
ドメーヌ・ロランゾン(ロレンゾン)|ミシュラングレープ2を獲得した、メルキュレイの完璧主義者 ブリュノ・ロランゾン(Bruno Lorenzon)
2026年FIFAワールドカップで見せたリオネル・メッシのプレーは、多くの人の記憶に残るものとなった。
準決勝のイングランド戦でも、彼はまるで目が六つあるのではないかと思わせる広い視野でピッチ全体を捉え、試合終盤には決勝点につながる正確なボールを送り込んだ。アルゼンチンは2対1で逆転し、決勝進出を果たした。
メッシは、ボールを持つ前から、次に何が起こるのかを見ている。
味方と相手の動きを読み、ほんのわずかな空間へ、最も正確なタイミングでボールを通す。
そのプレーを見ていると、才能とは、ほかの人には見えていないものを見る力なのではないかと思う。
けれども、才能は生まれ持ったものだけではない。
長い時間をかけて育てられ、磨かれ、最後には、難しいことをいとも簡単なことのように見せてしまう。
ワインの世界にも、そうした才能がある。
人は、才能を愛する
そのことを私に強く感じさせる人物が、コート・シャロネーズのメルキュレイでワインを造る、ブリュノ・ロランゾン(Bruno Lorenzon、日本では英語読みの「ロレンゾン」と表記されることもある)だ。
2026年7月、ミシュランはブルゴーニュを対象に、初めてのワイン評価「ミシュラングレープ(Michelin Grapes)」を発表した。
ドメーヌ・ロランゾンは、最高位の三つに次ぐ「ミシュラン・グレープ2」を獲得した。
同じ評価には、デュジャック、ルフレーヴ、コント・ラフォンといった、ブルゴーニュを代表する名が並ぶ。その中で、コート・シャロネーズから選ばれたのは、メルキュレイのブリュノ・ロランゾンと、リュリーのデュルイユ・ジャンティアルの二軒だった。
ミシュランは、ブリュノの高密植栽培、樽工房で自ら造る樽、そして精密な醸造を挙げ、彼の妥協のない仕事によって、ドメーヌがメルキュレイの基準を作る存在になったと評価している。
これは、単なる新しい勲章ではない。
長い時間をかけて磨かれてきた一人の才能が、ようやく世界の評価によって可視化された瞬間だったのだと思う。

三代かけて育つ感性
フランスでは、料理界の天才は三代かけて育つ、と語られることがある。
一代目が基礎を築き、二代目が文化を知り、三代目になって初めて、幼い頃から身につけた感性を自由に表現できる、という意味なのだろう。
もちろん、才能をDNAだけで説明することはできない。
むしろ重要なのは、幼い頃から何を見て、何を聞き、何に触れて育ったかという環境だ。
料理人の家に育つ子どもは、食卓に並ぶ料理だけを見ているのではない。
食材を選ぶ目、火を入れる音、香りが変わる瞬間、大人たちの会話、客の表情まで、知らず知らずのうちに身体へ取り込んでいく。
いわば、感覚を育てるための恵まれた環境である。
それはワインの世界にも言える。
ブリュノは、メルキュレイのワイン農家に生まれた三代目のヴィニュロンだ。
畑は、彼にとって仕事場である以前に、幼い頃から見続けてきた風景だった。
季節によって変わる土の匂い。
雨が近づく空気。
ブドウの葉の色。
収穫を前にした家族や働く人々の緊張。
そうしたものを、言葉として教わるより先に、身体で覚えてきたのだろう。
祖父の代から受け継がれてきた、除草剤や合成資材に頼らず、自然からのメッセージを尊重する畑仕事も、彼のワイン造りの土台となっている。
その上に、ニュージーランドや南アフリカで得た国際的な経験と、自ら考え抜いた技術を積み重ねてきた。
受け継いだものを、そのまま繰り返したのではない。
伝統を理解したうえで、自分の世代にできるところまで精度を高めた。
そこに、ブリュノの才能がある。
