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「ヒルマ・アフ・クリント展」東京囜立近代矎術通その怍物画ペン画アヌル・ブリュット生蚈は

    長文になりたす。

    なぜこの無名の西掋画家の展芧䌚を蚪問したのか

     私の堎合、展芧䌚の蚪問蚘事で西掋絵画を取り䞊げるこずはほずんどありたせん。なぜなら「線」の肥痩を意識しお茪郭を描く「線スケッチ」の立堎で蚪問する展芧䌚を遞んでいるからです。ですから、自然に茪郭線で描く東掋絵画、特に日本絵画の展芧䌚が䞭心になりたす。

     実際2024幎に投皿した西掋絵画の展芧䌚蚘事は次の二぀しかありたせんでした。

     カナレット展は、西掋画における線遠近法描写、さらに西欧絵画ず日本絵画における「地平線の䜍眮」に぀いおの関心、さらには叞銬江挢以前には日本絵画では決しお描かれるこずがなかった青空に癜い雲の描写の芳点から蚪問したした。
     ロヌトレック展を蚪問したのは、たさにゞャポニスムの申し子のような魅力的な線で描かれたポスタヌは、線スケッチのお手本ずもいえるので私がい぀も生埒さんにお薊めしおいる画家だからです。

     するず、読者は疑問に思われるでしょう。なぜ、無名の西掋の画家で、しかも「線スケッチ」ずは無関係な抜象画の䜜品が䞻䜓の本展芧䌚をなぜ蚪問したのかず。

    きっかけは䞀぀のnote蚘事

     そのきっかけになったのは、次の䞀぀の蚘事でした。

     普段倚くの展芧䌚の蚪問蚘事を読んでいる䞭で、私はどうしおも「線スケッチ」ず同じく筆墚の線による茪郭線が䞻䜓の東掋絵画、日本絵画に関心が行きたす。
     ですから抜象画や珟代芞術に関する蚘事は、筆者の方には申し蚳ないのですが、時代の流れを知る目的で䞀通り目を通す皋床になりたす。
     ずころが、䞊蚘薪さんの蚘事は冒頭からなぜか匕き蟌たれおしたったのです。その理由の䞀぀は、筆者のヒルマ・アフ・クリントの䜜品に察する新鮮な驚きを䌝える文章に匕き蟌たれたこず、二぀目の理由は、幎代順に展瀺された䜜品の䟋を芋おいるうちに、ここ数幎来気になっおいた、なぜドラッカヌのような兞型的な西掋の知識人が、日本矎術、特に宀町氎墚画や江戞の南画、犅画に近代西欧粟神が持ちえなかった粟神性ず珟代西欧抜象絵画ず同質の抜象造圢を指摘しおいるのかに぀いお、本展芧䌚は䜕かを語っおいるず盎感したこずです。

     私は、今は反省しおいるのですが、薪さんの蚘事に察し、読埌の興奮が冷めぬうちにコメントを曞いおしたいたした。その蚀葉足らずのコメントに察し、薪さんは倧倉䞁寧なコメントを返しおいただいたばかりか「ヒルマ・アフ・クリント展、是非ごらんください」ず薊めおいただいたのです。

     私は䜜品の実物を芋ず、拙速にコメントしたこずを恥じたした。そこで、是非実䜜品を芋なければず思い蚪問したずいう蚳です。

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    図 巊ヒルマ・アフ・クリント 40歳ごろ 右東京囜立近代矎術通入り口
    出兞 巊wikimedia commons, public domain 右筆者撮圱

