メインコンテンツへスキップ
見出し画像

【明治文豪、令和を歩く】第24回:だから宝くじ

    銀座の喧噪を避けるように、路地裏の喫茶店に入った二人。窓の外には「年末ジャンボ宝くじ」の長蛇の列が見える

    画像
    夏目漱石                                                                                                                             

    おい、荷風君。あそこを見たまえ。あの行列を。何事かと思えば、宝くじとかいうものを買うための列だそうだ。現代の人間というのは、どうもああいう『射幸心』というやつに、いつの世も振り回されるものらしいな。

    画像
                                                                                                                        永井荷風

    先生、あれこそ現代の『夢』の売買(うりかい)でございますよ。七億円、でしたか。かつて私が『小説作法(※)』で申しました通り、文芸の道は天賦の才が必要ですが、ああした運試しは、才能も努力も要りません。ただ紙切れ一枚に、己の人生の鬱屈を託す。ある意味では、吉原の登楼(あがり)を待つ遊客の心持ちに似て、いじらしいものではありませんか。

    (※)初出1920[大正9年]新小説
    画像

    君はまたすぐにそうやって花柳界の話に結びつける。……しかし、七億円か。僕が朝日新聞に入るために帝国大学の職を辞した時も、世間からは随分な博打だと言われたものだが、あれはまだ自分の腕一本で食っていこうという気概があった。だが、あの籤(くじ)というのはどうだ。ただ運命の女神が微笑むのを、口を開けて待っているだけではないか。精神の堕落だよ。

    画像

    おや、先生らしくもない。先生こそ、あの狭苦しい大学の教壇を捨てて、広大な文壇という荒野へ打って出られた大博打打ちではありませんか。……それに、私に言わせれば、現代のこの目まぐるしい、電燈ばかりが明るい世の中で、正気(しょうき)を保つには、ああした『一時の迷い』が必要なのでしょう。
    私がかつて大久保の妾宅に引き籠り、世間の煩わしさから逃れようとしたように、彼らもまた、七億円という幻想の中に『心の隠れ家』を求めているのかもしれません。

    画像

    心の隠れ家、か。君の言うことはいつも一理あるようで、どこか人を食っているな。……まあいい。仮にだ、荷風君。君がその七億円とやらを手にしたらどうするつもりだね? またどこかの裏通りに、古建具を買い集めた風流な隠居所でも建てるのかね。

    画像

    左様でございますねえ。今の東京は、どこもかしこも無粋なビルばかりで、私の愛した江戸の面影など微塵もありません。もし大金が入れば、高い塀を巡らせて、現代の騒音と、あの無礼な自動車の響きを一切遮断した別天地を作りたいものです。そこには電燈も引かず、行灯(あんどん)の明かりだけで暮らす。……先生はいかがです? やはり、イギリスへ留学し直しますか?

    画像

    御免こうむるよ。あんな霧の深い、神経をすり減らす場所はもう沢山だ。……そうだな、僕ならその金で、誰にも邪魔されない書庫を作るかもしれん。いや、それよりも胃薬を山ほど買い込むか、あるいは……

    画像

    あるいは?

    画像

    ……いや、よそう。金を持つとろくなことにはならん。僕の小説に出てくる連中を見たまえ。金に執着する奴に、幸福な結末を迎えた者は一人もいないんだ。やはり、こうして君と珈琲を啜りながら、世の中を斜めに眺めているくらいが、我々には分相応というものだよ。

    画像

    ふふ、おっしゃる通りです。分相応……『好きこそ物の上手』とは申しますが、金儲けばかりは、我々文士の領分ではなさそうですな。

    前へ◀ 20|21|22|23|24 ▶次へ



     
     
    異文化ライター / AI対戦会主催 / 年間マンガ500冊レビュー / SF短編小説家 / プロいく一期生 スターバックス勤務20年。ゲーム実況15年。シェアハウス10年。 ヘッダ画像はタプローム遺跡(本人撮影)。木の根が寺院を包み込む様子が神秘的。 amazonアソシエイト参加