
【2025】中国華南の国立大学で日本語教師として向き合ったハードとソフト
本校で働き始めて、まず驚いたのは設備でした。

冒頭で紹介したいのは、同時通訳演習室です。(写真1と写真2を参照)

さすが国立大学の外国語学部だと思わせる教室で、会話の授業ではここを使いました。
ただ、こうした教室は少数です。
学生1人ひとりの席にパソコンがある教室は、ごくわずかしかありません。
今のところ、私がこの教室で活用できているのは、学生の席ごとにあるパソコンにパワーポイントのスライドを映し出すことくらいです。
本当はもっといろいろな使い方があるのでしょうが、まだ十分に使いこなせていません。
パワポとマイクが当たり前
20数年前、北京の大学では黒板とチョークで教えるのが当たり前でした。
日本で国語教師を定年まで務めた先生でも、そうした教室環境には無理なくなじむことができたはずです。
ところが今は違います。
各教室にパソコンが備え付けられ、プロジェクターの大画面を使って授業をするのが主流です。(写真3を参照)

言ってみれば、大学の授業もすでにパワポとマイクが当たり前の時代になっています。
便利になったのは確かです。
ただ、その便利さには少し落とし穴もあります。
教室ごとにパソコンでスライドを映し出すまでの操作が微妙に違うのです。
一応、中国語で書かれたA4サイズ1枚の説明書はあります。
けれども内容はかなり大まかで、実際にはあまり頼りになりません。
IT機器にそれほど強くないと、授業が始まる前から教室で悪戦苦闘することになります。
国立大学の時間割
授業は大きく分けると、午前、午後、夜間の3つに分かれています。
以前は1時限90分だったそうですが、現在は諸般の事情により1時限40分です。(写真4を参照)

そのため、1回の授業は5分の休憩を挟んで基本的に2時限続きの80分で行われます。
担当授業の曜日や時間帯は、希望を出せばある程度考慮してもらえています。
ただ、私が前任者から引き継いだ時間割は、午後の授業が多めでした。
授業があるのは月曜、水曜、木曜です。
最初は、火曜日に授業がないことに少し不満がありました。
ベテランの中国人教師の中には、遠方から通っているため、授業を週2日に集中させている人もいると聞いていたからです。
私は、大学のある都市と自宅のある都市を行き来する2拠点生活をしています。
中国の新幹線である高速鉄道を使ってもドアツードアで片道3時間以上かかります。
だから、せめて授業が週3日にまとまっていてくれたらと思っていました。
そうなれば、大学が週3日、自宅が週4日になります。
セカンドキャリアの始まりとしては、かなり理想的な形だったはずです。
けれども、実際に始まってみると、この時間割も悪いことばかりではありませんでした。
ベテランの教師は、どうやら午後に授業を入れることが多いようです。
直属の上司であるG先生も、午後の授業が中心だったと聞いています。
そのおかげで、私の午前中が空いている日は、各種手続きを進めるのにちょうどよかったのです。
アテンドしてもらう側としては、かなり助かりました。
それに、火曜日が空いていたことも、あとから振り返ると悪くありませんでした。
むしろ、いい意味での予備日になってくれました。
翻訳コンテストの指導のような仕事を急に頼まれても、何とか動けたのは、その1日があったからです。
そして、その後の授業手配では、週3日にかなりきれいにまとまり、こちらの希望もよく反映されました。
次学期以降にかなり希望を聞いてもらえていることまで考えれば、今振り返ってみても、決して悪いものではなかったと思います。
大学のシステムと出欠管理
別の記事でも書きましたが、9月上旬になって、ようやく大学のシステムにアクセスできるようになりました。
システムに入れるようになると、すぐにやるべきことが2つありました。
1つは、出席簿の確認です。
これは思っていた以上に便利で、ExcelでもPDFでも出力できます。
もう1つは、1学期およそ16回ある授業について、毎回何をするのかをシステムに入力することでした。
教科書がある授業なら、どの課を扱うのか、その回に何を学ぶのかを書けば大丈夫です。
しかも、G先生が、日本人教師なのだから日本語で書いてよいと言ってくれたのはありがたいことでした。
こちらの入力は、授業開始から第3週くらいまでに済ませればよかったので、何とか間に合いました。
本当に困ったのは、その先でした。
出欠管理です。
「雨課堂」という、出欠確認もできるソフトは導入されていました。
ただ、当時は学校側から使い方について何の説明もありませんでした。
仕方がないので、大学のシステムから出席簿をExcelで出力し、自分で見やすい形に加工して印刷し、それを使って授業中に出欠を取っていました。
当時のクラスは、多くても30人ほどです。
それなら、手作業でも何とかなる範囲でした。
しかも、出欠を取る時間は、私にとって学生の顔と名前を覚える時間でもありました。
結果的には、そのやり方でどうにか授業を回せるようになりました。
雨課堂を使わなかった1年
初年度はとにかく忙しく、出欠確認もいつのまにか完全にルーチンワークになっていました。
そして、そのまま1年間、ほとんど見直さずに授業を続けてしまいました。
変わるきっかけは、後期の授業で学生から受けた指摘でした。
先生だけが「雨課堂」を使っていないので、授業の効率が悪い。
そう言われて、はっとしました。
たしかにその通りでした。
忙しさを言い訳にして、改善できることを後回しにしていたのです。
これは、初年度の反省点の1つです。
同時に、このことは自分の年齢観まで考え直させました。
以前の私は、60歳の定年間際か、あるいは定年後に大学で日本語教師をするのもいいかもしれないと思っていました。
でも、今は少し違います。
もし本当にその時期にセカンドキャリアを始めていたら、こうしたシステムや機器の変化に、十分対応できなかったのではないかと思うのです。
ハードとソフトのあいだで
冒頭で紹介した同時通訳演習室は、いわばハードの話です。
そして、最後に出てきた「雨課堂」は、ソフトの話です。
どちらも、今の大学教育を支える大事な道具です。
ただ、50代で始めたセカンドキャリアの中で、それらを十分に使いこなせているかと言われると、まだ自信はありません。
とはいえ、これは私1人の問題でもなさそうです。
少なくとも、ソフトの使い方については、直属の上司であるG先生も、そこまで詳しいわけではないようでした。
さらに、別の中国人の先生からは、このソフトについては中国人教師向けの勉強会があると聞きました。
つまり、今の大学教育の現場では、中国人の先生も含めて、ITに関してはみな学びながら前に進んでいるのだと思います。
大学の設備は整っていても、それを自分の力に変えるには、やはり時間と試行錯誤が必要です。
そしてそれは、50代から始めたセカンドキャリアであっても同じなのだと感じています。