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【完結済】七拍子的な同行者「虹行きの切符」ep.3

    「どきどきしますね。」

    ──何がだ。

    俺はイヤホンの絡まりをほどきつつ、目の前の特異点的な男を睨みつけた。
    奴は車窓に額を押し付けて、流れていく景色に目を輝かせている。
    通路を挟んだボックス席では、五歳くらいの男の子がこいつと全く同じ姿勢で窓の外を眺めている。

    八王子で中央本線に乗り換えてから、ずっとこの調子だ。

    「はあ……」
    俺は眉間を揉んだ。
    「あ、α波!」
    奴は俺の額に人差し指を当てた。
    「なんだよ……」
    特異点はいつも、、、のように笑い、そしてまた流れる景色に夢中になるのだった。

    「はい、ほどけた。」
    「いつも申し訳ないです。ありがとうございます。」
    絡まりをほどいても、イヤホンコードはインスタント麺の如く縮れたままだ。

    「なあ、椋りょう。」
    「はい。」
    「今年に入ってから何回、買い替えた?」
    「ええと……」
    目の前には、文字通り頭を抱える、、、、、奴がいる。
    髪をわしゃわしゃと掻き回し、一、二、と記憶を手繰っているらしい。

    「七回。」
    「な……七回……?」
    俺は頷いた。
    その拍子にセットした前髪が崩れた。

    「虹の色の数ほど、ですね。」

    そう呟いた特異点の顔を俺は見ていない。
    車窓に辛うじて映る、自分の前髪の癖を必死に撫でつけていた。

    前髪の癖はしつこい。

    「見てください! 凌霄花ノウゼンカズラがまだ咲いていますよ!」
    「ノ……ノウゼイ……?」
    一瞬のことでよくわからなかったけれども、ひっくり返ったハイビスカスみたいな花がぶら下がっていた気がする。
    あのスズナリの……と言いかけた時にはもう、
    「井上! 井上! あんなところに井上歯科が……!」だの、自分のTシャツに浮かんだ七色の光を指さして「虹です!」と大いにはしゃいでいる。

    俺は相変わらず前髪に気を取られ、奴の指差す景色に置いてけぼりをくらう。
    ようやく前髪と折り合いがついた頃にはもう、椋……いや、白石は窓を見ていなかった。

    「そうだ……」
    俺の視線に気づいたらしい白石は鞄を漁り始めた。

    「君、口寂しいでしょう。変わり映えしませんが……よろしければ、どうぞ。」
    奴が差し出したのは、見慣れたチョコレート菓子だった。
    「あ、ああ……いつもの。」
    「あ。」
    「なに?」
    「君、ようやく笑ってくれましたね。」
    「え?」
    「いいえ、なんでも。」

    よくやく?
    笑ってくれた?
    俺はそんなに怖い顔をしていただろうか。
    器用そうに見える指先が、手のひらよりも小さな包装に翻弄されている。
    困り顔で頭を傾けるその姿に俺はまた、ため息をつく。

    「ほら。」
    「さすがです。」

    調子が狂う。
    なのに、どういうわけだか気付けば目につくところにこいつがいる。

    「井上! 見てください!」
    言っているそばから、もう、だ。

    「小枝が筏いかだになりました。」
    「はあ?」
    ひと繋がりになった変わり映えしないいつもの菓子は、ひと味違う姿で白石の手に乗せられていた。

    列車は調子よく進む。

    相模湖駅から相模湖は見えない。

    「ここ、空いてる?」
    缶ビール片手に乗り込んできた中年の男は、言い切るよりも早く腰を下ろした。
    「どこから来たの?」
    一本目じゃないな……
    分解しきれないアルコールの匂いが鼻をつく。
    「気になりますか?」
    酔っ払いにがっしりと肩を組まれたまま特異点は例の如く笑い、例の如く首を傾げる。
    お前には警戒心ってものが、まるでないのか?
    俺は筏、を噛んだ。
    冷え固まった脂の匂いに胸が灼ける。
    列車は加速していくのに、景色の流れは減速していく。
    あまりに退屈だ。
    俺は絡まりをほどいたばかりのイヤホンを耳に突っ込んだ。
    青空に似つかわしくない、ざあざあ降りの雨のような音がする。

