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芋出し画像

発芋された日本の颚景日本橋高島屋やっず出䌚えた幕末・明治の絵やはり明るかった日本の颚景、そしお氎圩描写感床良しその

     本蚘事は感想の前に背景説明をいたしたす。これたで考えおいたこずを䞀぀の蚘事にたずめたのでかなり長文になりたす。

    はじめに

     衚題の矎術展を蚪問したした。この矎術展の䞻催は毎日新聞です。䞀般に新聞瀟が䞻催の堎合は

    「印象掟展」など矎術史、教科曞で誰もが知っおいるテヌマ
    しかもルノアヌルのような日本人奜みで有名な画家の䜜品が䞻䜓である
    加えお必ず目玉ずなる䜜品が少なくずも䞀぀ある

     ずいうのが兞型的な矎術展の構成ではないでしょうか。それはマヌケティング重芖です。

     ずころが、この展芧䌚は、こずごずくこの原則を砎っおいたす。
     すなわち教科曞的にはマむナヌか取り䞊げられるこずがない「近䞖日本絵画」で䞀般の人には「無名な画家」ばかり、もちろん「目玉䜜品」は皆無です。

     しかし、いずれにせよ、よくもたあこのような”無い無い尜くし”で螏み切ったものだず思いたす。

     それでは特城がないかず蚀えば、そうではありたせん。芁点を瀺すず以䞋になりたす。

    ●䜜品は、事業家高野光正氏が半生をかけお米囜、英囜で収集したコレクションの䞀郚である。
    ●蒐集した䜜品は、明治時代に日本を蚪れた倖囜人画家、西掋画を習い始めた日本人画家が描いた絵で、海倖に枡ったもの。䜜品自䜓これたで知られおいないものが倧半を占める。
    ●描いた日本人画家の名前は䞀郚知られおいるものの日本では無名の画家達で、再評䟡がたたれる。
    ●描いた堎所は、名所芳光地だけではなく、無名の堎所や人々の日垞生掻を描いたもので、倚くは珟代の日本が倱った光景である。
    ●埓来よく匕甚される油圩ではなく、倧半が氎圩画からなる。

     䟋ずしお日本人画家の名を瀺したす。

    五姓田芳柳、五姓田矩束、小山正倪郎、倧䞋藀次郎、柳高橋源吉、䞞山晩霞、五癟城文哉、小柀䞀郎チャヌルズ A. ワヌグマン、䞉宅克己、枡蟺文䞉郎、枡蟺豊州、安藀仲倪郎、満屋囜四郎、加藀英華、䞭川八郎、吉田博、小笠原豊涯、河久保正名、小林枅芪、野厎華幎、鹿子朚孟郎、本田錊吉郎、笠朚治郎吉、磯郚忠䞀、前川千垆

    䞀方、倖囜人画家は以䞋のようになりたす。

    チャヌルズ・ワヌグマン、ゞョン・ノァヌレヌ・ゞュニア、.トレヌシヌ、アルフレッド・パヌ゜ンズ、コンスタンス・フレディカ・ゎヌドンカミング、りォルタヌ・フェむン、りィリアム・シンプ゜ン、アルフレッド・むヌスト、フランク・ベレスフォヌド、ロバヌト・チャヌルズ・ゎフ、りォルタヌ・ティンデル、゚ラ・デュ・ケむン、ハリヌ・ハンフリヌ・ムヌア、モヌティマ・メンぺス、チャヌルズ・゚ドりィン・フリップ、ゞェむムズ・グレむグ

      日本人画家の䞭で教科曞レベルで知られおいるのは、小林枅芪、五姓田矩束の二人ぐらいではないでしょうか。あるいは最近知られるようになった吉田博を加えおもよいかもしれたせん。
     䞀方、倖囜人䜜家で知られおいるのは、チャヌルズ・ワヌグマン䞀人で、他は日本ではほずんど知られおいない画家ばかりです。

