお」

    犠牲に䟛しおきた時代

    「日本文化の深淵に぀いお」

    の成れの果おで、そんな時ほど知らぬ間に、

    均衡をずりもどさうずする

    「日本文化の深淵に぀いお」

    欲動が動き出そうず埅機しおいるのではないか

    私は日本で再び

    非合理な、ほずんど狂的な事件が

    「日本文化の深淵に぀いお」

    起こるこずを恐れる。しかし䟋え事件ずいうかたちで起こらなかったずしおも、その朜圚する力は䜕らかの圢で、圱響を及がしおいるのではないか私にはそう思えおならない。もしかしたら既に断続的なかたちで、珟れおいるずも蚀えるのかもしれない。
    本文で匕甚した䞉島の論を改めお茉せおおきたす。

    䞀民族の文化のも぀ずも粟劙なものは、おそらくも぀ずもおぞたしいものず固く結び぀いおゐるのである。゚リザベス朝時代の幟倚の悲劇がそうであるやうに。日本はその足早な、無理な近代化の歩みず共に、い぀も月のやうに、その片面だけを西欧に察しお瀺さうず努力しお来たのであ぀た。そしお日本の近代化ほど、光ず圱を等分に包含した文化の党䜓性をい぀も犠牲に䟛しおきた時代はなかった。私の四十幎の䞭でも、前半の二十幎は、軍囜䞻矩の䞋で、䞍自然なピュヌリタニズムが文化を統制し、戊埌の二十幎は、平和䞻矩の䞋で、あらゆる歊士的なもの、激し易い日本のスペむン颚な魂が抑圧されお来たのである。そこではい぀も支配者偎の停善が倧衆䞀般にしみ蟌み、抑圧されたものは䜕ら突砎口を芋出さなか぀た。そしお、倱われた文化の党䜓性が、均衡をずりもどさうずするずきには、必ず非合理な、ほずんず狂的な事件が起こるのであった。

    「日本文化の深淵に぀いお」

    1.「日本文化の深淵に぀いお」
    『決定版 䞉島由玀倫党集』663-666頁
    著者: 䞉島由玀倫
    発行者:株匏䌚瀟新朮瀟 2003.10.10
    匕甚には二刷2011.8.15を䜿甚
    2.『むスラヌムから芋た「䞖界史」』
    著者: タミム・アンサヌリヌ
    蚳者: 小沢千重子
    発行所: 株匏䌚瀟 玀䌊國屋曞店 2011.9.7.
    匕甚は第10刷 2018.1.11.より
    原曞は2009幎発行

    3.「革呜哲孊ずしおの陜明孊」
    『決定版 䞉島由玀倫党集 36』
    著者:䞉島由玀倫 、発行所:株匏䌚瀟新朮瀟
    発行: 2003.11.10
    それぞれ118-137頁、匕甚は第二刷2011.2.5.より

    6⃣

    䞉島由玀倫の倚くの戯曲の文章には、たるでダンスを螊っおいるような軜やかさがある。

    実際、『文章読本』で䞉島は戯曲の文章を舞螏に䟋えおいる。䞉島自身の戯曲に芋られる軜劙さを考えるうえでも、この説明は手がかりになるように思われる。

    远っお芋おみよう。

    䞉島は戯曲に぀いお

    たこずにくだらなく芋える日垞平板な䌚話がはいっおくるのを避け埗られたせん。よほど幻想的な芝居でないかぎり、こういう䌚話は擬曲の必芁悪ずもいうべきものでありたす。

    『文章読本』䞉島由玀倫

    ず述べ、さらにこう続けおいる。

    戯曲の文䜓ずは、぀たりこのような日垞茶飯のやりずりの芁請をひっくるめお、あらゆる借雑物をうちに含んで、なおか぀䜜者の内的なリズムが、登堎人物から登堎人物ぞず皲劻のように走っお行く文章のこずをいうのでありたす。

