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アンリ・ジャイエ ― 伝説のピノ・ノワールを生んだ男、その哲学と情熱 『日経xwoman Terrace』寄稿文

    ※本記事は、2022年12月22日付『日経xwoman Terrace』に寄稿した記事を転載・改訂したものです。

    ワインの奥深さに触れる

    ワインに惹かれる理由は人それぞれである。ラベルの美しさ、味わいの記憶、大切な人と過ごした時間─理由は違えど、ワインを飲み慣れてくると、その背景にある「物語」や「人物」にも自然と興味が湧いてくるものである。

    その中でも、ブルゴーニュで伝説のピノ・ノワールを生み出した男、アンリ・ジャイエという存在は、ワインラバーにとって知っておく価値がある。今回は、彼の足跡と、後世に語り継がれるワインの真髄を紐解いていく。

    100年目の追悼:幻のワインが再び陽の目を浴びる

    2022年11月18日。オスピス・ド・ボーヌのワインのオークションに先立ち、競売人アレクサンドル・ランドレによって34本のジャイエのワインが、フランスの銀行跡の会場にて競売にかけられた。

    出品されたのは、1959年のリシュブール、1995年のヴォーヌ・ロマネ「クロ・パラントゥー」、1977年の「オー・ブリュレ」など、20のロットに分けられた希少なヴィンテージたち。どれも世界のワイン愛好家が夢に見る逸品ばかりであった。

    これらの多くは、2018年にジャイエの娘たちによってスイス・ジュネーヴのオークションに出されたコレクションの一部と見られている。その数、実に1064本。総額約39億円(2022年12月22日)。偉大な遺産が市場に放たれた瞬間であった。

    アンリ・ジャイエという人物

    アンリ・ジャイエは1922年、ブルゴーニュ地方ヴォーヌ・ロマネ村に生を受けた。周囲に広がるブドウ畑は、幼少期の彼にとってまさに宝石のような存在であり、自然とワイン造りに魅了されていった。

    1940年代には、家の近所の大学教授に誘われてディジョン大学で醸造学を学ぶ。当時から彼の才能は際立っており、「畑を見ればワインの未来がわかる」と人々を驚かせていたという。

    哲学と革新:自然への敬意が生んだワイン造り

    「ワイン造りは畑から始まる」─この信念を胸に、ジャイエは有機的で丁寧なブドウ栽培に取り組んだ。化学合成薬品の大量使用には反対し、耕作による雑草管理を推進。低収量で高品質を目指す姿勢を貫いた。

    収穫後の手法にも独自の美学があった。除梗を徹底し、低温浸漬を取り入れることで、果実味とアロマ、色彩のバランスを最大限に引き出した。さらに、ろ過を行わず、樽から直接瓶詰めすることで、ワインの本質をそのまま封じ込めた。

    伝説の畑「クロ・パラントゥー」

    ジャイエの名声を決定づけたのが、わずか1.01ヘクタールの小さな区画「クロ・パラントゥー」である。貧しい土壌、冷涼な気候、そして手間ばかりがかかると敬遠されていたこの地で、彼は真の品質向上を実現した。

    マダム・カミュゼとの協力のもと、戦時中にアーティチョークが植えられていた畑をブドウ畑へと蘇らせ、自らの哲学を注ぎ込んだ。収穫の半分と引き換えにこの畑を預かり、後に少しずつ購入しながら伝説のワインを生み出していったのである。

    このワインは、アメリカ市場の専門家たちを唸らせ、瞬く間に神話となった。

    (以下は、その後のメオ・カミュゼとのストーリー)

    その精神は、今も生き続ける

    2006年、アンリ・ジャイエは静かにこの世を去った。しかし、その精神は今もなお、ブルゴーニュのみならず世界中のワイン生産者の中に脈々と息づいている。

    彼が教えてくれるのは、ワイン造りの技術だけではない。「選んだ道を信じること」「状況を観察し、考え、行動すること」「本質を見極め、素直であること」─これらの姿勢が、ワイン以外の分野でも実りをもたらすことを示してくれている。

    仕事を愛することの意味

    ジャイエは言った。「パッションを感じる仕事を選んで幸福だった」と。しかし、実際には情熱を注ぎ続けたからこそ、その仕事が面白くなったのではないか─そう感じずにはいられない。

    どんな仕事も尊く、どんな仕事も、心を傾ければ道は拓ける。アンリ・ジャイエの人生は、そのことを静かに、しかし力強く教えてくれる。

    本稿は、公開されている情報や資料をもとに、その魅力を紹介しています。

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