
本質を見ず、枝葉を取り締まる人間社会【第3部】「風潮」「国家」、そして現場の「監査」
第6章 風潮という名の一時的な秩序
社会の規範は、法律や制度だけで成り立っているわけではない。
世間の評判、SNSでの批判、社会全体の空気といった「風潮」も、人間の行動を強力に左右する。
批判されることを恐れて発言や行動を慎重にする人が増えれば、一時的な秩序が生まれる。
世間の目によって可視化され、改善に向かう問題があるのも事実だ。
しかし、風潮には大きな弱点がある。それは「極めて移り気である」という点だ。
昨日まで強く叩かれていた話題も、別のニュースが現れれば一瞬で関心から遠ざかる。
世間が注目している間だけ平謝りし、炎上をやり過ごし、関心が薄れれば元の状態に戻る。
これでは、問題を解決しているのではなく、嵐が過ぎ去るのを待っているだけに過ぎない。
人間が問題のある行為を控えるようになったとき、それは「問題の本質を理解した」からなのか、それとも「今は目立つと損をするから隠れている」だけなのか。
外から見える行動が同じでも、動機が前者か後者かによって、風潮が去った後の展開は全く異なる。
世間の風潮は人間の表面的な行動を変えることはできても、それだけで利害関係や権力構造の根底まで変えることはできないのだ。
第7章 戦争を禁止する法律があっても、なぜ戦争はなくならないのか
スケールを大きくして考えてみたい。
「戦争をしてはいけない」「武力で行使してはならない」という規範は、国連憲章をはじめ国際社会に明確に存在する。
それでも戦争はなくならない。
なぜか。戦争を始める側も、単なる悪意だけで動いているわけではないからだ。
自国を守るため。相手が攻めてくる前に手を打つため。資源や領土を守るため。彼らなりに「武力を使う合理的な理由」を掲げて行動する。
ここには「安全保障のジレンマ」という構造が存在する。
互いに相手を信用できない二者がいるとき、自分が身を守るために防衛力を強めると、相手はそれを「攻撃の準備」と受け取って警戒し、自らも防衛力を強める。
双方が「自分を守るため」に行動しているにもかかわらず、結果として緊張が高まり、争いのリスクが増大していく。
国際社会には、国内における警察のように絶対的な強制力を持って法を執行する単一の機関が存在しない。
規範を破ることで得られる利益や、守ることで被る不利益の構造が変わらない限り、規範を念仏のように唱えるだけでは争いを止められない。
「争ってはいけない」と教え込むことだけが問題なのではない。
規範を守ることが一方的な損失になり、規範を破ることが利益になってしまう構造そのものを直さなければ、戦争も、より身近な争いも無くすことはできないのである。
第8章 国家の繁栄と、個人の命や身体
国家の経済成長、産業の発展、安全保障の強化。あるいは会社の売上、生産性、業績。
組織には、全体として維持し達成すべき目標がある。そして、それらは多くの場合「数字や指標」で表される。
数字は状況を把握するのに便利だが、そこには表れにくいものが存在する。
蓄積する疲労、失われた時間、身体への負担、精神的な消耗。それらは組織全体の達成数字の中に容易に埋もれてしまう。
ある会社の売上が伸び、指標の上では大成功を収めていたとしても、その裏で従業員の身体が壊れていっているのだとすれば、その組織は何を達成したと言えるのだろうか。
組織を運営する側は、全体を維持するために個々の損失を許容することがある。
しかし、負担を引き受ける個人にとって、それは抽象的な「数字」ではない。自分自身の身体であり、生活であり、人生そのものである。
組織全体の利益のために個人の損失はどこまで許されるのか。
その決定をする側は利益を受け取り、損失を引き受けるのは現場の人間という構造になってはいないか。
組織の目的そのものが、いつの間にか「個人を犠牲にすること」を当然視していないか。
それを問い直さない限り、個人の命や身体は、組織の目的を達成するための使い捨ての「資源」にされてしまう。
第9章 労基署の監査――問題を正す制度が、隠す儀式になる
私が職場で耳にして、強く心に引っかかった言葉がある。
「明日は労働基準監督署の監査が入るので、今日は荷物を整理しましょう!」
朝礼で当たり前の顔をして告げられるこの言葉に、私は奇妙な違和感を覚えた。
なぜ、監査が入るから荷物を整理するのか。
普段から安全に作業できる環境が整っているなら、監査の日だからといって特別に整理する必要はないはずだ。
この言葉からは、日常の危険を改善するという本来の目的ではなく、「監査の日に問題が見つからないように取り繕う」という目的が透けて見える。
本来、労働基準監督署の監査は、労働者の安全や権利を守るための是正を促す「手段」である。
ところが、会社側が「監査で指摘を受けずに通過すること」を「目的」にすり替えてしまうと、行動のベクトルは正反対を向く。
つまり、問題を正すのではなく、問題を隠す方向へ動くのだ。
現場の人間も、悪意を持って隠蔽しようとしているとは限らない。
人手が足りない、作業を止めれば納期に遅れる、改善にはコストがかかる。そうした日常の制約の中で、「監査の日だけ整頓してやり過ごす」ことが、現場にとっても波風を立てない最も合理的な選択になってしまう。
誰も悪魔のような悪意を持っていない。
それでも、全員が目先の都合に合わせた結果、組織全体として「危険を根本から改善する機会」が永遠に失われていく。
監査の日だけ荷物を整理し、終われば元に戻り、次の監査でまた整理する。
ここで維持されているのは労働者の安全ではない。「安全を守っているフリをする儀式」なのだ。
©︎渦ノ廻太郎
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