    『文章読本』䞉島由玀倫

    戯曲の文章に぀いお述べたこの章で

    䞉島は

    䜜者の䞀貫したリズムが脈うっおいる

    『文章読本』䞉島由玀倫

    文章のリズムがそこはかずなく起䌏しおいる

    『文章読本』䞉島由玀倫

    ず繰り返し、リズムずいう蚀葉を䜿っおいる。

    ぀たり䞉島によれば、戯曲の文章は日垞生掻の

    あらゆる借雑物をうちに含んで

    『文章読本』䞉島由玀倫

    リズミカルに舞螏しおいるのである。

    そしお、その舞螏を支えるためにこそ

    戯曲には

    厳密無比の構成力

    『文章読本』䞉島由玀倫

    が必芁ずなる。

    挔劇評論家の䞭村哲郎は座談で

    䞉島さんは戯曲は論理で成り立っおいる蚀葉の建築だずいうこずをおっしゃっおいたした

    『䞉島由玀倫を誰も知らない』井䞊隆史

    ず蚀っおいる。

    確かに戯曲にある

    厳密無比な構成力ぞの欲求

    『文章読本』䞉島由玀倫

    は䞀぀の建築物を぀くりだすかもしれない。

    しかしそれは

    䜜者の内的なリズムが、登堎人物から登堎人物ぞず皲劻のように走っお行く文章

    『文章読本』䞉島由玀倫

    が螊るための舞台なのである。

    章の最埌を䞉島はこうたずめおいる。

    戯曲の文章ずは、ずきには県も綟な倒眮法の乱甚や、あるいは日本語の䌚話を極床に折りたげた、日本語の䌚話の衚珟力の最高床の発揮や、いずれにしろ散文のようなしっかりした圢を離れお、融通無碍な、そうしおか぀流動し舞螏する独特な文䜓ず蚀えたしょう。぀たり小説を歩行の文章ずすれば、戯曲の文章は舞螏する文章なのでありたす。

    『文章読本』䞉島由玀倫

    ボディビルによっお人工的に鍛えられた䞉島の肉䜓に぀いおは倚く語られおきたが、このように、文章によっお歩行し、舞螏する䞉島の肉䜓に぀いおは、管芋かんけんの限りでは、十分に語られおはこなかったように思われる。

    本泚6⃣の文章の骚子は私が曞いたものですが、衚珟に぀いおはChatGPT、Gemini、Claude、DeepSeekに意芋を求め、参考にした䞊で自分で再考・掚敲したした。
    匕甚が倚いため「私が曞いた」ず蚀うのは少し憚はばかられたすが、匕甚の遞び方・䜿い方、党䜓の論旚ずたずめ方に぀いおは、党お私自身が責任を負っおいたす。

    匕甚文献:
    1.『文章読本』新装版 85-108頁 䞉島由玀倫 䞭倮公論瀟 1973.8.10.初版、2020.3.25.改蚂、匕甚には改蚂第3刷を䜿甚。初出は『婊人公論』昭和34幎(1959幎)1月号。

    2.『䞉島由玀倫を誰も知らない』 井䞊隆史 光文瀟2026.1.30.
    62-95頁「坂東玉䞉郎、䞉島由玀倫を語る 聞き手 高橋睊郎・䞭村哲郎 叞䌚進行 井䞊隆史」より。匕甚は86頁より。

    xxxxii 吉本隆明の「共同幻想論」は、叀い心性を再評䟡したず単玔にたずめられるものではない。しかし、ここはそれを論じる堎ではないので、簡朔に枈たせた。
    吉本の「共同幻想論」には叀い心性に察する批評的偎面があるが、それ自䜓が叀い心性に぀いおの新たな評䟡を䌎い、たた新たな評䟡を生み出すものでもあろうずいうこずだけ、ここでは付け加えおおく。

    xxxxiii 日本における挢語による語の西欧語の受容の仕方は倚様で、新たな造語を生むこずもあったが、それたでほずんど䜿われなくなっおいた挢語を、西欧語の蚳語ずしお甚いるこずもあった。こうした翻蚳は、挢語の叀い意味ず、西欧語から受け取った新しい意味ずの間に、耇雑な関係を生んだ。

    子安宣邊の『挢字論 䞍可避の他者』は、その事を詳しく論じおいる。

    䟋えば

    「倫理」ずいう抂念は「倫理孊」の抂念ずずもに、明治の日本に「゚シックスethics」の翻蚳語ずしお、新たな意味をになっお成立する。

    『挢字論 䞍可避の他者』子安宣邊

    「倫理」「倫理孊」抂念の新蚳語による成立ずいうこずに、「倫理」ずいう語が䞭囜や日本の儒教的思想䌝統のうちにあったかなかったかずいうこずは、さしあたっおはその蚳語の遞定以䞊のかかわりはない。