    「そっちの黒い服の子は友達?」
    「ええ、僕なんかには勿体無いくらいの。」

    酔っ払いは次の次の駅で降りて行った。
    十分にも満たなかったはずだ。
    それでも途方もない時間に感じられた。

    なんの音も鳴らさないイヤホンを耳に突っ込んだまま、俺は外の景色に逃れている。
    一緒になって同じ色を見つめるこいつの言葉を聞こえないふりをして。

    列車は聞いたこともない駅をいくつも通り過ぎた。

    ──友達。

    未だに目の前にいるこいつがなんなのかはわからない。
    「椋」だったり「白石」だったりする、こいつがなんなのか。
    目を閉じたまま列車の揺れに身を任せている見知った顔をしばらくの間、眺めていた。

    ──大月、大月。お出口は……

    「着いたぞ。」
    終点。
    見事に降りるタイミングを逃した。
    ぞろぞろと降りていく人をもう何人見送っただろうか。

    結局、俺は一番最後に列車を降りた。

    「トイレは?」
    「大丈夫です。」
    「念の為……」
    「大丈夫です。」
    「……いや。だめだ、来い。」

    忘れたのか?
    新入生合宿のバスでの惨劇を。

    乗り込んだ富士急行は鮨詰め状態だった。
    ホームに溢れかえっていた人の群れは、どさどさと列車に流れ込んだ。
    四方八方を塞がれた俺は辛うじて右手で吊り革を掴んでいる。
    もはやら誰のものとも判別のつかない身体や荷物に絡まった白石は俺に全身を預けている。
    「井上……申し訳ないです……」
    その声が持つ熱ですら、苦しい。
    「いいから黙ってろ。」
    そんな、冷たいことしか言えなかった。
    それが、夏の満員電車の暑さを和らげるわけでもないのに。

    約一時間、列車の軋みと時折当たる扇風機の風の音を聴き続けた。
    ようやく目的の駅に辿り着いた頃には、絞れるほどにシャツは湿っていた。

    終点のひとつ手前、列車は熱気ごと人間を吐き出した。
    吐き出された俺たちは、しばらくホームで茫然と佇む。

    陽はまだ高い。
    それでも緑を抜けて吹いてくる風は心地よかった。
    膝に手を当て屈んだ白石が突然前方を指さして、ぽつりとこぼした。

    「見てください。皆さんの髪で虹ができています。」

    駅のホームの庇を抜けた先、揃いのTシャツに身を包んだ人々の髪が夏の光に照らされて揺れている。
    目がどうにかなりそうほどに青い空の下、ほどかれた色の帯は奥へ、奥へと伸びて行った。


    【習作】です。

    三話目です。
    中央本線と富士急行。

    ↑一話目

    ↑
    二話目

    ↑
    こっちは連載再開した恋愛小説。

    ↑
    こっちはいつもの大正時代。
    君ら、そろそろ飽きてるでしょ?
    正直に言ってみ?

    ↑
    水兵リーベで余計なこと言い始めるクラスメイトは嫌いですか?

    ↑
    【エッセイ】
    これを読むと、なんの話をしているのか少しわかるかも。

    ↑
    ゆきお様・解説
    「七」とは何か、「虹」の意味は?

     
     
    ラブラドールの匂いで肺を満たしたいアラウンドサーティ。 9歳児に親育てされている本末転倒人間。 文字に嫌われた人間が、しつこく文字を掻き集める滑稽な姿を東京の片隅からお送りしております。 ※連載小説も基本的には一話完結として読める構成を目指しているので、おじけづくことなかれ。

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