
【二十九歩目】孔子、釈迦、老子のお酢で一言 ― 三聖吸酸 ―
最近、老子の思想と孔子やお釈迦様の思想との対比が続いたので、二十九歩目は三聖吸酸を。
1.三聖吸酸とは?
まずは下の絵をご覧ください。こちらは福岡の名刹・聖福寺で住職を務めていた仙厓義梵(せんがいぎぼん)という江戸時代のお坊さんが描いた絵です。仙厓さんは、こういったシンプルな画風で仏教の教えなどを描き庶民に親しまれていました。
この禅画に描かれている人物は、左が儒教の祖である孔子、真ん中が仏教の祖であるお釈迦様、右が道教の祖である老子です。そして三人の真ん中には壺があります。

この壺の中にはお酢が入っていて、この三人はお酢を嘗めています。これは「三聖吸酸」「三聖嘗酸」「三酸図」と呼ばれるモチーフで、孔子、釈迦、老子以外にも、儒教の蘇軾(そしょく)、仏教の仏印禅師(ふついんぜんじ)、道教の黄庭堅(こうていけん)の三人のバージョンなどもあります。
2.お酢を嘗めて一言。
この三聖吸酸図において、三人の聖人はお酢を嘗めてそれぞれ感想を言います。
まず、儒教の祖である孔子はお酢を嘗めて、

「このお酢は酸っぱいな。」
と言います。孔子から始まる儒教は仁義や礼節の大切さを唱える実直な教えなので、お酢の感想は「酸っぱい」となります。
次に、仏教の祖であるお釈迦様が同じお酢を嘗めて、

「このお酢は苦いな。」
と言います。お釈迦様はこの世界は「苦しみ」に満ちていて、仏教はこの苦しみから解放されることを目指す教えなので、お酢の感想は「苦い」となります。
最後に、道教の祖である老子が同じお酢を嘗めて、

「このお酢は甘いな。」
と言います。老子はこの世界をあるがままに受け入れて、この喜びと苦しみを味わいつくした後に、今生きているという喜びを見出す人なので、酸っぱいお酢の中にも「甘味」を感じます。
この感想がそれぞれの思想の特徴を端的に表現しているわけです。
3.教えの本質に差はあるのか?
そもそも、中国の古代文明は、春秋戦国時代にさまざまな思想家が登場してその主張を競い合ってきました。諸子百家と言うのように、一つ絶対の思想があるのではなく、思想の多様性が担保されているような地域であったわけです。
儒家はいち早く思想集団として結集し、後に外来宗教である仏教がやってきました。それらに呼応するかのように中国の既存の宗教が老子や荘子の思想をもとに道教と言う形で集団を形成するようになります。それぞれの集団が内部分裂や、抗争、政治的な弾圧などを経験しながら、中華世界の中心的な思想として存続し続けました。
この三人の聖人のお話は、一つの事柄について、それぞれ違う感想がありながらも、その本質は同じ、言い方を変えるならば、表現方法はそれぞれ違うけども目指すものは同じであるという意味があります。
この三つの教えの対比は中国の思想を理解するうえでとても重要なのもだと考えていますので、今後も続ける予定です。
今日は飲み過ぎていい気分なのでここまで。続きは二十九歩目でお会いしましょう。それでは、ደህና ሁኑ(dehna hunu)!