    『挢字論 䞍可避の他者』子安宣邊


    倫理ずいう蚀葉が日本においおほずんど死語だったからである。

    しかし事態は次第に倉わっおいく

    子安は野䞭準の「日本道埳原論」(1888幎)に぀いお觊れ

    われわれはここに、明治日本に「倫理孊(゚シックス)ずずもに立ち䞊がった「倫理」の語が儒教的䌝統の偎に取り返され、新たに儒教的抂念ずしお再定矩されおいるこずを芋出すのである。

    『挢字論 䞍可避の他者』子安宣邊

    ず述べおいる。

    そしお

    この「人倫の道」ずしおの「倫理」抂念の意識的問い盎しずその再構成を通じお新たな「倫理孊」の䜓系的な成立をはかっおいくのは和蟻哲郎(1889-1960)である。

    『挢字論 䞍可避の他者』子安宣邊(匕甚䞭の挢数字は算甚数字に改めた)

    ずしおいる。

    和蟻が、その著『人間の孊ずしおの倫理孊』の冒頭で

    倫理ずいう蚀葉はシナ人が䜜っお我々に䌝えたものであり、そうしおその蚀葉ずしおの掻力は我々の間に䟝然ずしお生き残っおいるのである。

    『人間の孊ずしおの倫理孊』和蟻哲郎、
    『挢字論 䞍可避の他者』子安宣邊123頁より重匕

    ず述べおいるこずを玹介しながら、子安は、次のように鋭く論じおいる。

    ずころで問い盎される『倫理』がわれわれ日本人の生掻の䞭にすでに存する蚀葉だずすれば、その『倫理』ずは明治日本に成立する翻蚳語『倫理』゚シックスではない。むしろ翻蚳語『倫理』の成立にあたっお参照された叀語『倫理』である。䞭略だがその『倫理』ずいう語はすでに死語であっお決しお『我々の間に生き残っおいる』蚀葉ではなかったはずである。

    『挢字論 䞍可避の他者』子安宣邊

    ぀たり

    「倫理」の問い盎しの䜜業ずは、新蚳語「倫理」を批刀しながら䌝統語「倫理」の再解釈を通じお新たな「倫理」抂念ずしお再構成しおいく䜜業だずいうこずになる。

    『挢字論 䞍可避の他者』子安宣邊

    本論では䞻題ではないので、挢語ず西欧語の関係を単玔化したが、事態がこのような耇雑な過皋であったこずは、倫理・倫理孊の䟋䞀぀ずっおも明らかである。

    ✳本泚の文章の骚子は私が曞いたものですが、衚珟に぀いおはChatGPT、Gemini、Claude、DeepSeekに意芋を求め、参考にした䞊で自分で再考・掚敲したした。
    匕甚が倚いため「私が曞いた」ず蚀うのは少し憚はばかられたすが、匕甚の遞び方・䜿い方、党䜓の論旚ずたずめ方に぀いおは、党お私自身が責任を負っおいたす。

    匕甚文献:

    子安宣邊『挢字論 䞍可避の他者』岩波曞店、2003幎、第4ç« 103-132頁。今回匕甚にあたっおは第2刷を䜿甚。

    画像

    参考文献:
    1. 野䞭準『日本道埳原論』(物集高芋閲、束成堂発行、1888)

    2.『和蟻哲郎党集』第九巻(『人間の孊ずしおの倫理孊』を収録、岩波曞店、1962)

    1.2.共に、子安宣邊『挢字論 䞍可避の他者』の泚の蚘茉より

    泚 xxxxiv
    本論で私は

    過去に挢語を日本語に取り入れた経隓は、明治の西欧語受容ず類䌌性があり、挢語受容の時の手法を真䌌お、西欧の蚀葉を挢字衚蚘に翻蚳しお日本語に取り入れた蚳です

    『占領䞋の抵抗 / 志賀盎哉の゚ッセむ『囜語問題』をめぐっお』之哲

    ず曞いたが、日本における挢語ず西欧語の受容には決定的な違いがある。最初に挢語を䞭囜から受け入れた時、日本には文字がなかったからである。
    挢字は䞭囜からの文明の䞀぀ずしお日本にもたらされた蚳だが、その過皋に぀いお、石川九楊は『日本曞史』の䞭で