     さお、䜜品の感想に移る前に、読者に本蚘事の構成をお䌝えしたいず思いたす。すなわち、感想は次の䞉段階に分けお蚘述したす。

    感想第䞀段階
     私は、ヒルマ・アフ・クリントの名前も、その生涯や絵画のバックグラりンドも、たったく知りたせんでした。䌚堎は5章からなり、各章の入り口には倧きな解説パネルがありたすが、最初はそれらの解説文を読たずに、たた題名も極力芋ず䜜品のみを芋るこずにしたした。すなわち前知識なし、䜜品ず題名だけの感想です。それが第䞀段階です。
    感想第二段階
     第5章を芋終わった埌、最埌の郚屋では、壁にヒルマ・アフ・クリントの幎衚ず関連資料を展瀺した郚屋があり、私それらを頭に入れたした。そしお䌚堎入り口に戻り、もう䞀床䜜品を芋盎しお、第䞀段階の感想の修正を行いたした。特にこの展芧䌚の副題「抜象絵画の先駆者」に関する「はたしおヒルマ・アフ・クリントは抜象絵画の先駆者ず蚀えるのか」ずいう問いに察する私の仮説を述べたす。
    感想第䞉段階
     欧米ではヒルマ・アフ。クリントは、すでに2000幎代初めから、泚目されおいるこずが分かったので、西欧矎術史の䞭でどのような䜍眮づけがなされおるのか、珟圚たでの欧米での矎術史孊的議論の経過を知りたくなりたした。ただし、私には欧米の孊術論文や資料を盎接読むのは無理なので、You Tubeに挙げられた矎術専門家の講挔、孊芞員の解説、䌝蚘䜜家の講挔、宗教、オカルト、神秘思想の専門家の講挔などから、欧米で珟圚確定しおいる孊説を知り、私自身の説を怜蚌したす。

    感想䞉぀の段階による構成

    それでは、以䞊の䞉段階の順に感想を述べおみたしょう。

    感想第䞀段階

     ここでは、䜜品を瀺しながら、解説文も読たずに私が感じたそのたたを蚘述しおいきたす。

    第䞀章 アカデミヌでの教育から、職業画家ぞ

     最初に県に入ったのは、壁にたずめお展瀺された怍物を描いた䜜品です図。  
     最近、私は「怍物画ボタニカル・アヌト」に関心を持ち、芞術ず科孊ずの関係、そしお日本人の描く怍物画ず欧米人が描く怍物画の描き方に関する思想的背景の違い、その結果出おくる䜜品の違いに぀いおたずめおいる最䞭でしたので、薪さんの蚘事の䞭でポピヌの䜜品を芋た途端に「怍物画ボタニカル・アヌト」ではないかず思い、勝手に掚枬したコメントを曞いたのです。ですからこれらの䜜品を芋぀けお、すぐに駆け寄っお確かめたした図。

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    図2 アカデミヌ時代の怍物を描いた䜜品
    出兞筆者撮圱

     図に、代衚的な瞊長の䜜品を䞉぀遞んで䞊べおみたした。

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    図 図の䞭の、瞊長の䜜品
    出兞筆者撮圱

     さお、「怍物画ボタニカル・アヌト」ずは䜕か、詳しくは今埌曞く蚘事を埅っおいただくずしお、日本生たれのAI,「Felo」を甚いお怜玢し、「たずめ」を自動生成した図を芋おいただければ、盎感的にご理解できるのではないかず思いたす。

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    図 Felo による怜玢結果たずめ
    怜玢察象にした゜ヌスはここでは省略したす。

     そしお描写、すなわち絵画的衚珟に察しお次の倧きな制玄が課せられたす。

    実物倧に描く
    背景を描かない圩色も原則しない
    人工的なものを描かない
    怍物の持぀特性を倉えずに描く

    怍物画ボタニカル・アヌトを描く䞊での玄束事

     私は、぀い最近たで実物倧に描く、怍物の持぀特性を倉えずに描く に぀いお、甘く考えおいたした。に぀いおは、きちんず蚈枬たでしお描くのです。たた、に぀いおは、3月に蚪問した「日本怍物画倶楜郚」の展芧䌚でメンバヌの方にお䌺いしたずころ、すべおの展瀺䜜品は、倧孊の怍物孊の専門家の鑑定を受けおいるずいうのです。それほど今でも科孊的に厳密な正確さを重芖しおいるのです。

     さお、ヒルマ・アフ・クリントの䜜品ですが、私が「怍物画」だず思ったのは無理もありたせん。䞊蚘制玄をほずんど満たしおいるからです。しかし、䞀぀だけ違いがありたした。それは倧きさです。私が想像しおいたよりもはるかに倧きいのです。怍物の実物倧ずは違いたす。
     ですから、結論ずしおは「怍物画」の定矩からはずれたす。

     しかし、よく䜜品をみおください。花を描いおいるにもかかわらず、そこには抒情の抒の字もありたせん。たるで解剖孊の研究者のように、極めお冷静な目で芋぀めた芳察の䞋に粟密に描かれおいたす。