     以䞊、画家の名前だけみおも、いかにこれたでの矎術展ず異なっおいるかがお分かりになるでしょう。

     さお、今回の矎術展は高島屋で行われたこずもあっおか、展瀺数は115点ずいう比范的䞭芏暡の矎術展でした。

     しかし遡るこず2幎前、2021幎9月の京郜囜立近代矎術通から今幎の1月の愛媛矎術通たで、300点近くの䜜品が展瀺された倧芏暡展芧䌚が囜内䌚堎を巡回しお開催されたのです図。

    画像
    図 「発芋された日本の颚景」 展芧䌚のチラシ
    巊䞊から右ぞ、京郜䌚堎、東京䌚堎、長野䌚堎、愛媛䌚堎

     芏暡から考えるず高島屋で行われた本展芧䌚は、䞊蚘展芧䌚の姉効展のような䜍眮づけなのかもしれたせん。

     実は、私は昚幎開催の府䞭矎術通の展芧䌚に行く予定を立おおいたしたが、芋逃しおしたいたした。

     ずころが、今幎8月になっおむンスタグラムあるいはX旧ツむッタヌかもしれたせんに本矎術展の広告が盛んに出るようになり、芋逃した高野コレクションを芋るチャンスが来たずいう蚳です。

    私にずっお䜕故「明治・日本の絵」なのか

     䞊で述べたしたように、この展芧䌚では誰もが知っおいる矎術史䞊のテヌマもなければ、著名な画家、目玉ずなる名画もありたせん。ですから、近代日本矎術史の専門家ではない限り、読者のほずんどは興味を持぀こずはないだろうず掚枬したす。

     それでは、私はなぜ蚪問したのでしょうか 

     この蚘事の芋出し画像に蚘茉しおありたすように、「線スケッチ」の問題意識に基づいた感想になりたす。

     ですから、本展芧䌚のように䞀般に銎染みのない堎合、私の問題意識ず背景を述べずに感想を曞くず、内容が分かりにくくなるず思いたす。
     そこで蚘事そのでは前もっお詳しく説明するこずにいたしたす。

    「線スケッチ」の芳点で幕末・明治を芋るこれたでの詊みず玠材ぞの䞍満、初期日本人画家の生き方、圚䜏・蚪問倖囜人画家ぞの関心

     図に幕末・明治の絵に぀いおの問題意識ず私のこれたでの詊みをたずめたした。

    画像
    図 「線スケッチ」の芳点で幕末・明治を芋る

     これから述べるこずは、以前投皿した䜐䌯祐䞉展の䞋蚘の蚘事で曞いた内容ず䞀郚重なりたすが、改めお説明するこずにしたす。

    タむムスリップスケッチの詊み利点ず問題点

     たず䜕故私が幕末・明治の日本に興味を持ったのか、そのきっかけは、郜䌚やその郊倖の珟代日本の郜垂颚景を描く「街歩きスケッチ」です。
     「街歩きスケッチ」を始めおみるず、描いおいるのは珟代の颚景、颚俗になのに、県前の道路の圢状、あるいは昭和以前、時には戊前の建築物の混圚状況などから、過去の情景が浮かんできお、出来ればタむムスリップしおその堎所の圓時の情景や人々の暮らしをもっず知りたいずいう気持ちが匷くなるのです。

     実際、その気持ちが高じお、過去の情景を䜕枚かスケッチしたこずがありたす。
     さすがにタむムスリップするのは䞍可胜なので、通垞のスケッチではなく、䟿宜的に叀写真や絵画をもずにスケッチするこずになりたす。それはバヌチャルスケッチずいうべきか、タむムスリップスケッチずいうべきかもしれたせん。
     ただ自分が遞んだ構図ではないこずず、珟堎の空気感を味わうこずができない分、臚堎感に欠けるなど欠点がありたすが、それでも歎史的にいろんなこずに気づく良い点もありたす。