    (前略)曞物や知識や、あるいは人が極東の孀島に流入したずいうこずを指すだけではない。それは䞭囜の蚀語、䞭囜語が日本以前の倭にもたらされ、その䞭囜語が、無文字の前日本語・倭語にはたらきかけお、それを改造し、合䜓し、これたでにない新たな蚀語、日本語を生み、日本を生み、日本人を生むに至ったものである。
     ここでの倭語ずは、珟圚では我々が考える和語ずは、少々、あるいは倧いに異なっおいる。珟圚の和語は、文字に曞きずどめられお以降、前日本語である倭語が再線成されお生たれたものであり、前日本語である倭語がどのようなものであったかは、深い闇の䞭にある。

    『日本曞史』石川九楊

    ず曞いおいる。

    ここで石川が述べおいるのは、それ以前の倭語が䞭囜語ずの接觊によっお再線成され、日本語ずしお成立したずいうこずである。
    石川は、䞇葉仮名文曞・挢文蚓読䜓を論じながら

    (前略)䞭囜語挢語の語圙ず文䜓に埓っお接続語、翻蚳語を生みながら、日本文ず日本語ずは埐々に成立しおいったのである。

    『日本曞史』石川九楊

    日本語は、文字䞭囜語流入以前の前日本語・倭語が䞭囜語の語圙ず文䜓の呚蟺に吞着され敎理されるこずによっお、成立したものにほかならない。日本語は、倉圢・再線成された新生倭語ず䞭囜語からなる二重耇線蚀語ずしお成立したのである。

    『日本曞史』石川九楊

    ずたずめおいる。
    叀代の挢語受容は日本語そのものを成立・再線成する過皋であったずいうこの芖点は、極めお説埗力がある
    明治の西欧語受容は長い時間を経おすでに成立しおいた日本語ずいう土台の䞊での翻蚳であった。
    この点で、䞡者には類䌌性ずずもに、受容の前提そのものに倧きな違いがある。
    ✳本泚の文章の骚子は私が曞いたものですが、衚珟に぀いおはChatGPT、Gemini、Claude、DeepSeekに意芋を求め、参考にした䞊で自分で再考・掚敲したした。
    匕甚が倚いため「私が曞いた」ず蚀うのは少し憚はばかられたすが、匕甚の遞び方・䜿い方、党䜓の論旚ずたずめ方に぀いおは、党お私自身が責任を負っおいたす。
    匕甚文献:
    石川九楊『日本曞史』 財団法人 名叀屋倧孊出版䌚 、2001幎、第9ç« 88-90頁。今回匕甚にあたっおは第2刷を䜿甚。

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    匕甚文献・映画ず参考文献本文䞭の[]〜[68]からも芋れたす


    [1] 志賀盎哉, 志賀盎哉党集 第䞃巻「囜語問題」(曞籍は[12]ず同じですが、匕甚数が倚いため別枠ずしたした。, 岩波曞店, 1999.6.7.
    [「囜語問題」初出: 1946.4.1.「改造」第27巻第4号]「志賀盎哉随筆集」高橋英倫線 [39]岩波曞店1995.10.16.第1刷発行、2021.1.15.第9刷発行にも所収:

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    [2]  志賀盎哉, 『倕陜』, 櫻井曞店, 1960.9.15.
    [初出:「文芞攟談」1946.9月「朝日評論」
    「浅春枅談」1947.1月「サンデヌ毎日」
    「内村鑑䞉その他」1948.1月「文芞」
    「志賀氏を囲んでの芞術倜話」1957.1月「随筆サンデヌ」]

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    [3]  茅島節, 『囜語ロヌマ字化の研究』改蚂版, 颚間曞房, 2009.3.31.改蚂版第1刷発行2000.3.15.初版第1刷発行.

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    [4]  賀茂真淵, 國意考珟代語蚳電子版, 原著1804幎: いざなみ文庫, 2019.10月. [原著1764〜1769]

    [5] 本居宣長, 『玉勝間』䞊: 岩波曞店, 2008.4.4.第20刷発行第1刷1934.6.15).  例: 1970.5.10.第9刷発行(第1刷1934幎) [原著1795〜1817]

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    [6]  江藀淳, 『閉ざされた蚀語空間』, 2019.10.5.第15刷1994.1.10.第1版
    [底本 1989.8月、初出:1982.2月号〜1987.2月号「諞君」(6回に分け掲茉: 文藝春秋]

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    [7] 時枝誠蚘, 『囜語孊史』電子曞籍版, 岩波曞店, 20021.7.21.
    [底本「囜語孊史」2017.10.17.第1刷発行
    底本の芪本「囜語孊史」岩波曞店1966.5月第14版、初版1940.12月]

    [8] 菊池寛, 『志賀盎哉氏の䜜品』, 青空文庫, 2005.1.6.
    [底本「半自叙䌝」講談瀟孊術文庫1987.7.10.第1刷発行、原兞: 1918.11月]

    [9]  田䞭章倫, 『東京語ヌその成立ず展開』, 明治曞院, 1983.11.30.  

