
これから強くなるのは「好き」を何度も語れる個人。100万再生されても売れない時代|AI時代の創作メモ
こんにちは。こんばんは。
普段はラノベを書いている「うら表紙」と申します。
少し前、何かの記事で「今はインフルエンサーに広告を頼めば商品が売れる、という時代ではなくなってきた」という話を読みました。
それを見ていて私は、たしかひろゆきさんだったと思うのですが、「TikTokで踊って100万再生されても、それに価値があるわけではない」と話していたのを思い出しました。
最初に聞いた時は不思議だったんです。
100万回も再生されるなら、そこでスポーツウェアなりスキンケアなり紹介すれば、ものすごく売れそうじゃないですか。
でも企業が広告に求めているのは、再生数ではありません。
その投稿を見た人が、実際に商品を買うことです。
だから、踊る動画が100万回再生されたとしても、その人が紹介した商品を視聴者が買わないのであれば、企業から見れば広告価値は低い。
逆に、再生数が10万回しかなくても、その人が紹介すると多くの視聴者が検索し、商品ページへ行き、実際に購入するのであれば、そちらの方が広告としては強い。
つまり今は、どれだけ多くの人に見られたかではなく、どれだけ視聴者の行動を変えられるかが問われるようになっているんですよね。
言われてみれば当たり前です。
美容について何年も発信している人のところには、美容の情報を知りたい人が集まっています。
ランニングについて発信している人なら、シューズやウェアに興味がある人が集まる。
その人たちは、最初から「この人の意見を聞きたい」と思って見に来ているんですよね。
そういえば、私がよく見ているYouTubeに、野草摘みとキノコ狩りをして、それを料理して食べるという、かなりマニアックなチャンネルがあります。
登録者数は数万人くらいなのですが、最近、同じジャンルの方との共著で図鑑を出版されました。
自費出版とかではなく、ちゃんと出版社から刊行されています。
これ、ものすごく強い商品だと思うんですよね。
普段から野草やキノコの見分け方を楽しみに見ている人にとって、その人が作った図鑑は「数ある図鑑の一冊」ではありません。
「いつも見ているあの人の目線になれる図鑑」です。
100万人に薄く知られていることより、数万人から「この分野ならこの人」と認識されている方が、場合によってはずっと強い。
どうやら影響力の評価が、明確に「数」から「質」へ移り始めているようです。
その質を作っているのは、専門性と信頼、そして実際に人の行動を変えられるかどうか。
これ、創作にもかなり関係する話だと思いました。
創作をしていると、別のジャンルへ浮気したくなることがあります。
自分の書いているものが時代と合っていない気がして、今流行っているものへ寄りたくなることがあるんです。
私の場合は、ホラーを書こうとして、なぜかあったかヒューマンドラマになって失敗したり、領地経営ものを書こうとして途中でガス欠したり(笑)
流行っているから書こうと思っても、自分の気持ちがそこにないものって、結局長く続かないんですよね。
でも今の「狭くても深く信用される人」の価値を考えると、この「長く続けられる」ということ自体が、以前より大きな意味を持つようになったと思います。
一度だけホラーを書く。
一度だけ創作論を書く。
一度だけ野草について語る。
それでは、その人が何の人なのかは分かりません。
でも何年も同じ話をしていると、
「あの人、またキノコ採ってる」
「あの人、また創作について考えてる」
くらいになってくる。
そのしつこさが積み重なった先で、ようやく「この分野ならこの人」という認識に変わっていく。
「この人が言うなら聞いてみよう」という信用は、簡単には大量生産できません。
そう考えると、これから価値が上がるのは、広い場所で一瞬だけ目立つことよりも、狭い場所に居続けることの方なのかもしれません。
「この人、いっつもこれ書いてんな」
そう思われるくらい同じ場所を掘り続けた結果、その狭さそのものが、その人にしか持てない影響力へ変わっていく。
すでにnoteで発信している人は、その下地が整っているということですよね。
フォロワー数がそのまま影響力だった時代が終わるほど、「何人に知られているか」より「何について信用されているか」の方が、ずっと重くなる。
あなたはどんな信頼を積み上げたいですか?
あとがき:
最近、ちょっとショックなことがありました。それは、有名な実業家で、私が著書も動画も拝見している方が、明確な意図を持って自身を神格化するような演出を始めたことです。なぜそう思ったのかというと、その方が自らを「狂人」「理の外側の人間」と定義し、「理の中にいる人には理解できない概念を持っている(超訳)」と語り始めたからです。これって、新興宗教の教祖がよく使う理屈なんですよね。あらかじめ反論を無効化できる立場に自分を置いてしまう。そうすると、「常識的に…」や「科学的に…」といった真っ当な反論も、「それは理の中の発想だから」の一言で片付いてしまいます。反論が間違っているのではなく、反論する側の立場そのものが無効化されてしまうのです。頭のいい人なので、それがどんな結果を生むかは当然わかっていると思います。私はその人の知性に純粋な敬意を持っていました。だからこそ、「そうなってしまった」のではなく、「あえてそう動くことを選んだ」ように見えたことが、とても残念でした。
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カランコロン

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