     ここで、10幎ほど前に実際に私が詊したタむムスリップスケッチの䞀䟋を玹介したす図。

    画像
    図「䞡囜」今昔察照江戞癟景内の写真に基づく 倧正8幎
    スケッチブック B5 ペンずむンク

     それは、倧正8幎に刊行された本、「今昔察照江戞癟景」の䞭の写真をもずに䞡囜・隅田川のタむムスリップスケッチを詊みたものです。ですから、関東倧震灜以前の光景になりたす。
     そこでわかったタむムスリップスケッチの利点ず䞍満な点を以䞋にたずめたす。

    よい点
    ●写真の堎合は、党䜓を挫然ず芋お圓時の雰囲気を感じるこずになるが、茪郭線を䞻䜓に線描するず、その光景がよりはっきりず浮かび䞊がる。
    ●事物の现郚を描くこずにより、圓時の暮らし、颚俗を身をもっお知るこずが出来る。
     䟋えばこの絵では、圓時の看板から「サクラビヌル」ずいう商品があったこず、䞉階建お朚造建築が蚱されおいたこずを知るこずが出来る。手前の氎面に4本立っおいる杭は、江戞期の「䞡囜癟本杭」の名残かもしれないなど歎史的に遡るこずが出きる。
    䞍満な点
    ●自分で描く堎所を遞ぶこずが出来ない。䞀般論で蚀うず、昔の写真は絵葉曞が倚く、名所旧跡がメむンでしかも構図がいわゆる絵葉曞の構図で面癜くない。
    ●昔のモノクロの写真は露光条件の関係からか、陰の郚分が黒぀ぶれしおいるケヌスが倚く、その郚分に䜕があるのか読み取れない。
    ●同じく黒぀ぶれの郚分が倚いせいか、写真党䜓が「暗く」、幕末、明治、倧正、昭和初期の日本の颚景は、暗くお陰鬱だず思っおしたう。

     䜙談で付け加えたすが、明治45幎から昭和17幎たで垝囜麊酒㈱が補造した「サクラビヌル」は、83幎の時を経お今幎2月にサッポロビヌルから数量限定販売されたした。なんずいう偶然でしょうか。

     なお、「䞡囜癟本杭」に぀いおは、明治初期の状況を描いた井䞊安治の「䞡囜癟本杭之景」ずいう朚版画がありたす図。

    画像
    図 井䞊安治《䞡囜癟本杭之景》
    出兞「浮䞖絵怜玢」

     䞊に瀺した私の䞡囜のタむムスリップスケッチに比べおかなりの数の杭が描かれおおり、明治初期は江戞時代の情景がなり維持されおいるこずが分かりたす。
     かくしお、幕末、明治初期・埌期、関東倧震灜以前・以埌、東京倧空襲以埌、高床成長期以埌、そしお珟圚に至るたでの東京郜垂颚景の倉化をタむムスリップスケッチを通しお理解するこずが出来るのです。

     以䞊は、叀写真を利甚する堎合ですが、油圩を甚いおもタむムスリップスケッチをするこずができたす。
     実際その䟋を䜐䌯祐䞉展の蚘事で以前玹介したした。参考たでに図に瀺したす。

    画像
    図 䜐䌯祐䞉《䞋萜合颚景》の「線スケッチ」による暡写
    スケッチブック B5 ペンずむンク
    䜐䌯祐䞉展倧阪䞭之島矎術通湿り気の無い日本颚景画は「街歩きスケッチ」のようだ。パリの郜垂画はゎッホずは真逆の筆墚文化の遺䌝子ではそのより再掲茉
    https://www.youtube.com/watch?v=NJ83lKROYOQ

     この堎合は、画家の目を通した東京郊倖の䜕気ない颚景であるこず、又絵葉曞的構図ではないので、構図の䞍満は解消されたすが、すでに時代は印象掟の時代の埌なので粗い筆のタッチが䞻流で现かい描写はなくなり、タむムスリップスケッチには向いおいたせん。
     この堎合は暡写の䞀皮ずしお䜜者の制䜜意図や描写技術の解明の参考ずしお考えた方がよさそうです。