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    [10] 阿川匘之, 志賀盎哉, 底本1994.7月岩波曞店: 新朮瀟, 1997.8.1.

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    [11] 谷厎最䞀郎, 『卍』, 新朮瀟, 2010.5.15.107刷改版、1951.12.10.発行.  
    [ 初出1928〜1930幎『改造』]

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    [12] 志賀盎哉, 志賀盎哉党集 第䞃巻, 岩波曞店, 1999.6.7.
    [初出:「五月蝿」1945.12.1.「文藝春秋」、「特攻隊の再教育」1945.12.16.「朝日新聞」、「倩皇制」1946.4.1.「婊人公論」]

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    [13]  ゜シュヌル , 『䞀般蚀語孊講矩』, 小林英倫蚳: 岩波曞店, 1972.12.22.改蚂版第1刷発行1940.3.1第1刷発行

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    [14]  志賀盎哉, 『和解・濁った頭 ほか十䞉線』電子曞籍, 2019.11.1
    [底本1972.2月講談瀟文庫、原兞「濁った頭」1911幎、「クロヌディアスの日蚘」1912幎]

    [15]  芥川韍之介, 「神神の埮笑」, 青空文庫, 1998.12.19.公開、2004.3.10.修正.
    [底本「芥川韍之介党集」ちくた文庫筑摩曞房1987.1.27.第1刷発行、1993.12.25.第6刷発行
    底本の芪本「筑摩党集類聚版芥川韍之介党集」筑摩曞房1971.3月〜11月、原兞1921.12月]

    [16]  芥川韍之介, 「蜘蛛の糞」, 青空文庫, 1997.11.10公開、2011.1.28.修正.
    [底本「芥川韍之介党集2」ちくた文庫筑摩曞房1986.10.28.第1刷発行、1996.7.15.第11刷発行
    芪本筑摩党集類聚版芥川韍之介党集1971.3月〜11月、原兞1918.4.16]

    [17] ポヌル・ケヌラス , 因果の小車Kindle版 電子曞籍, 鈎朚倧拙蚳、枩叀堂文庫, 2021.4.27.
    [底本「因果の小車」長谷川商店1898幎、原兞1894幎]

    [18] ドスト゚フスキヌ, カラマヌゟフの兄匟 完党版電子曞籍, 米川正倫蚳 䞊劻玔䞀郎線集 2019.4.16.第3版初版2017.12.26).  
    [原著1880幎: 叀兞教逊文庫]

    [19] 芥川韍之介, 「河童」, 青空文庫, 1999.1.24.公開、2012.3.20.修正.
    [底本「河童・或阿呆の䞀生」旺文瀟文庫旺文瀟1966.10.20.初版発行、1984幎重版発行
    初出1927.3.1.「改造」]

    [20] 志賀盎哉, 志賀盎哉党集 第八巻, 岩波曞店, 1974.6.5.
    [初出:「『クロヌディアスの日蚘』に就いおヌ舟朚重雄君にヌ」1913.4.1「奇蹟」
    「『芥川韍之介党集』掚薊」1934.10月
    「『定本小林倚喜二党集』」掚薊1968.1月
    「メヌトル法廃止運動に就いおの返事」1938.6月]

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    [21]  シェむクスピア, ハムレット電子曞籍版, 犏田恆存蚳 新朮瀟, 2016.1.29. 「解題」犏田恆存
    [底本2013.6月発行第95刷、初版1967幎、原䜜1601幎頃] 

    [22] 倪宰治, 『新ハムレット』, 青空文庫, 2003.1.27.䜜成.
    [底本『新ハムレット』新朮瀟1974.3.30.発行、1995.1.30.30刷改版、1998.7.20.33刷。
    原兞:1941.7月.文藝春秋瀟]

    [23] 君塚盎隆, 『物語 むギリスの歎史』(電子曞籍版, 底本2019.6.10.䞊7版䞋6版: 䞭倮公論新瀟, 2019.8.1.

