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読書の成果は、読書以前の「自分には戻れなくなること」。だから、覚えているかどうかは気にしなくていいと思う|AI時代の創作メモ(#読書術 #文学 #小説 #エッセイ #note #マインドセット #書籍化 #生成AI #画像生成AI)

    こんにちは。こんばんは。
    普段はラノベを書いている「うら表紙」と申します。

    最近、ネットや書籍、YouTubeを見ていると、「読書」についての話をよく見かけます。

    本が読めなくなった。
    タイパを考えると要約で十分ではないか。
    月に何冊読めばいいのか。
    読んだ本から何を身につけたのか。

    一方で、「本を読む自分」を誇るような言葉もあります。

    読書って、いつの間にこんなに成果を求められるものになったんでしょうね。

    結論から言うと、読書で賢くなるという科学的根拠はあまりないそうです。
    詳しくはこのYouTubeチャンネルをご視聴ください。

    私は年間でだいたい100冊くらい、本を読んだり聞いたりしています。
    こう書くと、すごそうに見えるかもしれませんが、昨日読んだ本の細部すら思い出せないことが多々あります。

    「あの話は何ていうタイトルの本だったかなぁ…」
    なんてこともしょっちゅうです。

    読んだ直後は「なるほど!」と思っていたのに、数日後には説明できないほど忘れている(笑)
    正直、そんなポンコツな自分に読む意味あるのかな、と思うこともあります。

    でも、不思議なことに、何か嫌なことがあって自分を責めそうになった時、

    「いや、そもそも、こういう時の人間はこうなんよ」
    と進化生物学の話がふっと思い出されて自分を責めずに済んだり、

    遺伝子の話から自分の性質を全部「努力不足」で責めなくなったりと、
    色々な場面でこれまでになかった選択肢が出てくるようになりました。

    でも、その時に、
    「これは○○という本の第3章に書いてあった知識です」
    なんてことは、ほとんどありません。
    タイトルすら思い出せないこともザラ。

    なのに、何かの拍子に思考の一部としてふわっと浮上してくる。

    私はずっと、読書の成果って「覚えていること」だと思っていたんです。
    だから、内容をしっかり頭に焼き付けるために、「必ずレビューを書く」ということを自分に課していたくらいです。(※過去形で書いていますが、それは今でも継続しています。)

    読んだ内容を説明できる。
    知識として取り出せる。
    誰かに聞かれた時に答えられる。

    本を読むからには、そういう状態にならなければ意味がないと思っていました。

    でも実際には、タイトルを思い出せなくても、どんな本の何章に書いてあって、誰の研究の話かわからなくても、思考の選択肢として吸収されている。

    昔の自分なら、

    「私が悪い」
    「相手が悪い」

    の二本くらいしかなかった道に、

    「生物として見たらどうだろう」
    「社会の仕組みとして見たらどうだろう」
    「この時代だから起きていることではないか」

    みたいな脇道が増えている。

    読書の成果って、何を覚えているかではなく、考える時に選べる道が増えたかどうかなのかもしれません。

    だから、一冊の本から無理やり何かを学ぼうと思わなくていいんです。
    もっと気楽に読んで、内容を忘れてください。

    それでも、
    進化生物学を知る前と知った後では、人間を見る目が少し変わる。
    歴史を知る前と知った後では、今の時代を見る時の距離が少し違う。
    小説をたくさん読んだ後では、他人の感情の解像度がこれまでとちょっと違う。

    つまり、「知識が残っている」というより、本を通ることで自分の思考の方が変わってしまっている。
    読書に何か意味を見出すとしたら、たぶんこっちなんですよね。

    本の内容を忘れていても、その本を読む前の自分と、読んだ後の自分は完全には同じではない。

    何冊もの本を通過するうちに、ものを見るレンズが増えていく。
    そのレンズをいつ、どの本から手に入れたのかは、もう分からない。

    でも、一度増えたレンズを外して、昔とまったく同じように世界を見ることもできない。

    読書以前の自分には、もう戻れない。

    私は年間100冊ほど読んでいても、その100冊について「何を得たか」と一冊ずつ説明することはできません。

    ただ、十年前の自分と今の自分では、同じ出来事を経験しても考える方向はかなり違うという実感はあります。
    もし読書で何かが残るのだとしたら、知識そのものではなく、こういう形なのかもしれません。

    そしてその蓄積は、年を経るごとに大きな差になっていくのではないかと感じています。


    あとがき:
    私が、自分の読書の源流ってなんだろうなぁ~と考えていた時、一番最初に頭に浮かんだのが「シートン動物記」でした。小学校の図書館で夢中になって読んだ本です。動物は今でも大好きですが、私がその本に惹かれた最大の魅力は「生態系そのもの」だったんですよね。思えば、ナラティブよりも理に魅力を感じる気質というのは、この頃から明確に現れていたのかもしれません。三つ子の魂百までと言いますが、本当にそうですね(笑)あなたが幼い頃に夢中になった本や絵本はありますか?


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    書籍化作家で、マーケター歴20年。 なのに中身はだいぶ繊細気質。 創作の裏側や、読まれる仕組み、時々ちょっと人生の話。 うまく言えない感情を、言葉にしていく場所です。

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