    倖囜人画家の油圩、たたは倖囜人日本蚪問蚘の挿絵の可胜性

     䞊述のように叀写真や明治以降の日本人画家の絵が䜿えないずするず、期埅できるのは、いわゆる西掋矎術の叀兞的写実技法を甚いお日本の颚景を描いた西欧人画家の䜜品になりたす。

     これたで私は、幕末の江戞や明治初期の日本の情景の空気感を知るために、同時期に日本を蚪れた倖囜人の芳察日蚘、蚪問蚘を倚く読んできたした。

     そこで圌らが口をそろえお称えるのは日本の蟲村、郜垂江戞を問わず、その颚景の矎しさです。特に、幕末に蚪れた倖囜人は、この玠晎らしい颚景が開囜埌、西欧文明に䟵食されおいずれ倱われおしたうのではず危惧しおいたす。

     圌らの蚘述から浮かんでくるのは、緑豊かな山々や、家々の庭に花が咲き誇る蟲村の颚景であり、あるいは癟䞇郜垂江戞の、倧名屋敷の甍が䞀面䞊ぶ統䞀感のある町䞊みで、しかも倧名屋敷の倧芏暡な日本庭園が䜜り出す、庭園田園郜垂ず名付けおももよい江戞の郜垂矎です。具䜓的にどの倖囜人が指摘しおいたかは忘れたしたが、東掋のベニスず蚀っおいいほど運河が匵り巡らされた、今や倱われた氎の郜垂、江戞の景芳も付け加えおもよいかもしれたせん。

     ずころが、このような圌らの蚘述から受ける日本の颚景の印象が、幕末の叀写真はもちろん、本の挿絵に䜿われた銅版画からはたったく䌝わりたせん。それらから受ける日本の颚景の空気感がたったく異なるのです。

     䟋えば、゚メェ・アンベヌル著「絵で芋る幕末日本」講談瀟孊術文庫2004の䞭の膚倧な量の挿絵がその代衚です。

     フリヌ画像が埗られないので、間接的ですがweb䞊で芋぀かったいく぀か䟋を次に瀺したす。

    《幕末の街䞊みず倧道芞人》、《寺子屋の授業颚景》

    《蟻芞人ず刀呑み》、《䜜家》、《栌匏のある医者》、《護笊の配垃》

    1863幎スむスの䜿節団代衚ずしお日本を蚪れた゚メ・アンベヌル。玄10ケ月間の滞圚䞭、日本各地を蚪問し垰囜埌『幕末日本図絵』をパリで出版。圓時知られおいなかった日本の様子を欧州の人々に䌝えた。浅草寺 護笊の配垃の様子がむモヌタン・ゞョヌ颚。 pic.twitter.com/pF8WyntEPD

    — 異侖界 (@jippensha919) May 15, 2020

    《長厎の仏教墓地,銬の絵》

    《江戞火灜に遭った区域ず庭園,愛宕山頂から湟を臚む,将軍廟参詣》

     ご芧になっお分かるように、絵自身は现密描写で幕末日本の情景がよく捉えられおいたす。
     しかし、いかんせん西掋銅版画の堎合は、陰圱も含めお膚倧な量の線で描かれるので、画面が真っ暗で、ずおも明るい日本の光景を思い浮かべるこずができたせん。
     たた、颚景は正確に描かれおいたすが、建物は倧きさ、比率、反り曲線などがどこずなく゚キゟチックで必ずしも日本の家屋の特城を捉えおいないこず、たた人物描写も゚キゟチックさが出おいお、私はその絵の䞭に入っお共感する気持ちになれないのです。

     私が初めおたしな䟋だず思ったのは、オレむンブルク著「東アゞア遠埁図録」の挿絵です。
     今から12幎前、仙台に単身赎任しおいた時に、「日独亀流 150呚幎蚘念 オむレンブルク䌯東アゞア線成隊 ドむツ人画家による日本颚景画展」ず題する展芧䌚にドむツの遠に偶然出くわしたした。その時のブログ蚘事を䞋に瀺したす。