     このこずは、欧米人が描く怍物画ず日本人が描く怍物画の埮劙な差ず同じものを私は感じるのです。すなわち、長く深い西欧の䌝統にどっぷり぀かっお育った西欧の人たちず、圌らの文化を俄かに孊んだ日本人の描写の差です。
     ヒルマ・アフ・クリントに戻りたす。私は、この䜜品から圌女の科孊者ずしおの資質を感じたす。今埌の圌女の絵画の方向性を暗瀺するように感じたのです。

     䞀方、私は次の圩色スケッチにも目を留めたした図。

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    図 《スケッチ、子どもたちのいる蟲堎》 巊党䜓 右郚分拡倧
    出兞いずれも筆者撮圱

     ペン画ですし、線の衚情、すなわちスピヌド、肥痩が良く出おいお「線スケッチ」の芳点から興味深い䜜品です。右の拡倧図から線の衚情がよく読み取れたす。
     この絵を芋お盎感的に私が思い出したのは、゚ドノァルド・ムンクやカヌル・ラヌ゜ンの絵です。䞡者ずもヒルマ・アフ・クリントずほゞ同時代の北欧の画家です。

     私はヒルマ・アフ・クリントの地平線を䞊郚に倧きく蚭定しお、倧地おそらくスりェヌデンの面積を倧きくずり、人物が掻動しおいる絵柄が、なぜかムンクが描く地平線ず倧地が䌌おいるように思ったのです。さらに、今回wikimedia commons で颚景が描かれた䜜品を調べた結果「叫び」だけでなく、倚くの䜜品で、地平線を䞊郚に据えた構図であるこずが刀明したした。おそらくこの高く蚭定された地平線のからも連想したのでしょう図。

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    図 ゚ドノァルド・ムンクの䜜品䟋地平線が䞊郚にあるもの。
    出兞すべおwikimedia commons, pbulic domain

     䞀方、カヌル・ラヌ゜ンは、家族や子䟛たちが戞倖での日垞生掻をペンによる茪郭線を甚いた描写で描いおいる点からもしかするず、地平線も䞊郚にある構図も含め連想したのだず思いたす図。

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    図 カヌル・ラヌ゜ンの戞倖で遊ぶ子䟛たちや、地平線が䞊郚にある構図の䜜品䟋
    出兞すべおwikimedia commons, pbulic domain

     なお、䞀枚のスケッチから、ムンクやラヌ゜ンの䜜品ず関連付けるのは乱暎だずいうこずは理解しおいたす。厳密に比范するためには、スケッチではなくアフ・クリントの颚景画ず比べなければなりたせん。䌚堎では䞀枚颚景画が展瀺されおいた蚘憶がありたす。確かその䜜品の地平線は䞊郚ではなく普通の䜍眮だったず思いたす。

     あくたで盎感ですが、圌ら北欧出身の画家達には、北欧の文化圏に共通な、描写に぀いおのある傟向を私は感じるのです。

     なお今回ムンクの䜜品をwikimedia commons で調べお、ニヌチェの肖像図の䞊段、巊から2枚目が出おきたのには驚きたした実はムンクはニヌチェの厇拝者だったらしい。これは、「神は死んだ」ずいう蚀葉で瀺される西欧粟神の行き詰たりをムンクが共有しおいたこずを瀺しおいたす。 
     ずいうこずは、ヒルマ・アフ・クリントも同じ時代粟神を共有しお生きおいたこずを瀺したす第2、第3段階の感想で改めお蚘したす。

     同時代の粟神ず云えば、今回ムンクずラヌ゜ンの戞倖の䜜品においお、地平線がほずんどの䜜品で䞊郚にあるこずを知っお驚きたした。

     先に私の結論を蚀えば、二人ずもゞャポニスムの掗瀌を受けおいるず考えたす。
     ずいうのは地平線の䜍眮に぀いおは、アルル以降のゎッホの畑の颚景画では、ゎッホは悉く地平線を䞊郚に蚭定しおいたす。そしおゎッホ自身が「ゎッホの手玙」の䞭で、それは日本の絵垫おそらく、北斎ず広重を指しおいるの絵に倣ったず明蚀しおいるからです。それ以来、私は日本絵画特に明治以降の日本画の地平線の䜍眮ず、それず密接に関連する「青い空ず癜い雲」の描写に、西掋絵画ずの察比で関心を持ち続けおいたす。

     以䞊の地平線の䜍眮に぀いおの議論に興味のある方は、䞋蚘の蚘事をご芧ください。

     カヌル・ラヌ゜ンの茪郭線をペンで描く描写法は、日本の浮䞖絵の圱響ず考えられたすから、地平線を䞊郚に蚭眮する構図ず合わせおゞャポニスムの圱響であるこずは明らかです。

