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この人生を、愛せるだろうか。|それでも生きるということ

    障害を愛さなくてもいい。

    受け入れられない私のままでもいい。

    前回、

    私はそこまでたどり着いた。

    ところが、

    そんな私の前に現れた言葉がある。

    ニーチェの、

    「運命愛(amor fati)」

    だった。

    運命を愛する

    この言葉を知ったとき、

    最初に思ったのは、

    少し意地悪な問いだった。

    また「愛せ」と言われるのか。

    障害を愛せない。

    過去の苦しさを
    「あれでよかった」とも思えない。

    それなのに、

    自分の運命を愛するなんて、

    今の私には
    ずいぶん遠い言葉に感じた。

    でも、

    この言葉について考えているうちに、

    私はひとつのことに気づいた。

    私は、

    「愛する」ということを、

    好きになること

    と同じだと思っていたのかもしれない。

    なかったことにしたい人生ではない

    私は今でも、

    聞こえないことを
    好きにはなれない。

    過去に苦しかったことも、

    わざわざもう一度
    経験したいとは思わない。

    変えられるのなら、

    変えたかったことだって
    たくさんある。

    でも、

    ここまで歩いてきた人生を

    全部なかったことにしたいかと聞かれたら、

    それも違う。

    家族と過ごした時間がある。

    大切な人との出会いがある。

    夢中になった仕事がある。

    旅先で見た景色がある。

    誰かの言葉に
    救われた日がある。

    私の言葉が、

    誰かに届いた日もある。

    それらまで、

    消えてほしいとは思わない。

    障害を愛することと、この人生を愛すること

    そこで、

    第2話から続いていた問いに、

    ようやく私なりの答えが見えてきた。

    障害を愛することと、
    この人生を愛することは、
    同じではない。

    私は、

    聞こえないことを
    好きにならなくてもいい。

    苦しかった過去を、

    「必要な経験だった」と
    美化しなくてもいい。

    それでも、

    ここまで生きてきた人生を、

    「これは私の人生だった」

    と引き受けることはできる。

    それがニーチェのいう
    運命愛そのものなのかは、

    まだ私には分からない。

    でも、

    少なくとも今の私は、

    そんなふうに
    この言葉を受け取っている。

    「この人生でよかった」とは、まだ言えない

    私は、

    「この人生でよかった」

    とは、まだ言えない。

    聞こえる人生だったら、

    どうだったのだろう。

    今でも想像する。

    たぶん、

    これからもする。

    でも、

    「この人生を、
    もう少し生きてみよう」

    とは思っている。

    この二つの言葉は、

    私の中では
    まったく違う。

    そして、「死してなお美しく」に戻る

    ここで、

    第1話の言葉に戻る。

    「死してなお美しく」

    あの写真と言葉を見たとき、

    なぜあれほど惹かれたのか。

    最初は分からなかった。

    でも、

    3つの記事を書きながら考えていて、

    少しだけ分かった気がする。

    私は、

    死そのものに
    惹かれていたのではないのかもしれない。

    死を考えることで、
    どう生きるのかを考えようとしていた。

    だから、

    あの言葉が
    心に残ったのかもしれない。

    これから先も

    私は、

    これから先の人生で、

    もう二度と

    「人生を終わらせたい」

    と思わないとは言えない。

    人生は、

    そんなに単純ではないことを
    知っているから。

    また苦しくなる日が
    来るかもしれない。

    何も見えなくなる日が
    来るかもしれない。

    そんなときは、

    あの言葉を
    思い出そうと思う。

    「死してなお美しく」

    私にとって、

    それは死を美しくするための
    言葉ではない。

    どう生きるのかを、
    もう一度考えるための言葉だ。

    人生全部の答えを、

    その日に出さなくてもいい。

    明日のことまで、

    決めなくてもいい。

    あの日と同じように、

    今日は、やめておこう。

    それでいい。

    そして、

    また次の日を迎える。

    それでも、生きる

    私はいまだに、

    障害を完全に受容できたとは思っていない。

    これからできるのかも、

    分からない。

    でも、

    それでもいいのだと思う。

    障害を愛さなくてもいい。

    苦しかった過去を
    美化しなくてもいい。

    人生のすべてを
    好きにならなくてもいい。

    それでも、

    この人生を生きることはできる。

    いつか、

    人生の最後に、

    いろいろあった。

    たくさん迷った。

    何度も立ち止まった。

    それでも、

    私は生きた。

    そう言えたなら。

    それはもしかすると、

    私にとっての

    「死してなお美しく」

    なのかもしれない。

    私はまだ、

    人生の途中にいる。

    だから、

    この言葉を、

    死ぬための言葉ではなく、

    生きるための言葉として、
    覚えておこうと思う。

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