     圓時、ドむツの幕末埁隊が日本の颚景を描いたこずを私は知らなかったのですぐに䌚堎に入りたした。その結果、あたりの絵の質の良さに驚きたした。
     描かれたのは長厎の1䟋を陀き江戞の街で21点、䜜者はAlbert Bergその他䞀人、氎圩画家がいるらしいずいう画家です。その䜜品を芋おどのように驚いたのか、ブログ蚘事から匕甚したす。

    しかし、これは写真ではなく、版画です。いかにも、ドむツ人らしい、正確な描写ですが、しかし機械的、写真のような絵ではない。江戞の里山、田園颚景、墓地、神瀟、そしお繁華街。どれをずっおも、䞀芋無機的な線描ですが、集たるず情感がただよっおいるのです。

    おそらく、私があこがれる幕末から明治初期の東京スケッチができたならば、おそらくこのような絵になるのでは、ず思わせる線描画です。

    特に、感心したのは、人物描写です。埓来、倖囜人が描いた幕末の日本人の姿は、劙にカリカチュアか異囜情緒たっぷりに描かれおいお奜きではなかったのですが、この画家䞭略は、䜕の偏芋もなく圓時の日本人を描いおいたす。たさに、私たちが郜䌚スケッチをするのず同じ気持ではなかったかず、仲間意識を持぀ほどです。

    わたなべ・えいいちblog「オむレンブルク䌯東アゞア線成隊 ドむツ人画家による日本颚景画展」
    http://sensketch.blog56.fc2.com/blog-entry-508.html

     具䜓的に、その挿絵の䟋を瀺したす。ただし最初に瀺す2枚は圩色リ゜グラフです。

    画像
    図6  Berg《Gate at Edo Castle》 圩色リ゜グラフ
    出兞wikimedia commons, public domain
    画像
    図 日本橋付近の東海道「オむレンブルク遠埁図録」W ハむネ・A ベルク画1864-1873幎
    出兞千代田区圹所HP

     䞊に瀺した二぀の圩色リ゜グラフは、叀写真で䞍満に思っおいた点を芋事に解消しおいたす。现郚たでクリアに描写され、その臚堎感は半端ではありたせん。図は本圓に江戞の街にタむムスリップした気分になりたす。
     実際、図7《日本橋付近の東海道》の絵は、2010幎に八重掲地䞋街を歩いおいた時に壁䞀面に匕き䌞ばされたものを芋぀けブログ蚘事にしおいたす。しかし、この時はそれがオむレンブルク遠埁図録の挿絵ずは党く知りたせんでした。

     さお、私が驚いたのは以䞊の圩色リ゜グラフだけではありたせん。むしろ癜黒の線描だけの石版画です。銅版画ず違い、線の数が少なく「線スケッチ」に倧倉近い絵だったからです。

     以䞋に䟋を瀺したす。ただし、画像を盎接瀺すこずができないので、それぞれのサむトに飛んでご芧ください。

    ア江戞東京博物通所蔵の画像江戞東京博物通のデゞタル・アヌカむブでは2枚の圩色石版画、8枚の線描石版画

    む青葉叀曞店のHP4枚の線描石版画、2枚の圩色石版画

    幕末、明治初期の日本人画家達その倧胆で挑戊的な生涯ず絵画ぞの取り組み

     以䞊述べおきた「街歩きスケッチ」の芳点からの問題意識ずは別に、「線スケッチ」自身が基本的な問題を抱えおいたす。それは線スケッチ講垫ずっおはかなりクリティカルな問題です。ですから少し䞁寧に説明したいず思いたす。

     たず「線スケッチ」の名称そのものがその問題を内包しおいるこずを瀺しおいたす。「線スケッチ」はサむンペンを䜿い、茪郭線を匕いお物の圢を描く方法で、これは䞀般には「ペン画」ず蚀われるゞャンルになりたす。

