
「買わせないインフルエンサー」まで現れた。選ばれている作品は、「おもしろさ」より「選びやすさ」のレベルが違う。これからの作品は何を見せればいいのだろう|書籍化ログ
今、注目されているのは「物を買わせる人」ではありません。
「これは買わなくていい」と教えてくれる人です。
あらゆるものが増え過ぎた結果、私たちは「何を選ぶか」より先に、「何を選ばないか」を誰かに助けてもらうようになりました。
そして今、創作の世界でも同じことが起きています。
最近の人気作は、物語の冒頭から「この先も見る理由」と「ここで得られる報酬」まで見せるようになってきました。
こんにちは。こんばんは。
普段はラノベを書いている「うら表紙」と申します。
●18万作品あれば、「選ぶ」だけでも大仕事になる
以前、note創作大賞に18万作品以上が集まったことについて書きました。
AIによって一人が作れる量が増えても、人間の一日が24時間であることは変わりません。つまり、作品が増えた分だけ読めるわけではない。
そこで必要になるのが、「選ぶための仕組み」です。
ランキングなら膨大な作品を人気順に並べてくれますし、レビューなら先に読んだ人の評価が見える。長文タイトルなら、作品を開く前から「何が読めるのか」が分かります。
これらはどれも、作品そのものを作る仕組みではありません。
大量にある候補を、人間が扱える大きさまで減らすための仕組みなんですよね。
作品が増えるほど、こうした「選択の補助線」も増えてきました。
●ついに「買わせないインフルエンサー」まで現れた
「デ・インフルエンシング」という言葉をご存じでしょうか。
これまでインフルエンサーといえば、その拡散力を利用して商品を紹介し、購買へつなげる存在でした。
その宣伝力があまりに強かったからこそ、「ステマ」という問題まで起きました。
企業は商品を売りたいし、インフルエンサーは結果を出したい。
その思惑が重なれば、広告であることを隠したまま商品を薦める誘惑も生まれます。
ところが近年広がっているのが、その逆です。
「それ、買わなくていいよ」「これはおすすめしない」と伝えるデ・インフルエンシングです。
買わせる人ではなく、買わせない人まで求められる。
これ、今の創作市場で起きていることと根は同じだと思うんです。
選択肢が少なければ、おすすめだけで十分です。
でも候補が多すぎると、「何を選べばいいか」だけでなく、「何を選ばなくていいか」まで知りたくなる。
作品が増えるほど、「推薦」だけでなく「除外」にまで価値が生まれているんですよね。
●AIが私専用のおすすめを選ぶ未来に人間の選択はどう変わるか
ここまで来ると、次に起きることもある程度想像できます。
読了した作品、途中でやめた作品、好きなキャラクターや文章、好みの展開までAIが把握して、「あなたはこれが好きですよ」と自分専用の作品を薦めるようになる未来です。
推薦精度だけなら、人間より正確になるかもしれません。
でも私は、それで人間の推薦がなくなるとは思っていません。
たとえば、好きな作家さんの推薦帯がついた本。
私はあれ、結構気になります。
別に、その作家さんが私専用に選んでくれたわけではありません。
それでも「この人がこれを好きなんだ」と思うと、ちょっと読んでみたくなる。
人は「自分に最適なもの」だけを選んでいるわけではないんですよね。
尊敬する人が見ているものや、好きな人が大切にしているもの、自分が参加したいと思う世界で共有されているものに触れること自体が、一種の所属感や満足感、幸福感になります。
AIは「あなたに合う作品」を選べる。
でも人間の推薦には、別の報酬がある。
だからBookTokのようなものも、単なる高性能レコメンドには置き換わらないのではないかと思っています。
●最後の判断材料は、とうとう作品の中まで入ってきた
そして最近、さらに一段先へ進んでいると感じます。
タイトル、ランキング、レビュー、推薦者まで通過しても、最後に「この作品をこの先も見るか」を決めるのは本人です。
その最後の判断材料まで、作品内部に入り込んできました。
以前書いた『ふつつかな悪女ではございますが』は、その例としてとても分かりやすい作品でした。
この作品は冒頭の時点で、見ている側に「この主人公の先を見たい」と思わせる理由を与えます。
主人公がどんな人物で、どんな状況に置かれているのかが見えた瞬間に、「この先どうなるのかを確かめたい」という期待が生まれる。
以前ご紹介した『氷河期ストレージ』もそうでした。
Xで紹介されているのを見て、試しにプロローグを読んだだけなのに、そのまま続けてしまった。
続きを読む理由がプロローグで成立していたんですよね。
一方、私は今『マロニエ王国の七人の騎士』の更新を、今か今かと待ちわびています。
私は大好きです。
でも配信プラットフォームの評価を見ると、悲しいことに『ふつつかな悪女』ほど高くはありません。
その差を考えていて感じるのが、『マロニエ王国』は「この物語が最終的にどこへ向かうのか」や「見続けることで、どんな報酬が得られるのか」が、ずっと見えにくいことです。
逆に『ふつつかな悪女』は、序盤のうちに「この主人公の先を見たい」「この主人公にはこうなって欲しい」と思わせる理由が成立する。
続きを見るかどうかを判断するための材料が、作品の中に最初から組み込まれているのです。
これは、最後の選択をするための補助線まで、物語そのものが担うようになってきたのだと思います。
●エンタメが「生活インフラ」になれば、求められるものも変わる
以前、私は今のエンタメを水道や電気のような「生活インフラ」にたとえました。
スマホを開けば、動画、小説、漫画、ゲームがいつでもあります。
一日の終わりに見るものもあれば、移動中の数十分を埋めるものもある。
エンタメが夜8時から楽しむ特別な時間ではなく、毎日のあらゆる隙間へ入り込んだことで、「いま自分が欲しいものを、すぐ選べる」こと自体の価値が上がりました。
作品が増えただけではありません。
私たちが生活の中で、作品を「選ぶ回数」そのものも増えたんですよね。
だから選びやすいように長文タイトルも、ランキングも、BookTokも、デ・インフルエンシングも、最近の冒頭構成も発達した。
全て人間が増えすぎた選択肢を扱うための補助線です。
そして書く側から見るなら、これから大切になるのは、この補助線を自分の作品にいくつ用意できるか、なのかもしれません。
たとえば、タイトルやあらすじで何が読めるのかが分かる。
冒頭で続きを読む理由と期待する報酬が生まれる。
そして読んだ人が、誰かへ薦めたくなる理由を持てる。
作品そのものを別物にする必要はありません。
ただ、その作品が何者なのかを判断できる材料は、以前よりたくさん必要になっている。
AIの台頭で無尽蔵に作品が増え続ける限り、この「選ぶための仕組み」も、まだまだ変わっていくのでしょう。
次は、どんな補助線が生まれるのでしょうね。
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