黄金丘陵から少し離れた場所で
ブリュノが生まれたメルキュレイは、ブルゴーニュの名高い黄金の丘、コート・ドールから少し南へ離れたコート・シャロネーズにある。
ブルゴーニュと聞けば、多くの人がロマネ・コンティ、ジュヴレ・シャンベルタン、ムルソー、モンラッシェといった名を思い浮かべるだろう。
けれども、この地方には、世界的にはまだ十分に知られていない村のワインが数多くある。
私がブルゴーニュに来て知ったことの一つは、そうした村に生まれた生産者たちが、必ずしも著名な村のワインをまねしようとは思っていないことだった。
メルキュレイを、ヴォーヌ・ロマネのようにしたいわけではない。
モンタニーを、ムルソーのようにしたいわけでもない。
自分たちは、この土地を守り、その土地にしかないものを、最も純粋な形で次の世代へ伝える。
彼らは、そうした使命を持っている。
だから、名声の大きさとは関係なく、同じように高い志でワインを造っている。
むしろプロとして興味深いのは、こうしたテロワールのワインだ。
すでに評価が定まりきった村ではなく、優れた造り手の才能によって、土地の価値そのものが純粋に見直されているからである。
今回、ミシュランがブリュノを選んだことは、一人の生産者だけでなく、メルキュレイ、そしてコート・シャロネーズの可能性を示した出来事でもあった。

ラグビー選手の身体と、F1ドライバーの眼差し
初めてブリュノに会ったとき、まず目に入ったのは、その引き締まった身体だった。
本人は、長年ラグビーを続けてきた。
力強く、地面をしっかりと踏みしめるような立ち姿には、確かにラグビー選手らしさがある。
けれども、話を聞き、彼の仕事を見ているうちに、私はむしろF1ドライバーに近い印象を持つようになった。
それも、アイルトン・セナである。
セナは、ただ速く走ることのできるドライバーではなかった。
車の状態を繊細に感じ取り、エンジニアや職人と話し合い、勝つために必要なわずかな差を追い続けた。
F1では、一秒の差は大差である。
頂点に近づけば近づくほど、改善できるのは大きな部分ではなくなる。
エンジンのわずかな調整。
空気抵抗。
タイヤの温度。
ドライバーの姿勢。
ピット作業の一瞬。
すべてがすでに高い水準にあるからこそ、勝負は誰も気づかないほど細かな部分に移っていく。

そして、「天才とは、誰よりも細部を磨く人」。
ブルゴーニュのワイン造りも、それに似ている。
何世紀にもわたって、畑の区画、ブドウ品種、剪定、醸造、熟成について考え抜かれてきた。
この地では、ワイン造りの基本は、すでに完成の域にある。
だから、毎年の改良は、突然すべてを変えるようなものではない。
一本のナイフを、さらに鋭く研いでいくような詳細な仕事になる。
枝を一本多く残すのか。
葉を一枚取るのか。
ブドウをいつ何時に摘むのか。
果実やマストを何度に保つのか。
樽材を森のどこから選び、どのくらい乾燥させるのか。
樽の火をどの程度入れるのか。
その違いは、外から見ればわずかなものだ。
しかし、最終的に生まれるワインには、そのわずかな判断の積み重ねが表れる。
ブリュノは、まさにその一秒を縮め続ける人である。
一本の樹から考える
彼の完璧主義は、畑から始まる。
ブリュノは、区画によって1ヘクタール当たり1万4,000本から2万本という高密植を行っている。
一般的な栽培よりも多くのブドウ樹を植えることで、一本一本の樹を競わせ、根を深く伸ばし、少ない果実にエネルギーを集中させる。
ただし、密植すればよいという単純な話ではない。
樹が増えれば、風通し、湿度、葉の量、光の入り方、土中の水分を、さらに細かく管理しなければならない。
ブリュノは枝と葉の数を管理し、樹高を高く取り、通常より多くのワイヤーを使って葉を整える。