     しかし「線スケッチ」では、なぜわざわざ「線」を付けるのでしょうか

     それは線の衚情「肥痩」や「スピヌド感」を重芖するからです。すなわち䜜者の気持ちをペンの動きに乗せお線の衚情を衚すのです。それは、䞁床毛筆ず墚の氎墚画ず同じで、か぀おは「東掋」の絵画技法の根幹でした。

     䞀方、䞀般にスケッチずいえば、珟代は物の立䜓および空間の拡がりを、圓たり前のように西掋画の技法を甚いお描写したす。
     「線スケッチ」においおも、透芖図法線遠近法ず陰圱および反射による圩色法を採甚しおいたす。

     しかし、この「東掋」ず「西掋」の二重性が私を悩たせるこずになりたす。なぜならば、もずもず江戞時代以前は「透芖図法」もなく、「陰圱」を぀けなくおも「絵」は成り立っおいたした北斎、広重らの遠近法の詊みや、叞銬江挢、秋田蘭画を陀きたす。  
     ずころが、西掋絵画における「透芖図法」は、倚くの初心者が習埗に手こずりたす。䜿わないで枈むのなら、その方が良いのではず思っおしたいたす。
     実際、透芖図法が䞊達すればするほど写真に近づき絵ずしおの魅力が薄れおしたいたすから。「陰圱」に぀いおも、぀けすぎるず暗くなるので、シンプルで明るさが奜きな私はやはり疑問に感じるのです。

     さお、「東掋」ず「西掋」の二重性を意識する䞭で、以前はたったく芋向きもしなかった画家、高橋由䞀や五姓田矩束らが私の芖野に入っおきたした。いわゆる幕末から明治にかけおの「掋画」のパむオニア達です。

     なお話がそれたすが、「掋画」ずは、よくよく芋るず実に奇劙な甚語です。察立する蚀葉は「日本画」ですが、䜵せお䞀蚀で「絵」ず云えないずころに、今日たで根を匕きずる日本の特殊事情がありたす。その「日本画」の幕末から明治にかけおの画家、河鍋暁斎、枡蟺省亭、柎田是真、小林枅芪そしお岡倉倩心が指導した日本画家達も東掋絵画ず西掋絵画の狭間で揺れ動いた人生を過ごしおおり同じく倧倉関心が高いのですが、ここでは觊れたせん。

     さお話を元にもどし、掋画のパむオニアの代衚ずしお高橋由䞀を䟋ずしおずりあげたす。圌の䜜品で倚くの人が思い浮かぶのは「鮭」や「花魁」、「豆腐」などの油圩だず思いたす。

     実際、これらの実物を芋たしたが、そのずきは「芋なれた西掋の油絵ずは少し違う」ずいう印象であり、「油絵を䞀生懞呜習っおここたで描いたのだな」、「教科曞の蚀う通り、なるほど」ずいう確認で終りたした。「泰西名画」叀い蚀葉ですね。ほずんど死語かもしれたせんから受ける感動はありたせんでした。

     しかし、仙台の宮城県矎術通で「山圢垂街図」を前に立っお芋た時に、突然今たで考えもしなかった思いが私を捉えたした。

    画像
    高橋由䞀 《山圢垂街図》明治14-15幎 油圩
    出兞wikimedia commons, public domain.

     たず「これはどこかで芋たこずがある」ずいう感情です。この俯瞰の芖点の高さは、広重が描く「江戞名所癟景」の絵の芖点の高さです。広重は地面に降り立った芖点で描くこずはめったにありたせん。北斎も、䟋えば「富嶜䞉十六景」では基本は俯瞰構図です。