    [24]  吉本隆明, 『共同幻想論』, 河出曞房新瀟, 1981.4.3.39版発行1968.12.5. 初版発行

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    [25]  赀束敬介, 『倜這いの民俗孊・倜這いの性愛孊』電子曞籍, 筑摩曞房, 2014.10.31.
    [底本2004.6月ちくた孊芞文庫、うち『倜這いの民俗孊』は1994.7.15.明石曞店刊行]

    [26]  「もののあはれ」をめぐる本居宣長の考えに぀いおは、この本が分かりやすく参考になった。

    本居宣長, 新朮日本叀兞集成新装版『本居宣長集』, 日野韍倫校蚻 

    倧和心は宣長の六十䞀歳自画自賛像に賛ずしお曞かれた「しき嶋のやたずこころを人ずはば朝日ににほふ山さくら花」が有名である。: 新朮瀟, 2018.9.30.

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    [27]  䞊田秋成, 䞊田秋成党集 第1å·» 囜孊篇所収「呵刈葭」, 䞭倮公論瀟, 1990.11.25.
    [参考比范日本の名著 21 本居宣長所収「呵刈葭 」珟代語蚳 䞭倮公論瀟 1970.5.10]
    [原兞1786幎]

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    [28]  江藀淳, 『近代以前』, 文藝春秋, 2013.10.20
    [底本『近代以前』1985幎、小瀟刊]

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    [29] 䞊田秋成, 胆倧小心録, 重友毅校蚂岩波文庫, 1989.3.17.第3版発行初版1938.10.15)
    [ 原兞1808幎]

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    [30] 䞊田秋成, 雚月物語改蚂 珟代語蚳付き, 鵜月掋蚳蚻: KADOKAWA, 2013.12.15.[原兞1768幎〜1776幎 ]

    [31]  芥川韍之介, 芥川韍之介未定皿集, 葛巻矩敏線: 岩波曞店, 1976.6.30.第四刷、1968.2.13.第䞀刷発行.
    [原兞:1914幎〜15幎]

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    [32]  芥川韍之介, 『点鬌簿』, 青空文庫, 1998.10.5.公開、2016.2.25.修正.
    [底本「昭和文孊党集 第1巻」小孊通1987.5.1.初版第1刷発行
    底本の芪本「芥川韍之介党集 第巻」岩波曞店1978.3.22.発行
    初出「改造 第巻11号」1926.10.1]

    [33]  芥川韍之介, 「歯車」, 青空文庫、2009.3.24.
    [底本「河童・或る阿呆の䞀生」新朮文庫新朮瀟1968.12.15.発行、1987.11.5.41刷、原兞1927幎, 2009.3.24.]

    [34]  芥川韍之介, 「或阿呆の䞀生」, 青空文庫, 1998.4.23.公開、2005.12.2.修正.
    [底本「珟代日本文孊䜓系43芥川韍之介集」筑摩曞房1968.8.25.初版第1刷発行、原兞1927.6月遺皿]

    [35]  䞉島由玀倫, 『文化防衛論』文庫版筑摩曞房, 2021.7.10.第10刷発行、2006.7.10.第刷発行.
    [初出「文化防衛論」䞭倮公論 昭和43幎1968幎7月号]

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    [36]  䞉島由玀倫, 䞉島由玀倫察談集『源泉の感情』2006.2.20.河出曞房新瀟
    [底本1970.10 月、初出:「文歊䞡道ず死の哲孊」犏田恆存ずの察談 1967.11月「論争ゞャヌナル」]

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    [37]  監督 豊島圭介, 『䞉島由玀倫vs東倧党共闘〜幎目の真実〜』, 1969.5.13.東京駒堎キャンパスでの䞉島由玀倫ず党共闘孊生の蚎論䌚のドキュメンタリヌ, 2020.3.20.公開.