果房を強すぎる直射日光から守りながら、光合成に必要な葉面積を確保する。
地上の葉と、地下の根。
ブドウの樹と、土壌の微生物。
水分を保つ草と、排水。
一つだけを強くするのではなく、すべてのバランスを取る。
その結果、収穫時に厳しい選果をほとんど必要としないほど、均質で質の高いブドウを得ることを目指している。
彼が見ているのは、単にその年の収量ではない。
一本の樹が、土の中でどのように生きているか。
そこから考えている。

酵母を選び、未来へ保存する
ワイン造りでは、酵母が糖分をアルコールへ変える。
多くの生産者が天然酵母による発酵を行っているが、ブリュノはそこで終わらない。
自分の畑に存在する酵母の中から、自らのワインにふさわしいものだけを選び、それを保存する。
そして、選抜した天然酵母は、後世の為に、マイナス196度という極低温で保管される。
なぜ、そこまで行うのか。
発酵を均一な工業工程にするためではない。
むしろ、自分のテロワールと醸造所に根付いた微生物を守りながら、毎年の不確実性を可能な限り理解し、テロワールの表現を曇らせないためだ。
天然であることと、成り行きに任せることは違う。
自然を尊重しながら、必要な部分には人間の知性と技術を使う。
ブリュノの仕事には、常にこの二つが共存している。
樽を買うのではなく、造る
ブリュノを語るとき、樽の話は欠かせない。
彼はかつて樽職人として経験を積み、現在は自らのワインのための樽を設計している。
ブルゴーニュの森で木を選び、自宅で樽材を3年間乾燥させ、木目を見極め、焼き方まで考える。
ワインを熟成させるための容器を、単にメーカーのカタログから選ぶのではない。
自分のワインに必要な樽を、自分で考えて自ら造るオートクチュールだ。
目指すのは、樽香のするワインではない。
むしろ、樽の存在を全く感じさせず、その区画の輪郭をより正確に描くことである。
ミシュランも、ブリュノが自らの樽工房で、木から選び、自然乾燥させたオークを軽くトーストして使用している点を、彼の精密な醸造とともに評価している。
アイルトン・セナが、1秒を縮めるためにエンジニアや小さな工房の職人と向き合ったように、ブリュノもまた、ワインを支える職人の世界へ深く入っていく。
最良の天然コルクの中でも、さらに最も上質な部分だけを確保するため、彼は供給するコルク職人と数十年にわたる信頼関係を築いてきた。それは、長期熟成に耐えうる品質を実現し、ブショネのリスクを可能な限り低減するため。
しかし、彼が求めているのは、素材そのものの性能だけではない。
それを生み出す人を知り、考えを共有し、長い時間をかけて信頼を積み重ねる。
その関係性までもが、一つのワインを形づくる大切な要素なのである。

蝋キャップの切り口まで
ブリュノの完璧主義は、ワインの中身だけにとどまらない。
ボトルの蝋キャップにまで及ぶ。
高級レストランでソムリエが蝋キャップにナイフを入れたとき、素材の細片が飛び散らず、コルクがキノコ型に美しく開けられるように設計されている。
多くの飲み手は、その違いに気づかないかもしれない。
けれども、高級レストランで毎日何本ものボトルを扱う優れたソムリエは知っている。
一本のワインは、栓を抜く前から始まっている。
手に取ったときの重さ。
ラベルの質感。
ナイフを入れたときの抵抗。
コルクが抜ける感触。
グラスへ注がれる瞬間。
ブリュノは、ワインが造り手の手を離れた後、どのように扱われ、客の前に置かれるのかまで想像し、設計している。
才能とは、目立つ部分を華やかにすることではない。
ほかの人が見落とす細部にまで、同じ思想を行き渡らせることなのだと思う。
ラグビーが教えたチームの力