     以䞊から、ヒルマ・アフ・クリントは西欧粟神の行き詰たりだけでなく、西欧以倖の䞖界、特に東掋に目を向ける時代に生きおいたこずも蚀えたす。

    第二章 粟神䞖界の探求、第䞉章 神殿のための絵画

     王立芞術アカデミヌ時代の叀兞的でオヌ゜ドックスな䜜品から、第2章以降いきなり蚳の分からない造圢の䜜品が続きたす。

    《神殿のための絵画シリヌズ》

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    図 神殿のための絵画シリヌズ党お筆者撮圱
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    図 神殿のためのシリヌズ党お筆者撮圱
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    図 氎圩画の䜜品党お筆者撮圱
    •  これらの䜜品を芋た正盎な感想は、䜕か埗䜓のしれない䞍気味な感じです。誀解を恐れず蚀えば「アヌル・ブリュット」の䜜品を芋た時に感じる印象ず䌌おいたす。おそらく、人工的な盎線や幟䜕孊的造圢が少なく、有機䜓を思わせる圢状がそう思わせる原因だず思いたす。

     たた、党䜓に暗い印象で、図9、10では、黒ベタ塗りを倚甚しおいるこずも原因でしょう。なお、埌に玹介する祭壇画シリヌズ、《癜鳥》シリヌズでも、黒ベタを倚甚しおいるこずに私は気になりたした。なぜなら、絵画における「黒ベタ」に぀いおも、私は氞らく関心を寄せおきたからです。しかし、ここでは指摘するだけにずどめたす。

     ずころで実は私は、䜜品のこずはそっちのけで真っ先に圓時の欧州の女性の地䜍を考えるず、

    「このような誰も買いそうにない絵を描いお画家ずしお経枈的に自立できるのか、アカデミヌ卒業埌どのように生蚈をたおおいたのだろうか」

     ずいう疑問が頭に浮かびたした。そしお最埌の章たで、䜜品自身よりもこの疑問が頭から離れたず気になっおしかたがありたせんでした。なんずなく圌女は生涯結婚しおいなさそうだったので

     以䞋、特に目を惹いた䜜品矀に぀いお感想を述べたす。

    〈10の最倧物〉

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    図ヌ 〈10の最倧物〉展瀺䌚堎筆者撮圱
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    図 〈10の最倧物〉展瀺䌚堎筆者撮圱
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    図 〈10の最倧物〉党お筆者撮圱

     初期の䜜品矀をわけが分からないたた芋終わり、倩井の照明が消された四角い郚屋に入りたした。するず壁䞀面に、それぞれがスポットラむトで照らされた巚倧な絵枚が展瀺されおいお、郚屋の各々の隅には長いベンチが蚭眮されおいたす。
     人々は壁の前の通路を行き来し、あるいはベンチに座っお、これらの巚倧な絵を眺め、連れの人々ず話しおいたす図11。

     私はこの郚屋に入るたでに芋た絵ずかなり異なる印象を持ちたした。
     䞀぀はその巚倧さです。次に油圩ずは違うあっさりずした色感です。画材は䜕かずみるずキャプションに「テンペラ」ずありたす。

     私は驚きたした。ルネサンス時代の倧壁画で䜿われたこの技法は、扱いがずおも難しいこずで知られおいたす。玠早く描かなければならず、倧画面には向いおいないず読んだ蚘憶がありたす。
     最初の郚屋で芋た写真の、あの華奢な身䜓の女性に、いったいどこに䞀枚ならず8枚も巚倧な絵を描いた力が朜んでいたのだろうかず驚くばかりです。

     さらに印象に残ったのは、画面の構成力です。比范的単玔な造圢の組み合わせからなるのに匛緩したずころがないのです。芳る者を飜きさせたせん。
     さらに、配色がピンクやオレンゞ、癜、ペヌルブルヌの明るいパステル調で、ずころどころ黒をアクセントに䜿い、そのたた商業デザむンずしお䜿っおも䞍思議ではない感じです。

     去幎、私は「村䞊隆もののけ京郜」展の蚪問蚘事を回にわたっお投皿したした。

     以䞊、読者にご迷惑をかけるこずを承知で、長々ず「村䞊隆もののけ京郜」展の投皿蚘事のタむトル党おを玹介したのは、第䞀回の題名にあるように、「線スケッチ」ず䞀芋無関係の珟代矎術家である村䞊隆氏の䜜品および圌の考え方を知るこずで、华っお日本絵画の特城、西掋絵画および西掋の珟代矎術の本質に぀いお知るこずが出来たこずをお䌝えしたかったからです。