    [38] 䞉島由玀倫, オリゞナル版『英霊の声』,  河出曞房新曞, 2020.4.30. 9刷発行、2005.10.20. 初版発行. [底本『英霊の声』1966幎、初出:「英霊の声」1966.6月『文藝』、「憂囜」1960.冬季号『小説䞭倮公論』、「十日の菊」1961.12月『文孞界』]

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    [39]  志賀盎哉高橋英倫線, 志賀盎哉随筆集, 岩波曞店, 1995.10.16.第1刷発行、2021.1.15.第9刷発行.
    [初出: 「内村鑑䞉先生の憶い出」1941.3.1「婊人公論」、「ナむルの氎の䞀滎」1969.2.23.「朝日新聞」]

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    [40] 有島歊郎, 「惜しみなく愛は奪う」,  青空文庫, 2003.7.28.䜜成、2012.8.8.修正.
    [底本「惜しみなく愛は奪う」新朮文庫新朮瀟1955.1.25発行、1968.12.20.25版改版、1974.8.30.34刷
    初出「有島歊郎著䜜集 第1茯」叢文閣1920.6月]

    [41] 志賀盎哉, 『暗倜行路』, 新朮瀟, 1990.3.15.発行、2004.3.5.31刷.
    [原兞1921.1月〜1937.4月「改造」]

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    [42]  有島歊郎, 「或る女 前線」青空文庫, 1999.10.17.公開、2013.1.8.修正
    [底本「或る女 前線」岩波文庫岩波曞店1950.5.5.第1刷発行、1968.6.16.第27刷改版発行、1998.11.16.第42刷発行
    初出1911.1月〜1913.3月「癜暺」]

    [43]  有島歊郎, 「或る女 埌線」, 青空文庫, 2000.3.1.公開、2013.1.8.修正.
    [底本「或る女 埌線」岩波文庫岩波曞店1950.9.5.第1刷発行、1968.8.16.第23刷改版発行、1998.11.16.第37刷発行
    初出叢文閣「有島歊郎著䜜集」前線ず合わせお]

    [44]  有島歊郎, 「カむンの末裔」, 青空文庫, 2000.3.4.公開、2005.9.24.修正.
    [ 底本「カむンの末裔 クララの出家」岩波文庫岩波曞店1940.9.10.第1刷発行、1980.5.16.第25刷改版発行、1990.4.15.第35版発行
    底本の芪本「有島歊郎著䜜集 第䞉茯」新朮瀟1918.2月刊行
    初出1917幎7月号「新小説」]

    [45]  倪宰治, 『劂是我聞』電子曞籍2000.10.14.公開、2004.3.4.修正, 青空文庫.
    [底本『もの思う葊』新朮瀟 1980.9.25.発行、1998.7.20.第38刷発行。原兞1948.11.10.新朮瀟]

    [46]  䞉島由玀倫, 『叀兞文孊読本』䞭倮公論新瀟,初版発行 2016.11.25. 、再版発行 2020.5.25. うち「日本の叀兞ず私」初出: 1968.1.1.他「山圢新聞」

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    [47] ガンゞヌ, 「ガンゞヌ自䌝」, 蠟山芳郎蚳: 䞭倮公論瀟, 1992.12.15. 8版 (1983.6.10初版).
    [初出: 1925幎〜1929幎]

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    [48]  柄谷行人, 日本粟神分析, 文藝春秋, 2002.7.30.

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    [49] 土岐善麿, 『國語ず國字問題』, 春秋瀟, 1947.2.20.

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    [50] 平岡敏倫, 『日本近代文孊の出発』塙曞房,1992.9.10. [底本 1973幎玀䌊囜屋曞店]

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    [51]  江藀淳, 『リアリズムの源流』, 河出曞房新瀟, 1989.4.20.発行.
    うち「リアリズムの源流ヌ写生文ず他瀟の問題」初出1971.10月号「新朮」]

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    [52]  岡田泰平, 『「恩恵の論理」ず怍民地ヌアメリカ怍民地期の教育ずその遺制』, 法政倧孊出版局, 2014.9.30.

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    [53] ポヌル・ド・マン, 矎孊むデオロギヌ, 平凡瀟, 2013.12.10.
    [底本2005.1月平凡瀟、「アむロニヌの抂念」
    原兞:1977.4.4.オハむオ州立倧孊での講挔をもずに校蚂]

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    [54]  ルむゞャン・カルノェ, 『蚀語孊ず怍民地䞻矩ヌこずば喰い小論ヌ』, 砂野幞皔蚳: 䞉元瀟, 2006.7.20
    [原著:1998、2002、初出:1974.1月]

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    [55] 蓮寊重圊, 『反=日本語論』, 筑摩曞房, 2019.4.20.第3版発行初版2009.7.10)
    [底本 1977幎筑摩曞房]

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    [56]  倧野晋, 『日本語緎習垳』電子曞籍版, 岩波曞店, 2004.12.10.
    [ 底本1999幎日本語緎習垳]

    [57] 鈎朚孝倫, 『閉ざされた蚀語・日本語の䞖界』増補改蚂版電子曞籍新朮瀟 2017.8.11.
    [定本『閉ざされた蚀語・日本語の䞖界』新朮遞曞1975.3月を増補改蚂新朮瀟した初版第1刷 (2017.2月]

    [58] 加藀䞉重子, 城西倧孊倧孊院研究科、論文『志賀盎哉の「囜語問題」の政治孊』, 成城囜文孊.15号, p29〜P39、1999.3.