     ですからこの絵は日本の䌝統的な構図を螏襲しおいたす。しかし、真ん䞭を貫く倧通りの「ガチ」ずもいえる䞀点透芖図法による描写ず、道路に立ち䞊ぶ建物を、透芖図法による立䜓描写だけでなく埮に入り现に入り写実的に描いおいるこず、同じく暹朚の葉の写実描写もあわせ西欧絵画の技法を駆䜿しおいるこずが分かりたす。
     䞀方、欧米の画家ならば、地平線近くの遠方は薄くするか、青みを぀けお圩色するはずですが、たるで蚘録をずるかのようにしっかりず塗っおいたす。

     そうです。これは私たちが考える「絵」ではないのかもしれたせん。事実タむトルが《山圢垂街颚景》ではなく《山圢垂街図》ずなっおいるのは偶然でしょうか おそらく「蚘録」を意識したためでしょう。しかし、それでは「絵」ずしおの意味はないのでしょうか 
     私は、本人が聞いたら䞍本意かもしれたせんが、この絵からは「ひたむきさ」を感じたす。䜕か「愚盎」ずいっおよいほどの「玔粋」なものです。画家以前の「人間臭さ」、蚘録写真では衚せない魅力を感じるのです。それは西掋絵画からは受けるこずが無い䞍思議な感情です。
     そう考えるず、それは高橋由䞀の党おの絵に共通しおいたす。

     結論を蚀うならば、それは日本の䌝統的な矎意識の䞊に、新しい絵画技術を必死に習埗しながら、ひたすら絵を䞖の䞭に問うおいく姿です。
     おそらく由䞀には芞術のために絵を描くずいう頭は぀ゆほどもなかったでしょう。むしろ習埗した絵画技術を䞖の䞭から求められれば喜んで描いたのではないかず思いたす。「山圢垂街図」もその䞀぀ではないでしょうか。

     ですから、由䞀には印象掟以埌匷くなった画家の姿、すなわち芞術にささげる個人、創造する個人の姿は感じられたせん。
     むしろ私たちはそのような芞術の立堎から由䞀の絵を芋ないほうが良いず思いたす。

     さおここで、䜜品の前に画家個人に぀いお新たな思いが湧いおきたした。偶然かもしれたせんが、高橋由䞀も掋画家を目指した五姓田矩束の父芪の芳柳も歊士階玚出身です。

     江戞幕藩䜓制が厩壊し、明治に移行する過皋で人々はどのように生きたのか 特に薩長土肥以倖の旧幕臣高橋も五姓田もそのようですは、完党に埌ろ盟を倱い、たずは生蚈をたおお行かねばならない蚳です。
     ですから、どのような思いで、油絵にたい進し、激動の時代を乗り切っおいったのか、そしおその絵画芳はどのように倉化しおいったのか、絵そのものだけでなく画家本人の人間性そしおその生涯を知りたくなっおきたした。
     おそらく倧倉なドラマが埅っおいるこずでしょう実は図曞通で高橋由䞀や五姓田芳柳・矩束の名前を冠した䞀般曞を芋かけたのですが、ただ読んでいたせん。

     䞀般に幕末・明治にかけおの人物ず蚀えば、通垞、政財界や軍人、文豪など教科曞に茉るような人々の生涯がよく知られおいたす。そしお圌らの生涯は幕末・明治人らしく波乱䞇䞈でドラマティックです。
     しかし教科曞に茉らない人々も、懞呜に激動の時代を乗り切った生涯を過ごしたはずですが、それは䞭々知るこずが出来たせん。

     話を画家に戻せば、冒頭に挙げた、今回の展芧䌚の䜜品を描いた無名の日本人画家達に぀いおも同じこずがいえたす。

     実際、この䞭で、吉田 博は、川瀬巎氎ずずもに戊前から珟圚に至るたで欧米で高い人気を誇っおいるにも関わらず、日本では没埌ほが忘れられおいる状況でした。
     実は私自身も「線スケッチ」の垫の氞沢たこず氏から「新版画」の存圚を聞いお、はじめお知ったのです。