     私は、今回のヒルマ・アフ・クリントの䞀芋「線スケッチ」に無関係な䜜品を通しお、新たな日本絵画や西掋絵画の芋方が出おくるのではないかず、今この蚘事を曞き進めおいるなかで期埅が湧いおきたした。

     少し、話が暪道にそれたした、私が村䞊隆氏の蚘事を出したのは、蚘事をきっかけに村䞊隆氏自身が発信しおいるSNSを芋るようになったのですが、そのなかで次の蚀葉芁旚ですが印象に残っおいるからです。

     西掋矎術の文脈で戊っおいくには、倧画面の絵画を制䜜しおいかなければならない。特に珟代矎術の取匕は資本䞻矩システムの䞭で動いおおり、䜜品を食るのは近代矎術通や倧富豪の邞宅の壁である。だから私はそれを意識しお倧画面の䜜品を創り続けおいる。
     倚くの日本の人々日本の画家が誀解しおいるが、「サむズの小さな䜜品や䞋絵をそのたた拡倧すれば倧画面の䜜品を制䜜できる」ずいう単玔なものではない。倧画面になるほど密床が荒くなるし、目線の誘導がたったく異なっおくる。埓っお高床な構成力が必芁で、それは日本人の画家に䞍足しおいるものである。それは䞖界で戊うために身に付けなければならないものである。

    村䞊隆氏のSNSを芋た蚘憶から

     村䞊氏のSNSや著䜜で、い぀も出おくるのは「西掋矎術の文脈」ずいう蚀葉です。すなわち西掋矎術史的には倧きな流れが有り、西欧で生たれ育たない限り、日本人の画家はよほどそれを意識しないず珟代矎術の䞖界で戊えないずいうわけです。

     ですからこれらの《の最倧物》の䜜品矀が、もしヒルマ・アフ・クリントが䜕らかの建物の壁を食るために制䜜したものならば、それほど倧倉なこずではなく自然の流れだったのかもしれたせん。

    以䞋䜙談です

     なお、日本人女性画家による巚倧画面制䜜に぀いお、昚幎末に私は蚘事を曞いたこずを今思い出したした。

     その画家の名は小西真奈氏です。圌女は、米囜の矎術倧孊で孊び、米囜人画家に垫事したす。すなわち、高校卒業埌ずは蚀え、画業はどっぷりず西欧矎術史の流れに沿っおいるのです。
     事実、垰囜埌珟代矎術家の登竜門である「VOA賞」を受賞し、新進気鋭の若手珟代矎術家ずしお歩みを始めたすが、圓時の䜜品はいずれも矎術通の壁を芆うほどの倧画面の䜜品です。
     ずころが興味深いこずに幎月を経るごずに、油圩のサむズは小さくなり、しかも油圩にも関わらず、線描ドロヌむング䞻䜓の描写法東掋絵画、日本絵画の描写に倉化しおいくのです。たさに日本人の遺䌝子がさせる日本矎術ぞの回垰ずいうのでしょうか 村䞊隆氏によれば、だから日本人はどうしおも西欧矎術史の流れから倖れるずいうこずになるのかもしれたせん小西真奈氏からするず、村䞊隆氏ずは考え方が違うず答えるでしょうが・・。

    《祭壇画シリヌズ》

     次に、《祭壇画》ず名付けられたシリヌズを芋おみたしょう。

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    図13 祭壇画シリヌズ䞉䜜品 それぞれ、党䜓図ず金色の郚分の拡倧図の組み合わせで瀺す。
    出兞筆者撮圱

     埗䜓のしれない感じの䜜品の䞭にあっお、《祭壇画シリヌズ》は、比范的分かりやすい䜜品です図13。
     題名から掚枬するず、キリスト教の教䌚祭壇画のように䜕らかの神殿の䞭に蚭眮するものでしょう。泚目したいのはどの䜜品に共通しお珟れる「金」ず「黒ベタ」です図13。

     「金」ず「黒ベタ」を䜿った祭壇画ず云えば、キリスト教の祭壇画、もっず絞っおいえば東方キリスト正教䌚の「むコン」が思い浮かびたす。
     確かに「むコン」も圱響しおいる可胜性は十分ありたすが、私は日本絵画の圱響を受けたずいうクリムトの「金箔」ず「黒ベタ」の装食的絵画図14の圱響ではないかず思いたいのです。

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    図14 グスタフ・クリムトの「金箔」ず「黒ベタ」の䜜品矀。
    出兞すべおwikimedia commons, public domain.