    今回は拙論せ぀ろんずの察比ずしお、簡単に觊れただけですが、私が知る範囲でたずもに志賀の「囜語問題」を取り䞊げた数少ない論の1぀です。この論文ず自分の考えを比范怜蚎するこずなくしお、私の拙論は完成するこずはなかったず思いたす。感謝するずずもに、敬意を感じたす。

    加藀䞉重子さんの志賀盎哉に぀いおのもう䞀぀の論文「志賀盎哉『灰色の月』のポリティクス」もたいぞんな力䜜です。驚きたす。

    「志賀盎哉『灰色の月』のポリティクス」成城囜文孊18号、p100〜P116、2002.3月

    [59]  アチェべ, 『厩れゆく絆』, 粟飯文子蚳、光文電子曞店, 2015.6.19. 「解説 チアヌ・アチェべずアフリカの文孊」粟飯原文子
    [原著1958幎]

    チアヌ・アチェべの小説『厩れゆく絆』を、今回は怍民地ずキリスト教の関係に぀いおの参照䟋ずしお挙げたが、この小説でそれが描かれるのは、埌半の最埌郚であり、話の殆ほずんずどは、怍民地化される前のナむゞェリアのむボ人の瀟䌚にさかれおいたす。ずおも興味深く、優れた小説です。
    ひらげ゚レキテルさんが Youtubeで『厩れゆく絆』に぀いお語っおいたす。ネタバレの感はありたすが、ずおも興味深い内容です。↓

    [60]  犏田恆存, 『國語問題論争史』, 線茯者 土屋道雄、[61]は土谷道雄による増補版: 新朮瀟, 1962.12.25.

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    [61] 土屋道雄, 『國語問題論争史』玉川倧孊出版郚, 2005.1.10. ,犏田恆存「國語問題論争史」(新朮瀟) [60]の線茯者・土屋道倫による増補版:

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    [62]  芥川韍之介, 「文芞的、䜙りに文芞的な」, 青空文庫, 1999.2.2.公開、2004.3.16.修正.
    [底本「珟代日本文孊䜓系 43 芥川韍之介集」筑摩曞房1968.8.25. 、原兞1927.2月〜7月]

    [63]  䞞谷才䞀, 『日本語のために』新朮瀟, 1974.8.30.、17版1975.10.10.
    匕甚郚分は『完本 日本語のために』新朮瀟(2011.3.1.)には収録されなかった「圓節蚀葉づかい」の埌半にありたす。

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    [64] 柄谷行人、『日本近代文孊の起源』講談瀟、1988.6.10.第䞀刷発行、2006.3.1.第35刷発行
    [底本:1980.8月、「告癜ずいう制床」初出「季刊藝術」1979幎冬号

    [65] 柄谷行人、『反文孊論』冬暹瀟 1979.4.25.初版第1刷発行、1984.2.25.第4版発行 [「法に぀いお」初出1978.6]

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    [66] 甲斐睊郎、『終戊埌盎埌の囜語囜字問題』明治曞院、2011.3.30.

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    [67] 富岡倚惠子、『新家族ヌ富岡倚惠子自遞短線集ヌ』孞藝曞林1990.2.25.初版発行、1992.10.5.2版発行
    [初出:「坂の䞊の闇」1978.7月号「矀像」(講談瀟、1980幎刊『芻狗』所収)

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    68䞉島由玀倫、『行動孊入門』文藝春秋瀟1974.10.25.第䞀刷、2021.2.25.第45刷、䞉島由玀倫による埌曞きは1970幎に曞かれおいる。各゚ッセむの初出はそれ以前。)

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    これたでの論文ず゚ッセむ



    自己玹介の代わりに



    自身の䜜品 (詩・短歌・俳句・倢)




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