F1ドライバーのような精密さを持つ一方で、ブリュノの根底にはラグビーの精神がある。
ラグビーでは、一人の天才だけで試合に勝つことはできない。
前へ進む者がいれば、その後ろを支える者がいる。
ボールを持つ選手だけでなく、タックルを受け、道をつくり、味方のために身体を張る選手がいる。
誰かが役割を怠れば、チーム全体が崩れる。
ワイン造りも同じだ。
畑を耕す人。
枝を整える人。
収穫する人。
ブドウを運ぶ人。
醸造所を管理する人。
樽を扱う人。
瓶詰めをする人。
注文を準備する人。
一本のワインは、一人の手だけでは生まれない。
ブリュノはチームを大切にする。
自分だけが才能ある造り手として前に出るのではなく、働く人たちが同じ目的を理解し、それぞれの仕事に誇りを持つことを重んじる。
彼のワインが精密でありながら、どこか温かさを失わないのは、そのためかもしれない。
厳しさはある。
しかし、その厳しさは人を支配するためではなく、チーム全体でより高い場所へ行くためにある。

テロワールを詳細に描くワイン
こうして造られるロランゾンのワインは、力強いだけでも、華やかなだけでもない。
非常に精密である。
メルキュレイのそれぞれの区画が持つ、地質、土壌、斜面、標高、日照の違いを、ラインで描き分けるように表現する。
ピノ・ノワールは凝縮感に富みながら、タンニンは石灰岩を思わせるきめ細かなパウダーのようにしなやかで、粘土質土壌から生まれるクリームのような滑らかな質感を併せ持ち、曖昧になることなく、一本の線として余韻へと伸びていく。果実の輪郭は、一つ一つが明確に現れる。
シャルドネには、熟した黄色い果実の豊かさがある。しかし、その奥には張り詰めた酸とミネラルが一本の芯を通し、樽の存在は全く感じさせない。果実、酸、ミネラル、それぞれが独立しているのではなく、幾筋もの線となって途切れることなく重なり合い、余韻の彼方まで続いていく。その広がりは、まるで口蓋が宇宙の静かな空間へ導かれていくような感覚さえ覚える。
ブリュノ・ロランゾンの才能は、自らの個性でワインを支配することではない。
テロワールが本来持っている声を聞き取り、その魅力を最も正確な形でグラスの中へ映し出すことにある。
才能とは、細部を諦めないこと
ミシュラングレープ2という評価によって、ブリュノ・ロランゾンの名は、これまで以上に世界へ知られていくだろう。
しかし、彼の仕事が急に変わるとは思わない。
次の年もまた、畑へ行き、葉を見て、土に触れ、樽材を確かめる。
酵母の状態を確認し、コルクを選び、蝋キャップの仕上がりにまで目を配るだろう。
誰にも気づかれない部分を、昨日より少しだけ良くする。
完成しているように見えるものを、さらに磨く。
F1でコンマ一秒を縮めるように。
一本のナイフを、さらに鋭く研ぐように。
人は、才能を愛する。
けれども、才能とは、華やかな瞬間だけを指すのではない。
何十年もの間、誰にも見えない細部を諦めず、同じ場所で考え続ける献身なのだと思う。
ブリュノ・ロランゾンのワインを飲むと、グラスの中にあるのは、ピノ・ノワールやシャルドネだけではないと感じる。
そこには、三代にわたって蓄積された感覚がある。
ラグビーが教えたチームへの信頼がある。
F1ドライバーのように一秒を縮めようとする執念がある。
そして、自分が生まれたメルキュレイという土地を、最も美しく、最も正確に表現しようとする、一人のヴィニュロンの才能がある。
ミシュラングレープ2は、その才能に光を当てた。
けれどもブリュノは、おそらく光の当たる場所には長くとどまらない。
また畑へ戻り、次の一本のために、静かにナイフを研ぎ始めるのだ。
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