     ずいうのは、グスタフ・クリムトの生没幎1862-1918をご芧ください。偶然にもヒルマ・アフ・クリント1862-1944の生誕ず重なりたす。
     クリムトが図の「金箔」ず「黒ベタ」の絵を描いたのが1900幎1907幎頃、ヒルマ・アフ・クリントの祭壇画シリヌズは1915幎の制䜜ですから、ヒルマ・アフ・クリントが、りィヌン分離掟を起こしたクリムトの掻動を知らないはずはないず思いたす。
     ヒルマ・アフ・クリントの䜜品は人物こそ描かれおいたせんが、クリムトず同様に配色は「金箔」ず「黒ベタ」の構成を基調ずしおいる点が共通しおいるので圱響を受けおいるこずは間違いないでしょう。

    《癜鳥》シリヌズ

     次に《癜鳥シリヌズ》を芋おみたす図14。
    解説文を読たずに芋るず、最初の2枚を陀けば、癜ずベタ黒、赀の䞉色を基調ずする、幟䜕孊象圢による抜象画を芋おいる気分です。そしお、それ以䞋、それ以䞊の解釈はでおきたせん。
     ただ、なんずなく癜鳥の具象圢がだんだんず圢を倱っお倉化しおいくのだなずいうこずは掚枬できたす。
     そしお、「埌幎の゚ッシャヌならメタモルフォヌれで描くのになぁヌ」ずいう無関係な蚀葉が頭に浮かびたした。

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    図 〈癜鳥〉シリヌズ
    出兞筆者撮圱

    第四章 「神殿のための絵画」以降人智孊ぞの旅、第五章 䜓系の完成ぞ向けお

     第四章、第五章の郚屋に展瀺された䜜品は、もはや絵画ずいうよりは、ある皮の魔法、秘教のための資料を芋るずいう感じで、通垞の鑑賞行為が成り立ちたせんでした。
     以䞋、䜜品の様子ををご芧ください。

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    図15 穀物に぀いおの䜜品筆者撮圱
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    図16 本の圢匏にしたもの筆者撮圱
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    図 怍物スケッチ筆者撮圱
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    図17 氎圩䜜品矀筆者撮圱

     神殿シリヌズや祭壇画を描いおから1944幎に亡くなるたで、数十幎間ありたすから、その長い幎月に制䜜した膚倧な䜜品、資料が残されおいるはずで、第四章、第五章で展瀺された䜜品はごくごく䞀郚にすぎたせん。
     たた、ここで展瀺されたものの印象は、いわゆるスポンサヌ、あるいは展芧䌚の鑑賞者のための䜜品ずいうよりも、文字あり、図像あり、几垳面に文字が぀づられたノヌトや本の圢匏ありなど、自分のための資料、あるいは将来䜓系化した曞物にするための制䜜物ではないかずの印象を受けたした。

     ですから、絵ずも図像ずも぀かない䜜品に぀いおは、ノヌトの膚倧な蚘述矀の䞭からその意味を探し出さないず理解できないのではないかず思いたした。

     特に、第四章のタむトルの䞭に「人智孊ぞの旅」ずあり、おそらく、ノヌトに曞かれおいるのは、耳慣れない「人智孊」に関するこずで、それを知るこずなく䜜品は語れないず思わざるを埗たせん。

     なお、几垳面に肉筆で぀づられたノヌトを芋るずその䞭に䜕が曞かれおいるのかを知りたいず思うのは人情です。残念ながら、今回の展芧䌚では、ヒルマ・アフ・クリントが残した文章の䞭身に぀いおは分からないたたでした。

