
ブルゴーニュのワイン農家で暮らして知ったこと|戦争、女性、助け合い、受け継がれる120年『日経xwoman Terrace』寄稿文
※本記事は、2021年2月10日付『日経xwoman Terrace』に寄稿した記事を転載・改訂したものです。
ブルゴーニュのワイン造りの歴史は、単なる技術の進化だけではなく、そこで暮らす人々の生き方や社会の変化とも深く結びついる。ここでは、戦後の身近なブルゴーニュ農家の暮らしを振り返ってみたい。
Chevrot家の起源と初代の努力
Chevrot家は、私の息子の世代で5代目となる、約120年続くブルゴーニュのブドウ栽培・ワイン醸造農家である。といっても、120年というと、ブルゴーニュではあまり古い歴史ではない。初代は他の農家で働きながら、自身のブドウ畑を少しずつ増やし、仕事の合間や週末に畑を耕していた。
当時の農家の暮らし
当時は現代のような35時間労働制などなく、村から出ることも滅多になかった。娯楽も限られており、生活の多くの時間が労働に費やされていた。自家消費用の野菜を育てたり、近所の畜産農家から肉を得ることは日常の一部だった。物々交換がよく行われていたこともあり、現金がそれほど必要ではなく、自家消費用のワインを作ることもあったのではないか。
戦争と農家の変化
この100年の間に、フランスは第二次世界大戦を経験している。時折、ワイン蔵の中から戦争の遺品が出てくる。当時、男性は戦争に駆り出され、村には女性、子供、老人、病人だけが残された。トラクターもなく、農家の女性たちは長いスカートを翻しながら馬を操り、畑を耕していた。彼女たちは男性不在の間、農作業をこなしながら農家の技術を学び、経営を切り盛りした。現代的な道具のない時代、彼女たちの働きぶりはまさに偉業だった。そして、戦後、多くの男性が戻った時には、すでに妻が主導権を握っていたという話も聞いたことがある。
マダム・ムレイの思い出
私の住むブルゴーニュの小さな村に、友人であり、村の最年長者(96歳)だったマダム・ムレイが住んでいた。彼女は13歳の時、村のブドウ農家の長男と大恋愛の末、パリから嫁いできたそうだ。96年前、まだ化学合成の農薬は存在せず、私は彼女に当時どのようにブドウを病気から守っていたのかを尋ねたことがある。彼女の答えは意外だった。
「あなた!ブドウが病気にやられたら、それで終わりよ!ワインは作れないし、収入がないから新しいコートも買えない。あるもので暮らすしかないのよ!」
助け合いの精神と現代農業
その時代、銀行も保険も庶民には縁遠い存在だった。お金に困った時は、近所を頼り、互いに助け合って生きていた。そのため、傲慢で自己中心的な農民は少なかった。今でもその助け合いの精神は村の組合に息づいており、働き盛りの農民が病気になったり亡くなったりすると、村中で農作業を手伝う風習が残っている。
この助け合いの精神は、今日ではサン・ヴァンサン・トゥルナントのワイン祭りという形で続いている。毎年、異なる村が当番となり、ブルゴーニュのワイン生産者や愛好家が一堂に会し、地域の結束を祝う。2026年1月24、25日のサン・ヴァンサンのワイン祭りは、我が村のAOPマランジュで行われる予定である。
一方で、現代の農家は銀行から資金を借り、ブドウ栽培やワイン醸造に先行投資できるようになった。しかし、その返済に追われる生活が生まれた。物質的には豊かになったが、精神的な豊かさはどうだろうか?
マダム・ムレイへの追悼
私の技術&生活アドバイザーであったマダム・ムレイは、2020年末に天へ旅立った。20年ぶりに最愛のムッシューと天国で再会し、きっと賑やかに仲良く過ごしていることだろう。健康で長生きすることは、自分だけでなく、周囲の人への大きな贈り物となる。最後まで元気で、明るく、チャーミングだったマダム・ムレイのように、私も歳を重ねていきたいと思う。