     その埌しばらくしお吉田 博の埩暩が始たり、安氞幞䞀氏による評䌝も出版されたした。それでそれたで断片的だった吉田 博の生涯を知るこずが出来たした。

     吉田 博に぀いおは、このnoteの蚘事を始めた早々に蚘事にしたした。
    ここでは、内容を繰り返したせんが、いきなり米囜に枡り、デトロむト矎術通で展芧䌚を開き、旅費を皌いでしたうずいう明治人の倧胆な行動力に驚きたす。

     加えお、吉田博の倫人で画家の吉田ふじをに぀いおも関心をもちたした。
     もずもず二人は矩兄効ずしお展芧䌚を開き旅費を皌ぎながら欧米を数幎にわたっお回遊し、垰囜埌結婚しお劻ずなった埌もふじをは掋画家ずしお掻動を続けたす。戊埌は、ほそがそず画業を続けたすが、博が亡くなった埌、特に晩幎に䜜颚は劇的に倉化したす䞋蚘蚘事でその倉化がわかりたす。

     劇的な倉化が䜕によるのか分かりたせんが、「画家」ずいう以前に、劻ずしおどうしおも陰に隠れざるを埗ない瀟䌚的な制玄があった可胜性がありたす。圌女の心の䞭にどのような葛藀ず心の倉化があったのでしょうか。
     掋の東西を問わず「女性画家」にはそのような制玄が付きたずいたす。ベルト・モリゟやメアリヌ・カサットなど油圩で名を成した女流画家も関心がありたすが、「新版画」を䜜成するために、わざわざ日本にやっおきた知らぜらる海倖の女性画家達、䟋えば゚リザベス・キヌス、ヘレン・ハむド、バヌサ・ラムをNOTEの蚘事䞋蚘で取り䞊げたのもそのような背景があるからです。

     実は、高野コレクションの䞭に吉田ふじをの䜜品が含たれたすが、今回の展芧䌚では䜜品は出品されおいたせん。しかし私の知らなかった海倖の女性画家、゚ラ・デュ・ケむンの䜜品が出展されおいたすので、感想では觊れおみたいず思いたす。

    幕末明治の日本を蚪れた欧米人画家たち

     さお、冒頭で玹介したように、日本人画家だけでなく、海倖の画家達の䜜品が倚数出展されおいたした。幕末から明治にかけおの倖囜人画家ず云えば、日本人に西欧絵画の技法を教えたチャヌルズ・ワヌグマンや颚刺画のゞョルゞュ・ビゎヌ、挿絵画家のフェリックス・レガメ、お雇い倖囜人のアントニオ・フォンタネヌゞらは、教科曞や図曞通の本などでよく目にしたすが、圌らの日本の颚景を描いた本栌的な䜜品を芋る機䌚はめったにありたせん。

     ですから、私ずしおはそれ以䞊のこずを予想もしおいなかったのです。
     しかし今回の展芧䌚では、驚くほど倚数の倖囜人画家が明治日本を蚪れお、日本の颚景を描いおいたこずを始めお知りたした。

     圌らは短期の滞圚の䞊、䜜品を本囜に持ち垰り、海倖で販売したので日本で䜜品が知られおいなかったのも圓然だったわけです。

     どうやら、知らなかったのは専門家もそうだったようで、2021幎から今幎にかけお行われた倧芏暡展芧䌚の各矎術通の孊芞員の人びずがyou tubeに倚くの解説動画を残しおおり、圌らの興奮が芋る偎に䌝わっおきたす。

     おそらく苊劎しお調査されたのだず思いたすが、おかげで日本人画家や海倖の画家達の略歎を知るこずが出来たした。

     以䞊述べた背景を基に、高島屋の展芧䌚の䜜品に぀いお次回の蚘事そので感想を述べるこずにしたす。

    蚘事そのに続く


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    線スケッチ講垫。䞋曞きなしにペンで線描、透明氎圩で圩色。誰でも簡単に描ける方法です。 䞖田谷区, 立川、府䞭、調垃でスケッチ教宀を開催詳しくはブログを参照。 ブログhttp://sensketch.blog56.fc2.com むンスタグラム@wataei172

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