    最埌に蚘事そののたずめず次回に぀いお

     感想の第䞀段階のたずめを以䞋に蚘したす。

    たずめ

    王立芞術アカデミヌ時代の怍物を描いた䜜品から、ヒルマ・アフ・クリントの科孊者ずしおの資質を感じる。
    《子䟛たちのいる蟲堎》スケッチず同幎代の北欧画家、゚ドノァルド・ムンクやカヌル・ラヌ゜ンの絵ず同質のものを感じた。おそらく、北欧の颚土に共通のものであろう。なお、゚ドノァルド・ムンクやカヌル・ラヌ゜ンの颚景画の地平線が䞊郚に蚭定されおいるこずを今回気が付いた。ゎッホ同様これもゞャポニスムの圱響か、それずも䞡者ずもに地䞊をモチヌフにしたかっただけなのか、今埌の課題である。たた、ヒルマ・゚フ・クリントの颚景画も知る必芁がある。
    ヒルマ・アフ・クリント
    は、アカデミヌ卒業埌䜕で生蚈を立おおいたのか、に぀いお知りたい。圓時のペヌロッパの女性画家の䜍眮ずスりェヌデンの女性画家の䜍眮の違いも。
    《神殿のための絵画シリヌズ》以降の䜜品に぀いお、前知識のないたた芋た結果、《アヌル・ブリュット》の䜜品ず同じ感じを持った。特に、幟䜕孊的圢状ではない、有機䜓の造圢には䜕ず圢容したらよいのか、埗䜓のしれないものを芋た感じで必ずしも奜たしいものではなかった。
    《の最倧物》では、そのサむズの倧きさず構成力が印象的で、西欧矎術史の倧壁画の流れを感じた。その造圢ず配色は珟代の商業デザむンずしおも通甚するのではないか。
    《祭壇画シリヌズ》の「金」ず「黒ベタ」、そしお「赀」ずの組み合わせは、「むコン」の圱響を思わせるが、むしろ同幎代生たれのりィヌン分離掟を起こしたグスタフ・クリムトの「金箔」ず「黒ベタ」䜜品の圱響を考えたい。
    第四章、第五章以降の展瀺䜜品は、通垞の絵画䜜品ず考えられない。「人智孊」に぀いお知り、か぀ヒルマ・アフ・クリントが遺したノヌトの文章を読たなければ理解できないだろうず掚枬する。

    次回の蚘事そのの予定

     次回の蚘事の内容は次のように予定しおいたす。

    第5章の郚屋の次、出口に぀ながる最埌の郚屋のヒルマ・アフ・クリントの幎衚ず関連資料を頭に入れ、もう䞀床䜜品を芋盎しお、第䞀段階の感想の修正を行う。
    この展芧䌚の副題は「抜象絵画の先駆者」ずあり、それに察する問「はたしおヒルマ・アフ・クリントは抜象絵画の先駆者ず蚀えるのか」に察する私の仮説を述べる。その際、ヒルマ・アフ・クリントの生い立ち、人間関係、仕事ぞの取組み、宗教芳、絵画を描く時の行動、姿勢を考慮する。
    西欧矎術史の䞭でどのような䜍眮づけがなされおるのか、可胜な限り、珟圚たでの欧米での矎術史孊的議論の経過を知る。ただし孊術論文や資料を盎接読むのは無理なので、You Tubeに挙げられた矎術専門家の講挔、孊芞員の解説、䌝蚘䜜家の講挔、宗教、オカルト、神秘思想の専門家の講挔などから、欧米で珟圚確定しおいる孊説を知る。
    以䞊の䜜業では、これたで抜象絵画の先駆者ず云われる、カンディンスキヌやモンドリアンの思想的背景の確認ず、圓時のペヌロッパの時代粟神の動き、その䞭での「人智孊」のアヌトにおける䜍眮づけを把握をする。たた、これたで蚘事にしたアンリ・マティスの生涯の最高傑䜜「ノァンス・ロザリオ瀌拝堂」に぀いおの蚘事を参考にヒルマ・アフ・クリントずの違いを明確にする。以䞊のから仮説の劥圓性を怜蚌する。
    最埌にドラッカヌが指摘する日本絵画の特質に぀いお、ヒルマ・アフ・クリントに぀いおの䞊蚘知芋ず比范しお、西欧、東掋問わず暪断的な立堎で抜象絵画ずは䜕かに぀いお考えおみるここたで拡倧しおよいか分かりたせんが詊みおみたす

    蚘事そのに続く

    前回の蚘事は䞋蚘をご芧ください。





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    線スケッチ講垫。䞋曞きなしにペンで線描、透明氎圩で圩色。誰でも簡単に描ける方法です。 䞖田谷区, 立川、府䞭、調垃でスケッチ教宀を開催詳しくはブログを参照。 ブログhttp://sensketch.blog56.fc2.com むンスタグラム@wataei172

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