
完成したはずの30分番組 One Day その時僕はラジオの現場にいた 第一章 AD時代 第19話
これまでのOne Day
1986年、大学生だった僕は、開局間もないFM横浜の制作現場にADとして飛び込んだ。失敗を繰り返しながら仕事を覚え、遅刻したディレクターに代わって生放送を任されることもあった。取材や録音番組など、少しずつ仕事の幅を広げていった僕は、1988年、JFNの深夜番組でディレクターとしてデビューした。
とはいえ、FM横浜ではまだAD。そんな僕に、今度は好きなアーティストの特番を任される機会が巡ってきた。
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初めての録音番組ディレクターデビューは現在タレントとして活躍しているYOUさんがいたフェアチャイルド。SHI-SHONENやリアル・フィッシュで活動していた戸田誠司、ギタリストの川口浩和の3人が在籍していた。
先鋭的なサウンドに乗せたポップな感性がとても好きなバンドだった。
JFNの深夜番組で後ろにH.Hさんが付いていてくれてはいたけど、ディレクターとしてデビューした僕はそのフェアチャイルドの1stアルバムを出すタイミングで、FM横浜で特番をやることになった。
YMOに中学生の頃からどっぷりとはまっていた僕は、戸田誠司さんの大ファンだった。
どうして僕が作ることになったのか記憶が曖昧だけど、当時彼らが契約していたポニーキャニオン担当の営業部長(僕が所属していた会社)が「生番組やるようになったし妙な度胸と音楽知識があるからやらせてみよう」と後になって推薦してくれた理由を教えてくれた。
もうひたすら舞い上がっていた、どんなことをしゃべらせよう?どのように彼らとコミュニケーションを取ればいいのだろう?ワクワクと同じぐらいの不安感が録音日が近づくにつれておおきくなっていた。
録音スタジオは虎ノ門の「FMサウンズ」老舗の録音スタジオは一番大きなスタジオが選ばれていた。鳴り物入りでデビューした彼ら。当日、レコード会社の方々、所属事務所、僕がいた制作会社の人は営業部長のK.HさんとT.H社長。
社長はいつものごとくハイテンションで場を盛り上げていた。
YOUさんの話すことに対して全てに反応する。大きく笑う、手を叩く。YOUさんが「それ大事」と言ったことにえらく受けて、レコード会社や所属事務所の方々に「いやあ、名言ですね、ホントそれ大事!」を連発していた。
僕はといえば構成作家さんが付いてくれて、どのような段取りで話すのかは予め打ち合わせ通りに台本に書いてくれていた。この時の構成作家さんというのが非常に面白い人で後に作詞家になられているのだけど、その話はいずれどこかで。
YOUさんの決め台詞「それ大事」が炸裂し、大いに録音スタジオは盛り上がった。そこにいた方々全員が満足されて録音は無事終了。僕の録音番組もYOUさんに「話しやすかったです、どうもありがとう」という言葉に舞い上がった。
録音番組はこれから編集に入る。
テープに録音されたしゃべりの良いところだけを選んで、時間通りに組み立てるのだ。
番組は30分。そこにアルバムから曲を5曲かける。もちろんフルコーラスではなくて、1コーラスかけたら、しゃべりをかぶせたり、話終わりで曲のサビが立ち上がったりするような演出をしていた。
T.H社長をはじめ、K.H営業部長、事務所、レコード会社にも番組をカセットテープに落として渡した。
評判はよかった。
初めて作った録音番組としては、なかなかうまくいったのではないか。
そんな気持ちも、どこかにあったのだと思う。
そして、いよいよFM横浜への納品となった。
ドヤ顔をしていたつもりはない。
でも、たぶん少しくらいはしていたのだろう。
完成したテープを堂々と差し出した。
ところが。
「駄目。全然駄目。これはFM横浜の番組クオリティに達していない」
M.T編成部長から、強烈な駄目出しをくらった。
いくらJFNでディレクターとしてCUEを振っていたとしても、FM横浜ではまだまだ駆け出しのADに過ぎないのだ。
そんな僕が作った番組である。検聴してクオリティチェックするのは当然だ。
具体的にこと細かに教えていただいた。
しゃべりの面白さを表現するのはいい、ただ多すぎる。量的には2/3ぐらいまで削りなさい。もっと曲をシームレスにかけなさい。3曲目はしゃべりの途中から曲をながしてしゃべりが終わったところでサビの部分が出るようにすると流れがとぎれずにテンポ感がアップする。言葉と音楽を時間軸の上で組み合わせて、番組そのものにリズムを作る。
音大出であるM.T編成部長にテンポ、緩急など具体的に直す部分を指摘された。
録音の場では大いに盛り上がってはいたけど、オンエアする放送局からNGをくらったのでは見直すしかない。
今でも覚えている。
徹夜でしゃべり部分を編集し直して全体的な構成もガラッと変えた。
翌日「ご指摘の部分を見直して組み直してみました」と完パケテープ(完全パッケージのことで素材としゃべりを組み合わせたものである)を差し出した。
部長はうん?という顔をしてすぐさま検聴に入った。
30分後‘(30分番組なので)に「いいでしょう。覚えておきなさいよ、番組作りはテンポと緩急付けて聴いている人をあきないように引き付けるのだよ」
僕の録音番組ディレクターデビューは、ほろ苦いものになった。
でも、番組は完成した。
その一方で、別の場所では、もう後戻りできないところまで来ていた。
大学である。
僕は、ひとつの決断をしなければならなくなった。
One Day あの時、確かに僕はそこにいた。
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